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誰かが問うた
『本当に彼がやったのか?』
誰かが嘆いた
『まだ子供じゃないか』
誰かが叫んだ
『本当にこれは正しいのか?』
*****
手に暖かい感触。
薄い膜が破れていくように僅かな光が大きく広がって視界が開けた。
まず目に映ったのは智花だった。
次に腕から延びる管。
「ぢは…な゛……げほっ!!がはっ!!」
鉄の味が喉から咥内に広がる。
自分から発せられる酷い音と、周りの光景に目が白黒した。
明らかにここは…病院、じゃないか。
「綾!いきなり喋ったらダメだよぉ…」
智花が差し出してくる水差しを受け取り、中身を喉に流し込む。
冷たい水のはずなのに、そこは焼けるように痛んだ。
「ちは…ここ……?」
ここはどこで、なぜ俺はここにいるんだ。
その意を込めて智花を見上げる。
「ああ…ここはね、ディアコニアだよ。教会の中にある病院」
こんなのあったんだね、知らなかった。と笑い、
一通りの説明をしてくれた。
智花の話をまとめると、こうだ。
犯罪者とはいえど、数年に一度くらいは健康チェックをしなければいけないらしい。
こんなんでも一応病人扱いだ。病状のチェックも兼ねているのだとか。
この結果により退院――出所の時期が変わったりするらしい。
こうして面会も可能だったりする。
「智花……、母さんは…」
智花は俺の質問には答えず、
困った顔をするのみだった。
……来てないんだな…一度も。
「綾は気づいてないかもしれないけどぉ…」
うつむく俺を気遣ってか、智花は明るい口調で話題を変えた。
「いま、綾が沈められてから丁度5年経ってるんだよぉ」
ちょっとは大人っぽくなったかな、と笑う智花に俺は呆然とする。
智花はちっとも変わっていなかった。
今は座っているからわからないが、もしかしたら身長は伸びたのかもしれない。
俺との身長差は?…俺も成長したんだろうか。
「……少なくとも、成長したようには見えないな」
そう言って笑ってやる。
余裕なんてない。目に入るもの、耳に入るもの、全てに恐怖を覚えるほどだ。
でも…智花に冗談を言えるくらいの余裕は持っていたい。
これ以上何も見ないよう、俺はしっかりと目を閉じた。
*****
検査という名の問診を終えて病室に戻ると、そこにはまだ智花がいた。
「まだ帰らないのか?」
「おれが帰っても寂しくなぁい?」
寂しくないといったら嘘になるが、
妙ににやけたその面が気に入らなくて頬をつまんでやった。
「ひ、ひたた……冗談だよぉ…」
俺の手を外した智花は、
コロリと音が鳴るように真面目な表情になった。
「実はね、伝えておきたいことがあってぇ…」
「法律が、変わりそうなんだぁ。そしたら、綾を助けてあげられる。
こんなところから出してあげられるんだよぉ!」
まるで自分のことのように喜ぶ智花に、俺は居たたまれなくなった。
「智花……俺に、気ぃ遣ってないか?」
きょとんと目を丸くする智花。
「俺のタメに無理とか、してないよな……?」
「……してないよぉ!バカだなぁ」
智花は始終笑顔だった。
俺にはその笑顔が無理をしているように見えた。
*****
光を感じて目を開くと、そこはまた病室だった。
流石に二度目は動揺が少ない。
水差しを自分で持ち、
舌になじませるように口に水を含んだ。
内臓に染み渡るようなその感覚は、かすかに痛みが伴った。
「あ、綾!起きてたんだねぇ!」
「……ああ」
コンビニのビニール袋を持った智花が病室に入ってくる。
「今日はね、差し入れに――」
「…ちはな」
俺の小さな声を聞き取り、
買い物袋から菓子の類を取り出す手を止め、こちらに目を向けてくれる。
「何か隠してることあるだろ」
智花は何かと表情に出やすい。
笑顔に見えても、微妙に違う。
智花が俺に隠し事ができたことなんて今まで一度もなかった。
「なんで、わかっちゃうかなぁ…」
困ったように言う智花は、
それでもまだ話すかどうか迷っているようだった。
「……」
目線で促すと、
眉根を寄せた智花はため息を一つつき、口を切った。
「綾のお母さんが亡くなったよぉ……二年前。前の検査の日のすぐ後に」
「……」
口をつぐむ俺に、だから言いたくなかったのに、
と呟いた智花は、差し入れの袋を置いて出て行った。
俺の家は母子家庭だ。
母親がいなくなったのならあの家はどうなったんだろう?
母は最後まで俺を恨んだだろうか?
俺は母に何かできたんだろうか?
ひたすらに後悔が渦巻いていく。
しかしその反対に、もしかして前の検査の時面会に来なかったのは
俺を嫌ってたんじゃなくて病気だったからじゃないか?とも思った。
母さんはどういう風に死んでいったんだろう。
病気?事故?……自殺?
怖くて聞けなかった。
このまま、ここでの生活が長引いたら
智花まで俺から離れていくんだろうか……?
後悔は次の恐怖を巻き込み俺の頭へと沈んでいった。
*****
次に目が覚めたのは前の検査から更に二年後だった。
目覚めてすぐに智花の姿が目に入った。
「はい、水だよぉ」
水差しを受け取り、咽ないようゆっくりと流し込んだ。
この一連の動作にもすっかり慣れてしまったな……。
「ごめ……」
口から勝手に謝罪の言葉が出てきた。
智花にまで見放されたら……
この時俺の頭はそれでいっぱいになっていた。
「なに謝ってるんだよぉ」
笑って言う智花に救われる。
でもこの関係もいつまで続くだろう?
「ねーね、りょーう。聞いてぇ」
それまで気付かなかったが、今日の智花は厭に機嫌が良いようだった。
「……?」
喉の痛みから進んでしゃべる気は起きず、目線で続きを促す。
「法律が改正されたんだぁ!」
「……」
「…あ、れ?うれしくなぁい?」
……正直どう反応していいのかよくわからなかった。
「…それで、俺はここからすぐに出られるのか?」
ふるり、と首を横に振られる。
「いやぁ、流石にそうはいかなかったよぉ……」
…だよな。そううまく行くもんじゃないか……。
「でもねぇ、新しく海に沈められなくなったりぃ……
子供には救済措置ができたりぃ……色々変わったんだよぉ」
……どちらも今の俺には関係ないじゃないか……。
生憎俺は自分に関係ないことで喜べるほどの余裕はなかった。
「……」
「……」
「あの、えっと……だ、大丈夫だよぉ。綾はおれがすぐに出してあげるからぁ!」
何を根拠に、と言ってやりたかったが、そんな気力もなく
俺はただうなだれた。
「うん…大丈夫、大丈夫……」
そんな俺をしり目に、智花は何事か呟くと
「じゃあ、待っててねぇ!」
と言って退室して行った。
あいつは何をしたかったんだろう?