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「ラストがイマイチだったわねぇ~。いい加減マンネリ化が激しいわ」
「そうですね。シリーズ物なら仕方ないかと思いますけど」
2時間弱の視聴を終えそんな感想を潤さんと言い合いながら横を見ると鈴奈が目を瞑っていた。耳を傾けてみると気持ち良さそうな微かな寝息が聞こえてきた。
そういえば後半辺りから急に静かになったので恐怖のあまり失神したのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。まぁ、冗談だが。
照明が点き急に明るくなった室内に目が眩んでいると、鈴奈もその明かりから無意識に逃れるように俺の肩に顔を埋めた。そんな行動に愛おしさを感じつつもこのままではエコノミークラス症候群になりかねないため、心を鬼にして鈴奈を起こすことに。
「お~い、鈴奈起きろー」
「…………」
返事がない、ただの屍のようだ。
そんなお約束的なノルマを消化したところで本格的に起こす。
このまま寝かしてやりたいがこんな時間だと絶対に夜中に起きちまうだろうしな。
「ア、ア、ア、ア、ア……」
「……うぅっ!? ……あ、れ? そーにぃ?」
どうやらあの独特な奇声は人を起こすのに効果があるらしい。さすがエッジボイス……恐ろしい声!
鈴奈は微睡から抜け切れていないような眠気の残る声で俺を呼ぶと、目を擦りながら首を傾げていた。未だに夢現なのだろう。
「おはよう」
「おはよう? あれ~鈴奈……あっ! 怖いの終わった!?」
俺の挨拶に首を傾げたまま答えると釈然としない面持ちで固まっていたが、身体に電流が走ったように急にピンと背筋を伸ばした。ようやく意識が覚醒したようだ。
それと散々苦手と言っていたがやっぱり怖かったらしい。分かり切ってはいたけど。
「終わったぞ」
「そっかー。鈴奈いつの間にか寝ちゃってたよ。全然怖くないから」
まだ寝惚けてるな? 今さっき怖いって言ってただろ。それと寝てたら怖くはないわな。むしろあんなにビビってたのによく寝れたな。
「そうか。よく寝れたな」
「うん。なんかそーにぃにだき――」
「颯太! さぁ、飲むぞ! つまみも大量に買ってきたから今日は飲み明かそう! それと皆の分のアイスも買ってきたぞー。早い者勝ちだぞー!」
鈴奈の言葉を遮ってやたらとハイテンションな和馬さんがパンパンに膨らんだコンビニ袋を掲げてそう言った。
そういや風呂から帰ってこないなと思ってたらコンビニに行ってたのか。
「私ゴリゴリ君リッチのカフェモカいただきー!」
和馬さんの言葉を聞いた潤さんがすかさずコンビニ袋からアイスを取り出し、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。
瞬発力高すぎだろ。クソッ! 出遅れた!
「あーっ! 鈴奈もそれが良い!」
「りんちゃん、この世の中は早い者勝ちなのよ!」
「じゃあ俺はティラミス味で」
鈴奈が潤さんに文句を言っている間にしれっとアイスを取り出した。
一番下にあるのは……鈴奈用だな。潤さんも和馬さんも人が悪い。
そんなふたりの意図を理解したので俺も不敵な笑みを浮かべながら鈴奈にアイスを見せびらかした。
「あぁーっ! そーにぃズルい! 抜け駆けだー!」
「鈴奈よ、この世の中は早い者勝ちなのだよ! フハハハハ!」
「うぬぬ……ふたりともズル……あっ! コペンダッツのリッチバニラ! 鈴奈の一番好きなやつだー! やったー! 鈴奈これにするーっ! 皆せっかちだねー。残り物には福があるんだよ! えへへ~」
袋の一番下に隠すように入っていたカップアイスを手に取ると、満面の笑みと咲き乱れる満開のえくぼを湛えてスプーンを取りに鈴奈は台所に向かった。
そんな鈴奈の背を眺めてから俺と潤さんと和馬さんは目を合わせて笑いあったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
晩酌開始から小1時間程たったところで、
「だぁら……俺…………」
空のワイングラスを掴んだまま和馬さんが酔い潰れていた。
え? 朝まで飲むんじゃなかったのか?
「和馬さーん? 起きてますかー?」
「……ぐぉぉぉぉぉ……」
問い掛けに対する返事は眠気を誘うような豪快ないびき。
ありゃりゃ、昇天しちまったか。
だらしなくよだれを垂らしてなんとも気持ち良さそうに眠る和馬さんを見て普段とのギャップに笑ってしまった。
「あらぁ? かずくんもう寝ちゃったの?」
「みたいですね」
「実はかずくんあんまり強くないのよ。それなのに今日は颯太が付き合ってくれるからって嬉しくてハイペースで飲みすぎちゃったみたいね。全く我が夫ながら愛い奴じゃのぅ。うふふ~」
和馬さんの頭をまるで我が子を寝かしつけるような優しい手付きで撫でながら微笑む潤さん。そんな行動を見て初めて年相応な一面を見た気がした。
「そーにぃは全然酔っぱらってないみたいだけど強いの?」
隣のイスに座っていた鈴奈が俺を覗き込むようにしてそう声を掛けてきた。
鈴奈は宿題をやり忘れていたらしく何故だか静かで集中できるはずの自室ではなく、騒がしいリビングで問題を解いていた。
もしやひとりになるのが怖いのだろうか?
「親父曰くうちの家系は代々強いらしくてな。俺が強いかどうかなんて親父としか飲んだことないから全く分からないって感じだな」
「ふ~ん。そうなんだー。そういえばお母さんも全然酔っぱらわないよね?」
「そうねぇ~。けどさすがに“バックス”って言われてる兄さんほど強くはないわよ? ……颯太は見た感じ私よりも強そうね」
バックスって酒神の“バッカス”のことか? 確かに強い弱いの基準すら分からない俺から見ても親父の酒に対する耐性の高さは尋常でないと感じ取れる。もし俺が親父と同量の酒を同じ時間で飲み干したら間違いなく急性アルコール中毒になるだろう。
「どうなんですかね?」
「試してみる?」
「遠慮しておきます」
潤さんの瞳の奥に妖し気な光が灯ったのでキッパリと断っておいた。俺の第六感的な何かが「やめておけ」と忠告してくれたおかげだ。
「残念。かずくんの敵討ちしようと思ったのに~! そーきゅんのいけず! いいですよーだっ! ひとりで寂しく飲むもんねー。あ、けど乾杯ぐらいしてよね? かんぱ~い!」
「お疲れ様です」
ありがとう俺の第六感。
ただ単純に俺の方が強かったとしても、飲み方やペース配分、体調の把握や積んできた経験の差などの年の功には到底敵うはずがなく、潤さんの口車に乗せられていたら高確率で潰されていただろう。
潤さんはワイングラスに並々と注がれた大吟醸酒の香りを楽しむことなく、まるで水を飲むように飲み干していった。
あ~もったいない。良い日本酒なのに……。
……そういえば初めてワイングラスで日本酒を飲んだけどスワリングすると香りが立つから吟醸酒系には抜群に合うな。今度親父に教えてみるか。
「そーにぃーここ教えてー!」
「どれだー? あー因数分解か。鈴奈、まず因数分解って何か分かるか?」
「はいー? ……きっと因数を分解するってことだよね?」
「そうだ。展開はもうやってるよな? それの逆バージョンだから展開を思い出してやればできると思うぞ」
運動神経抜群で容姿端麗、愛想も良く明朗快活。
そんな言葉が全て当てはまる鈴奈は一見完璧に思えるが唯一にして決定的な弱点があった。
それは……、
「うんっ! 全然分かんないけどきっとやったよ! 天界! 神様が住んでるとこだよね?」
「…………」
勉学全般だ。
因数分解の話から何をどう解釈したら天界の話になるのだろうか。最早教科が変わっているのだが……。
あまりに飛躍し過ぎた回答に俺は言葉を失いただ茫然と鈴奈を見つめた。
水瀬が“天然”なアホの子ならば鈴奈は“ただ”のアホの子で間違いない。
「じょ、冗談だよー!? そんな真剣な顔しないでよー鈴奈があほちんみたいじゃん!」
おっとさすがに冗談だったらしい。ならば展開が何かは分かるはずだ。
「そうか。なら……この問題の多項式の展開はできるか?」
鈴奈が開いていた教科書のページをいくつか遡り、展開の(x+2)(x+7)と書かれた問題を解くように指示を出してみたが……、
「これかー……ふむふむ……わかるかーっ!?」
思案顔の後、何故か眉をハの字にして可愛らしく逆ギレされた。
おい、教科書の前のページなんだからやってんだろ。
「これは分配法則を使って展開して同類項をまとめて……」
「……すぴー……」
「寝るな!」
「あいたっ! 痛いよーなんでデコピンするのそーにぃ!?」
「鈴奈が寝るからだろ!?」
「まだ寝てないもん!」
「まだって、寝る気満々じゃねぇか!」
「当たり前じゃん! 鈴奈成長期だもん! 寝る子は育つんだよー! ボンキュッボン!」
「話しを逸らすな!」
「あいたっ! だからデコピンしないでよー! もう仕方ないなー真面目にやるよー……すぴー……」
「そうか、そうくるか。……なら俺も成長期だしもう寝るな。鈴奈おやすみ。明日先生にみっちり怒られることだな」
「ごめんなさいっ! 教えて下さいそーにぃセンセー!」
「うふふ~。夫婦漫才ね」
こんな調子で潤さんの晩酌に軽く付き合いながら鈴奈の勉強の面倒を見つつ夜が更けていった。
※一部飲酒に関する表記がありますが、未成年者の飲酒は法律で禁止されております。
※当作品は未成年者の飲酒行為を助長する意図はありません。




