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静か過ぎることを例えて“時が止まった”と表現するのを見たことがあるが、確かに言い得て妙だなと変に納得してしまった。それほどまでに無音の空間と化してしまったからだ。
ほんの数十秒前まで歓声とも奇声ともとれる叫びを上げていた周りの奴らは、口をあんぐりと開けたアホ面を浮かべたままこちらを見て固まっている。
試しに目の前で手を振ってみたい衝動に駆られたが今はそんなことをしている場合ではない。
たおやかな笑みを湛え。
僅かに頬を上気させて。
俺を見つめる――美女。
御嬢様らしく両手を腹部辺りで軽く合わせ、背筋をピンと伸ばし清らかに立っているが、亜麻色の髪から滴る雫が妙に色っぽく見えてしまうのは男としては正常なのだろう。
「……マイマスター? どう致しました? ご気分が優れませんか?」
水も滴るいい女……ならぬいい女に見惚れて俺が一言も喋れずにいたことを心配したように、目を細めて口を開いた。
や、やめてぇぇぇ! マイマスターとか呼ばないでくれぇぇぇ!
――蔀杏那。
今更言うまでもないが俺の暗澹たる中二病時代の唯一無二の友人であり、幼馴染であり、親友であり、同志でもある。
出会いは遡ること9年前。
友達100人できるかな? と期待に胸を膨らませていた穢れを知らぬ小学1年生頃のことだ。
何がキッカケで仲良くなったのか今ではよく覚えていないが、気が付けば隣にはいつも杏那がいた。
俺が中二病を発症した際も当然のように杏那が隣にいて、ニコニコと微笑みながら痛すぎる会話に付き合ってくれていた。だからなのか杏那もいつの間にか俺の中二病に感染してしまい、今に至る。
「ひ、人違いじゃないですか?」
無理がありすぎる苦し紛れの返答。「城戸颯太」と呼ばれたのにも関わらず、この返答しか思い浮かばなかったのはそれだけ焦っていたからだ。
今ここで俺の黒歴史がバラされようものなら死ねる。……いや、いっそのこと誰か俺を殺してくれぇぇぇ! と発狂しかねないまである。
「……あっ……私としたことが、誠に申し訳ありません」
一体何を察したのか分からないが、杏那はもう一度微笑むとポンっと軽く手を打ち……、
「……これは貴方様と私だけの“ヒミツ”……でしたね。泡沫の再会に揺蕩う我が想いを嚮後は深淵に封すると契ります……マイマスター」
「誰か俺をころ――」
「――ほ゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇ!? 城戸っちどういうことだよ!? どういうことなんだYO!?」
俺が反応するのとほぼ同時にタロが声という名の魂の叫びを発した。この先こんな大声を出す機会なんてあるのだろうか? と思えるような声量だった……うるせぇよ!
その大声に強制再起動を促された周りの奴らも「はぁぁぁぁぁっ!?」や「ブルァァァァ!?」などの、よく分からん反応を示した。もちろんタロ並みに大声であったことは言うまでもない。
「颯太様の周囲には相も変わらず人がお集まりになられるんですね? ……“妬いてしまいますよ”?」
「いや、“焼かないで”下さい」
中二病を拗らせ過ぎてもしかしたら杏那は火属性魔法の使い手にでもなったのかもしれない。なんて冗談を一瞬考えてから即座に否定した……焼くとか物騒過ぎるだろ。
「――杏那さん、そろそろ始まるようですわ」
「……? それでは私は戻りますので、また颯太様と相見えること……切に願っております。ごきげんよう……マイマスター」
呼び掛けられた杏那は何故か不思議そうに俺を見つめてから、御嬢様然とした礼儀正しい挨拶に適度な中二病要素を散りばめてにこやかに微笑んだ。
……なぜだろう。俺がやったら間違いなくただ痛い奴になるだけなのに、杏那がやると不思議と違和感を感じないどころか、逆に上品に感じる。もし「これが貴族の挨拶です」なんて言われたら「そうなんですね」と納得してしまいそうだ。
容姿、雰囲気、立ち振る舞い。これらすべてがプラス方向に作用しているのだろう。
「……汝、“微笑みの天使”。いずれまた相見えようぞ…………ハッ!?」
考察に没頭していたせいか、気が付けば俺の口から出た言葉も杏那に触発された封印されし中二言語だった。
言い切ってから我に返り、唇が千切れそうなほど強く噛んで「殺してくれぇぇぇ」と慟哭したくなる衝動を無理矢理抑え込んで、どうにか無表情を保つ。
「……!」
杏那は既に歩き出していたが俺の言葉を聞き一度こちらに振り返ってから、零れ落ちてしまう程の無垢な笑みを浮かべて「はいっ♪」と心底嬉しそうに頷いていた。
そして“微笑みの天使”らしからぬ満面の笑みを浮かべた杏那は、最後に意味深な言葉を投下してから部活へと戻って行った。
「――マイマスター……いえ、城戸颯太様。いずれ颯太様と比翼の鳥に。そして気高き連理を常しえに結びましょう」
仕事に潰されてました(げっそり
今も潰されかけてます(ニッコリ




