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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第2章/猫の住処(Juri)
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3. 一緒に居たいよ



ーー眠ったか。



電化製品の僅かな機械音だけがブゥン、と遠く響く。白衣のままのナツメがぽつりとこぼした。寝息に緩く上下する小さな彼女の背中を撫でながら。



白く殺風景な部屋は窓の一つもなく、移り行く外部の色を映し出してはくれない。三寒四温の今頃の空は、女心やら秋の空やらにも引けをとらないくらい、日々異なる顔を見せているのだが。



静寂が占めている場所。今は深夜。この場所で“彼女”は眠り、そして目覚めを繰り返している。あれからもう4ヶ月程になる。



ーー大丈夫だ。



うつむき加減のナツメがまた一つ、こぼす。銀縁の眼鏡の奥、涼しげなラインの目が柔らかく細まって。


彼女は言う。ついさっき落ち着いたばかりの彼女に。



「逃げはしないよ、そういう奴だ。お前の王子様は……」



狼ヅラだけどな。



最後の呟きの後、ふふ、と小さく笑った。くすぐったげに、だけど、何処か深い声色で。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ーーとりわけいつもと変わらない朝だと思っていた。


楽しみにしていた朝ごはんをいっぱいに食べて、マドカとおしゃべりをした。どんな内容だったかはあまり覚えていない。それくらいとりとめもない話だったけど、仕事の時間も忘れそうになるくらい、いっぱい笑ったのは覚えている。



そうしているうちにサシャがやってきた。スープを頂戴、と言った彼女。向かいの席に座ろうと歩いてくるなり、はた、とこちらに視線を止めた。それからまた響いた、怒号が。



「ちょっと、ジュリ…!!」



あっという間に駆け付けてきて、上から覆い隠すように被さった。信っじらんない!と言いながら私の服の胸元を寄せた。


今日はブラの付け忘れ。スカスカの襟の隙間から中が丸見えだったらしい。そんなに焦ることかなぁ?それも本人じゃなくて何故サシャの方が?ジュリはキョトンと首を傾げた。



サシャはぷんすかしながら持ち場へ向かった。マドカもダハハ、と笑いながら調理場へ戻った。私もしぶしぶ部屋へ戻ってブラジャーを付けてから温室へ向かった。



結構大人なのに同い年くらいに見える、先輩のヤナギには弱点がある。朝だ。


何でも低血圧だとかで、温室に来るのは大体仕事開始のギリギリ。いっつも眠そうな顔をしてくる。長いキャラメルブラウンの髪もボサボサしてる。そんな姿もお人形みたいで可愛いから、結局許しちゃうんだけどね。


彼女は今日もまだ来ていない。また研究班に寄ってから来るらしいから、結構遅くなるかも知れない。まぁいいや、とジュリは観測器を取って室内を回る。




この仕事を与えられたのは3ヶ月くらい前だった。簡単な仕事とは言えないけど…と戸惑ったような顔で言いつつもヤナギは丁寧に教えてくれた。



植物研究班、生物研究班、そして生物保護班。いくつかの班が存在する、全部ひっくるめて【稀少生物研究所】。長くって言いづらい。


私たちの目的は動植物たちがより共存しやすい生態系を作っていくこと…そう初めに教わった。


改めて言葉にしてみると、つくづく壮大な組織であることを実感する。実際、この世界の王室から直接依頼を受けていたり手を組んでいたりする、大手中の大手だという。やっぱり凄い。それくらいわかる。だって私は16歳だもの。



小型機に乗って高く広くを飛び回る、時にはおっきな動物と格闘だってしてくる生物保護班が最もハードな仕事なのはきっと誰でも予想がつくだろう。だけど、私たち研究員の仕事だってなかなかハードだ。何より頭を使うし、緻密さは必須。ブラの装着も忘れてしまう私が何故ここに配属されたのか正直謎なくらい。




一つ目の温室の観測を終えて、ジュリは一度外へ出た。ふわりと柔らかい風が頬を撫でた。天を仰ぐと雲ひとつない空から見下ろす陽に目が染みた。



「行きたいなぁ…」



いつの間にか呟いていた。





本当は。



あのとんがったカッコいい機械を乗り回していろんな場所へ駆け回るサシャたちに憧れていた。だから保護班がいいって言ったんだけど、あっさり却下されてしまった。思い出すと今でもちょっと悔しくて、ぎゅっ、と唇を噛み締めてしまう。




レイの…意地悪。




次にジュリはむぅっと膨れる。そう、却下したのは他でもない、彼だ。初めてちょっぴり“嫌い”って思ってしまった。とは言え、理由は大体想像がつく。



この研究所の中で16歳の私は若い方だし、体型はひょろひょろのぺったんこ。身長はまだ150もない。肌の色も青白い。それから…




自分の手を見下ろした。重ねているのに下の形がうっすら見える。




ーー半透明。




原因は何かわからない。実際はぴんぴんしてるけど、食欲だって旺盛だけど、周りにはきっとこう見えるのだろう。



過酷な体力仕事になんて耐えられる訳がない、危険だ。そんな身体で…と。



私だって絶対にできるなんて保証はない。わかってる。だけどやりたかったんだ、カッコいいし。それに、それにね…



それ以上にね…





ふぅ、と諦めのため息を外に置いて、二つ目の温室に入った。黙々と作業に取りかかった。3つ目の植物の観測を終えてまたため息をついた。4つ目に取りかかる前に一回伸びをした。




考えても仕方ない、か。こんなどうにもならないこと…



胸の内でぼやいていた。そのときよぎった、脳裏に。




でも…



私は、何者…?





……っ!





息が詰まった。今、とてつもなく嫌な感情がすぐ側まで迫った気がして呼吸が浅くなる。背筋が冷たくなって逆立つ。



「あーっ、やめやめ!!」



大きく声を上げた。だからって観測をやめはしない。この妙な感情らしきものを“やめ”にしたかっただけだ。



指を這わせる観測器。画面の中の記録欄がシュッ、と次へ移行する。通常通り。なのに、



また、押し寄せてくる。



かぶりを振る。



今までにも何度か同じようなことがあって、その度に同じようにしてきた。それで振り払えると知っていた。



半透明の髪、頭…振って、振って、やっと振り切れた。モヤモヤした何かが薄れてくれて、視界がはっきりしてきた。



ジュリは気が付いた。そのまま静止した。




あ…っ




小さく声を漏らした。4つ目の植物の観測モニターはずっと目の前にあったはずなのに、今更。



手元の観測器をいじりだした。昨日までのデータを出してモニターの数値と比較する。やっぱり…水分量が著しく低下している。周波数も低い。


「そんな…」


高くそびえ立つ幹を見上げた。つい最近ここへやってきたばかりの植物、名は【リュウノツルギ】。ちゃんと覚えている。これもまた…



レイから託された…




ドクドクと速過ぎる脈打ちを始める、奥。立ち上がる足元がふらついた。何とかしよう、なんて、ペーペーの私じゃわからない。ヤナギ。とにかく彼女を探さなくては…そんな微々たる判断力だけで出口を目指した。走った。




ドンッ!




何かにぶつかった。一瞬、壁かと思ったけれどすぐにわかった。匂いで。



おい、大丈夫か!



その声で。





「レイ…」



口にするなりどうしようもなく溢れ出した、涙。困惑した彼の顔が滲んでいく。よく見えない、だけど知っている。



鋭い輪郭に象られ、狼と称されるその目が本当はすごく優しい色をしていることを。私の大好きな色だってことを。




レイ…!




怖くなってしがみ付いた。今泣いている理由は途切れ途切れにしか話せなかった。


やがて立ち上がり、何処かへ向かった彼に追いすがろうとした。もう自分でも何を言っているのかわからなかったくらい。



だけど一つ、願いを言った気がする。その優しい色を失いたくない、もう二度と…何故かそう思って。叫んでた。



一人にしないで…!



蘇った気がした、遠い背中へ。




ーー置いていかないでーー



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