第一話・2
輝く太陽の元、僕は草原を駆けていた。
これだけ言えば聞こえはいいが、その目的はただ一つ――もう一度死ぬことだ。
あの場で、舌を噛み切ったって良かった。
しかしそれでも、僕のなけなしの理性があの子供たちの目の前で死ぬことを自制させた。
それに舌を噛み切るというのは存外生存率が高い。
あれをやる人間は多く見てきたが、その大半は死ねず、しかしまともに話せなくなるだけだった。
それを考えるくらいの余裕はあるが…それでも今、僕はまったく獣のように死に場所を求めてただ一直線に前方に見える林へと向かっている。
このあたりは見覚えもなく地理は少しもわからないが、林には僕を殺すくらいの凶器や獣、とにかく死を与えてくれるものがあるはずだ。
それを求めて僕は――
「どこに行くんだい、坊や。」
林に飛び込んだ瞬間だった。
「!?」
息を飲んで、目の前に突然現れた…ように思える、女性にぶつからぬよう身体を止める。
「死ぬのはお止し、どうせまた生き返る。」
「…貴方は」
きっと、
「マザーと呼ばれているただの呪い師さ。あんたを拾ってきた者でもある。」
そうだ。
意識が戻って聞いた、リーダと話していた女性の声。
あの子供たちが、マザーと呼ぶ、魔のものに造詣の深いひと。
彼女は銀の髪と銀の眼を持つ、美しい女性だった。
しかしその美貌以上に僕を驚かせたのは、彼女の顔に残る深い傷跡――それは右の頬を抉り、右の瞼を切り裂くように額へと続いていたが――では、なく。
その、あまりに…
あまりに、
おばさん臭い格好だった。
どう多く見積もっても20歳前後にしか見えない彼女が、農婦が着るような土で汚れたエプロンドレスにボロボロの前掛け、そして頭にはほっかむりをかぶり、腕カバーと軍手を装備している様はもう…残念だとしか言いようがない。
死のうとしたことすら忘れ、呆然と彼女を見つめる僕に何を思ったのか。
「別にあんたを拾いたくて拾ったんじゃないよ。ただ、水葬されたあんたの棺が洗濯場に流れ着いていてね。死んでるならまた海にでも連れて行ってやろうと思ったが、あんた生きてるじゃないか。しかも魔力を持ってる。」
だから拾って来てやったんだ、とにやにやと…そう、それもまた彼女の残念な点だが…人を食ったような笑みを浮かべる彼女は言った。
しかし、その言葉のおかげで衝撃から立ち直った僕はお門違いと分かっていても訴えずにはいられない。
「っ何故!何故、そのまま放っておいてくれない!私は死ななくてはならないのに…!」
弟の、悲しそうな覚悟を思い出す。
白刃が貫いた胸の痛みより、彼の人の苦痛が僕を苛んだというのに。
僕が生きている限りあれは苦境に立たされ続けるだろうに。
ましてや、死んだはずの僕が生きていたとなれば――
「人は生きるものだよ、坊や。死ななくてはならぬ人間など誰もいない。死ななくてはならないなどという思いは、全て人の傲慢だ。」
厳かな声が僕の思考を止める。
苦しさに伏せていた目をあげれば、その人のにやにやと笑う顔が、しかし強い意志を宿す瞳が見えた。
「坊やは勘違いをしているね。死ななくてはならないのではなく、お前が死にたいのか死にたくないのかがお前にとっては重要だろう。」
銀の瞳に射られて、不意に僕は戦場で何度も感じたそれに既視感を覚える。
それは敗ける、という予感。
いや、戦場で感じたそれはそれでも跳ねのけてきたが、今回のものは無理だ。
何に、とかはどうでもいい、とにかく僕は彼女に敗れるだろう。
いや、でも…何に?
「…ん?それとも何か、お前、死にたいのかい?」
考えもつかなかった、というようににやり笑いをやめてきょとんと表情を変えた彼女に、僕も目を瞬かせる。
それまで僕をつかんでいた感覚はいっそ清々しいほどきれいさっぱりと消え去った。
わけもわからず気圧されていたが、死にたいのかと聞かれれば…死にたい、のだろう。
「…そうだ、私は死にたい。」
「ふぅん。それは悪いことをしたが…坊や、お前簡単には死ねないよ。お前は魔力の量で言えば人間で考えられないほど多い。それを全て生存に向けているような魔力の方向をしているんだ、制御できるようにならないとお前は人としての死を迎えられないだろう。」
首をかしげた彼女は、考えるように言葉を紡いだ。
「…試してみるかい?」
疑うような僕の視線に気づいたのか、そのひとはどこからか一振りの剣を取り出し――って、それは。
「私の…」
「そう…ルシアーノ・ミトラ・ルルーエルスと名の刻まれた、王兄の愛剣。あんたの棺に共に入っていたのさ。」
久しく呼ばれなかった名前に、僕はずきりと胸が痛む心地がする。
王制の敷かれたこの国で、絶対的なのは王の直系の血だ。
僕はどんなに王になりたくなくとも、この血が流れる限り王座に就く資格を有す。
古いしきたりだと捨てされれば楽だろうに、それでも国はじまって以来の200年の歴史をもつこの血を捨てることは、誰にも出来ていない。
「お前のものだ、返そう。」
女性が持ち上げるには重いだろうそれを片手で難なく掴み上げ、そしてそのままの流れで投げてよこす彼女。
反射的に受け止めて、握り締めた柄はいつもと同じく僕の手によく馴染む。
王剣・シルフと同じ鉄から造られ、同じ職人によって打たれた名剣、そして僕と同じ名を持つ剣・ルシアン。
戦場を共にし、幾多の人を斬ってきた相棒。
そして、まぎれもない凶器。
「――――」
冷たい刃鳴りを響かせ鞘から抜かれた剣を、僕は迷いもなく自分の胸に突き立てた。
いつもこれを持つ時は迷わない。
たとえそれが己を穿つ時でも。
「それで、気は済んだかい?」
ずぶり、とぬめり気のある音とともに、僕の身体からルシアンが抜き取られた。
一瞬時が自分を置いて言ったかのような感覚がしたけれど、なんのことはない。
確かに心臓を貫いてまっすぐに通った傷はふさがり、出血は止まり、どく、どく、と些か早く脈打つ命は確かに鼓動を刻んでいる。
「…どう…して」
「慣れたんだろうさ。お前の魔力は、心臓を刺し貫かれた時の対処法を覚えた。首を切り落としてもきっと新しいのが生えるか、身体が頭を探すかしてくっつくんだろう。」
ブン、と風を切る音と、刃面から血の雫が飛んで落ちるぱたぱたと言う音が鳴る。
身体は中途半端に腰を折った姿勢で止まっていて、顔は地面を向いているから彼女を見てはいないが、きっとこのひとが剣を払ったのだろう。
「お前は人としてまともな死に方はできない。わかっただろう?」
カン、と力を失って冷えた僕の手から滑り落ちた鞘を、ゆっくりと彼女の軍手のはまった指が拾い上げた。
視界から消えようとするそれを目で追うと、にんまりと笑う彼女と案外近い位置で目が合う。
「死にたいという希望をかなえてやろう。お前が人らしく死ぬためには魔力の制御を覚えなければ。うちは魔力持ち専門の孤児院で、本来なら16歳を過ぎたものは巣立つんだが…お前は特別だ、坊や。死ねるまで、うちにいるがいい。」
慣れた手つきでルシアンを鞘に納めると、彼女は僕にそれを差し出してきた。
死ぬために、彼女の孤児院に。
魔力を制御できなければ死ねない…。
差し出された剣を、僕はゆっくりと握った。
「…頼む。私を…死ねる身体に。」
「いいだろう、坊や。…さあ名乗りな、私はマザー。マザー以外に呼び名は持たないよ。」
奇妙に嬉しそうな彼女に、若干引きながらもルシアーノ・ミトラ・ルルーエルスと名乗った日以来。
僕は、彼女の孤児院の子供になった。
第一話・了
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
はじめましての方も、どうしてお前こんなところにの方も、少しでも笑っていただけるものが書きたくてこれを書き始めました。
視界に入れてしまった方、どうぞお気に召しましたら、しばらくお付き合いいただければ幸いです。




