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外部生が既にクラスに着いているかもしれないと思い、足早に1年2組の教室へと向かう。
歩いているだけでも明確に感じる視線。その多くは好奇の眼差し。時折聞こえてくる内緒話。その多くは風聞。
私は見世物ではない。これでは動物園の檻の中にいる動物達の方が余程マシだと思う。檻が人間を守っているのか、はたまた動物を守っているのかは定かではないが、檻と言う名の明確な境界線が在る限り、守られ続けていることは確かだ。
私にはそれが無かった。常に晒され、ことある毎に話し掛けられ、あまつさえ接触されることもあった。
……だから私は変わった。
私に檻が無いのならば創ればいいと気付いたからだ。
……そして私は心理学と言うものの存在を知った。
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教室に到着し、私が入室した刹那、喧騒にまみれていた室内が水を打ったように静まり返り、視線が集中してくる。
そんなことはいちいち気にしていられないので、わざと顔を動かしてやや大げさな動作で室内を見回す。
皆、私と目が合うと焦ったように視線をそらし、チラチラと盗み見るように目を泳がせていた。
……まだ来ていないのね。
見たことのない生徒が外部生だろうと考えていたので、見知った顔しかないことに密かに落胆しつつ、五十音順の自席に着く。
まだ姿が見えないことに落胆してしまうほど、私は楽しみにしているのかと気付くと、なんだか逃げ出したい気分になった。……ん。そんなことよりちょっと真面目に思考しよう。
……さて、谷口先生から任された案内係というのは何をすればいいのだろう? 校内を案内するのは当然だとして、この学園での生活に対するアドバイスもするべきなのだろうか? 学園に慣れるまで一緒にお昼を食べたり、登下校をしたり、仲良くなって……友達になったりしてもいいのだろうか?
……ん。考えれば考えるほどドツボにはまっていくような気がする。そもそも外部生がただのツマラナイ生徒ならば、ここにいるその他大勢と何ら変わりないのではないだろうか? さて……どうしたものか。
思わず「うぅぅ」っと唸りたくなるのを堪え、机に目を落とした時だった。
ガラッ、っと教室の前方の引き戸が開く音がしたので、私は特に何も考えずに机に落とした目を前方に向けた。
……するとそこには見たことのない男子生徒が立っているではないか。
女子の中では比較的高身長な私よりも背は高く、体つきは細くもなく、太くもなくといった無難な体型。丁度耳が隠れる辺りまで伸ばしている黒髪は、少し長めに見えるが、ちゃんとセットされているのか適度に清潔感があった。
その男子生徒は何故か少し拍子抜けしたような表情をしてから、私に視線を向けた。
教室内の他の生徒は相も変わらずチラチラと私を盗み見ていたため、外部生であろう男子生徒が入室してきていることにすら気が付いていない様子だった。……だからなのか、その男子生徒を見ていたのが私だけだったようで、そのことに気が付いた彼は無意識に私に目を向けたのだろう。
当然私も彼を見ていたので、目が合った。
シルバーの下半分にだけフレームのある、所謂アンダーリムのメガネを掛けている彼は、真面目そうなイメージとどこか得体の知れない嘘っぽさが同居する、不思議な雰囲気を身に纏っていた。
私と目が合っても特に焦ったり取り乱した様子も無く、メガネの奥から澄んだ瞳で見返してくるだけだった。
そんな反応だったからか他の生徒に比べて、やけに彼が大人っぽく見えたのは考えるまでもなかった。
見詰め合うこと数秒、再度前方の引き戸が開き谷口先生が入室してきた。
谷口先生は、何故か先程から茫然と立ち尽くしている彼を見やると、納得したように頷き私に目配せをするように、視線を向けてきた。その目が「こいつが外部生だ」と言っているのはすぐに理解できた。
「ほら、みんな席に着けー」
理由は言うまでもないが、大半の生徒が谷口先生の登壇に気付いていなかったので、仕切り直すために号令をかけたのだろう。
皆が慌てた様に谷口先生を見てからようやく気付いたようだ。谷口先生の隣に立つ見たことのない男子生徒に。
ヒソヒソと交わされる「あれ誰?」「あんな奴いたっけ?」という内緒話。
その会話が聞こえる度にゆくりなくほくそ笑みたくなる衝動を唇を軽く噛んで抑え込み、彼と谷口先生の遣り取りを静観する。
そんな中、谷口先生が彼に向かって声を掛けた。
「君が城戸颯太か? 私はこのクラスの担任の谷口だ」
「はい。あの、それで谷口先生。自分はどこに座ればいいのでしょうか?」
彼はどこまでも落ち着き払った態度でそう答えると、口を閉じたままふわりと人の良さそうな笑みを浮かべた。
……ん?
「そうか、ちょっと待ってくれ。……えーっと、城戸は唯一の外部生だから、言うなれば転校生みたいなものなので、簡単に自己紹介してくれ」
「え?」
谷口先生のその言葉を聞いた彼の反応はとても小さなものだった。……きっと大半の生徒は気付いていないだろうが、彼は確かに頬をピクリと動かし、それを隠すようにぎこちない手つきでメガネを掛け直した。加えてほんの一瞬だけ視線を右上に向けた。
ただそれだけの反応だったが私は気付いた。……彼は表面上は平静を装っているが、間違いなく内心は何かに動揺しているハズ、と。
私はいつもブレザーの内ポケットにいれているA7サイズのメモ帳とシャーペンを取り出すと、誰にも見られない様に走り書きをした。
頬を隠す動作⇒動揺していることを悟られない様に隠した?
一瞬だけ右上に逸らした視線⇒ウソ、もしくは何かを考えた。視線をすぐに戻したのはやはり、動揺を悟られない様にしたため?
私が書き込みを終えた直後、教室内がにわかに騒然となった。
そこかしこで彼に向かっての質問が投げ掛けられたからだ。
そんな一斉に質問を投げ掛けたって、彼は彼の聖徳太子ではないのだから困らせるだけだろう。
彼の心中を私が斟酌していると、不思議なことにこの喧騒の中、ある会話だけがハッキリと聞こえてきた。
「私、結構タイプかも。大人っぽくて落ち着いてるとことか、うちの男子となんか全然違う感じがするところとか?」
「あー確かに分かるかも! じゃあ、ちょっと聞いてみよっか?」
「えぇ~いいよ、恥ずかしいし」
「いいからいいから。 ズバリ!好きな女の子のタイプは?」
「ちょっと! やめてって!」
その一連の会話が聞こえた方に顔を向けたくなるのをどうにか堪え、気付いた時には既に私は立ち上がっていた。
そして自分でも何故こんな行動をしたのか理解できないうちに、口は開き、私の中の定型文には無い言葉を発していた。
「皆さん、質問攻めにしたい気持ちは十二分に分かりますけど、城戸くんが困っているのでその辺にしてあげて下さいませんか?」
やかましいまでに質問と言う名の騒音を撒き散らしていた生徒達が、私の声を聞いた途端、息すらも潜める様に沈黙し、教室内がしんしんとした静寂さに包まれた。
……ん。私は何をやっているのだろう? ただ漠然と分かっていることは、不可解な感情が私の中で溢れ返っているということだ。動機としては「ムシャクシャしてやった」この一言に尽きる。
そんな私の不純な動機による今の行動を、谷口先生はどう理解したのか、満足気に頷くと私を一瞥してから口を開いた。
「うむ。水瀬の言う通りだ。質問は城戸の自己紹介の後にしろ」
私は着席しながら今の谷口先生の発言に苛立ちを覚えた。
……ん。動機は不純だったにしろ、どうして私があの場を治めなくてはならなかったのか? 「水瀬の言う通りだ」……私に便乗するのではなくて、率先して行動すべきはあなたですよ谷口先生。
そんな内心の苛立ちの矛先をどこに向けようかと悩んでいると、彼の口を閉じたままの笑顔がやけに目に付いた。
彼のその笑顔は先程から全くと言っていい程に変化がなく、お面……違う……言うなれば、素顔を見せない様に覆面を被っている様にも見えたからだ。
黒板へと振り向くと彼は丁寧な字でフルネームを書き、これまた丁寧な対応で自己紹介を行った。




