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頭の中では水瀬しかいないと分かっていても大邸宅特有の威圧感のせいで、ぎこちない動作のまま豪奢な玄関を開け「お、お邪魔しまーす」と入室した。……まぁ、水瀬しかいないというのも緊張の要因ではあるのだが。
「よくぞ、ここまで、たどり着いたな……魔王」
「いやそこは勇者だろ!?」
すると玄関にはルームウェアなのか、オフタートルタイプのモコモコとした白いワンピースを着た勇者……もとい、水瀬が腰に手を当てて仁王立ちで待ち構えていた。
水瀬のボケにツッコミをいれながらさっと状態を確認する。
普段の凛とした表情に若干苦痛の色が混じり、熱が高いのか上気したように頬はうっすらと赤く、息も少し上がっていた。
思っていた以上に体調が悪そうだったので、待ち受け画面を変えてもらうのを諦め、手早く用事を済ませようと鞄からプリントとドラッグストアの袋を取り出して、手渡す。
「ほら、これプリントとゼリー。ゼリーはフルーツゼリーと飲むタイプのやつを買ってきたから、食べやすい方を食べてくれ。後は栄養ドリンクとおでこに貼る冷却ジェルシート、それとこれも飲みやすい方で良いんだが、経口補水液とスポーツドリンクな」
「え? こんなにいっぱい?」
きょとんとした顔をしながら、首を傾げる水瀬。
何故そんな表情をしているのか分からなかったので、取り敢えず俺の買ってきた荷物の重みに驚いているのだろうと判断し、手渡したドラッグストアの袋をもう一度持つ。
「あぁ、悪い悪い。ちょっと重かったか?」
「……ん。別に、そう言う訳じゃ、ないけど」
「そうか、ならこれどこに置けばいい? 置いたら帰るから」
「……リビングに、お願い。スリッパは、そこのを使って、頂戴」
「はいよー」
スリッパをペタペタと鳴らしながら、気持ちふらふらとした足取りでリビングに向かう、水瀬の後に続いて歩く。
あまりジロジロと室内を見るのは不躾かと思いながらも、その広さと芸術品の様に質の高いインテリアの数々に驚いていると、声を掛けられた。
「そこに、置いてもらえる?」
「了解。……んじゃ、俺帰るから。起こして悪かったな、温かくして寝ろよ」
そう言ってドラッグストアの袋を置いて踵を返したところ、
「ここを、通りたければ……私を、倒すことだな……魔王」
玄関へと続く廊下の前に、ゴールキーパーのように両手を広げて息も絶え絶え、といった様子で立ちはだかる水瀬。
コイツこんな時までボケぶっこんでくるのかよ!? 尊敬するわ!
「アホか! 倒すも何も瀕死じゃねぇか! 俺がいると水瀬が寝れないだろ?」
水瀬の体調を考慮しておでこに優しくツッコミのチョップを入れながらそう言うと、
「あぐぅぅ……いいから、私にもてなされなさい」
「は? なに言ってんだよ?」
「はやく、はやく、そこのソファーに、座ってくれない、と……頭痛が痛くて、死ぬわ」
「分かった、分かったから、落ち着け。馬から落馬的な重言してるぞ」
何がしたいのかよく分からないが、一先ず水瀬を興奮させない様に指示通り、見るからに高そうなソファーの一角に腰を下ろしてから尋ねる。
うおっ!? 何このフカフカソファー!? ハンパねぇ! うちのソファーがゴミのようだ……。
「座ったぞ。んで、俺は何をすりゃいいんだ? 水瀬の暇潰し相手か? それとも勇者と魔王ごっこの続きか?」
「……ん。暇潰し相手、今飲み物、淹れるね」
「おい、大丈夫か? 手伝うぞ?」
「いい、座ってて」
あんなにふらふらしてんのに大丈夫か? けど、下手に手伝いに行ってまた興奮させても意味ないしな……危なくなったらやめさせればいいか。
……それにしてもすげぇ家だな。このリビングだけでうちの1階分くらいあるんじゃないか? 吹き抜けに渡り廊下まで架かってるし、壁に掛けられてるTVに至っては巨大すぎてもはや何インチなのかすら見当もつかない。
「ねぇ、もしかして、城戸くんのお父さんて、刑事さんだったりする?」
「……何故そう思う勇者よ!?」
アイランドキッチンでお湯を沸かしている水瀬からのまさかの問いに、悔しくも勇者と魔王ごっこを再開させるハメになった。
なんで知ってる? いや、まてよ。もしかして、ってことは鎌をかけてるだけか?
「……ん。城戸鷲って人が、お父さんでしょ?」
あかーん!! 完全にバレてるやん!?
驚きの余り胸中でエセ関西弁になりながらも、なんとか平静を装う。
「そうだけど? それがどうした?」
「……ん。ただ、聞きたかっただけ」
俺の親父――城戸鷲は水瀬が言った通り確かに刑事……正確には警部補で警察署刑事課の捜査係長をやっている。
水瀬がそれ以上聞こうとして来ないので、逆にこっちから質問を投げてみた。
「なんで親父のこと知ってんの?」
すると水瀬は、丸いティーポット内でリーフが気持ち良さそうにジャンピングしているのを、満足そうな表情で眺めながら、
「なんて言えば、いいのかしら? 知人……じゃなくて恩人ね、私の」
「へぇ~そうなのか。んで、今は何淹れてんだ? 紅茶だろ?」
何とも釈然としない返しだったので、水瀬がちゃんとやれているのかを確認するために声を掛ける。
「あら? なんで、わかったの?」
「ジャンピングみれば分かるだろ」
「そう? 興味ないと、知らないことだと、思うけど?」
「俺も詳しくは無いぞ? まぁ、俺のモットーは広く浅くだからな」
「……そう」
集中しているのか言葉少なにそう答えると、カップを温めるためのお湯を捨て紅茶を最後の一滴まで注ぎ、嬉しそうに笑みを浮かべながら頷いていた。
くそ、不意打ちだぞあんな笑顔! やっぱ水瀬って天然入ってるな~。
「運ぶの手伝うぞ?」
「……ん。私の分も、お願いね、後、このお皿も」
自分がふらついている自覚があるのか、カップを運ぶ役目を俺に任せると水瀬はごそごそと何かを取り出して、ふらふらとした足取りでソファーまでやってきた。
「はい、お茶請け」
水瀬はそう言うと、俺がテーブルに置いた皿に薄い台形の形をした焼き菓子の様な物を乗せていった。
なんだっけこの焼き菓子?
そんな俺の疑問を感じ取ったのか、水瀬が少し慌てた様に言う。
「こ、れは、フィナンシェっていう、焼き菓子よ。紅茶と、合って美味しいの」
「へぇ~なんか見たことあるけど名前は知らなかった。フィナンシェね」
「……ん。冷める前に、ブラックティーを、どうぞ」
「わざわざありがとうな。いただきます」
「……不意打ちは、ノーカンだからね?」
訳の分からないことを水瀬が言っていたが、それを聞き流して深いオレンジ色をした紅茶を飲む。
飲む前から、湯気と共にまるで目の前に花束があるかのような、奥行きのある華やかな香りが広がり、思わず目を閉じて啜る。
そして、口の中で広がる微かな甘み、深いコク、爽やかな渋味。
ゆっくりと丁寧に一口を飲み干してから、驚きと好奇心を抑えられず水瀬に問う。
「……なんていうか、スゴイな。本当に……言葉にならないってあるんだな。美味いとかいう次元じゃない。そもそも俺が今まで飲んできた紅茶、ってもティーバッグだけどさ、あれってなんなの? って感じになったわ。ティーバッグのでもちゃんと淹れれば充分美味いけどさ、これが本当の紅茶なんだって今知った」
「少し大げさに、褒め過ぎよ?」
「いや、これ飲んだら誰でもこうなると思うぞ? これなんて紅茶なんだ?」
「これは、去年のダージリンの、夏摘みで、マスカテル、という銘柄よ」
「ほぉ~全然知らなかった。紅茶って奥が深いんだな」
「……ん。フィナンシェも、食べてみて? ……城戸くんの、好みに合うかは、分からないけれど」
「おう! いただきます」
やたらと水瀬がこっちを見てくることを疑問に思いながらも、フィナンシェを口にする。
ふわりとまるで空気を口にしているかのように、柔らかく、しっとりとした優しい食感でありながら、その味わいは濃厚だった。
アーモンドの香ばしさとバターの風味が鼻を抜け、後から来るレモンのようなわずかな酸味が、更に食欲を沸き立てた。
「うっま!! なにこれうっま! めっちゃ紅茶にも合うし最高だな! 濃厚でありながらさっぱりしてるってスゴイな。こういうシンプルな焼き菓子って誤魔化しがきかないからな~素直にスゴイぞこれ!」
「そう? ……よかった」
「あぁ! これなら何個でも食えるわ! これはなんてメーカーのフィナンシェなんだ?」
「え、え~っと、ちょっと待って」
ど忘れしたのか水瀬がこめかみに手を当てながら俯く。
中指でこめかみを軽く叩くこと数回、
「そうね……EMってメーカーよ」
と、思い出したように呟いた。
「EMって書いてエムか、初めて聞いたわ。今度調べてみるかな」
「……調べても、きっと何も出ないと、思うけれど……それ、全部食べて、いいわよ」
「おっ!? マジで? 後で文句言うなよ!?」
「言う訳、ないじゃない。そもそも、私、食欲ないし」
「おし、なら全部貰うぞ」
「どうぞ」
こうして俺は自分が何しに来たのかを忘れながら、紅茶を飲み干しフィナンシェを完食した。
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ふーっと一息ついてから完食したことを口にする。
「ごちそーさん」
すると水瀬はほんの僅かに微笑むと、呟くような弱々しい口調で言葉を発した。
「お粗末さまでした」
「いやぁ~ありがと水瀬!」
「……ん。私の方こそ、色々と買って来て、もらえて助かったわ……これは、そのお礼」
「え? ……あぁ!? そうだよ! 水瀬体調悪いんだろ? すっかり忘れてたわ!」
病人におもてなしされるってどういうことだよ? だらけ過ぎだろ俺!? 紅茶とフィナンシェが美味すぎて忘れるって……。
「まぁ、いいけれど。……そうね、それなら、今から、お片付け……するから、城戸くん、手伝ってくれる?」
「よしきた。任せろ」
「カップ、と、お皿……お願いね」
そう言って水瀬はソファーを掴んで力無く立ち上がり、アイランドキッチンへ向かって歩き出したが……その身体が大きくぐらりと揺れ、倒れそうになった。
俺は水瀬が立ち上がる前の動作と、息切れのペースが速まっていたことを感じ取っていたので、カップと皿を持たずに立ち上がり、何とか倒れる前にその身体を抱きとめた。
抱きとめた際、軽いな~ちゃんと飯食ってんのか? うおっ!? すげぇいい匂いが!? という感想もあったが、それよりも強く感じたことがあった。
……熱い。こんなに熱あんのにお礼ってなぁ~、ったく頑固者はコレだから。病人は黙って大人しく看病されるもんなのによ。
「水瀬、お礼ありがとうな。けど、さすがに無理し過ぎだ」
「……え? あれ? 私?」
自分が倒れそうになったことにすら気が付いていないのか、水瀬が焦点の合っていない虚ろな目付きでぼんやりとそう呟いた。
「倒れそうになったんだよ。ちょっとこのまま持ち上げるぞ。なんか痛かったら言ってくれ」
「え? う、うん。大丈夫」
抱きとめた体勢がお姫様抱っこに近かったので、そのまま抱きかかえて一先ずソファーに寝かす。
いやぁ~ホント軽すぎる。もう少し飯食うべきだな……ってそんなことより片付けか。
「このカップと皿は取り敢えずシンクに置いておけばいいか?」
「……ん。私、洗わなきゃ」
「いいから、大人しくそこで寝てろ。水瀬が動き回った方が時間が掛かるだろ? 洗っとくな」
「……ん。ごめんなさい」
「いやぁ~あのな、素直に謝るのは良いことなんだが、別に怒って無いからな? そういう時は、ありがとう、って言うもんだぞ」
「……あ……りがとう」
「どういたしまして。よし、洗い終わったぞ」
食器洗いはバイトでさんざんやっているので、水瀬に声を掛けながら手早く終わらせた。
さて、熱の具合はどんなもんだ?
ソファーへと向かい、冷えた指を目を瞑っている水瀬のおでこに乗せる。
「ちょっとごめんな」
「え?……んっ……つめたくて、気持ちい……」
「あっついな~。水瀬、おでこにジェルシート貼るからな? ちょっと冷たいかもしれないけど我慢しろよ?」
「……ん」
ドラッグストアの袋から冷却ジェルシートを取り出して水瀬のおでこへ。「……んん、つめたいよぉ」と半ベソをかいてる様な表情になりながら、そう呟いていた。
それが普段の水瀬と余りにもかけ離れ過ぎていたので、思わず笑いそうになってしまった。
やっぱりこれが水瀬の本心というか本性なんだろうな。
「よし、んじゃ水瀬、いつもどこで寝てるんだ?」
「じぶん、のおへや」
「そうか。なら、もう一回抱えるぞ? 痛かったら言ってな」
「……んー」
ドラッグストアの袋を掴み、もう一度水瀬をお姫様だっこしてから立ち上がる。
「んじゃ、道案内よろしくな」
「……ん。2階、階段、廊下の先を、左に右折して」
「はいよ……って、どっちだよ!?」
こんな時でも相変わらずの調子でボケをかましてくる水瀬に、適当にツッコミをいれながら目当ての部屋へと足早に向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……広い。分かっていたけど広すぎる。
水瀬の自室の扉の前で一時停止しながら考える。
家の中で移動に1分近く掛かるってどういうことなんだ? もはやここは家ではないのか?
……と、そんなことを考えて一時停止していた訳ではない。
「水瀬、着いたぞ。ひとりで行けるか?」
緊張を表に出さない様に問いかける。
「……無理……かな」
「そ、そうか」
水瀬の言葉を聞いて色々と破裂しそうになった。
うおぉぉぉ! ちょ、女の子の部屋入るの? いや、だって、女の子の部屋だよ!? 俺だって世間一般で言うところの多感な時期ってやつなんだよ? それなのに園に入っていいの? あっ……待て待て! 水瀬は「無理……かな」と言っただけで、まだ入ると決まった訳で……、
「お部屋、入って」
「お、おぅ」
マジかぁぁぁ!? いいんすか? 入ってもいいんすか!? やばい、ただでさえ抱きかかえてるから色々とヤバいのに!? 意識しないようにしてたのに!? うがぁぁぁ!!
思わず叫びたくなる衝動に駆られていると、
「散らかってるから、あんまりみないで」
水瀬が苦しそうに目を伏せてそう言った。
そんな水瀬の状態を見て己のアホさ加減に頭が痛くなった。
……何してるんだ俺……クソ野郎だな。相手は病人で看病のためにやるんだぞ?
起きているだけでも辛いであろう水瀬が、俺のためにわざわざ茶まで出してくれたってのに……。
こんな状況でやったら後で滅茶苦茶疲れるだろうけど、やるかアレ。
そして俺は目を瞑って、自己条件付けのキーワードを心の中で唱えた。
……レジェンド・マリオネット・ルーラー、と。




