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「初めまして。城戸颯太と申します。皆さんには色々とご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します」
深々とお辞儀をする姿を見て私は内心で首を傾げた。
彼の今までの一連の行動からすると、わざわざそこまで深くお辞儀をしたのには何か意味があるのではないかと、推測したからだ。
私が知っている範囲では深々とするお辞儀の心理的背景には、本当に敬意を表しているものと、自分の視界から他人を締め出すことによる嫌悪感の表れ、があったハズだ。前者は私達と彼が初対面であることを考慮すると、可能性的にありえない。となると後者の線が濃厚になってくる。
それから数秒後、深々とお辞儀をしたまま何故か微動だにしない彼に、困ったように谷口先生が声を掛けた。
「城戸、そこまで真面目にやらなくてもいいぞ」
「はい」
そう返事をした彼の声は微かに上擦っていた様な気がする。
――それなのに緊張を微塵も感じさせないような悠々たる動作で顔を上げる彼を見て、つい首を傾げてしまった。
彼の声の調子と動作が余りにも跛行的だったからだ。
深々とお辞儀をしていたのは嫌悪感の表れではなく、何か別の意味があったのだろうか? 自分の視界から人を締め出す……私ならば何を、いつ、どこで、なぜ、どのようにする?
私がそんなことを思案している時だった。
「マジメかっ!?」
男子生徒の確か名前は……たや……たむ……ん。た、何とかくんのツッコミが彼に向かって放たれていた。
これはスベったなと、私がどうでもいい判断を下していると暫時の沈黙の後、何故だか教室内は笑い声で沸いていた。
……うるさい。人が真面目に思案している時に…………ん?
思案……考え事をしている時……私ならばどうしている?
先程取り出したメモ帳に思量を整理するために、さっと書き込む。
誰が⇒私ならば。
何を⇒考え事を。
いつ⇒している時。
どこで⇒彼の立ち位置にいた場合。
なぜ⇒集中するために。
どのように⇒外界を遮断する。
……もしかして彼は、何か考え事をしていたのではないだろうか?
彼が自己紹介を行った際、教室内は私のおかげでほぼ無音だった。ならば彼が聴覚を遮断している状態だと仮定した場合、残された感覚は触覚、嗅覚、味覚、そして視覚だ。あの場では触覚、嗅覚、味覚を使う必要はなかったので既に遮断されていた。……となると、必然的に遮断しなくてはならない感覚は視覚の一択だったハズだ。
視覚を遮断するのは目を瞑れば容易に出来るが、大勢の人間から見られている時にそれを行うのはいくらなんでも不自然過ぎる。
……それならばどうするか?
答えは簡単だ。
彼がやったように深々とお辞儀をしてから、目を瞑ればいい。これならば誰にも見られることなく視覚を遮断することが出来る。
そして彼が考え事をしていたのならば、もうひとつ説明がつくものがある。
それはあの不自然なまでの――間、だ。
きっと彼は考え事とやらに没頭し過ぎて、次の行動を忘れていたのではないか?
……だから返事をした際の声が上擦っていたのではないか?
動作の方はその前から何かを隠すような兆候があったことから、それを意識して敢えて正反対と思えるような動作をしたのではないか?
……ん。まぁ、すべては私の勝手気儘な仮定による妄想に過ぎないのだけれど。
さて、こんな妄想をするよりも、もっと身になる彼の情報を手に入れなければ。
今度は明確な意思を持って立ち上がり、私は口を開いた。
「谷口先生、城戸くんに質問してもよろしいでしょうか?」
「構わんぞ水瀬」
谷口先生のお墨付きを貰ってから彼へと向き直る。
そしてわざと目を合わせた。
目を合わせた理由はただ単純に彼の反応を見たいからという、至極どうでもいい私情によるものだった。
……無難に特技でも聞いて反応を見よう。そこから彼の一連の不可解な行動の理由が掴めれば、案内係の私にとってはプラスになるハズ。
そう結論を下し口を開く。
「はい。それでは早速、城戸くん、あなたは何か特技などはありますか?」
「う~ん、特技ですか……そうですね、簡単な占いなら少しできますよ」
そう言った彼はやはりあの笑顔と言う名の覆面を被ったまま、目を逸らすことなく私の質問に答えた。
……もう10秒程目を合わせているのに焦るどころか、逸らす気配すらない。これはいったいどういうことなのだろう? ……ん。そんなに堂々と目を合わせ続けられると、仕掛けた私の方が恥ずかしくなってくるではないか。
そんな私は内心の焦りを彼にぶつけることにした。
「占いですか……私、占いが好きなんです。よろしければ今、私のことを占ってみて下さいませんか?」
「い、今ですか?」
「えぇ。今、お願い致します」
返答に若干の焦りは見られたものの、依然として彼は目を逸らさなかった。
……んっ。これ以上はさすがに私が恥ずかしい。
そもそもなぜ彼は私に見詰められて、さも普通にしていられるのだろうか?
自慢や自惚れと言った訳ではないが、私はかなり顔立ちの整った方だと自認している。
それ故に……かどうかは知らないけれど、私と目が合うと大多数の人は焦ったように視線を逸らすハズ……なのに。と、私が逆に焦り始めた時、あれだけ長く目を合わせていたのが幻だったかのように、彼はごく自然に目を逸らした。
私と長時間目を合わせてくれる人がいることに驚き、目を合わせるという行為がどれ程の羞恥心と労力の上に成り立っているのかを身を持って体感した私は、つい安堵の胸を撫で下ろしてしまった。
「分かりました。ではあなたのフルネームと血液型を教えて下さい」
「……生年月日はいいのでしょうか?」
「えぇ。大丈夫です」
しまった、と思った時には既に手遅れだった。
緩み切っていた私は驚きを面に出していた。
仮にも占いをするのにフルネームと血液型だけで充分とは一体全体どういうことなのだろう? 巷で噂になるような凄腕占い師でも、こんなにも少ない情報で診断をするなんて聞いたことが無い。そもそもこれだけの僅かな情報でする行為を、占いと呼んでいいのだろうか?
疑問が疑問を呼び軽く錯乱状態になったため、思考を放棄して素直に答える。
「私は水瀬愛理と申します。水瀬は水に瀬戸の瀬。愛理は愛に料理の理と書きます。血液型はA型です」
「水瀬愛理さん、A型っと」
彼は鞄からメモ帳とペンを取り出し何かを書き込んでいるようだった。
「ちょっと待って下さいね。今占ってるんで」
書き込みを続けながらそう言う彼の視線は、あからさまにおかしかった。
……ん。どうしてペンが動いているのに視線が右上を向いているのか?
……右上、ね。
人という生き物は非常に面白いもので、ある程度は向いている視線で何を考えているかが分かってしまうのだ。
何故かと言うと、この現象は科学的に説明ができる。
彼の様に視線を右上に向けている場合、何を考えているかというと……事実とは違うことを意識的に組み立てて考えている、ということが分かる。……要するにウソを吐いているのだ。
何故そのような結論に到達するかと言うと、人間の脳は大きく分けて想像力や直感などが支配し、表現する力を発揮させる右脳と、言葉や記憶を支配し、意識的に考えたり何かを覚える能力を発揮させる左脳からできている。
そして神経は交差しているため、右脳は左半身を、左脳は右半身を司っている。これはどういうことかというと、左脳が活発な時は右半身が活動するということで、そのために視線も右に動きやすくなるのだ。
まぁ、今までの彼の行動からすると、そう考えるのはいささか早計かもしれないけれど……。
ぼんやりとそんなことを考えていると、彼のペンが止まり何ごとかをメモ帳に書き終えたようだった。
そして書き終えたそれに目を落としながら彼は、
「水瀬さんは真面目で頭の回転が良く、学業の成績も優秀ですね。リーダーシップもあり、クラスメイトからは絶大な信頼を寄せられていると思います。そして得意なことは料理ですね。特にお菓子作りとか。まぁこんなところです」
と、彼曰く占いとやらの結果を滔々と語った。
……ん。彼はやっぱり占いなんてしていない。たかがフルネームと血液型だけでここまで細かく私のことを的確に言い当てる行為なんて、私の知る限りひとつしかない。
そう当然の帰結に辿り着いたところで、私は静かに着席し今の彼の言葉を思い返す。
先ず気になったのが「真面目で頭の回転が良く」という言葉だ。
その言葉を自分のメモ帳に書き出してあれやこれやと書き込んだ。
真面目⇒外見判断によるものと推測。コールド・リーディングか?
頭の回転が良く⇒曖昧な言葉であり、誰にでもあてはめることができる。バーナム・エフェクトか?
続け様に気になった言葉をピックアップして、書き連ねる。
リーダーシップ⇒私が発言して他の生徒を黙らせたことから推測したものと思われる。やはりコールド・リーディングか?
お菓子作り⇒確かに私から「料理の理」と言うヒントは与えてしまっていたが、ピンポイントでお菓子作りを当てられるのは不自然。私のことについて話していた生徒の会話を聞いたものと推測。ホット・リーディングか?
そこまで書き込んでひとつ腑に落ちないことがあった。




