表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第3章/狼の葛藤(Ray)
19/101

1.女一人守れないとか……



挿絵(By みてみん)



ーーその日、とんでもない報告を受けた。事後報告だった。



「ナツメ、いるかーっ?」



保護対象の動物のリストに追記があると聞いて、フライト前に訪れた研究室で、まず一つ。


見覚えのある…いや、むしろデカデカと存在感を主張している姿にはた、と目を止めた。一瞬はスルーしそうになった。研究員であることを示す白衣を纏ったその装いはつい最近までなら当たり前だったもの。特に違和感もなかったからだ。



マーガレット?



口にすると呼ばれたそいつが顔を上げ、そして一瞬で凍り付いた。何故だか頬にガーゼをくっ付けている。太い指につままれた試験管の中身がこぼれそうに揺れ始めた。



「お前、何故ここにいる?」



それに…



もうすぐフライトの時間。なのに明らかに研究の業務に加わっている。生物保護班の新人、で、間違いなかったはず。なのに、何故かここに。


状況もよくわからないままレイは更に一歩を踏み出す。伴って彼女の足は一歩退く。



「何があった?その顔…」


「……っ!」



彼女、マーガレットは何も答えなかった。答えないまま、試験管を持ったまま、ぶっとい三つ編みを揺らしドスドスと仕切りのカーテンの向こうへ引っ込んだ。


おい…!呼びかけようと声を上げたときだ。更に気付いたのは。



いつの間にか。自分の半径2m以内に、誰一人として居ない。ここへ足を運ぶ度、ちょっと身を引かれたり退かれたりするのは決して珍しいことではなかった。とは言えだ。これ程までの距離を置かれることが今まであっただろうか。


そして気付いてしまえば早いもの。皆が皆、遠巻きにこちらを見ていることに気付く。上目から送る伺うような視線はそう、獰猛どうもうな危険生物のDNA採取に臨むとき…あれに似ている。



何だ、一体…



自分一点に集中している異様な視線と場を占める空気にレイは苛立ちを覚えつつも、何故だか喉の奥で不穏にくすぶって口にはできない。ただ立ち尽くすだけ。



「レイ、悪いな。足を運ばせて…」



ナツメ…



しれっと涼しげな表情で現れた銀縁眼鏡の女の姿を捉えてやっと声を発した。遠巻きの一同はふい、と強張った顔をそむける。だから何だ、と言いたい、苛立ちは目の前に向かってしまった。レイは言った。



「おい、何でアイツがここにいるんだ。あと数分でフライトなんだぞ!」


まさに食ってかかる勢いだった。しかし相変わらずとでも言おうか、ナツメはまるで動じず、ああ……と呑気な声を漏らす。指先でくい、と眼鏡を直してこんなことを言う。


「マーガレットなら研究班に戻すことにしたよ」


はぁ!?思わず一際大きな不満の声を上げたレイ。遠巻きの一同はついにわさわさと奥へ引っ込み出した。こいつらのことは、もういい。


「何で!?」


そう、今聞き出すべきはそれだけだ。やがて薄く届いた。ため息の音だった。



「ジュリにやられたんだよ」



あれ。



今確かに息を吐いたはずのナツメがあくまでも変わらない表情のまま、指先で示した。自身の頬を。えっ……レイの口からもさすがに間の抜けた声がこぼれた。



やっと知った。事の大きさ。



「何で、アイツ……!」



言葉なんかじゃ表せない焦燥に身を翻したとき。



「待て、レイ」



ーー話がある。



静かな響きに呼び止められた。振り返るその顔が凍ってしまった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ナツメの計らいで自分のフライトだけを特別に遅らせてもらった。仕事のスケジュールは断固として守ってきた。こんなことは初めてだ。



「マジかよ……」



ここにきて、初めて崩れた。研究所内の外れに位置する会議室。ナツメの口から語られた報告に、自身の中の何かも崩れそうだった。



「アイツはお前を守りたかったんだよ。お前が好きなんだ」



わかってる。そう返しそうになった自分を馬鹿か、と内心で罵った。好きだとか何だとか、そんなのはこの際問題じゃないだろ、腑抜けた感傷に浸っている場合じゃないだろと、ひんやりした机の上で拳を握った。



「だからって何で…ジュリは管理班だ。マーガレットの奴が研究班そっちに戻る理由には…」



言いかけた言葉が薄れた。心当たりが浮かんだ。



ーー俺、か?



すぐに閃かなかったのが可笑しくさえ思えた。そもそも俺が怒鳴ったから。そして落ち込んでいたところへジュリとの喧嘩が続いた。それで何かも嫌になった、と考えれば何のことはない。自然なことではないか、と。



うん……同意を示すナツメの頷きを目にしてやはり、と思った。続いた言葉も同意だった。


「そう、お前だ。レイ」


だけど違った。わずかに。



「強く繋がっているお前たち二人を見て、怖くなったそうだ。ジュリはお前のことになると見境をなくす。そしてレイ、お前も……だろ?」



「俺は……っ!」



とっさに身を乗り出した。だけど最後までは言えなかった。閃光の如く蘇った、記憶に遮られた。






ーーあの世界で。あの場所で。



同じ形をした大量の机と人が詰め込まれたあの部屋で。




ーーふざけたことをしやがって……!!ーー



ーーやめて、怜……!ーー



脳内で凄まじく響いた、獣のような唸り声は




確かにレイのものだったのだ。






渦巻く戦慄的な記憶が目の前を霞ませる。中腰姿勢のまま、レイはしばらく動けずにいた。ナツメが再び口を開いた。



事後報告、もう一つ。



「お前が単独任務に向かった前の晩、【磐座いわくら樹里じゅり】が現れたよ」


「え……」



情けないくらい弱々しい呟きを漏らすレイにナツメは更に、淡々と語る。



「アイツの想いは変わってないよ。それどころかどんどん膨らんでいっている。いつかお前にしてもらったように、何度でもお前を守ろうとするだろう」


例えそれが、はた迷惑な形でも、な。



「ジュリ……」



嫌な軋みを立てる胸。目の前のナツメがやっと体勢を変えた。うーん、と伸びをした後、少し笑った。薄く、哀しく。



「この事実は私とお前しか知らない。マーガレットには悪いことをしたよ。何も知らないんだから無理もない話なのに、怪我までさせてしまった……可哀想に」


女の子なのになぁ。彼女は最後に呟いた。ズク、と何かが込み上げた。



レイは立ち上がった。ナツメの反応も何も気にせず、ただ突き動かされるままに会議室を飛び出して向かった。



研究室へ。




バン!と勢いよく鳴った、扉。わらわらと元の配置に戻っていた研究員たちがびくっと跳ね上がる。鋭い目で一人の姿を探す。



マーガレット!



レイは構わずづかづかと進んでいく。ついにわあぁ、とそこかしこから怯えの声が上がり出す。ネズミのように散り散りになる中から一際がたいのいい女ネズミを探そうと呼び続ける。



そして、見つけた。



仕切りのカーテンの奥、もはや無意味だろうというくらい棚の陰から完全にはみ出している彼女の元へ近付いた。マーガレット…今にも泣き出しそうな顔をしている泣き虫毘沙門天へ。




「すまん!!」



ブン!と風を切って勢いよく腰から折れた。目の前の彼女の表情がどう変わったのか、わかりもしないまま告げた。



「お前に辛い思いをさせてしまった。ジュリのことは俺がちゃんと監督する。約束する!」



何と不器用な言葉の羅列だろう。自身に嫌気がさしながらも、今できることはこれくらいしかなくて。



「怒鳴ったことも……悪かった。俺はただ、上司としてお前を危険な目に遭わせたくなかっただけなんだ。嘘じゃない。だから」



戻ってきてくれないか、保護班に。



「レイ、さん……」



弱々しい声が返った。このまま顔を見なければ、実に女らしい。



はい……



同じ女の声が呟いた。見上げると涙をこぼしながら頷いていた。



「はい…!」



ぐしゃぐしゃに濡れて崩れて、それはもう酷いものだったが、やっと息が通った気がした。今できるせめてもの償い…大きな手で彼女の頭を撫でてやった。



「本当に悪かったな、マーガレット」




続く戒めの言葉。それは胸の奥だけで響く。



アイツは俺ばかり。そして俺はアイツばかり。



恨みの一つすら無い人間まで巻き込んで、どうしようもねぇな。俺らは、本当に。




――身勝手だ――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ