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真新しい制服に身を包んだ大勢の新入生が行き交う桜花爛漫の桜トンネルを潜り抜け、肩に乗った花弁を払い落としていると、何やら掲示板の前に人だかりができていた。
「うわー水瀬さん2組か……俺は何を楽しみに学校に通えばいいんだよ!?」
「っしゃぁぁあああ! 水瀬さんと同じ組だ! 母さん! 俺を産んでくれてありがとう!!」
「1組に花ヶ崎さんがいるぞぉぉぉ! 最高だ!」
「くそっ! 今年の当たりは1組と2組か……」
「だ、誰か! 俺に水瀬さんとのクラスメイトになれる権利を売ってくれ!! 金ならいくらでも出す!!」
「お、俺も花ヶ崎さんとのクラスメイトになれる権利なら言い値で買うぞ!」
「俺もだ!」
「待て! 俺が先だ!!」
なんだアレ? ケンカでもしてるのか?
数名の男子生徒が互いに胸ぐらを掴み合っている光景を眺めながら、掲示板へと近づいて行く颯太。
人垣の合間から徐々に掲示されている物が見えてくる。
「なんだよ。ただのクラス割か」
思わずそんな言葉が口から零れ落ちた。
男子生徒があれ程までに興奮していたので、なにが貼ってあるのか変な期待をしてしまったことに対してだった。
確かに中学時代もクラス割に皆、一喜一憂していたけど、あそこまで大袈裟に騒いでいるのはなんだ?
「授業中も水瀬さんが見れるなんて、もう死んでもいい!」
「ならば俺に水瀬さんのクラスメイトという立場を譲って死ねぇぇぇぇええええ!!」
「これから1年間学校に来るのが楽しみだわ~花ヶ崎さんに遊ばれてー!」
「あ? なら俺が遊んでやろうか!? 大丈夫だ、痛くしないからよ! 1発殴らせろやぁぁぁぁ!」
辺りにいる男子生徒から時折聞こえてくる叫び声。
……みなせさんと、はながさきさんとやらがこの騒ぎの原因か?
そんなことを考えながら自分の名前を探す颯太。
おっ! あったあった。城戸颯太……俺は1年2組か。
掲示板前の人込みを抜け、クラス割の横に書いてあった4階の1年2組の教室へと向かうため階段を上がって行く。
「私、水瀬さんと同じクラスになっちゃった。いいでしょ?」
「えぇー! いいな~羨ましい。私も水瀬さんと同じクラスが良かったなぁ~」
「水瀬さんから勉強教えてもらえるし、それに手作りお菓子も貰えるし~」
「ずるーぃ! 私にも水瀬さんの手作りお菓子わけてよね!?」
「はいはい」
「絶対だからね!?」
颯太の後ろから女子生徒のそんな声が聞こえてきた。
またみなせさんか。何者なんだ?
先程から耳にする「みなせさん」に気を奪われながら階段を昇っていると、前の方から「あっ!」という、短い悲鳴のような言葉が聞こえた。
その言葉に釣られて顔を上げると、目の前には誰かの背中があった。――瞬く間に迫ってくる背中に、この生徒は階段から落下しているのか、と考えるまでもない判断を下し、咄嗟に左手で手すりを強く握り、右足を一段上の段に乗せ抱きとめる姿勢に入る。
「きゃぁぁぁっ!」
落下してくる女子生徒の悲鳴が耳を劈き、衝撃に備えて身構える。
ドンッ、という音の後、胸に、そして身体全体にぶつかった衝撃が伝わる。命綱代わりの左手は爪が親指に食い込み、軸足の左足は衝撃を殺すために踏ん張り、悲鳴を……上げなかった。
右手で女子生徒の肩を掴み、落ちない様に抱きとめてから声を掛けた。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「…………えっ?」
短い沈黙の後、きつく瞑っていた眼が恐る恐る開くと、動揺の色の濃い瞳が至近距離で颯太に突き刺さる。
えっ? って言われても、こっちがえっ? なんだけど? とは言えるまでもなく、颯太が状況説明を滔々と行った。
「あなたが階段の上の方から落ちて来たんですよ? もしかしてどこか体調が優れませんか? あまり無理をせずにほけんし――」
「え? ちょ、ちょっとそんな淡々と言われなくても分るよ? それよりも! ウチなんかのことを心配するよりも先に、キミは大丈夫なの? どっかぶつけてない? 痛いとこない? 記憶飛んでない? 自分が誰だか分かる? ウチ重くなかった?」
色濃い動揺に染まっていたはずの瞳はいつの間にか意志の強そうな楚々としたものに変わり、颯太の言葉を慌てた様に遮ると、矢継ぎ早に質問をぶつける。
質問に質問で返すなよ! ……まぁ、これだけ喋れるなら大丈夫か。
「自分は大丈夫です。どこもぶつけてはいませんし、痛いところもありません。今こうして喋っている通り、記憶も飛んでいないので自分のことも分ります。それとあなたは重くなんてないですよ? 寧ろ拍子抜けする程に軽かったです。ほら、この通りです。……あ、体調悪かったら保健室に行って下さいね? ――では」
本当なら保健室まで連れて行くべきなんだろうけど、元気そうだし、それになぜだか周りから睨まれてる……いや、殺意を向けられてる様な気がするんだよな~主に男子から。入学したその日から悪目立ちするなんて、マイナス要素しかないからなぁ。
そう考えていた颯太は抱えていた女子生徒を右手だけで軽く押して立たせると、振り返らずにそのまま階段を昇る。
「あ、ちょっとー!? ウチは大丈夫だよ……城戸颯太くん。ありがとうね心配してくれて! このお礼は必ずするから!」
女子生徒は背中を向けて階段を昇って行く颯太に大きく手を振る。その動作で柔らかく毛先がカールした淑やかで大人しい色合いのピンクブラウンのロングヘアーは、ふわふわとどこか蠱惑的に踊るのだった。
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あれ? 俺あの子に名前言ったっけ? いや、言ってないよな? う〜ん、どっかでみたことあるような気もするんだけどな……わかんね。それにしてもあの子可愛かったな~。すげぇ良い匂いするし、色々と焦ったわ。
と、颯太がそんなことを考えているうちに1年2組の教室の前へと到着した。
ん? 教室がやけに静かだな。……まぁ、今日は入学式だからこんなものなのか?
そう結論を下すと、恐る恐る引き戸を開ける。
第一印象が肝心だからな。視線が集中してくるはずだけど落ち着いていれば問題ない。
……だが颯太のそんな予想は大きく外れていた。
大半の生徒は颯太が入室してきたことにすら、気が付いていなかったからだ。
颯太も教室に一歩足を踏み入れて気付く。圧倒的な存在感を放つひとりの生徒に。
その生徒は遠くから見ても一目で分かる程に肌理の細かい白磁器のような肌に、腰まで伸びる絹糸のように艶のある黒いロングストレートヘアー。頭部は小さく、腕も脚も長くほっそりと痩せたモデルのようなスタイルでありながら、女性的な部分の自己主張は激しく、キャメル色のブレザーの上からでも分かるほどに、豊かな起伏を持った双丘がことあるごとに揺れていた。
颯太が無意識にその生徒へと視線を向けた刹那、目線が交じり合った。
見る者を圧倒するような強烈な目力を持った猫のように大きく、つぶらな瞳。左目の下にある泣きボクロはそんな瞳とシナジーを起こして、より一層目力を強めているようにも見えた。長く濃い睫毛に高い鼻、薄く形の良い唇は濡れたように光っている。大人っぽく、どこかクールな雰囲気を纏っているその生徒は、凛とした表情と相まって美少女と形容するよりも、美女という言葉が当てはまっていた。
颯太は瞬きをするのさえ忘れてしまう程、唯々茫然と立ち尽くしていた。
こんなにも綺麗な人は見たことがなかった。
そりゃ、テレビとか雑誌には美女なんて星の数ほど出てるけど、どこか住む世界が違うような気がして現実味がない。
「ほら、みんな席に着けー」
そんな声が聞こえて、ふと我に返った。
茫然と立ち尽くしていたのが、何秒あるいは何分だったのかは分からないが、いつの間にか教卓には教師が立っていた。
……そういえば俺、席どこなんだ? みんな当たり前のように座ってるけど……。
引き戸付近で、未だに棒立ちしている颯太に気が付いた教師が、
「君が城戸颯太か? 私はこのクラスの担任の谷口だ」
と尋ねてくる。
「はい。あの、それで谷口先生。自分はどこに座ればいいのでしょうか?」
「そうか、ちょっと待ってくれ。……えーっと、城戸は唯一の外部生だから、言うなれば転校生みたいなものなので、簡単に自己紹介してくれ」
「え?」
またしても茫然と立ち尽くす颯太。
え? はっ? 外部生俺ひとり? んな馬鹿な!?
ワンテンポ遅れてざわめき立つ教室内。至る所から颯太に向かって声が飛ぶ。
「転校生! マジかよ!?」
「転校生なんかお目に掛かれるとは思ってなかったぜ!」
「通りで見たことない顔な訳だ」
「中学はどこ行ってたんだ?」
「城戸くんは彼女とかいるの~?」
「外部生ってことは城戸くんは頭良いんですかー?」
「ズバリ! 好きな女の子のタイプは?」
くそっ! これは流石に想定外だ!
鉄壁の愛想笑いを浮かべながら、固まる颯太。
くぉぉらぁぁぁ担任! ここは「おいおいみんな。城戸が困っているじゃないかHaHaHa!」的な感じでちゃんと仕切らんかい!
そんな希望的観測を胸にチラリと横目で谷口を見る。
すると谷口は「自己紹介していいぞ」と催促するような視線を向けてくるだけだった。
はぁ~仕方ない。アレするか――。
颯太が決意を固めたそんな瞬間、質問と言う名の喧騒が教室を支配する中、良く通る鈴を転がすような声が響き渡った。
その声の方を見るまでもなく目に入ったのは、先程の美女がすらりと立ち上がっていたからだ。
「皆さん、質問攻めにしたい気持ちは十二分に分かりますけど、城戸くんが困っているのでその辺にしてあげて下さいませんか?」
その瞬間、先程までの喧騒が嘘のように教室内が静寂に包まれた。
「うむ。水瀬の言う通りだ。質問は城戸の自己紹介の後にしろ」
水瀬と呼ばれた生徒が作り出した静寂に、ここぞと言うばかりに便乗した谷口が喋る。
あぁ。あれが例のみなせ……か。あの美女なら納得だ。容姿も声も性格も良いなんて。天は二物を与えずだぁ? 良く言うわ! 三物も与えやがって! 完全に依怙贔屓じゃねぇかくそがぁぁぁぁぁぁ!
そんな僻み全開の遠吠えを心の中で上げながら、鉄壁の愛想笑いを顔面に貼り付け自己紹介を始める颯太だった。
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そしてこの時の颯太は知る由もなかった。既に自分が『後光効果』に嵌っていることに。