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……さて、ふたりきりになるにはどうしたものか。
廊下を歩きながら考え込む。
既にふたりきりと言えばそうなのだが、これから行う遣り取りは決して他人には聞かれてはならないものになるハズだ。
……となると、密室で行うのが最良の選択と言えるだろう。
う~ん、……よし。場所はあの空き教室にしよう。後はもっともらしい理由を付けて彼を室内に誘導すればいいだけだ。
空き教室前に着いたところで立ち止まる。
……ん。自然にナチュラルに彼を誘導するのだ。
そして私はやや大げさな動作で扉を指差して言った。
「ここがロッカールームです。丁度鞄をお持ちのようですし、ロッカルームに仕舞ったらどうですか? 氏名がロッカーに書いてあるので、直ぐに分かるはずです」
あぁ、もう。なんでいちいち指なんて指しちゃったのよ。無性に恥ずかしい。
「あ、ありがとう。助かります」
私の面映い気持ちを知らない彼は、素直に礼を言うとそのまま空き教室へと入って行った。
彼の後に続いて私も入室する。
「あれ? ここ本当にロッカールーム? どう見ても空き教室にしか見えないんだけど?」
室内を見回していた彼が私に振り向き、率直な感想を口にした。
さすがと言うべきなのか、彼の状況把握能力の高さには驚いた。
僅か数秒でここが空き教室であるということを見抜いたようだ。
私は振り返ることなく後ろ手で引き戸を閉め、施錠した。
……よし。一先ず作戦①の“彼とふたりきりになる”は完了だ。ミッションコンプリート。やればできるぞ頑張れ私。
その施錠音を聞いた彼は覆面にヒビが入ったのか、やや引き攣った笑みを浮かべたまま疑問を口にした。
「何してるんですか?」
……ん。困ってる困ってる。
さて、彼の覆面の下はどんな素が待っているのか。主導権は私にある訳だし、先制攻撃といきましょうか。
「御察しの通り、ここは何の変哲のないただの空き教室ですよ城戸くん。そして私はあなたの発言を許可した覚えはありません。いいですか?」
私の先制攻撃にワンテンポ遅れてから言葉を発しようとする彼。
「えっ!? 何言って――」
そして必死に絞り出したであろう発言を遮って追い打ちをかける。
「何勝手に喋ってるんですか? これ以上あなたが勝手に喋るようでしたら、私は……」
意味深に言葉を一度切ってからわざと笑顔を深める。
……これってまさに笑裏蔵刀の計よね。
そう思ったところで自然と笑いそうになるのを堪え、なんとか深い笑みを維持したまま言う。
「叫びますよ? 城戸くんに襲われるって。……理解できましたか?」
彼なら私の真意にすぐに気が付くハズだ。
余計な事は喋るな、さもなくばお前を犯罪者にするぞ。という脅しが。
……案の定彼の頭の回転は速いようで、無言のまま冷静に首を縦に振った。
……なんだか悔しい。こんな状況になっても彼は冷静沈着なままだ。……まぁ、彼の内心がどうなっているか読めないので、非言語的要素を取り繕っているだけなのかもしれないけれど。
「時間が余りありませんので手短に。あなたの鞄を渡して下さい」
素直に私の言うことに従い鞄を差し出す彼。
……ん。作戦②“彼を脅してメモ帳の開示を要求する”も完遂。さて、彼のメモ帳には何が書いてあるのだろうか。ふむふむ……ふむふむ…………あれ? あれれ? おかしいぞ? 何も書いてない。このメモ帳しか鞄に入っていなかったし、これであるのは間違いないハズなのだけれど。
メモ帳の全頁に目を通したところで考え込む。何かおかしな点、見落としている点はなかったかと。
……メモ帳ね。そもそもどうして私はメモ帳を見ようと思っ……んっ! 思い出した! 右上だ! あの右上に向けられた視線の真相を探っていたんだった。……そんな重要なことを忘れていたなんて、我ながら恥ずかし過ぎる。
彼のあの視線の真相はやはりウソを吐いていた、ということなのだろう。
さて、そのウソとはなんなのか? まぁ、答えはもう出ているのだけれど。
「……やはりそうですか。城戸くん、あなた占いなんてしていないでしょう?」
「なんのことかな?」
私の問いかけに微塵の焦りも感じさせないような、清々しいまでに白々しい態度でそう言う彼。
「この期に及んでとぼけるんですか? なんなんですか?」
「え? いや、そっちこそどうしたの水瀬さん? 少し落ち着いたらどうかな?」
あの態度が少し気に食わなかったのでさらに追及してみたところ、彼に落ち着けと言われてしまった。
……ぐぬぬぅ。なんで彼はあんなに余裕なのだ。私の方が圧倒的に優位なのに。こんなことでは彼に主導権を奪取されかねない。
ど、どうにかして私のペースにしないと。
「残念ながら私は至って冷静です。それはもう、キリンの首が縮まるほどに冷静です」
……私のばか! なに渾身のジョークを披露しているのだ!?
口では「冷静」と言っているが、胸中はパニックの嵐。
先ず間違いなく彼に疑われる……私の正気を。
「あはは。面白いジョークですね」(棒読み)
彼に棒読みでそう言われ、私は……死にたくなった。
……うぅぅ。私なりに精一杯足掻いた結果がコレって。密かにジョークセンスはあると思っていたのに、どうやら私の自惚れのようだった。……まぁ、人にジョークを披露したのなんて初めてなのだけれど。
……ん。そもそも私が空回りしている理由は彼に100%原因があると断言できる。だって私の渾身のジョークをあの覆面を綺麗に被り、その上、棒読みで感想を言ったのだ。これは確実に精神的外傷を私に刻もうとしている。
……負けるものですか。私のジョークで笑わなかったことを後悔させてあげるわ。
ふつふつと沸き上がる闘争心からか、いつのまにか彼を睨みつけながら私は力強く言った。
「何を言っているんですか? 私は何も面白いことなんて言っていませんが?」
「ですよね~」
彼のその反応に闘争心は音をたてて崩れ、またもや死にたくなった。
どうやら彼には、私のジョークは高度過ぎたようだ。うん、きっとそうだ。
……ぜ、全然悔しくなんてない。むしろ私のジョークレベルの高さを知れたのだし、彼には感謝の気持ちを持って色々と追い詰めてやろうと決心した程度だ。別にこれっぽっちも悔しくなんてないもん……。
……ん。いつまでもだらだらとこれを引っ張ると、傷が深ま……んっ、もとい時間がなくなってしまうので先に進もう。
「私の失笑間違いなしのキリンさんジョークの話しよりも、今はあなたに聞きたいことがるんです」
「は、はぁ」
彼のなんとも歯切れの悪い返事を聞き、切り込むなら今しかないと思い、口を開いた。
「あなたはあの場で占いをすると言い、私の個人情報の開示を求めたにもかかわらず、私の与えた情報をメモ帳に一切書きとめることも無く、書く振りをしましたね。……詰まるところそれは、私の個人情報は必要なかったという事になります。ここまでで何か反論はありますか?」
彼の右上に向けられた視線のウソはふたつ。
ひとつは、占いをしなかったこと。
――そしてふたつめは、メモを一切とらなかったこと。
ひとつめの解は心理学の現象や話術を用いていたことから、占いではなく、ただ単に私を分析して結果を述べただけ。
……分からないのがふたつめだ。何故メモを書く振りをしたのか? まぁ、それについてはなんとなく彼の一連の行動から予想は出来る。きっと彼は占いをしているというウソを他の生徒に信じ込ませるために、書く振りをしたのだろう。
「いやいや書いたよ? ただ最近は個人情報保護法なんてものもあるし、特定の個人を識別できる情報を持っているのは好ましいと思えないからね。だからそのページはもう破り取らせてもらったよ」
彼は文句のつけようがないパーフェクトなまでの覆面を被ったまま、今考えたであろうそれっぽい言い訳をスラスラと言った。
よくもまぁいけしゃあしゃあとしているものだな、と感心してしまった。
もし私が彼の立場だったらあんなにも平然としていられる自信は無い。
……ん。やっぱり彼は私より数枚上手だ。認めたくないけれど……。
それとあの覆面はいつまで被っているつもりなのかしら。見ていると少しムカつくのよね。私と彼の差をみせつけられている様で……。
なので軽い気持ちで彼に覆面のことを聞いてみた。
「言いたいことは分かりましたが、その前に、あなたのそのヘラヘラとした愛想笑いはどうにかならないんですか? 正直、この上なく気持ち悪いです」
私の言葉の端々に棘があるのはご愛嬌ということで。
そしてこれを聞いた彼の反応は劇的なものだった。




