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朝、家の近くのゴミ捨て場の前に
首のない猫の死骸が落ちていた。
俺はただ、目をそらすことしかできなかった。
*****
朝から嫌なものを見た。
授業なんて受けていられず、俺は朝から屋上に一人籠もっていた。
猫の首の断面が鮮明に脳裏に再生される。
胸くそ悪さに我知らずタバコを噛みきった。
苦みが口いっぱいに広がる。
眉を寄せ、感情のままにそれを吐き捨てた。
「くそっ!くそっ!!」
地団駄を踏むようにタバコを踏みつけ、頭を抱えてしゃがみ込む。
腹の底に溜まった訳の分からないものが、どろりどろりと俺を笑っている。
そんな妄想に捕らわれた。
鼻の奥がツンとする。
タバコも屋上も、今の俺を癒してはくれなかった。
「りょう……?」
いつの間にか屋上の扉が少し開いていて、そこから智花が遠慮がちに覗いていた。
顔の筋肉が緩むのがわかる。
はっとして、急いで目の端を拭った。
「智花……なんだよ、そんなところで。こっちこいよ」
「うん……」
遠慮がちな態度を変えず、そろそろと近寄ってくる。
「綾、顔色悪いよぉ。体調悪いの…?」
言われて無意識に顔に手を触れさせた。
……よくわからない、が…そこは汗でじっとりしていた。
「……なんでもねぇよ。気にすんな」
なぜか目を合わせていられなくなり、
智花から目をそらした。
智花は黙って俺の隣に座った。
いつもの距離。
隣に感じる体温にひどく安心している自分がいた。
しばらくして、よくわからないキモチワルサが去った頃
智花が躊躇いがちに口を開いた。
「あの、ねぇ。おれがここに来たの…先生が綾を呼んでたからなんだけどぉ……」
今は無理だよね、とおずおずと眉を寄せながら言う。
明らかに気を遣わせてるな……。
智花には迷惑ばかりかけている気がする。
だからといって、センコーの呼び出しに応じる気はまるで起きなかった。
*****
二人並んでしばらく空を眺めていた。
智花はいつも…何も言わずに俺の側にいてくれる。
その心地よさに、自然と俺の口は言葉を紡ぎだしていた。
「今日……な。朝、猫の死骸を見たんだ」
「うん」
「それからずっと胸くそ悪くて……」
「綾、動物大好きだもんねぇ」
智花が茶化すように言う。
妙に気を遣わないその態度にひどく安心した。
「……ちげーし」
そこでふと思い出したことを口に出す。
「そういや智花は動物あんま好きじゃねぇんだっけ」
智花の母親が犬を飼いたいと言い出したのを、
癇癪を起こしてまで大反対していた姿は、記憶に新しい。
「あー……犬とか猫とかぁ、かわいーなーとは思うんだけどねぇ…あんまり近づきたくないって言うかぁ……」
眉を寄せて口をまごつかせる。
その姿に最早違和感はないが、昔からこうだった訳じゃないような気がする。
先ほど脳内に浮かんだ情景も、確か中学の頃だったはず。
俺の知らない何かがあったのか…?
今更ながらに、俺は疑問を抱いた。
「とりあえず、おれには綾だけで充分な――『ガンガンガンガン!!』」
突如鳴り響いた重い金属音に智花の声がかき消される。
それまであった和やかな雰囲気は、俺の疑問ごと霧散した。
ガシャン!!
「いました!!こいつです!!」
!?
突然屋上に飛び込んできた人物は、俺を見るなり指を突きつけて声を張り上げた。
そのままズンズンと近づいてきたそいつは、俺の腕をつかむなり握り潰さんとばかりに力を込めてきた。
「……っ」
「なんで、来なかった」
その発言で、ようやくこの人物が担任だとわかる。
こいつ、もっと大人しいヤツじゃなかったか…!?
開けたままの口は不完全な開閉を繰り返すだけで、何も言葉が出てこない。
完全に気が動転してしまっていた。
「やましいことがあるから来なかったんじゃないのか?」
「そ、んな……」
そんなことない、とキッパリと言ってやりたかったのに、
教師が来たということにヤバいと感じた俺の脳は、俺の意志の外で勝手に目を動かしていた。
――タバコの吸い殻の方へ
いきなり反らされた視線に違和感を感じたのだろう。
担任は俺の腕を掴んだままそれを追う。
「ふぅん……?」
ぎり
だんだんと緩くなっていたはずの手に再び力が込められた。
「タバコに…菓子の袋……ね」
見下すように視線を向けてくる担任を睨みつける。
「っこんなんどうせ……みんなやってるだろ……!」
俺のこの言葉に重ねるように、聞き覚えのない声が乱入してきた。
「それは本当ですか?この学校の生徒はそんなことをしてるんですか?」
全くの予期せぬ新人物の登場に、気が抜けてしまう。
その人物の声は俺にはよく聞きとれなかったのだが、担任にはよほど効果のある発言だったらしい。
「い、異常者の戯言だ。自分に都合のいい妄想でもしているんだろう!!」
「……は」
俺みたいなやつ、他にもたくさんいるだろう?
何言ってるんだ?どっちが妄想だよ。
「いいか、樫原。タバコや酒をカッコいいと思うことがまず病気なんだ」
「それだけならまだしも、殺しにまで手を出すなんて……。動物だとしても許されることじゃないの、わかるよな?」
顔も見ていたくないとのでもいうのか、苦々しい顔で担任が目をそらす。
何言ってるんだ……?
こいつは、何の話をしているんだ……?
「ああ、こいつは前々から何かやらかすんじゃないかと思っていたんだ……」
「せ、センセ!!綾じゃない!綾じゃないよ!!」
それまで放心したように全く身動きしていなかった智花が、
気を取り戻したのかいきなり慌てだし、俺と担任の間に立つ。
まるで俺をかばうかのようなポーズだ。
「このお菓子も、おれで……!それで…!」
担任が智花を見る。
とても哀れんだ顔で。
「野垣、お前がこいつと仲がいいっていうのは知ってるが……何もかばうことないんだぞ?」
「それとも脅されてるのか?」
「ちが……っ」
「大丈夫、先生は野垣がそんなことしないって知ってるから」
「でもな、友達は選ぶべきだ。こんなヤツの近くにいちゃダメだからな」
「先生っ!!!」
「うんうん、話は後で聞くからなー。ちょっと今は黙っててな」
何を言っても無駄だと悟ったのか、智花は打ち沈んだ顔でこちらを向く。
「綾……」
智花は泣きそうになっていた。
一方俺の方は……落ち着いていた。
人間、他人が慌てているのを見ると冷静になってくるものらしい。
「智花は……信じてくれるよな」
ぶんぶんと音が鳴りそうなほどに首を縦に振る。
「おれは……綾は絶対そんなことしないって知ってるよぉ……」
それきり智花は押し黙ってしまう。
その間も担任たちの話は続いた。
俺のことは放置らしい。
「なんでもっと早く言ってきてくれなかったんですか。異常者が野放しになってたんですよ?」
「いや、こちらとしてもなるべくなら学校関係で問題を起こしたくなく……」
担任と一緒に居る人物はどうやら警察関係の人間のようだ。
俺は……捕まるのか?やってもいない罪で。
確かにタバコは吸ってたかもしれない。酒も飲んでた。
でも……
それはみんなやってたことじゃないか。なんでオレだけ、こんな目にあわなきゃいけないんだ。
俺が犯罪者なのか?異常者?まさかだろ。
捕まれたままの手では頭を抱えることすらできない。
――なぁ、誰かこれが夢だと言ってくれ――
この場で否定の言葉をくれるはずの唯一の人間は、ただただ下を向いて肩を震わすのみだった。