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「……おはようございます」


 全力疾走をしてきたおかげで遅刻間際になんとかバイト先へと辿り着いた。

 揉みくちゃにされた制服はシワだらけで、しかも受け身を取ったので砂ぼこりまみれでもある。

 和馬(かずま)さんに断りを入れてシャワーを浴びさせてもらおう。走ってきたので汗もかいているし、さすがにこのまま店に出る訳にはいかない。


 俺の老け込んだ表情と恰好を見た和馬さんが顎に手をやりながら声を掛けてきた。


「おぉ、おはよう! 今日もよろしく頼む……? 颯太今日は疲れ気味だな?」


 心配するように目を細めて「大丈夫か?」と和馬さんが言葉を続ける。

 正直に「クラスメイトに拷問されてました!」なんてダサいことは言いたくないので、それっぽい理由を口に。


「はい。1か月後に球技大会があるんですけど何故かそれに向けて騎馬戦の練習が始まって……」

「なんだそれ? 本当に球技大会なのか?」

「自分もかなり疑問です。それで開店間際に申し訳ないんですけど、シャワーをお借りしてもよろしいでしょうか?」

「いいぞ。むしろ浴びてもらわないと困るな」

「すみません。速攻で浴びてきます」


 和馬さんは「青春を謳歌してるな」と笑い、開店準備に移っていった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「リストは確認したか?」

「はい。本日はご予約のお客様が3組。神堂様、大山様はいつも通りご夫妻でのご来店ですね。それと……」


 そこで言葉に詰まった。

 リストには常連のお客様に加え、見知った苗字があったからだ。


 ……偶然であってくれ。頼むからどうか別人でありますように。


 希望的観測を胸に抱きながら確認を終えて店の受付で待機。

 店先にお客様の姿が見えたら直ちに扉を開き、常連のお客様であれば「お待ちしておりました、神堂様」と、普段やっている愛想笑いに近い営業スマイルを浮かべながら頭を下げて出迎える。


「やぁ、颯太くん。和馬さんの料理が楽しみで今日はお昼を軽くしてきたよ」

「あなたったら……恥ずかしいこと言わないで下さい」

「ありがとうございます。和馬さん(オーナーシェフ)共々、神堂様のご来店心よりお待ちしておりましたので、本日はご満足いただけますよう精一杯務めさせていただきます」

「あらぁ。ほんと颯太くんは立派ねぇ~。うちの息子とは大違いだわ」

「確かに。颯太くんと息子が同い年とは思えないなぁ」

「お褒めいただきましてありがとうございます。お召し物とお荷物の方お預かり致します」


 軽い世間話をしながらお客様の上着と荷物を預かりクロークへとしまう。

 それからゆったりとした歩調で席へと案内して、椅子を引きまずは女性を上席へ。次いで男性を席に。


 後はお客様の動向を確認しながら他のテーブルと同様に配膳作業を並行する。

 コース料理やアラカルトをすべて出し切り、お客様が食事を終えたら会計を行う。

 それが済めば預かっていたものを手渡し、「本日はありがとうございました。お気を付けてお帰り下さいませ」と送り出す。

 これが一連の流れになる。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 俺が通う桜咲高峰は部活に力を入れるあまり、バイトは特別な理由がない限り禁止らしく必然的にバレてはならないという状態になった。

 だがそんな状況でも俺は楽観視していた。

 何故ならば“創作レストランKAZUMA”はコンビニやファーストフード店とは違い、“学生同士”が気軽に来るような場所ではなかったからだ。

 ……学生同士が……。



 ――予約のお客様が来店する時刻が近づいていたので受付へと移動し、リストを確認しながら待機していた。

 次に迎えるお客様は……“水瀬様3名”となっている。


 ……水瀬という苗字が嫌いな訳ではないが、嫌な予感しかしない。もちろん2名ではなく3名であるところも含めてだが。


 いくら考えたところでどうしようもない。ネガティブな思考を切り替えるように顔を上げたら、丁度店先に人影が見えた。

 すぐさま扉を開いて「ようこそお越しくださいました」と一礼しながら、サッとお客様を確認する。

 手前に立つ男性は端正な眉目を心ばかり細めてこちらを見ていた。

 年相応に落ち着いた雰囲気を纏い、ダークスーツが良く似合う大人の男(ダンディ)という感じだ。

 そのダンディな男性の奥には同年代と思われる女性の姿があった。

 整った目鼻立ちに抜群のプロポーション。長く艶めいた黒髪をアップに纏め、過度な装飾の無い洗礼されたデザインのプリーツワンピースは大人の色香を漂わせるその女性には抜群に似合っていた。


 ふたりとも立っているだけで絵になるような美男美女の夫婦だ。


 ……それだけならよかったのだが、ふたりの更に後方には見知った顔があった。

 考えられる中で一番最悪な相手だ。

 頭を抱えて叫びたくなる衝動に駆られながら、どうにか営業スマイルを保って応対を続けた。


「予約していた――」

「水瀬様ですね? お待ちしておりました」


 動揺から思わず男性(おそらく水瀬父)の言葉を遮って答えてしまった。

 俺と視線が合うと驚いたように目を見開き数度瞬きを繰り返してから、今度はニヤリと口角を上げて人の悪そうな笑みを浮かべている――水瀬。


 心底楽しそうに。

 どこか嬉しそうに。

 わずかに頬を染めて。

 ゆっくりと口を開いた。


「こんばんは、ウェイターさん。……素敵な給仕を楽しみにしていますね?」


 ……正直このケースは予想していなかった。予想が甘かったと言えばそれまでなのだが。


 薄いストライプ柄でネイビーのフレアワンピースに身を包んだ水瀬。

 髪はハーフアップに纏められ、薄く化粧もしているのか普段よりも更に大人びている。

 早い話が圧倒的なまでの美女オーラを全開にした、まさしく“愛理御嬢様”がそこにいた。


「本日は水瀬様にご満足いただけますよう、オーナーシェフ共々、精一杯務めさせていただきます」


 水瀬の姿に動揺してしまい、出てきた言葉はほとんど定型文だった。


 ……幾度となくふざけて「御嬢様」呼ばわりすることはあったが、今のこの瞬間で確信してしまった。

 やはり水瀬は正真正銘の御嬢様なんだと。

 おそらく普通の学生であるならばこんな反応はできない。

 たとえ嫌味だったとしても、そもそも普通の学生の口から「素敵な給仕を楽しみにしていますね」なんて言葉が出てくる訳はないのだ。

 場慣れしている証拠だろう。


 その後平常通り上着と手荷物を預かろうとした際、不意に近づいてきた水瀬が俺にだけ聞こえるように囁いた。


「明日詳しく聞かせてもらうわね」


 俺にとっては死刑宣告ともとれる言葉。

 絶体絶命どころか即死ワードである。


 バイトしていることがバラされたら、せっかく作り上げた“城戸=真面目”というイメージが崩壊してしまう……今日崩壊しかけたような気もするが。


 まぁ、水瀬とはなし崩し的に相互()秘密()共有()協定()なるものを結んでいるので、バラすことはないだろう。


 席までのエスコートを終え、以降も特に水瀬からアクションは無く不気味過ぎるほど平和に時は過ぎ、デザートを配膳した際にそれは起きた。


「ウェイターさん、お化粧室はどちらでしょうか?」


 水瀬に小声でそう話し掛けられた。

 俺を気遣ってなのか、はたまた両親の前で恥ずかしいのかは不明だが、学友であることは伏せてくれるらしい。気まぐれとはいえありがたい限りである。


「ご案内致します」

「ありがとうございます」


 お手洗いへと案内するために、ホールから死角になる廊下に差し掛かったところで……、


「城戸くん」


 後ろを歩いていた水瀬に手を掴まれた。


 思わず「愛理なのになんで襟じゃないんだよ!」と言いかけたが、なんとか堪えた。……すでに前に言ったような気がするが。


「水瀬様、どうかなさいましたか?」

「……城戸くん?」

「すみません。城戸とは誰のことでしょうか?」


 どう考えても無理だろうが、とりあえず適当に誤魔化す。


「あなたのことよ…………颯太」


 はい、100%分かってたけど無理でした。


 頬に薄紅を溶かした水瀬が俺の額に指を立てながら上目遣いに言った。

 その仕種と気持ちいじけたような表情をする天然愛理御嬢様が不覚にもかわいく見えてしまった。ギャップ萌えというやつだろうか。


「……はぁ~。頼むからバラすのだけは勘弁して下さい愛理御嬢様」

「…………」(なぜか悔しそうな表情を浮かべて黙る水瀬)

「とにかくバラさないでくれよ? 化粧室はそこの角だから……」


 返事はなかったので念押しだけしてホールへと戻ろうと踵を返したところ、


「待ちなさい」


 今度は両手で手を握られた。


 だから襟にしろやぁぁ! 勘違いしちゃうだろうが!


 振り向きざまに「なんだよ?」と返答してみたら「……その……ウェイター姿……似合っているわよ」と、水瀬が蚊の鳴くような声で俯きながら言った。


 ……そうかそうか。

 こっち見ないで俯きながら言うってことは「似合っているわよ(笑)プークスクス」みたいな感じなのだろう。よく見れば小刻みに震えているようにも見える……死んでもいいか? いや、いっそのこと一思いに殺してくれ!


「愛理御嬢様もワンピースが大変お似合いですよ……それでは私は仕事に戻りますので、デザートの方もごゆるりとお楽しみ下さい」


 気持ちを仕事モードに切り替えて強制的に気にしないことにした。……気にしたら負けどころか気にしたら死ぬ。

 仕方なく一歩踏み出したところで、水瀬がぼそりと「 (そういうのずるい)」と呟いた。


「……なにがずるいんだよ?」

「な、なんで聞いてるの!?」


 そんなこと言われたって聞こえたんだから仕方がない。俺のせいではなく言葉を漏らした水瀬が悪いと思うんだが。


 ……なんとことを言えば更に絡まれるような気がしたので、片手を上げてそのままホールに戻った。給料という名の対価をもらっている以上、職務放棄をする訳にはいかない。


 こうして俺がバイトをしていることは水瀬にバレて、翌朝のあの絡みへと繋がったのである。


 ――人生でも一二を争う散々な1日だったことは言うまでもないだろう。

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