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颯太と愛理が講堂に到着すると、既に他のクラスの学級委員達は教員に指示を受けているようだった。
そのことを確認した愛理は颯太に振り向き、絹糸のように艶のある長い黒髪をふわりと靡かせながら、ごく自然な動作で近づき耳元で囁く。
「私に話を合わせて」
「お、おう」
ち、近い! それになんか髪から良い香りが……。
突然の接近と髪から漂う仄かな甘い香りに驚き、ろくに内容も聞かずに安請け合いをする颯太。
そんな颯太の返事を聞いた愛理はそのまま歩みを進め、指示を出している教員の視界に入る場所へと移動すると、
「城戸くん、ここがこれから入学式が行われる講堂です」
「……広いですね」
「あちらが演壇になります」
「……大きいですね」
「あちらが階段になります」
「……高い? ですね」
「あちらが祝花になります」
「……立派ですね」
「あちらが照明になります」
「……明るいですね……っておい! 絶対ふざけてるだろ!?」
教員に聞こえるようにわざとハリのある声で話す愛理に対して、返答に困った颯太は無難な感想とツッコミを入れる。
ふたりがそんな茶番を繰り広げていると教員がようやっと気付いたようで、
「2組の学級委員は水瀬か、それと……」
「あっ、すみません先生、遅れてしまって。こちら城戸颯太くんです。外部生ですが私と同じく学級委員に選出されましたので、講堂へ向かう道すがら校内の案内をしておりました」
学級委員に選出? はぁ? おまえが俺を推薦したからだろ!?
それに校内の案内? はぁ? 空き教室しかしてないよね!? それも案内じゃないよねあれ!?
顔面の筋肉が痙攣を起こしそうになるのを必死に抑え、ぎこちない愛想笑いを浮かべる颯太。
「き、城戸颯太です。よホォォォッ!? ……ろしくおねがいします」
「あ……あぁ……よろしくな」
颯太が教員に向かって挨拶をしていると、愛理が教員からは見えない角度で颯太の脇腹を突く。
思いも寄らない刺激に反応した颯太は情けない声を上げながらも、何事も無かったように挨拶を続けた。
なにしやがる!? 思いっきり怪しまれたじゃねぇか!!
そんな抗議を多分に含んだ視線をちらりと愛理へと向けると、愛理は明後日の方向へと顔を向けていた。
表情は確認出来なかったが、小刻みに揺れている後姿が笑いを堪えているであろうことを物語っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後入学式の段取りの説明を受けたふたりは、2組担任の谷口とクラスメイト達が到着すると滞りなく準備を進め、どのクラスよりも早く待機状態となった。
はぁ~やっと座れる。
学級委員は人員把握のため最後列に待機するとの説明を受けていたので、やっとの思いでパイプ椅子に腰を下ろした颯太。
疲れた。肉体的にも精神的にも。まぁ、精神的には主にあいつのせいだけど……。
やることも無くなりボンヤリとそんなことを考えていると、颯太に精神的疲労を与えた張本人の愛理が隣のパイプ椅子に腰掛けた。
「おい、なんでさっき小突きやがった」
他人に会話を聞かれないように小声で愛理に問いかける。
すると愛理は顔を颯太へと向け、
「べぇーっ」
何故だか舌を小さく出し、俗に言うあっかんべーの表情を控えめにしていた。
「ぶはっ!? ……な、なにしてんだよいきなり」
全くの予想外の反応に小さく噴き出した颯太。
ったく! 全然訳わかんねぇよ!? それと不覚にも可愛かった……チクショウ!
噴き出した颯太を確認した愛理は満足そうに顔を前へと戻した。
何がしたいんだよコイツは。……ん?
愛理の不可解な行動に颯太が困惑していると、スラックスのポケットに入れていたスマートフォンが振動していることに気付く。
なんだこんな時間に?
中二病の卒業と共に暗澹たる中学時代は無かったことにしている颯太。
その第一歩として行っていたのが中学時代に使っていた携帯電話の解約だった。携帯電話を解約し、新規にスマートフォンを契約したことによって中学時代の友人、知人との接点を絶った。
そして幸か不幸か中二病全盛期だった頃の颯太は進学先の高校を決める際に重要視していたことは、中学時代の友人、知人が誰も進学しないということだった。
何故そんなことを重要視していたかというと、颯太曰く「クックック! 貴様等マリオネットは既に我の支配下なり、よって我、新天地求む」――悲しい哉、中二病だったが故にこの桜咲高峰学園には颯太の黒歴史を知る者はいないという、目を背けたくなるような事実がそこにはあった。
颯太の連絡先を知っているのは、父、母、親戚、従妹の身内だけで、スマートフォンの電話帳に登録されているのも身内の人間だけだった。
こんな時間にわざわざ連絡をしてくるということは、何かあったのだろうか? と、少し心配になった颯太は近くに教員がいないことを確認した後、スマートフォンを取り出した。
操作に悪戦苦闘しながらも今の着信がメールであったことを理解し、読み始める。
え~っとなんだ?
【From】誘拐犯
【Subject】おまえの娘は預かった
【Body】返してほしければ放課後あの秋教室にひとりで鯉。さもなくばおまえの席はナイトお萌え!
「なんじゃこりゃ!?」
思わず席を立ち某刑事を彷彿させるような言葉をはきながら全力でスマートフォンにツッコミを入れる颯太。
瞬時に静まり返る講堂。
颯太に集まる視線。
「な、なんでもないです!」
半ば叫び声の様な調子でそう言うと、即座に着席する。
なんだよコレ!? ツッコミどころ満載じゃねぇか!? しかも誰だよコレ?
差出人が誘拐犯……俺の電話帳に登録されてなけりゃメールアドレスが表示されるはずだ。
慌てて電話帳を呼び出して確認する。
……登録されてやがる! なんだ!? スマホってウィルスがあるから危険って携帯ショップのお姉さんが言ってたけど、まさかこれがウィルス…………………………ってそんなわけあるかぁボケェ!?
流石の俺でもこれがウィルスなんかじゃなく、あいつの仕業だってことぐらい分かるわ!!
チラリと隣の席を見ると愛理が顔を伏せ、小さく揺れながらクスクスと静かに笑っていた。
「なんだよ誘拐犯って!? おまえホントなにがし――」
「これから入学式を始めますので新入生の皆さんは各学級委員の指示に従って、講堂外の待機場所に移動して下さい。繰り返します――」
颯太が愛理にツッコミを入れていたそんな時、講堂内にアナウンスが流れた。
そのアナウンスを聞いた愛理は颯太のツッコミを華麗にスルーして、クスクスと笑っていたのがまるで幻だったかのようにいつも通りの凛とした表情に戻って、高雅に席を立った。
そんな愛理の行動を見て颯太も自分の役割を思い出し、慌てて席を立つのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
新入生入学挨拶を何事も無く終えた“新入生代表”の愛理がパイプ椅子へと着席した。
やっぱりこいつはそういうポジションなのか。全く緊張してなかったところを見るとかなり慣れてるみたいだな。
緊張をまるで感じさせない普段通りの凛とした表情に、桜色をした形の良い唇から発せられるどこまでも響く深く澄んだ声。スピーチのテンポも小気味好く、有り触れた内容でありながら不思議と聞き入ってしまうという、そんな新入生入学挨拶だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ~」
思わず溜息を吐く颯太。
こいつホント何考えてるんだか……ここまで読めない奴は初めてだな。