歩き疲れてヒヨコ見え、
「……うーん」
さっき私は良い匂いにつられてパン屋さんに寄って、今手に持ってるクロワッサンを買ってからそのパン屋の近くの曲がり角を右に曲がって、その前は確か道端でやっていたマジックショーを見ていて、確かにマフラーを売っていたお店の角を左に曲がってきた。だから、その今来た道をたどっていけば家に繋がる道に出るはず、なんだけれど……。
「うっひゅあぃ⁉」
考え事をしながら歩いていたら、何かに思いっきりぶつかってしまった。鼻を抑えながら上を見ると、男の人の顔があった。
「ご、ごめんなさい……。考え事してて」
やばい。人を数人殺してそうな目つきをしてる。耳たぶに大きな銀の輪っかがくっついてるし、山奥暮らししてて初めて街に出た私でも絶対関わっちゃまずい相手だってわかるくらいやばい。
沈黙の数秒間。
……そして、いきなり私の髪をクシャッとして、それからポンと叩かれた。
「まあ、気をつけろよ。もう考え事しながら歩くなよ」
そう吐き捨て、片手に持ってた飲み物をストローで飲みながら男の人はスタスタと歩いて行った。
「……怖かったあぁ」
心臓のバクバクが止まらない。ひっひっふーとかやってみるが、そんなに変わらない。深呼吸ってもしかして、違う?
しばらくその場に立ち尽くして、ようやく心臓が正常に動き出したのを確認してから改めて周りを見回した。
……やっぱり今日一回も見てない景色が広がっている。
「迷子ってやつかな」
森では一回も迷子になったり道を間違えたりすることはなかったんだけどなあ。お母さんといつも一緒にいたからかな。「『初めての迷子は憧れの街の中で』とか、本のタイトルにありそう」とかどうでも良いことを思いながら、近くのベンチに腰掛けた。
『街』って、凄い。
お母さんから聞いていたことは、大きい本屋と雑貨屋があって、よく犬の散歩をしている人を見るってこと、そして街は港に繋がっているということ。これだけだった。
でも、実際は本屋と雑貨屋以外にもパン屋とか、薬局だったりミックスジュース屋とかマフラーを売っているお店、レストランとかカフェ、郵便局や洋服屋肉屋魚屋文房具屋……。
お店以外にも、今座っている木のベンチだとか、プールみたいに大きな噴水、その周りに置いてあるプランターの花。見たことない素材で出来た灯り。がいとう、ってやつかな。今は電気ついてないけど。あとは真っ赤なポストとか道端に落ちていた今日の日付の新聞、レンガと石で出来た道……。
森の中で暮らしてきた私にとって、こんなに木がないところがあるだけで驚いているが、なにより一番面白いと思ったのは匂いだった。ここまで匂いが入り混じっているところは来たことがない。
パン屋のパンの匂いや花の匂い、水の匂いとか潮の匂い。初めて知った、街にいる人のつけてる香水の匂い。……ちょっと「オエッ」ってなった。つけすぎだよ、おばさん。
こんなに不思議なところをずっと来ちゃダメって言ってたお母さんはちょっとズルいなあ、と思った。なんか損した気分、良いことありそうって思ってたけど。
もうちょっと前から来ておけば、今迷子になってないかもしれないのに。
もうちょっと前に来ていれば、損してなかったかもしれないのに。
……どうせ前に来ていても、同じこと思っているんだろうな、自分。
「そういえば本買ってないや」
というか本屋も見つけられてないや。それなのにもう足が疲れてきている。ちゃっちゃと見つけてとっとと買ってさっさと帰りたいところ。まあ迷子状態から抜け出さないとおそらく帰られないんだろうけど。
水筒のお茶を一杯飲んでから、リュックをひょいっと背負って立ち上がる。地図や案内板なども見当たらないので、ここは一つ賭けに出ようと思う。
「よっ、とぉ」
足をくの字に折り曲げ、そこから勢い良く蹴り上げる。履いていた靴が弧を描いて、パコっと軽い音を立てて落ちた。
「……右か」
地面へ倒れこんだ靴を履き直して、方向を確認してから私は歩き出した。
良い感じに錆びついた鉄の看板に、濃い茶色の木の壁。そこに堂々と置かれている『BOOK STORE』の文字が書かれた黒板風の第二の看板。こちらは新品のようだ。個人的に錆びついてる方が好きだけど。
「やっとついたぁ……」
既にあのベンチから二十分はかかっている。汗が垂れるほどではないけれど、結構疲れた。
お店に入る前に一口お茶を飲んで心を落ち着かせてから、左足を一歩踏み入れる。
「おぅああぁ……」
そんな「何語だよ」とツッコミたくなるような声が出るくらい、まず本が沢山ある。
数万……いや、数十万冊くらいの本がびしーっと壁を埋める。赤く細い本、青くて太い本、茶色の高級そうで何語かわからない辞書、緑のシリーズものの小説……。本屋っていうよりは、昔小さい頃に一回だけ行ったことがある図書館に似ているかも。店内の真ん中あたりにある、椅子と机が並べられたところで本を読んでいる人とか見るとやっぱり本屋っぽくないなあ。私、立ち読み反対派だし。
しばらく店内をぐるぐると歩いて、ようやく本日の目標である私の買いたい本を探し始める。とりあえず歩けば見つかるだろう、と私の大雑把な性格が現れるような探し方。
そして二分後、流石『大きな』本屋。
本屋の中で迷子になった。
大雑把な性格がここで仇となってしまった。出口はもちろん、買う予定の本のジャンルと全然違う、『寄生虫図鑑コーナー』なんていうところに今私はいる。
それにしても気持ちが悪いものしか載っていない。寄生虫も可愛い姿だったら子猫みたいにみんなからキャーキャー言われたろうに。いや、別の意味で私はキャーキャー叫びそうだけど。
試しに私は適当に一冊本を取り出して、適当に頁を開いた。
「ハリガネムシ……カマキリに寄生して、見た目が細長いからハリガネムシ……」
どうでもいい。私だったらハリガネムシじゃなくてカミノケムシにしてる。針金だとトゲトゲして痛そうだから髪の毛の方が良いんじゃないかとかそれこそどうでも良いことを考えて、寄生虫図鑑コーナーから離れた。
本当は店員さんに聞いて見つけてもらうのが一番手っ取り早い話だけど、まず店員さんが見つからない。誰が店員さんかもわからない。というか店員さんがいるのかもわからない。お店のロゴが入ったエプロンをつけているらしき人はいないし、カウンターには人いないし……。参ったなあ。
買うのを諦めて出口を探そうか、と考えながら通路を歩いていたその時。
「んぉ?」
「え?」
『雑学本コーナー』で本を沢山抱えてる人と目があった。深い緑の、帽子ですっぽり髪の毛を隠してる……男の子?
「ちょうど良かった、ちょっとあの本取ってくれませんか?」
声が高いってことは女の子かな? 指を棚の五段目へ向け、「右から六番目のヤツです」と指示を出す。確かに女の子の身長じゃ届かない。
私は指示通り『為になる雑学3』という本を取り出し、女の子に渡した。……為になったら雑学じゃないんじゃないかな、とか思ったけど口には出さなかった。
「ありがとうございます。手が届かなくて困ってたんですよー。来るたびに届かないかなーってジャンプしたみたりしたんですけどね、お静かにって注意されました」
確かに女の子が履いている重そうなブーツでジャンプしたら、ゴトゴトガタガタうるさいだろうなあ。店員さんも梯子とか用意しておけば良いのに。というかその時注意された店員さんに取ってもらえば良かったんじゃないかな。
「ここの本屋には何回か来たことがあるんですか?」
「はい、週末はよくこの街をぶらぶらしてるので」
じゃあ店内のこと、よく知ってるのかな。なんだか言い方からしてベテランっぽいし。
「あの、『リコッタの冒険』っていう小説、どこにあるかわかりますか?」
「ええ、わかりますよ。こっちです」
「ついて来て下さい」と手招きをして、女の子はぴょこぴょこと歩き出した。次の瞬間、本棚の角に足をぶつけ、抱えていた本が宙を舞った。ごつんと音がしたと思ったら、目の前に星が見える。
「痛ぁ……」
どうやら本は私の頭に着地したらしい。三センチはある本の重さによく私の頭は耐えてくれた。頭蓋骨のありがたみを再確認。今日は厄日か。
『ズベシャアァ』みたいな音を立ててすっ転んだ女の子を見ると、転んだ状態のまま停止していた。故障かな?
「○△※♪★¥□◆……」
よく聞くと理解不能の言葉が漏れてる。きっと頭のネジが二本くらい外れたんだろう。二本くらいなら叩けば元に戻るだろうと、女の子の頭を三回、べしべしべしと叩いてみる。
「ほぅ、わああえぃ……」
「他のお客さんのご迷惑になりますよ」
なんて店員さん気取りして、女の子の両脇に手を突っ込んで起き上がらせた。鼻のてっぺんが赤くなってる。かけているメガネは無事のようだ。しかし残念ながら絆創膏は持ってきていない。
「んー……」
次に何をすれば正解なのか。……とりあえず。
「大丈夫ですか?」
相手の意識や気分、体調の状態を聞こうと試みる。
「生きてるんで、きっと大丈夫です」
「そうですか」
口調も元に戻ってるし、えへへと苦笑いするほどの余裕が出来ていたので心配は要らないだろう。
散らばった本を拾い集めて、女の子に渡す。
「お姉さんは大丈夫です?」
「ちょっと星見えましたけど、多分私は大丈夫です」
「自分はヒヨコが見えましたよ」
「可愛かったですか?」
「ええ、とても。食べたいくらい」
もうどこからつっこめば良いのか。まず私に誤ってないこと? それともヒヨコが見えたとか笑顔で言ってること? それを食べたいとか言ってること? それとも見ず知らずの人にいきなり馴れ馴れしく本を取れとか言ってきたこと?
「あ、そうそう。『リコッタの料理』ですよね?」
「いや『リコッタの冒険』です」
「そうだった」
もう不安になってきた、というのが本音だが、天使のような笑顔で「では改めて、ついてきて下さい」といわれたので私は素直に女の子について行った。