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 スマートフォンをスラックスのポケットに仕舞い、辺りを見渡す颯太。

 雑踏に紛れたのか愛理の姿は大通りの何処にも見当たらなかった。

 なんだよあいつ、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームって、最上級に怒ってるって意味じゃねぇか。全然訳分かんねぇけど。

 それを伝えるべき相手がこの場にいないため、ゆっくりと目的地へと足を向ける。

 そういやあいつの向かってた先ってどこなんだ? まぁ、気にしてもしょうがない……気にしてもって言えば、あいつの持ってた名刺って……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「颯太くんいらっしゃい。おぉ、今日から高校生かい?」

「あはは、なんか店長にそう言われるとくすぐったいっすね」

「ははは、そうかい? その制服は……桜咲高峰かな?」

「そうっすよ」


 この場所は颯太が中二病になる切っ掛けとなった本を買ったあの本屋であり、あれ以来似たような本を買うために何度か訪れているうちに、店主とは世間話をする間柄になっていた。

 大通りから一本入った通りにひっそりと佇む――ブックスケープフラワー。

 町の本屋としてはやや大型な店舗で、年季の入った日焼けをした白いタイル張りの外装が、不思議と落ち着いた雰囲気を(かも)し出していた。


「そうかそうか。颯太くんは桜咲高峰に入ったのか。どうだいあの学園?」


 人の良い笑顔を浮かべながら頷く店主。

 何がそんなに嬉しいのか? そんな些細な疑問を抱きながら颯太は特に何も考えずに思ったことを口にする。


「桜トンネルが思ってたよりも綺麗だった、ってこと以外特にはないっすね」

「ははは、そうだよね……はぁ」

「どうしたんすか? そんなため息吐いて」

「実はね、うちの娘も通っているんだけど颯太くんと全く同じことを言ってたんだよ」

「え!? 店長さんの娘さんも桜咲なんですか?」

「あぁ、そうだよ」

「世の中って狭いっすね」


 颯太が微苦笑を浮かべながらそう答えると「ははは、その通りだね」と、店主も同じように微苦笑を(たた)えていた。


「あぁ……そう言えば例の本ならいつものコーナーに入荷したよ」

「マジっすか! 今日一日それを楽しみに頑張ってきたんすよ」

「頑張る? 何かあったのかい?」

「いや、ちょっと質の悪い奴に長時間絡まれて、ツッコミ疲れしたというか……なんと言うか」


 自分でそう言いながら釈然としない面持ちで首を傾げる颯太。


「あららそりゃ大変だったね」

「ホントっすよ。んじゃ、ちょっくら立読みもさせてもらいますね」

「はっはっは! 店長相手に堂々とそんな発言をするなんてまるで…………」


 目当ての心理学関連書籍コーナーへと向かって歩き出した颯太の背中に、店主の言葉の続きは届いていなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「なんでおまえがここにいる!?」


 指を指して固まる颯太。その指の先に佇んでいる少女は腰まで伸びる絹糸のように艶やかな長い黒髪を耳に掛け、立読みをしていた。

 ただ立読みをしているだけなのに自然と絵になるのは、その少女が顔立ちの整い過ぎた途方もない美人であるということの一択だった。

 少女はパタリと立読みしていた本を閉じると、不機嫌そうに顔だけを颯太へと向けて口を開く。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 鈴をふるわすような澄んだ声が静謐(せいひつ)な心理学関連書籍コーナーに響き渡る。


「はぁ? なに言ってんの?」

「私のことを“おまえ”呼ばわりする、真核(しんかく)生物、動物界、真正後生(しんせいこうせい)動物亜界、左右相称(さゆうそうしょう)動物、新口(しんこう)動物上門、脊索(せきさく)動物門、脊椎(せきつい)動物亜門、四肢(しし)動物上綱、哺乳(ほにゅう)綱、真獣下(しんじゅうか)綱、真主齧(しんしゅげつ)上目、真主獣(しんしゅじゅう)大目、霊長(れいちょう)目、直鼻猿(ちょくびえん)亜目、真猿(しんえん)亜目、狭鼻(きょうび)下目、ヒト上科、ヒト科、ヒト亜科、ヒト族、ヒト亜族、ヒト属、ホモ・サピエンス、ホモ・サピエンス・サピエンスに属する個体なんて知りませんが」


 何ごとかを一気に捲し立てると、少女は猫のように大きくつぶらな瞳で颯太を射るように見詰めた。

 そのプレッシャーに気圧された颯太は少女の真意を理解して、言葉に詰りながら改まった口調で尋ねる。


「……す、すみませんが、日本語で、お願いします水瀬さん?」

「分かればいいのよ、分かれば。ついさっき言ったことを忘れるなんて、城戸くんってやっぱり……ドM?」


 少女――愛理は颯太の言葉に小さく笑みを浮かべると、可愛らしくちょこんと小首を傾げるのだった。

 不意に浮かべる自然な笑みに思わず、この笑顔反則だよな、と、心の中で苦笑しながら、疲れも忘れてツッコミを再開させる颯太。


「ちがうわ! なんでそうなる! それよりどうしてここにいるんだよ!?」

「あら、その言葉、そっくりそのまま金利と手数料も付けて城戸くんに返すわ。この場合、私の方が先に来ていたのだから、後から来た城戸くんにはストーカー規制法第2条1項1号に抵触していると思われる行動であると、私は考えるのだけれど」


 愛理の口から「ストーカー」という言葉が出た瞬間、店内にいた他の客が一斉に颯太を見やったのは言うまでもない。

 自分が白眼視(はくがんし)されていることを瞬時に理解した颯太は、首筋に一筋の冷や汗を伝わせながら低姿勢で弁明する。


「あの、水瀬さん? そういうのマジでシャレにならないんで勘弁してもらえませんかね?」


 そんな本気で焦る颯太を見てツボに入ったのか、愛理はたっぷり30秒ほどクスクスと無邪気に笑うと、


「冗談よ、冗談」


 と、言いながら微笑むのだった。


「それで城戸くんこそどうしてここにいるのかしら?」

「普通に本を買いに来ただけだよ。それで水瀬は何しに……って本屋にいるんだから、本を買いに来たってことか」

「えぇ。……丁度この本がラスト1冊だったみたいでラッキーだったわ」


 そう言って愛理は『~手に取るようにわかる~他人の心理大全集』というタイトルの分厚い本を颯太に見せる。


「ちょ! ちょっと待った! それラスト1冊!? マジ!?」

「……本当よ。はながさ……店長さんに聞いてみたら?」

「そうか~まぁ、いいよ。また次回入荷するまで待つから」

「あら、知らないの? これ次回入荷は無いわよ。初版にして絶版と言うのかしら? この本、評判が良いだけに残念だわ……著者の意向らしいから仕方のないことなのかもしれないのだけれど」

「譲って下さい! お願いします!」


 見事なまでのお辞儀を90度で決めると、相手の出方を窺うように微動だにしない颯太。


「……(いさぎよ)い変わり身ね。ちょっと笑っちゃったじゃない。今のは面白かったけれど、こればかりは譲れないの。私も欲しかったものだから」

「……はぁ~そうだよな~」

「城戸くんもこの本読みたいの?」

「じゃなきゃあんな綺麗なお辞儀決める訳ないだろ。まさか笑われるとは思わなかったけど」

「あっ……ごめんなさい。別に馬鹿にした訳じゃないの。ただ、その、ちょっと、ビックリしちゃって……城戸くんはホントにこの本が欲しいんだなって」


 ……コイツ、時々本当の素が出るよな……やっぱりちょっと抜けてるところがあるのか……。


「なぁ、水瀬って実は天然入ってる?」

「えっ? どういう意味? ……私のこと、馬鹿にしてる!?」


 少し怒ったように颯太を睨む愛理。


「いや、なんでもない」


 ……う~んグレーだな。ちなみに俺の経験上「あ! 分かる~? 私って天然なんだよね~」と自ら宣言する奴は間違いなく、天然を装っているだけの計算高い奴である。


「譲ることは出来ないけれど、城戸くんが、どうしても読みたいって言うのならば、貸してあげないこともないのだけれど」


 愛理は暇を持て余すように毛先を指でクルクルと弄りながら、視線を颯太と合わせないで半開きになっている下段引出(ストッカー)を眺めていた。


「マジ!? 貸してくれんの!? ホントに!?」

「……うん。だって私達相互()秘密()共有()協定()を結んだ訳だし……でも、私が先に読んでもいい?」


 SHKKってさっき結んだやつか。まぁ、なんにせよ貸してもらえるならそれに越したことはないな。

 そう言う愛理はやはり視線を合わせず、何故だか、動いているとも分からないようなスローペースで、ストッカーに向けて地味に移動していた。

 その愛理の立ち位置は、颯太の視界からストッカーが完全に見えなくなるような、そんな場所だった。


「そりゃ、おま……水瀬が先に見つけて確保してたものだし、俺は読めるんなら順番なんて気にしないぞ」

「……決まりね。読み終わったら渡しに行くから」


 渡すって、学校でってことか?

 颯太は特に深く考えずに相槌を打つ。


「あぁ、了解」

「城戸くん回れ右。お会計するわ」


 踵を返しながら颯太は答える。


「はいはい。あ、どうせ俺も借りるんだし半分出すよ」

「そこは普通、俺が全額出すよプリティーガール、と言うものだと思うのだけれど」

「……俺らのあのSHKKってやつは、ビジネスライクなもんだろ? なら割り勘でいいだろ?」

「……本当に城戸くんって馬鹿ですね。えぇ、もう全く馬鹿過ぎて私は呆れ果てました」


 愛理の口調と声音が変わったのを感じ取った颯太は、振り返らずに恐る恐る尋ねる。


「……もしかして怒ってる?」

「別に怒ってなどいません。激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームなう、なだけです」

「それさっき調べたけど、最上級に怒ってるって意味だろ?」

「今更調べただなんて時代遅れも甚だしいですね。私が、呆れた、と言っているのが理解できませんか自称馬鹿?」 


 なんだよ。割り勘じゃダメなのか?


「分かった分かった。俺が全額出すよプリティーガール」

「……うざっ」

「えぇぇぇぇ!?」

「さっさとレジに向かって歩いてくれませんか残念ナルシストボーイ。それと半額の12万6千円を出しなさい」

「ナルシストって……誰のセリフを引用したと思ってんだ!? それと高ぇ! ぜってぇぼったくりだろ!?」


 思わず颯太が振り返ると、愛理は不機嫌と言うよりはどこか拗ねたように小さく口を尖らせていた。


「……なんですか」


 黙りこくっている颯太を不審に思った愛理はそう問いかける。


「……いやぁ~おまえでもそんな表情するんだな」


 あぁ! また、おまえ、って言っちまった……絶対機嫌悪くなるよなコイツ。


「え?」


 自分の顔を手で触りながら目を大きく見開くと、きょとんとした顔をして固まる愛理。

 ん? おまえって言ったのバレてないのか?


「……そんな表情ってなに? どういうこと?」

「なんだよいきなり。それより早く会計しようぜ」

「ちょっと待って!」

「待たぬ! さっさと歩けって言ったのはおま……水瀬だろ?」


 勝った! 策士策に溺れるとはまさにこのことよ! フハハハ!

 颯太が内心で高笑いをしながらレジに向かって一歩を踏み出そうとした時だった。


「だめ! 待って!」

「うおっ!?」


 ブレザーの袖口を愛理に捕まれ引っ張られる。

 予想外の力に為す術もなく引き寄せられると、颯太の片腕に愛理が腕を絡め、逃がさないようにガッチリとロックする。

 その光景は(はた)から見ると、仲の良いカップルがイチャついているようにしか見えなかった。

 グ、グランドキャニオン! これはありえない極上の柔らかさマシュマロで間違いなく高低差がダイナマイトなグランドキャニオン! グランドキャニオォォォォォォォン!

 思考回路がショートし「グランドキャニオン」と脳内で何度も雄叫びを上げる颯太。


「そんな表情ってなに!? 私どんな顔してたの!? 教えて!」


 そんな問い掛けになんとか言葉を絞り出した颯太の返答は勿論、


「グランドキャニオン!」


 だった。


「……ん? う~ん? わかんない」


 息のかかるような至近距離で颯太を見詰めながら、あどけない表情で右に左にと首を傾げる愛理。

 ハッ! ち、近いしイイ匂いするし柔らかいし可愛いしどうすりゃいいんだよ!? 


「教えて?」


 言えばいいのか素直に!? ……いや、それはやめておこう。何を血迷ってやがる俺。


「……いんだよ」

「なに? なんて言ったの? 聞こえない」

「だから! 近いって言ってんだよ! 色々当たってるし、それにそんな拗ねた顔してなんなんだよ!」


 口にするのと同時に何故か僅かに緩んだロックから片腕を抜くと、愛理から距離を取って様子を窺う。

 軽く俯いた愛理からその表情を読み取ることが出来ないと判断すると、颯太は改めてレジへと足を向けたのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 会計で愛理が「私の何が当たったのかしら? ねぇ、城戸くん?」と、何事も無かったかのようにしれっと言い放ち、それに慌てた颯太が全額を支払ったのは自爆発言の代償だった。

 「んじゃ、読み終わったら渡してくれ」と言い残し、逃げるように本屋から立ち去った颯太は後から出てきた愛理の手に、商品袋がふたつ下がっていることを知る由もない……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 玄関で颯太が靴を脱ぎながら「ただいまー」と、リビングに向かって声を掛ける。


「あ、ちょっと颯太!」

「なにー?」


 リビングにいるであろう母親からの問いかけに思わず首を傾げながら返答する。はて、何か母親に怒られるようなことをしたかと。


「あんた中学の時の友達に連絡先教えてないの?」

「……え? なんで?」


 口が裂けても言いたくない真実があるので、動揺を抑えきれずに聞き返す。


「さっきうちに電話があったのよ。名前聞き忘れちゃったけど中学の時の同級生って子からね、颯太くんいますか? って」

「……ふ~ん。ほ、他にはなんか言ってた?」

「……あっ! そういえば、今どこの高校通ってるんですか? なんてことも言ってたわね。って! あんた友達にどこの高校通うかも言ってなかったの!?」

「い、いや! ちょっと言いそびれただけだよ!? それで母さんなんて言ったの?」

「勿論教えてあげたわよ。桜咲高峰に通ってる、ってね」

「は、はぁ~」


 まさか、初日からバレるなんて……しかも相手が分からない……最悪だ。

 そして颯太は長いため息を吐いて力なく自室へと向かうのだった。

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