2
水瀬による説明は俺が想定していた以上の効果があった。
皆を一斉に起こし大半が寝ぼけ眼をこすっている中、ただならぬ雰囲気を醸し出し有無を言わさぬ鋭い眼光を全員に突き刺しながら、凍り付いたような硬い表情で……、
「……ん。あなたたちは全員疲れて眠ってしまっただけ……何か質問はありますか?」
そう言い切った水瀬。
まだ頭が回っていないであろう皆もさすがに水瀬の異様な状態を察知したらしく、誰も身動ぎすらしない。無音が鼓膜に刺ささり耳鳴りを起こし、空気が肌を圧迫し重みを増していくのが確かに感じ取れた。
水瀬は口では許可しているが表情と纏っている空気は質問どころか全ての反応を受け付けていない。端的に言えば明確な拒絶だ。
……まぁこれが普段の猫を被った水瀬の実力なのだろう。こりゃ誰も簡単に接触出来ない訳だ。
「ないようですね。それでは田所くん後の説明をお願いします」
うわぁ……この空気のままタロに渡すのか。さすがドS。さすがクイーン愛理ザベス。
仕事は終えたとばかりに壁際のソファーへと颯爽と戻って行く水瀬。それを「おかエリー」と迎えた花ヶ崎の目は微かに充血していた……言わずもがな動画ロスの影響だ。
「え、え~っと皆にスペシャルハッピーニュースのお知らせだYO!」
若干頬を引き攣らせているタロはわざとらしく明るく振る舞った。
それはいつものタロ以上にタロらしく皆の心の平静を取り戻し、自身の平穏を願うが故の振る舞いであることは明らかだった。
「……なになに~?」
「気になるんだけど?」
「良いニュースか……タロが全額奢ってくれるとか!?」
「タロ早く言えー!」
「拙者も気になる!」
幸運なことにこのタロの狙いは今の状況に上手くハマった。
水瀬によってもたらされた極度の緊張をタロの全力をもってして相殺し、皆の心を弛緩させた。きっと皆にもこの空気は嫌だ、という気持ちがあったはずだ。それが上手くかみ合い結果としてうまくいったのだろう。まぁ、いじられキャラとして確立されているタロだからこそできた芸当であるのはまちがいないが。
そこから先は何事もなかったかのように話が進んだ。
タロの口から「俺らが100グループ目記念らしくて今日の料金タダ&サービス券も大量に貰えるYO!」と告げられ、皆のテンションは一気にピークへと到達した。
普通ならば水瀬とのテンションの差からして怪しさしか感じないが、実益を手にすることによってタロの話しは全面的に信頼されるものとなる。要するに皆しっかりと確実に誤魔化されたようだ。
「それじゃあ皆帰るYO! サービス券はフロントで貰えるYO!」
「俺らマジラッキーじゃね?」
「タダとかウケるー」
「来月の球技大会の打ち上げでまたここ使おうぜ!」
「いいじゃんいいじゃん!」
「男子! 騎馬戦頑張ってねー!」
「佐藤いるから楽勝っしょ!」
そして皆それぞれの帰路へと就いていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日も落ちてひんやりとした空気が肌を刺す春特有の宵。
さすがにこの時刻に天然御嬢様をひとりで帰す気にはなれず、「頭を醒ましたいから歩いて帰る」と言った水瀬の要望に沿って徒歩で家路を目指していた。……ちなみに花ヶ崎は顔バレ対策を完璧にしてタクシーで帰って行った。
「城戸くん」
隣りを歩く水瀬が立ち止まってふと声を掛けてきたので「なんだ?」と顔を向けた。
――すると俺の眼前に示されたのは水瀬のスマホだった。
「これどう?」
その言葉とともにスマホの電源ボタンを押した水瀬。
刹那、表示された待ち受け画像は……俺だった。
正確に言うと元から俺のアホ面の写メだったが、更新されていたとでも言うべきか……、
「おい……死体蹴りはマナー違反だろうが」
“本日の主役”たすきに鼻眼鏡姿の俺が苦笑いを浮かべている写メへと。
鬼かよ!? なんで羞恥プレイの後にさらなる追撃を加えてくるんだよ! オーバーキルだぞこんなん!
もうやめてぇぇ! 俺のライフはとっくにゼロだよぉぉぉ!
「したいげり? ……それよりも私の言いたいことは分かった?」
はぁぁぁん!? この状況が訳ワカメなのに言いたいことなんてわかるかボケェ!
「分からねぇよ!」
「分からないの?」
水瀬は驚いたように瞬きをして不思議そうに首を傾げた。
まてまて! それは俺がするもんだろうが! なんで水瀬がやるんだよ。
「悪かったな」
「これだからたす城戸くんは……」
「たす城戸言うな!」
「ワガママね……たすきくんは」
「もはや人名でもねぇ!! ……もういい加減教えてくれないっすかね?」
何故だかテンションの高い水瀬のボケが止まりそうになかったので早々に白旗を上げた。
すると水瀬は物足りなかったらしく不満げな表情を見せながらも鷹揚に口を開いた。
「……ん。仕方ないから答えを教えてあげる。……この写メを全世界に拡散されたくなければ私の要求を必ず守ること」
あぁ、なんかこの流れ読めてきたぞ。水瀬の要求なんて大体いつもひとつ!
「御意!」
「……もしかして城戸くんふざけてる?」
「至って真面目な返事だろうが。それで要求ってのは映画か?」
「……ん。そう」
言葉少なに肯定を口にした水瀬は後ろ手に指を組み、普段よりも遥かにゆったりと歩き始めた。
……だからこそ気付いた。時折街灯に照らされる後ろ姿が小刻みに揺れていることを。
そういえば水瀬の格好は今の気温だとさすがに寒いか……。
「水瀬……俺の上着じゃ嫌かもしれんが羽織っとけ。また風邪引くぞ」
着ていたジャケットを水瀬の肩に掛け、気恥ずかしさを紛らわすように恩着せがましいことを口にした。
我ながら相当にくさいことをしたのは理解していたが、ひとつ言わせてほしい!
妹、弟、年下の親戚がいる奴はきっと分かってくれると!
これは一種の条件反射なのだ! 兄としての『レスポンデント行動』である! まぁ、俺……兄じゃないけどな。
「……ん。嫌じゃない」
「そうか」
「だってこの服選んだの私」
やけに素直だなと一瞬安堵したが水瀬のあまりの天然っぷりに笑ってしまった。
確かに歓迎会用の服は水瀬チョイスのにしたが、なんで今このタイミングで服の好き嫌いの話しになるんだよ! そうじゃないだろ!
「……なに笑ってるの?」
不服そうに口をへの字にして睨み付けてくる水瀬。……だが残念ながら威圧感よりも今は天然っぷりが勝っており、余計に笑い転げてしまった。
なんだよその反応! やめてくれ! 呼吸困難で死ぬわ!
俺が爆笑していることにいよいよご立腹なさった天然御嬢様は踵を返し、無言で足早に去って行った。
やはり後ろ姿が小刻みに揺れていたが今度は怒りによるものだと思う。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いいじゃんいいじゃん!」
「ちょっとだけでいいからさぁ~!」
「放してください!」
「連れないなぁ~。君からぶつかってきたってのにぃ~」
「もう謝ったはずです!」
「足りない足りない」
「身体で払ってくれなきゃ~」
呼吸を整えてから歩き去った水瀬を追いかけたらデジャヴュを見たんだが?
なんて呑気なことを言っている場合ではなかった。
二人組のチャラそうな男が水瀬の手を掴んで何やら言い寄っている。
おそらくかなり強引なナンパだろう。
「はいはい、そこのお兄さんたち離れてもらえますか?」
「はぁ? 何?」
「誰お前? 消えろよ」
「……城戸くん」
即座にギラついた目をこちらに向けてきた二人組。言葉からは露骨な敵意が滲みだしていて、獲物を前に邪魔をされてイラついているらしい……まさに肉食系と言ったところか。
そのまま歩みを止めずに近付き、水瀬と二人組の間に割って入る。
「俺? この子の彼氏だよ。ボーイフレンド。理 解 できたか?」
この場で「ただのクラスメイトです! 男女のお付き合いはしてません!」なんて言う方が不自然だと思ったのであえてそう答えた。
「……ん!? 彼氏? いつの間に私達つき――」
「――何イキがってんだよ? クソガキ」
「俺らはその女の子と話してんだよ。さっさと消えろよ」
水瀬が余計なことを口走りそうになった瞬間、二人組も口を開いた。
俺みたいなクソガキひとりどうにでもできるという数的有利からくる感情なのか、二人組は完全に油断している。その証拠に水瀬を掴んでいた手の拘束が僅かに緩んだので、相手の肘近くの手三里を思い切り指圧し、強制的に手を離させた。
水瀬そこは話し合わせてくれよ! 俺完全に痛い子になるところだったじゃねぇか!
「――痛ってええええっ! ……テメェなにしやがった!?」
「何大げさに痛がってんだよ。肩こりに効くツボを指圧してやっただけだぞ?」
相手を挑発するために言っただけだが実際、手三里をいきなり全開の力で指圧すると激痛が走る。なのでコイツの反応は大げさでも何でもなかったりする。
「彼氏くんさぁ~彼女の手前だからってカッコイイとこ見せたいのはわかるんだけどさ……これなんだと思う?」
もうひとりの男がヘラヘラと気色悪い笑みを浮かべながらベルトに手を掛けた。
……まさかコイツ下半身でも露出する気か!? ヤバイ……ガチの変態か!? とフザケ半分で考えていたら、男の拳に何かが装着された。
注視してみると街灯に照らされたそれは黄金色に輝いている。
なんだあれ? 多分……ナックルダスターだと思うんだが、なんかスゲーちゃっちいな。オモチャだろアレ?
威圧感の欠片も無いいかにも安物くさい輝きに粗末な作り、そして本体の貧弱さ。
もしかしてウケ狙いなのか? と本気で考えてしまう程度の玩具だった。
「多分ナックルダスター?」
疑問形なのはこの場面で出したのは脅しを含んでいるはずなのでさすがに玩具ではないだろう、という推察からだ。
「ナックルダスター? はぁ? なんだそれ? これは……メリケンサックだ!」
何が楽しいのか盛大に笑う男。いつの間にか手三里の痛みから復活した相方も下卑た笑い声をあげていた。
溢れ出る小物感。本人たちは今一番の大船に乗ったつもりでいるのだろうが、残念ながらそれは筏以下だ。……別に狙って言ったわけじゃないからな?
……それとナックルダスターって要するにメリケンサックのことなんだが。
「クイーン愛理ザベス。少し後ろに下がっててくれ」
「……ん? んん」
この手の輩は追い詰められた時の行動が予測できないので念のため水瀬を遠ざけた。
水瀬とわざと呼ばなかったのはコイツらに不必要な個人情報を与えないためだ。
「クイーンエリザベスってなんだよ!」
「彼女は王女ってか。ならお前はそれを守る騎士だな」
今度は大爆笑。この二人組は相当に感情表現が豊からしい。
ナイト……つい最近聞いた気がするな。まぁ、そんなことは今はどうだっていい。
考えろ、思考しろ、今後の流れを。どうこの状況を転がしていくのが最適かを。
相手を挑発するだけの今までのセオリーでは通用しない。同時に襲い掛かられたらスーパーマンでもない限り対処のしようがないからだ。
ならば無意味だろうがまずは警告からだな。
「爆笑してるところ悪いんだけど、お兄さんたちの今の使い方だとメリケンサックの携帯は軽犯罪法違反になるって知ってる?」
まさか親父から色々聞いておいたことが今役に立つなんてな。
――忘れもしない。あれは中二病全開時代のある日のことだった。
日々強い力とカッコ良さを求めていたあの日の俺は、禁忌に手を出そうとした。
それは――武器だ。現世の己の肉体の限界を悟り、安易に武器と言う名のチートに頼ろうとしたのだ。その際中二病ながら「さすがに刃物を持つのはマズイ」と考え、選び抜いたのが己の拳を強化する方法……オープンフィンガーグローブとナックルダスターの組み合わせだった。
当時の俺はそんな物を売っている場所が分からず、あろうことか刑事である親父に聞くという愚行を犯した。
……そして待っていたのは親父からの「大義なき携帯は軽犯罪法第1条2項の違反である。それに拳すらまともに当てられぬだろうが」というごもっともなお言葉と鉄拳制裁だった。
……この二人組はまさに中二病時代の俺に近いものがあるのかもしれない。
武器さえ身に着ければ強くなるという幻想はありえない。当たり前のことだがそれを使いこなせて初めて強くなるのだ。
当てられない拳にナックルダスターを付けても意味がないように、振り方を知らない剣を構えても重みでまともに振れず、安全装置の解除方法すら分からないのならば銃はただの鈍器だ。
「はぁ~? 何言ってんの? これベルトのバックルだから」
「メリケンサック型のな」
「凶器として使おうとしている今現在それは関係ないぞ?」
「まだ使ってねぇだろうが」
「威嚇に使用した時点で充分アウトなんだが?」
「う、うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞ!?」
屁理屈をこねる二人組を説き伏せたのだが、この対応は失敗だった。
二人組の額に浮き上がった癇癪筋、重力に逆らうように吊り上がった目尻、顔色に至っては即座に真紅に染まり、猛烈な憤激を表していた。
「彼氏くんどうしても痛い目みたいらしいね~」
「やっちまえやっちまえ!」
玩具を構えた男を相方が扇動する。
相手が凶器を持ち出している時点で正当防衛は成立すると思うが……1発くらいもらっておいたほうが間違いないか。相手もやる気満々だしな。
けどナックルダスターで殴られたことなんてないし、ぜってぇ痛いよな……ダメだ! このままじゃ落ち着かん! もうどーにでもな~れ!
顔に恐怖が出るのは避けたかったので半ばヤケクソ気味に、自己条件付けのキーワード――“レジェンド・マリオネット・ルーラー”――を唱えた。
 




