第二話
「ルシアン!マザーが呼んでるよ!」
「ああ、わかった。ありがとうリーダ。」
ううん、と微笑んで扉へと消えていくリーダにつられて微笑んで、僕ははっとする。
孤児院に住み着いてもう4日になるだろうか。
最初はどうすればいいのかもなにも解らなかったが、今では着実に周りに馴染んで、あろうことか心安らいでいる自分がいて。
「……死ぬためにここにいるのに。」
ぽつりとつぶやいた乾いた声が、僕に宛がわれた部屋の空気に溶ける。
王都の僕の部屋の周りには絶えず人の気配や声が満ちていて、静けさとは無縁だった。
それなのにこの孤児院はまわりを豊かな自然が囲むのみで、小さな物音さえしばらく静寂を揺らすのだ。
そして、
「ルシアン!早くおいでって言ってんだろ!」
窓の外から、急かすような楽しげな彼女の声が聞こえてくる。
静寂の元にあって、しかしそれでも寂しさとは無縁であることの要因の一つは、これだ。
子供たちと、それを預かるマザーと呼ばれる女性の存在。
「すぐ行く!」
とりあえず叫び返し、僕は彼女がいるだろう畑へと向かう。
死ねるようになるまで僕を孤児院においてくれると言ったマザー…いや。
あの若さというか、僕より下手をすれば歳下かもしれない彼女をマザーと呼ぶのは非常に難しいものがある。
確かに恰好だけ見ればおばさんくさいのだが…。
「ほらルシアン、ジャガイモ掘っといておくれ。あたしは林で罠を見てくるからね。」
畑の只中に立ってにやつく女性は、僕の姿を認めると一層嬉しそうに目を細めて笑う。
銀糸の髪をほっかむりの中に仕舞いこみ、土で汚れた前掛けを付け、腕カバーをはめて、しかも今日は麻のシャツに黒のズボンというまるで男のような格好のマザーである。
今日はまた一段と磨きがかかった彼女の格好に残念感がぬぐえず僕がため息をつくと、不思議そうな顔をしながらもマザー…は、林の方へと足取りも軽く向かって行った。
彼女が魔術を使うところをあまり見ないが、それでも知識と技術が常人の比で無く優れているのは拙いながらも師事している僕がよくわかる。
あれだけ魔術が使えるなら引く手あまたで雇うところなんてあるだろうに、なんで…
「なんであんな残念な格好で年若い娘が孤児院の院長なんてやってるんだ…」
軍手をはめた手で土を掘り返しながら呟けば、どこから湧いて出たのかコルドがわさわさした緑の葉っぱの上に顔を出す。
「マザーのこと?年若い娘って?」
「…ああ。彼女はどう見積もっても20代前半だろう?もし宮殿に顔を見せればすぐに軍が雇うといってくるだろうに。」
事実、僕が将軍をやっていたならどんな大金を支払っても…じゃ、ないな。
まったく、生きていることを当然と思ってはいけないのに。
ついつい気が緩んで、ついついもし、だったら、の話を考えてしまう。
僕は死ぬのに。
「……ルシアン兄ちゃん…。女は外見で年齢を決めつけちゃいけないんだぜ…。」
わかるけど、と苦笑したコルドに、僕は眉を寄せる。
「マザーは…20代後半、だったりするのか?」
「ていうか、リーダのことも8歳くらいと思ってるだろ。外見は確かにそんなもんかもしれないけど、リーダとエリコットは同い年だぜ。今15歳で、今年の10月には二人ともここを出て行くんだ。」
思わぬ衝撃に、土を掘っていた手が止まる。
リーダが…あの、髪を二つくくりにして笑顔の優しい少女と思っていた彼女が…15?
余談だが、この国では16になると婚姻が認められる。
つまりあの外見でもうすぐ嫁げる年齢と言うことで…
「…………。」
「わかるぜ、うん。ショックだよな、詐欺だよな。俺も最初妹か何かみたいに思ってたんだぜ…」
しんみり、と語るコルド。
だが彼もやんちゃな見た目の割にすごく苦労人のオーラを背負っているんだが。
「…俺は見た目通り12歳だからな。」
探るように彼を見つめていると、ややじと目でそう返された。
男たちは概ね見た目年齢で正しい、と彼は笑って言うが、じゃあ女性たちは皆怪しめということだろうか…。
「で、マザーだけど…」
「あたしがなんだい。」
びくり、と別に悪いことをしていたわけでもないのに僕たち二人の肩が跳ね上がる。
ジャガイモの葉に隠れるようにして話しあっていたためあたりの様子が見えなかったせいもあるが、彼女の場合いつも気配が現れると思えばすぐそばにいて、きっと魔術で転移でもしてきたんじゃないかと思う。
「あー…マザー、ルシアン兄ちゃんがさ、マザーは20歳くらいなんじゃないか、って。」
コルドといっしょに視線を彼女の方に向ければ、彼女はその肩に一頭の鹿を担いでにやにやと立っていた。
立派な牡の鹿なようで、いくら魔術の補助があるとわかっていてもあれを素でやられるとすごく驚くんだが。
なぜかすごく残念感にまたも襲われ、僕がひっそりと溜息を吐くと彼女は片眉をひょいと上げた。
「あたしが?20歳…ねえ。そりゃ面白い。」
くく、と喉を鳴らして笑う彼女はどう見ても20歳前後。
確かに声はどこか歳を重ねた深みや、言葉に重みがあったりもするけれど…
「あたしはもうすぐ40になるよ。」
「…………は?」
「正確には来年の4月で、だよな。マザーの誕生日はいっつも盛大なお祭りみたいになるんだ。村の人たちから差し入れが来るからさ。」
40…よん、じゅう…。
ショックだ。
え、ショックだ。
待て、だって…40と言えば僕の乳母がそのくらいで…え?
じゃあマザーと呼んでもまったくおかしくないということで…え?
「崇められているんだよ、あたしの呪いはよく効くから。…じゃああたしは鹿を捌いてくるから、裏の小屋に近付くんじゃないよ。」
現実逃避ぎみになったついでに説明すれば、マザーはこの孤児院から林を抜けたところにある村で呪い師をやっている。
呪い師なんてしないで魔法使いにでもなったほうが実入りはいいんじゃないかと一度言ってみたが、自然からの恵みや村の人からのお礼で全てうまくいっているからそんなものになる気はない、そうだ。
さらに追加して説明すれば、孤児院から巣立っていった子供たちからも毎月贈り物が届くから、割と孤児院の生活は潤っている。
「兄ちゃん、口開いてるぞ。」
「…あ。」
ぱくん、と空気を飲むように口を閉じる。
いやしかし…そんな…えええ。
「…混乱してるな。なんか魔力を持ってるやつって、特に女なんかは外見にもちょっとした変化が起こりやすいんだってマザーが言ってたし、兄ちゃんだけの勘違いじゃないから落ち着けよ。」
ぽんぽん、と両肩をなだめるように叩かれる。
その際、いつかにも感じた温かさがそこから伝わって僕は思わずコルドの顔をまじまじと見つめてしまった。