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「サンキュー。助かったわ」
言うが早いか、颯太は愛理に背を向けると足早に裏門を通り抜けて立ち去る。
いやぁ~あいつなんであんなに怒ってんだよ。怖いわマジで。俺なんか悪いことしたか?
裏門に着くまで終始無言、無反応、無表情を貫いた愛理は颯太の背中に問い掛ける。
「私みたいな美女をひとりで帰らせたらどうなるか分かっているのかしら城戸くん?」
「……今までひとりで帰ったことないのかよ? んじゃ、また明日」
颯太も振り返ることなくそう答えると、片手を上げて歩みを進める。
それにしても裏門は寂しいな。生徒もいないし桜の木もないし、出てすぐ路地ってなんだよ。
裏門側土地勘ないから迷いそうだ……。
そんな颯太の予感はすぐに的中するのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――10分後、路地に凝然と立ち尽くす颯太の姿がそこにはあった。
……迷った。完全に迷子だわ。ヤバい、高1になってまで迷子とか俺涙目。
裏門を出ると複雑に入り組んだ路地が迷路のように続き、角をいくつか曲がったところで目的地への方向を完全に見失っていた。
闇雲に歩き回っても意味は無いから取り敢えず来た道を戻ろう。学園まで戻ればなんとかなるだろ。
そう思い踵を返し来た道を遡っていると、
「君ちょー可愛いじゃん! 今ひとりなの?」
「俺らとさぁ~いっしょ遊びいかん? カラオケとかいっちゃう?」
「結構です。そこを退いてもらえますか」
「え~? いいじゃん遊びいこうよ~」
「すぐそこのカラオケでいいっしょ?」
「退かないのならばあなた方の行為は軽犯罪法第1条28号に抵触し、犯罪行為となります」
より細い路地からそんな男女の遣り取りが聞こえてきた。声から察するに男は2人組のようでひとりの少女をナンパしようとしているようだった。
おいおい、あいつなに絡まれてんだよ。
その声を今し方まで聞いていた颯太は姿を見るまでもなく、少女が愛理であることを確信し、角から様子を窺う。
「けー犯罪法? なにそれ? そんなことよりさぁ~カラオケいこうよ~そのあとはもちろん」
「ホテルだよねーへへへ。君ちょースタイルもいいね! 一緒に楽しもうよ」
なんかヤバそうな雰囲気だな。しゃ~ねぇ~な。これで貸し借りチャラにできるな。
颯太は大きく息を吸い込むと大声で叫ぶ。
「お巡りさ~ん! こっちで強引に女の子ナンパしてる奴がいます! ……あ、はい。2人組です! 軽犯罪法適用して下さい」
その言葉を聞いた2人組は互いに顔を合わせると、
「マ、マジかよ! クソッ!」
「おい、早く逃げようぜ! 洒落になんねぇ」
と、言いながら全速力で愛理の前から逃げ出した。
それから数秒後、
「ぶははは……ひぃ……あいつら馬鹿だろ……くくく……見たかあの逃げ様……兎かッ!」
颯太が身を捩って爆笑しながら愛理の前に現れた。
愛理は未だに何が起こったのか分からないといった様子で、手に名刺の様な物を持って茫然と立ち尽くしていた。
「くそ~動画でも撮っておいたら一生笑えたな。……お~い? なにボーッとしてんだ?」
「……え? どうして城戸くんがここにいるの?」
「おい、まず先に、助けてくれてありがとう、だろ?」
「あっ……うん。ありがとう助けてくれて」
「やけに素直だな」
颯太のそんな言葉を聞いた愛理は伏し目がちに呟く。
「うそつき……うそつき、うそつき、うそつき!」
「はぁ? なにがだよ?」
「一緒に帰らないって言ったのにどうしてここにいるの!?」
「……いやぁ~それは色々とあってだな……」
い、言えない! 迷子になって来た道を引き返してたところだなんて!
「これで分かったでしょう? 私みたいな美女をひとりにすると犯罪に巻き込まれてしまうってことが」
「……はぁ。でも結果的には助けたんだし借りは返したぞ」
「いいえまだ足りないわ。私を危険な目に合わせた罰として一緒に下校すること。これは命令よ」
なんで助けてやったのに命令されなきゃならないんだよ!? ……でも待てよ。今ここで断っても俺は帰り道が分からない……それならば途中まで一緒に帰った方がいいのか? 幸いなことにうちの学園の奴等もいないみたいだし。
そこまで瞬時に思考を巡らすと結論を述べる。
「へいへい。途中までだぞ?」
「……ホントに?」
「あぁ」
「本当のホントに?」
「だからそう言ってんだろ」
「……ん。ならばよろしい」
「なんで偉そうなんだよ……それより、その手に持ってるのはなんだ? 名刺か?」
「えぇ。日常的にあのような行為に遭うから対抗策の切り札として持っているの。私にこの名刺を下さった方曰く、この名刺は呪符である、なのだそうよ」
そういってクスクスと笑いながら名刺を仕舞う愛理。
名刺に何が書かれているのかは愛理の持つ手によって見えなかった。
……である……か。
こうしてふたりは途中まで一緒に帰ることになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
おかしい。さっき別れたはずなのになんでコイツもこっちに歩いてやがる。
入り組んだ路地を抜け、颯太の分かる大通りに出たところで「んじゃ、ここまでな。大通りなら流石にあんなナンパはされないだろ」と言って、目的地に向かって歩き出したところだった。
何故だか未だに颯太の横を歩く愛理。
そんな愛理の様子を見て耐え切れなくなった颯太は立ち止まって口を開く。
「おい、さっきあっちで別れたばっかりだろ! なんで付いて来るんだよ」
その言葉を聞いて愛理も立ち止まり、さも不服そうな顔をして返答する。
「別に城戸くんをストーキングしている訳ではないのだけれど」
「ならなんで一緒に歩いて付いてくるんだよ」
「……そんなに私と一緒に歩くのが嫌? まぁ、私の様な天使の如き美しさを持つ美女の横を歩いていたら、自分の醜さがより一層目立ってしまうのを留意してしまうのは分からなくもないのだけれど」
「嫌とか自分の醜さとかじゃなくて……っておい! 醜さってなんだよ!? 酷過ぎるだろ!?」
「嫌じゃないのならばどうしてなの?」
醜さの弁明しろよ! スルーすんなよ!
妙に真剣そうな面持ちをしている愛理に見詰められ、颯太はそんな心の声を押し殺して話しを続ける。
「正直に言うけど、お前みたいな美人を横に連れて歩くのは俺は悪い気はしない……むしろいい気分だ」
「……美人……安い言葉ね。千言万語を費やして表現しなさいよ全く」
そう言ってそっぽを向く愛理。
「いやそこじゃなくて、俺は悪い気はしないって言ってんの。俺は」
「あっ……んっ…………その……詰まるところ城戸くん以外はそうは思わないということ?」
愛理は慌てた様に視線を泳がすと小首をちょこんと傾げる。
「あぁ。おまえ学園で人気あるだろ? そんな奴と連れ立って歩いてるところを学園の奴に見られたら、なんて噂されるか。しかも俺は唯一の外部生だしな。俺だったら、アイツ調子乗ってんな、って思うわ」
「そういうものなの?」
「そういうもんなの」
「ふ~ん。……そう」
「納得してもらえたなら次は俺の質問に答えてくれよ」
「……醜さについての回答を求めるだなんて城戸くんはマゾか何かなの?」
「違うわ! なんでそこを汲み取ったし!」
「違うの? もしかして……ドM?」
道端に落ちている小石でも見るような冷たい眼差しを颯太に向けながら、腕を組む愛理。
なんだよコイツ。前世は女王様かなんかだったの?
「違うって言ってんのになんで悪化した理解してんの!?」
「悪化だなんて酷いこと言うのね。改悪って言って欲しいのだけれど」
「おい! 改めて悪くするってどういうことだよ!? 悪化よりも酷ぇ!」
「あらびっくり、確かにその通りね。私ったらドジっ娘。テヘッ☆」
またしてもあの招き猫ポーズに舌をチロリと控えめに出して微笑みを浮かべる愛理。
……落ち着け俺。ここで「全然ビックリしてねぇだろ!?」とか「そんな計算高いドジっ娘初めて見たわ!」とか「テヘッ☆ とかあざといけどおまえがやると可愛いんだよチクショウ」なんてツッコミ続けたら終わらなくなるぞ。
最後に本心をダダ漏れにしながらも颯太は静かに深呼吸をして軽く首を回すと、
「分かった分かった。おまえは紛れもない正真正銘のドジっ娘だ。それでなんで俺に付いてくるんだ?」
努めて冷めた様に言い放つ。
そんな颯太の変化を感じ取った愛理はいつも通りの凛とした表情に戻って滔々と話し始める。
「初めから言っているでしょう? 別に城戸くんに付いて行ってる訳でもなんでもないの。ただ目指している方向が偶然にも同じ方向なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。……それと城戸くんと連れ立って歩いているところを誰かに見られても、私は、恨み妬み嫉み僻みを買うことは無いと思うのだけれど。まぁ、万が一そんなことがあっても私は気にしないけれど」
確かに俺がコイツの隣を歩いてたら恨み妬み嫉み僻みを買うだろうな。美人優遇解せぬ!
「……方向が一緒……おまえ今どこに向かってんの? 家?」
「そういったプライベートな質問はうちのジャーマネを通してからでないとお答え出来かねます」
「……あぁー! もう我慢ならねぇ! ジャーマネってなんだよ!? なんでそこ業界用語なの!?」
わけわかめ! もう疲れたよパトラッシュ。
颯太が遂に耐え切れなくなってツッコミを入れると、愛理はクスクスと無邪気な笑みを浮かべて笑うのだった。
――そして一頻り笑い終えると、
「城戸くんはツッコミを入れている方が似合っているわ。城戸くんがイキイキとしているのを見ていると、私もついボケてしまうのよ。……言うなれば城戸くんが全ての元凶であり諸悪の根源である、と私は断言出来るのだけれど。ねぇ城戸くん……私は今何回、城戸くん、と言ったでしょうか?」
「元凶で諸悪の根源だと!? 俺が悪いのか!? ……3回?」
「ダメダメね。さらりと批判したことは憶えているのに、どうして私があなたの名前を呼んだ回数も憶えていられないのよ。……私がどれだけあなたのことを呼べば、あなたは私のことをちゃんと呼んでくれるようになるのかしら?」
元凶で諸悪の根源、なんて言われたら憶えようとしなくても勝手に憶えちまうわ! という心の声を飲み込んで颯太は首を傾げながら呟く。
「え? なにどういうこと?」
「……だからあなたはどうして私のことをちゃんと呼ばないのかしら? と言っているのだけれど、理解できましたか?」
「……何回か、水瀬さん、って呼んだぞ」
「ふたりだけの時は呼んでいません。私はずーっと、おまえ、と呼ばれていました」
顔に不満の色をありありと浮かべながらじーっと鋭く颯太を睨め付ける愛理。
なんで呼び方ひとつでこんなに睨まれなきゃならないんだよ。口調といい態度といいコイツ絶対怒ってるだろ?
「もしかして……怒ってんのか?」
「あら、何を言っているんですか? ちょっとあなたの言っている意味が私には到底理解できません。私が怒っている? コペルニクス的転回の発想には流石の私もついていけませんのであなたは私に説明責任を果たすべきです。……強いて言うならば激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームなう、と言ったところです」
「……悪かった! 俺が悪かったから訳分かんない言葉出すのやめてくれよ水瀬」
「……それでいいのよ全く。私に、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームを言わせるなんてたいしたものよ」
「は?」
「……ネタが通じないのって結構辛いものなのね」
ぽかんと口を開けたままの颯太を置き去りにして、踵を返して歩き始める愛理。何故だかその背中はしゅんと落ち込んでいるように見えた。
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げきおこなんちゃらかんちゃらぷんぷんドリームってなんだ? ちょっと調べてみるか。グーグル先生出番ですよ。
スラックスのポケットからスマートフォンを取り出すと、待ち受け画面に小さく吹き出しながらも慣れない手つきで“げきおこ”と検索する颯太だった。




