10-2
授業終了の数分前に食堂を出て、廊下でチャイムが鳴るまで待機することになった。
理由は水瀬から「人の流れに逆らって行動するのは面倒でしょう?」と言われ、その通りだなと思ったからなのだが、ただ廊下にいるのって暇だな。
「ねぇ、城戸くん?」
「なんだ?」
するとそんな状況に水瀬も暇を持て余したのか小声で俺に話し掛けながら、肩をポンポンと軽く叩いてきたので振り向いてみたら……、
「……ん。これって本当に引っ掛かるのね」
俺の頬っぺたに水瀬の指……いや、爪が刺さった。
痛ッ!? ……え? は? 地味に痛いんだけど……コイツ何がしたいんだ?
イタズラが成功したとでも言いたいのか、冷静な言葉とは裏腹に無邪気な笑みを浮かべる水瀬。
なんだ? アホの子からイタズラっ子にでもジョブチェンジしたのか?
「そりゃ、いきなりやられたら引っ掛かるだろうが。んで、どした?」
「……ん。暇潰し」
その言葉通り余程手持ち無沙汰なのか、廊下の曲がり角からちょこんと顔だけを出して小動物のように辺りを見回したり、艶のある長い黒髪の毛先をクルクルと弄ったり、手の甲で目の下辺りのなにかを持ち上げるような仕種をしたりと、何かと落ち着きがなかった。
そういや水瀬がやる毛先クルクルって癖だよな? それとあの猫みたいな仕草も前にやってたし。
「なぁ、昼休みが始まったら教室に鞄置いて食堂へGo?」
「えぇ。遅くなると混むから早ければ早い程それに越したことはないわね」
「はいよ~了解」
「それはそうと城戸くん、伊達マスクは教室に入る時もしていた方がいいのかしら?」
「あぁ」
「……ん。そうなると城戸くんのだ……………………………………外すのかしら」
水瀬が何か言っているタイミングで丁度頭上に在ったスピーカーからチャイムが鳴り、その言葉を聞き取ることはできなかった。
まぁ、どうせ暇潰しの延長線みたいなものだろうと判断し「じゃあ行くか」と言いながら水瀬を見やると、いつもの凛とした表情だったのだが、心持ちむっとしてふてくされているように見えた。
さっきまであんなにテンション高かったのに、俺なんかしたか?
思わず首を捻りそうになりながら俺は教室の扉を開けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おーっす城戸っち! 体調はもうだいじょ……水瀬さん!?」
教室に入るなりタロから声を掛けられたが、俺の後ろにいる水瀬を見て固まってしまった。
ダイジョってなんだよ? ……まさか紅山芋か!?
「あっ! 城戸くんだー! 今来たの? おは……えっ!? 水瀬さんと一緒に来たの?」
「そんな……」
「まさか……」
「ふたりして遅刻からの同伴登校……」
「もしかして朝から一緒にいた……のか……?」
「金曜日、あの豪邸で一体何があったんっすか……」
「お泊り!? ……お泊りなの!?」
「うきゃぁー!」
タロの反応を皮切りに周りにいたクラスメイト達が俺と水瀬に気付き、皆が何事かを口々に呟きながら、ある者は頭を抱え、またある者は頬を染め、一部の者に至っては絶叫に近い悲鳴を上げるなどといった三者三様のリアクションを見せた。
……あれ? なんでこんなデカい反応なんだ? たかがクラスメイトふたりが一緒に来たってだけだぞ……一緒に来た……男女が一緒に来た!?
おぅし……落ち着け俺……なんかもっと重大なことを忘れているような……。
「ついに桜咲高峰が誇る“二大女神”のひとり、水瀬さんに確定情報が来てしまったか……城戸っちなかなかやるな!」
フリーズが溶け、息を吹き返したタロの言葉に思わず「あっ」と叫びそうになった。
うわぁぁぁぁぁぁぁ……やっちまった。
水瀬がどんなポジションに……いや、この学園でのヒエラルキーの頂点に君臨しているってことを完全に忘れていた。
そりゃあ今日散々、天然でアホの子でイタズラっ子な面しか見てなかったからな。学園でのことなんてすっぽ抜けてたわ!
あぁぁ。どうすりゃ……、
「皆さん何か誤解しているようですけれど、城戸くんとはたまたま通学途中に会っただけで、特に何もありませんよ。すみません、自席に着きたいのですが、通してもらってもよろしいでしょうか?」
俺がどう対処しようか考えあぐねていると、水瀬が微塵の動揺も感じさせない普段通りの対応でその場を収めた。
さっきの谷口先生の時と真逆になっちまったな。なんか恥ずかしい。
「あ~そっか、ごめん水瀬さん」
「ちょっと悪乗りしすぎたっす」
「ったくお前ら早とちりしすぎだって? まぁ、俺は気付いてたけどね」
「タロ死ね! お前が一番初めに言い出したんだろ!」
「あはは~そうだっけ? ……あっ、そう言えば水瀬さんって医大生の彼氏がいたんだっけ?」
「えー? 違くない? 確かなんとかフィナンシャル・グループの御曹司と許嫁なんじゃなかったっけ?」
「ちがうちがう、そうじゃ、そうじゃな~い」
「あれ? 学院生じゃなかったっすか?」
「いや、俺は外資系の証券アナリストと付き合ってるって聞いたぞ?」
モーゼよろしく人波を割った水瀬は悠々と自席に向かっていったが、俺は抜け出すタイミングが掴めず人垣の中心に取り残されてしまった。……だが、それによって思いがけない情報を手に入れた。
水瀬って彼氏がいるのか。まぁ、中身は別としてあんだけ綺麗なら当たり前か。
……そうなると、まずいことしたな。彼氏いるのにふたりきりで映画ってアウトだよな? なんかあったら俺が責任取らなきゃな……だけどここまで情報が錯綜しているのっておかしくないか? もし彼氏がいたとして、俺は一体誰に謝ればいいんだ?
あと! 誰だ今さりげなく、鈴木〇之のモノマネした奴!? 地味に似てるんだよチクショウ! 真面目に色々と考えてたのにちょっと笑っちまったじゃねぇか!
「あぁっ! そうそう、城戸っちに聞きたいことがあったんだよ」
「あ~そうだよ。それ聞かなきゃいけなかったんじゃん」
「タロが脱線させるから!」
「なんですか?」
タロが思い出したように口を開き、周りのクラスメイトもそれに釣られたように話しに乗ってきた。
次から次へとまだなんかあるのか? と、未知への恐怖から恐る恐る尋ねた。
「ちょっと急なんだけどさ、今週の金曜日の学校終わった後にクラスで城戸っちの歓迎会やりたいんだけど、予定空いてる? 今のところうちのクラスの“ほぼ”全員が来るよ」
なんだそんなことか、って! 普通は俺の予定を一番初めに聞いてから日程を組むんじゃないのか? 俺に用事があったらどうするつもりなんだ? ……まぁ、平日なんてバイト以外なんもないけどな。べべ、別に悲しくなんてないし! 充実してるし!
「本当は最初に城戸くんの予定を聞こうと思ったんだけど、誰も連絡先知らなくて……それでこんなことになっちゃったんだ……ごめんね?」
そんな俺の内心を汲み取ったように木崎さんがすまなそうに言った。
あれ? 連絡先誰も知らないって俺のせいじゃね?
待ち受け画面を水瀬のグランドキャ……写メにされてしまったため誰かに見られる訳にもいかず、連絡先を聞かれたときは決まって、故障して修理に出しているから手元には携帯ショップから借りているものしかない、と言ってなんとかやり過ごしてきたのである。
そのため俺は水瀬以外の誰とも連絡先を交換していなかった。まぁ、水瀬との連絡先交換も正確には交換とは言えない気がするが……。
うん。俺のせいじゃなくて水瀬のせいじゃね?
「全然大丈夫ですよ。そこまで心配して下さってありがとうございます木崎さん」
「よかった。城戸くんの予定が詰まってたらどうしようか、ってみんなで焦ってたんだよ?」
「ホントだよー。城戸っち確保できたし、後は水瀬さんだけだなー」
おっと? 主役の俺よりも後にオファーがいく水瀬ってどんだけ重鎮なんだよ。
「誰か水瀬さんの連絡先知ってる?」
「フェイスノートの連絡先なら知ってるっす」
「そりゃみんな知ってるって」
「RINEは誰か知らないの?」
お、おっと? 水瀬も俺と同じ理由なのか? そんでフェイスノートとラインってなんだ?
問い掛けに対する答えは無く、先程までの喧騒から打って変わり誰の息遣いすらも聞こえない無音状態に、場の空気が凍る瞬間を見た。
よかった~連絡先知ってるって言わないで。言ってたらどんな目に合っていたことやら。
取り敢えずこの空気をどうにかしなきゃな。う~ん、主役が誘うのってかなり滑稽な感じがするけど、どうせこの後一緒に飯食うし、助け船出してやるか。
「あの、自分この後水瀬さんに食堂を案内してもらうんで、その時に誘っておきましょうか?」
「へ?」
「え?」
「は?」
「なんで?」
「マジ!?」
「ウソっ!?」
「ヘックシュン!」
「うらやま」
「ホゲェェ!」
俺の言葉に百人百様の返しで反応するクラスメイト達。
おい! くしゃみしてる奴と奇声上げてる奴はなんなんだよ!
「つ、ついに! あの、禁断の、水瀬愛理アがッ!?」
「あの神々しいエリアに人が立ち入るのか!?」
「水瀬エリア、花ヶ崎紗英リア……この学園の二大女神の楽園に男が立ち入るのか……」
「そんな馬鹿な!」
「が、頑張ってね城戸くん」
「命知らずにも程があるわ!」
「城戸……死ぬなよ」
「俺達はお前の雄姿を忘れないからな!」
「俺だったらあの空気耐えられな……」
「くれぐれもおふたりに粗相のないようにね?」
うん。こいつらみんなノリ良いし、仲良しかよ!? んで、全然何言ってるのか分からん! 先ず水瀬エリアってダジャレかよ! それと花ヶ崎サエリアってなんだよ!? パエリアの親戚か?
そんで死ぬなとか雄姿忘れないとか、大袈裟だし木崎さんに至っては「粗相のないようにね?」ってどういうことだよ!?
昼飯に気を取られて簡単に誘いに乗っちまったけど、ヒエラルキーの頂点にいる水瀬と飯食うのって実はかなりヤバい事なのか!? 皆の反応を見る限り、間違いなく何かあるのは分かるんだが……。
それと、登校初日に“花ヶ崎”って聞いたような気がするんだよな……。
「城戸くん……そろそろいい?」
クラスメイト達にサムズアップや肩をバシバシと叩かれている俺を見て、話しはもう終わったのだろうと判断したのか、水瀬が遠慮気味に声を掛けてきた。
「はい。ではよろしくお願いします水瀬さん」
こうして俺は不安と鞄を抱いて食堂へと向かうことになった。
くそ、なんか前にも鞄持って移動した気がする……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「な、なぁ? 水瀬さん、今、普通に喋ってなかったか?」
颯太と愛理がいなくなり、不思議と静まり返った教室内に皆の心情を代弁するかのような、誰かの小さな呟きが零れ落ちた。
その呟きを切っ掛けにして広まったのは同意の意だった。
「あ、あぁ」
「俺初めて聞いたかも」
「私も初めて聞いたよ」
「多分全員初めて聞いたんじゃね?」
愛理自身もただの何気ない一言だったので自覚して喋ったものではなく、一切その特異性には気付いていなかった。
な、ななななんとこの作品にレビューを書いて下さった方が……!
レビューをかいてもらえるなんて本当、夢にも思っていなかったので、嬉しくて、嬉しくて、震える~状態になりました。(〇野カナ風)
薫る柚茶様
ありがとうございました!
これからもアゴダシ魚介スープを目指して精進していきたいと思います!(ェ
コホン。
これにて第2章終了となります。
第3章より心理学用語解説コーナーを再開させます。
心理学用語解説コーナーなのですが颯太くん達に解説してもらうと、どうしてもしっちゃかめっちゃかになり、読みづらくなっているかと思います。
淡々と説明すべきなのか、今まで通り颯太くん達に解説してもらおうか悩んでいるので、もしよろしければ感想の方にご意見頂けると助かります。
 




