なつやぎ昔話
マルモトリという妖精がいる。
その名の通り、丸い鳥のような妖精である。
体を揺らして、コポコポと鳴きながら歩くという。
普段は、厠の天井や風呂釜のふたの裏に張り付いて、じっとしている。
とても穏やかな性格で、人に危害を加えたりはしない。
山に住むマルモトリは、お菓子を分けてもらいに時々村里に降りてくる。
マルモトリにお菓子(マルモトリは特に、甘い砂糖菓子を好む)を与えた子供のいる家は、必ず子宝に恵まれるとされている。
今では見ることのほとんどできない、古い古い妖精である。
○◎○
そう昔のことでもない。
山に囲われた田舎の貧しい家に男の子が生まれた。
名は一字郎。
浅黒い肌で大きな目をした、利口そうな男の子であった。
母親は随分体が弱かったので、一字郎を生んですぐ死んでしまった。
胸の病だったそうだが、死んで三日もしないうちに体を燃やしてしまったので、はっきりしない。
一字郎はすくすく育って、小粒ではあるが元気な男の子になった。
木登りが得意で、走るのも速かった。
しかし時折、わけもなく悲しげな笑顔を見せた。
遠くを見るようなうつろな目でふっとうつむいては、小さく息を吐いたり、
反対にごっくんと息を飲んだりするのだ。
そんな息子を心配して父親は
「母親がいないせいで悲しい思いをしているに違いない」
と、後妻を迎えようと思い立った。
しかし、山深い土地柄に貧しい家柄、なかなか後妻の話はまとまらなかった。
それとなしに一字郎は、幼心に父を気遣って
「おっとお、おっかあはいらねぇよ」
と、悲しげに笑った。
父親はそんな一字郎をますます不憫に思うのだった。
やがて父親は後妻をあきらめた。
そのかわりに野良仕事に精を出そうと考えたのだ。
「たくさん働いて一字郎に贅沢をさせる。
そうすりゃ母親のいない寂しさを埋めることができる」
父親はそう思ったのであった。
一字郎のことを思い、父親は朝から晩まで働いた。
そうこうしている間に、一字郎は少年と呼ばれる年頃になった。
小粒な一字郎だったはずが、そのころにはすっかり太ってしまっていた。
得意だった木登りも、今は体が重くて到底できない。
ぽんと背を押せばころころと転がりだしそうなほど、
一字郎の体はまん丸になってしまっていた。
なぜ一字郎は太ったか。
理由は、一字郎を不憫に思った父親が、毎日甘い菓子を与えていたからである。
一字郎はそれを喜んで食べ、にこにこと笑った。
父親はそれで安心した。
腹が減っているわけでもないのに、一字郎は食べ続けた。
だから、一字郎の体は日を追って丸く大きくなっていった。
そして一字郎は、家から一歩も外に出なくなった。
いや、出歩くことができなくなったのである。
やがて家の中に閉じこもって、朝から晩まで甘いものを食べ続けるようになった。
元気に野を走り回っていた一字郎の姿は見る影もなくなった。
日長家の中にいる一字郎を見て、父親は心配した。
けれど
「一時字は子供だ。たくさん食べて大きくなれば、それでいい」
と、また一字郎を甘やかした。
貴重な甘い菓子を食べさせることができて、父親は満足していたのである。
やがて一字郎は自分の体を支えて歩くことができなくなった。
それでも一字郎は食べ続けた。
手足が腫れ、顔と首の境がなくなり、瞼が目を覆った。
それでも食べた。
ただひたすらに、毎日毎日、口に菓子を詰め込んだ。
味なぞ感じてはいなかった。
やがて食べすぎで口内炎になり、舌には大きな潰瘍ができた。
それでもやはり、一字郎は食べ続けた。
○◎○◎○
「おなかすいたじゃ」
一字郎はそう言いながら重い体を横たえ、手元の菓子器に手を伸ばした。
中には甘い煎菓子がこんもりと盛られている。
その中にもちもちと肉のついた手を入れて菓子を掴みとり、口へ押し込んでゆく。
あっという間に、煎菓子は一時郎の腹の中に納まってしまった。
「おなかすいたじゃ…」
一字郎はまた同じ言葉をつぶやきながら、自分の掌をながめた。
仰向けに寝転んで、目の上で掌を開いたり閉じたりしてみる。
しだいに一字郎の目から涙が溢れた。
ぎゅっと掌を握り締め、その拳で涙を拭う。
涙はとめどなく溢れた。
「おなかすいたじゃ…」
そう繰り返しながら、一字郎はめそめそと泣きはじめた。
こぽっこぽっ、こぽこぽっ
泣いていた一字郎は、不意にかすかな物音を感じた。
「なんじゃろ」
一字郎がなんとか体を横にし、カラになったさっきの菓子器をのぞきこむ。
どうも音はその中からするようなのである。
こぽこぽっ、こぽこぽこぽこぽ…こぽっ
首に少し力を入れ頭を持ち上げる。
一時郎は恐る恐る中を覗いた。
するとどうだ、中に鳥がいる。
それも、見たことのないほど小さな鳥である。
けれどいかにも鳥らしい姿をしている。
やわらかそうな短い毛に覆われた、丸い頭。
その丁度真ん中に、くりっと黒い目玉が二つ並んでいる。
その目がちら、と一字郎を見た。
一字郎は一瞬ドキリとして、その鳥から視線をそらせなくなった。
二つの目の、ちょうど真ん中にある尖った膚。
それはまだすこし潤って、つやつやと光っている。
おそらく「くちばし」だろう。
鳥は、そのくちばしを開けたり閉めたりしながら、菓子器の底に残った粉をついばんでいる。
羽はまだ生え揃っていないのか、ところどころぼさぼさしている。
けれど色は美しく、明るい苔のような色である。
こぽこぽと喉を鳴らす音が、さっきの音の正体だった。
「あぁ、こいつめ、なんてやつだ」
一字郎は驚いた。
しかし、その姿はあんまり可愛らしい。
そっと眺めてみることにした。
「おまえ、どこからきた?」
ちら、と鳥は一字郎をみた。
この鳥は人間が側にいても逃げないようだ。
「あぁ、やっぱりな、山ん中だろ」
一字郎はしきりに頷いて、
「見たことねぇもんなぁ、なんて名だ?」
と、どんどん話しかけてゆく。
鳥はちらちらと一字郎を見ながら、嘴を開け閉めする。
「わかんねぇかぁ。そっかそっか、まだ子供みてぇだしな」
一字郎は答えもしない鳥に話しかけ、勝手に鳥からの返事を想像しながら会話をつなげていく。
「俺は一字郎。お前は鳥だろう。名前がねぇのはかわいそうだなぁ。
…でも変だぜ、お前。砂糖菓子を食う鳥なんて聞いたことねぇぞ」
そう言いながら一字郎は、たっぷりと肉のついた指先でその鳥の頭に触れてみた。
ふうわりとした感触である。
一字郎は何度もその頭を撫でてみた。
しかしすぐに、おや、と一字郎は思った。
よく見れば自分の指先は、鳥の頭の肉の中へ、入ったり出たりしているように見える。
目がかすんでいるのか?
一字郎は目をこする。
しかし、指は頭を貫通して、入っては出て、を繰り返している。
恐ろしくなって手を引っ込めようとした一字郎。
そんな彼の目を見据えた鳥が、高い声で
「おかしちょうだいな」とささやいた。
「ぎゃぁあ、なんじゃこいつ!」
一字郎はとっさに指を鳥からはなした。
そして鳥から逃げようと、重い体を無理矢理起こし、這うようにして部屋を出る。
「た、たすけてくれ、化け物だぁー」
しかし、随分と長い間部屋から出ていなかった一字郎。
陽のまぶしさに目がくらむ。
体の重みも手伝って、一字郎はべしゃりと床に転がった。
顔を床にぶつける恰好で転がってしまう。
そこへ鳥が菓子器から這い出て、一字郎目指してよこよこと歩いてくる。
「うぅう…」
低く呻きながら体を起こそうとする一字郎。
しかし重くて、すぐには起こせそうにない。
「あぁ、くるな、妖怪、」
鳥は、一字郎の慌てふためきに一切構うことなく、どんどん近付いて、
やがて一時郎の背に登っていった。
小さな体をゆらゆら揺すりながら、小さな虫のように少しずつ進んでゆく。
一時郎の背に、ふうわりとした感触が一すじ。
それがなお怖い。
やがて鳥は一字郎の首もとまでやってきた。
そしてそこから着物の中へと入っていく。
毛の感触が後ろ首を伝い、一字郎はぶるぶると震えた。
やがて鳥は着物の中にすっかりと入ってしまった。
一字郎は床にうつぶせに寝転んだまま、身動きできずにじっとしていた。
あたたかな光が射す廊下。
紫陽花の咲く庭。
まん丸の一字郎。
景色は溶け合い、見事に調和した、その瞬間だった。
チクっ
一字郎の背に、小さな小さな痛みが走った。
一時郎はすぐに「こいつは噛み付かれたに違いねぇ」と思った。
しかしどうだ、その痛みはすぐに治まった。
そしてなにやら、背中のあたりからおかしな臭いが漂ってきた。
「なんだ、なんだ」
一字郎は慌てて仰向けに転がり(それにも随分とまた時間がかかった)、
臭いを確かめた。
しかし仰向けになると、今度は床のほうからおかしな臭いがする。
また転がる。
するとまた背中のほうから臭いが。
ころころと何度か転がるうちに、
「あぁ、おかしなこの臭いは、自分の背中から出ているに違いない」とわかった。
だいぶ動いたもので、一字郎は転がるのをやめた。
疲れたのだ。
次に大きく深呼吸をし、ゆっくりと体を起こした。
体を起こすと、着物の袂から鳥が出てきた。
ころころと転がって、廊下の板敷きをすべってゆく。
少し転がって、一時郎の手の届くところで止まった。
鳥は、満足そうに一字郎をみた。そしてこぽこぽと喉を鳴らした。
「…妖怪、お前、何をした?」
息も絶え絶えな一字郎は、恐さ半分諦め半分、愛おしいものを見るように鳥を眺めた。
そうこうしているうちに、一字郎の背中から出るおかしな臭いは薄らいでいった。
穏やかな空気が流れている。
一字郎はそっと瞼を閉じた。
しかし安堵したのもつかの間、一字郎はまた自分の背に違和感を感じた。
何か熱いものが、さっき噛まれたところから出てくるような感覚。
それはとてつもなく熱いものである。
だらだらと背をつたっている。
熱い…
と思いながら、一字郎はただじっと黙ってこらえた。
声が出ないほどに熱いのである。
鳥はそんな一字郎を眺めて、やはりこぽこぽと喉をならしている。
ふと尻のあたりに、赤黒いどろどろがたまっているのが見えた。
どうやらこれが溢れてきているらしい。
(妖怪、俺はお前に殺されるのか?)
一字郎は心の中で呟いた。
やがて、廊下いっぱいに一字郎から湧き出た赤黒いどろどろが広がっていった。
そして湯気を立てながら、静かに廊下じゅうを埋めていく。
体の熱さと脱力感に、一字郎の意識はもうろうとしてきた。
とめどなく溢れる溶液が一字郎の体を包み込んだ。
どろどろは床から廊下へ、廊下から台所へ、台所から風呂場へ、そしてありとあらゆる部屋へ、静かに静かに流れ込んでいった。
一字郎は意識を失った。
○◎○◎○◎○
失われた意識の中で、一字郎は夢をみていた。
母の腹の中で泳いでいる夢だ。
母の腹の肉に、静かに、そっと包み込まれている。
ふと、自分と母とをつなぐ帯を見つけた。
そこを通って、赤い血が自分にむかって流れ込んできた。
遠くのほうの壁に、赤々とした霧がとめどなく吹き付けられている。
一字郎はそっと、目を閉じた。
母の心臓の音がした。
それが、次第に小さく、弱くなっていった。
○◎○◎○◎○◎○
はっと目覚めた。
一字郎は廊下に丸まって転がっていた。
さっきまでのことが全て嘘だったかのように、家は元の通りになっている。
たちこめていたおかしな臭いも、背中から溢れた熱いどろどろも、もうどこにも見あたらない。
…おかしな夢でも見ていたのだろうか。
そう思って体を起こす。
つままれるような鈍い痛みが背中に走った。
「つぅ…」
さっと背中に手をあてて痛みの箇所を確かめる。
背中のある一点、ほかとは違う湿った感触の場所があった。
おそらくそこが、あの鳥に噛まれた場所だ。
なんてことが起きたんだろう、と訝しげに重い頭を揺すった。
しかし、何かもっと別に、随分変わったところがあるように一字郎は思った。
まず、体が軽いような気がする。
第一に半身をらくらくと起こせたのである。
体全体を見回すと、随分とほっそりとしたようだ。
一字郎は、昔のように飛んで跳ね起きたみた。
なんの苦もなくできる。
重くて無理だと諦めていた体が、バネのようにしなやかにその場で跳ねる。
思い通りに手足が動く。
一字郎はその場で踊りだした。
「あぁ、あの鳥の化け物に殺されたかと思った。
こんなに姿が変わってしまったけれど、あぁ、良かった良かった」
一字郎はすっかり喜んで、家中を踊ったりはねたりして廻った。
父もそんな一字郎を見て喜んだ。
村の子供達もやってきて一緒に踊り出した。
しばらくして、子供たちから噂を聞きつけた村の長老爺がやってきた。
長老が言うには
「マルモトリという妖精が、一字郎の血を吸ったのだろう」
ということであった。
「マルモトリか。」
一字郎はほっと安心して、きっとこれは神様のお恵みなのだろうと感謝した。
○◎○◎○◎○◎○◎○
月日は流れた。
一字郎は、健康な体と優しい心を持った青年になった。
あれきり一度もマルモトリを見ることはなかったが、
一字郎の頭の隅にはいつもマルモトリがいた。
一字郎は、あの可愛らしい姿を時々思い出しては、嬉しそうに笑った。
やがて一字郎は嫁を迎えた。
そしてたくさんの子宝に恵まれた。
みな、可愛らしく元気な子ばかりであった。
一字郎と嫁と子供達は、穏やかに暮らし、あたたかい家族となった。
その幸せは、いつまでもいつまでも続いたそうである。
そう昔のことでもない。
囲炉裏端で聞いた、昔話。
了