第四話 交流生たちがやってきた
【視点:クリス・ポワル】
入学から三週間が経った。
A組の二十五人は、少しずつ顔と名前と性格が一致してきた。篠宮蒼太は毎朝一番早くグラウンドに出て自主練をしている。東条さくらは授業中に手を上げすぎて先生に「順番に」と言われる。桐島奏汰は心配性で、誰かが魔法を失敗するたびに「大丈夫?」と駆け寄る。風間凪はいつも静かだが、誰より鋭いことを言う。
そしてレオンは相変わらず、端の方に立って全員を眺めている。
授業は毎日ある。実技と座学が交互に来る。実技では各自の属性魔法の精度を上げる練習が続いていた。クリスは第一魔法の詠唱精度を上げることに集中していて、三週間で明らかに発動速度が上がったと感じていた。
ラポールは黙々と練習している。誰とも競い合わず、ただ自分の基準で動いていた。それがかえって周囲の生徒を刺激していた。
そんな日常に変化が訪れたのは、入学から二十日目の朝だった。
「交流生が来るぞ」
篠宮が教室に飛び込んできた。
「アメリカから三人と、ロシアから一人。今日から一ヶ月間、A組に入るって!」
教室がざわついた。
クリスはそれを聞いた瞬間、三話前の廊下でのことを思い出した。モリス副理事長が来た日、レオンが「来月から交流生が来るかもしれない」と言っていた。その「かもしれない」が現実になった。
「四人か」と神崎悠斗が言った。「どんな奴らだろう」
「アメリカから来るなら強いんじゃないか」と宮本拓海が言った。「アメリカって魔法師の数が世界一多いんだろ?」
「数が多いのと強いのは別の話だ」とラポールが冷静に言った。
「まあ、来てみれば分かる」
クリスはそう言って、窓の外を見た。校門の方から、荷物を持った四人組が歩いてくるのが見えた。
◆ ◆ ◆
交流生四人は、午前中の実技の時間にA組に合流した。
レオンがグラウンドで全員を集めて紹介した。いつも通り、短く済ませた。
「アメリカから三人、ロシアから一人が来た。一ヶ月間、一緒に授業を受ける。仲良くしろ」
それだけだった。
交流生の側から自己紹介があった。
一人目——エリック・ハーン。十三歳、アメリカ出身、雷属性。背が高く、人懐っこい笑顔をしている。右肩に術式タトゥーが見えた。
二人目——ソフィア・クレイン。十二歳、アメリカ出身、光属性。金髪を二つ結びにした小柄な少女。目つきが鋭く、全員をざっと観察するように見回した。
三人目——マット・ウォーカー。十四歳、アメリカ出身、火属性。三人の中で一番体格がいい。腕まくりをしていて、左前腕に複雑なタトゥーが重なり合っているのが見えた。初級生にしては珍しいほど、タトゥーの数が多かった。
四人目——ナターシャ・ヴォロノワ。十三歳、ロシア出身、氷属性。三つ編みの黒髪、無表情。アレクセイ・ボリソフと同じ国の出身だが、二人は面識がないらしく、目が合っても特にリアクションがなかった。
「よろしく」とエリックが明るく英語で言った。
「よろしく」と数人が返した。
レオンが言った。
「じゃあ今日は各自の発動を見せてもらう。交流生も同じメニューでやってもらう」
実技が始まった。
◆ ◆ ◆
クリスが気になったのはマット・ウォーカーだった。
十四歳、火属性、タトゥーが多い。それだけで、同年代としては異例の経歴が透けて見えた。
マットの番が来た。
詠唱は英語だった。短く、速い。発動した炎は——大きかった。第一魔法の発動にしては出力が高すぎる。形もきれいに整っていて、制御が行き届いていた。
周囲がざわついた。
篠宮が「おお」と声を上げた。
レオンは無表情で見ていた。
「もう一回」
マットは少し眉を上げたが、もう一度やった。今度は第三魔法だった。炎が複雑な形を描いて広がり、きれいに消えた。
「合格。次」
レオンはそれだけ言って、次の生徒へ視線を移した。
マットは少しむっとした顔をした。もっと驚いてほしかったのかもしれない。クリスにはそう見えた。
(レオン先生は、驚かないな。)
いつも。誰がどんな魔法を出しても、驚かない。それが当たり前のようにそこにいる。
(もしかして——すべてが、先生から見れば「想定の範囲内」なのか。)
ソフィア・クレインの番になった。
ソフィアは詠唱を始める前に、レオンを真っ直ぐ見た。
「先生、一つ確認していいですか」
英語だった。レオンも英語で答えた。
「どうぞ」
「あなたがスチュワード・レオンですか。魔導師の」
グラウンドが一瞬静まった。
クリスは息を止めた。ラポールが微かに目を細めた。
レオンは表情を変えなかった。
「そうです」
「本物ですか」
「偽物だったら問題ですね」
ソフィアは少し間を置いてから、続けた。
「アメリカでは有名です。世界唯一の魔導師が日本の初級生の担任をしている、というのが」
「有名なんですか」
「笑い話として」
クリスはひやりとした。失礼な言い方だと思った。
でもレオンは気にした様子もなかった。
「笑い話で結構です。発動してください」
ソフィアは少し何かを言いかけて、口を閉じた。それから前を向いて詠唱した。光属性の第二魔法——光の球が空中に浮かんだ。精度は高かった。
「合格」
ソフィアは戻りながら、また一度レオンを見た。
(あの子、何かを確かめに来た顔をしている。)
クリスはそう感じた。
◆ ◆ ◆
【視点:スチュワード・レオン】
昼休み、レオンは一人で職員室にいた。
今日の実技のメモを書いていた——というより、書こうとして手が止まっていた。
ソフィア・クレインのことを考えていた。
あの目は、モリス副理事長の目に似ていた。値踏みするのではなく、何かを確認しようとしている目だ。子供にしては落ち着きすぎている。
(モリスが送り込んだ、というより——モリスが選んだ生徒だな。)
三人のアメリカ人のうち、エリックは純粋に学びに来ている。マットは自分の実力を試しに来た感じがある。でもソフィアだけは違う。
(観察しに来た。)
何を観察するか——言うまでもなかった。
扉がノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのはソフィアだった。
一人だった。昼休みに担任の職員室を訪ねる、なかなか度胸のある行動だ。
「話があります」
英語で言った。レオンも英語で返した。
「どうぞ」
ソフィアは椅子に座らずに立ったまま、レオンを見た。
「単刀直入に言います。私はモリス副理事長から頼まれてここに来ました」
「知ってました」
ソフィアが少し目を見開いた。
「なぜ」
「あなたの目です。学びに来た目じゃなかった」
ソフィアは少しの間、黙っていた。それから、小さくため息をついた。
「副理事長は、あなたの魔法の仕組みを知りたがっています。魔導師がどうやって術式を内化しているのか。その過程で何があったのか」
「その答えを持って帰れと言われた?」
「はい」
「断ります」
「理由を聞いてもいいですか」
レオンは少し考えた。
「俺自身、よく分かってないからです。どうやって内化したか、説明できない。気がついたらそうなっていた」
「……本当に?」
「本当です。嘘をついても得しないので」
ソフィアはまた黙った。今度は少し長かった。
「一つだけ、個人的な質問をしていいですか」
「どうぞ」
「あなたは——魔法が楽しいですか」
レオンは少し驚いた。来る質問ではなかった。
「楽しい、というより、空気みたいなものです。楽しいか楽しくないかより前にある感じ」
「羨ましい」
今度はレオンが少し驚いた。
「羨ましい?」
「私は……頑張れば頑張るほど、魔法が遠くなる気がする時があります。強くなりたいのに、なればなるほど何かが欠けていく感じ」
十二歳の子供が言う言葉にしては、随分重かった。
レオンは少しの間、考えた。
「それはたぶん、強くなろうとするから、です」
「意味が分かりません」
「強くなろうとすることに集中すると、魔法そのものが見えなくなる。俺も昔そうでした」
ソフィアが顔を上げた。
「昔、というのは?」
「十五か十六の頃。数字だけ追っていた時期がありました。どの魔法が使えるか、どのランクまで上がれるか。そればかり考えていた」
「どうやって抜け出したんですか」
「抜け出したというより——飽きた、かな。数字を追うのに」
ソフィアは少し苦笑した。初めて見る表情だった。子供らしかった。
「飽きたら、どうなったんですか」
「目の前の魔法だけ見るようになった。それだけです」
ソフィアはしばらく沈黙していた。
「……参考になりました」
「モリス副理事長へのお土産にはならないですが」
「それは仕方ないです」
ソフィアは扉に向かった。そして、出る前に振り返った。
「先生」
「なんですか」
「アメリカでは笑い話だと言いましたが——私は笑い話だとは思っていません」
「そうですか」
「世界最強が初級生の担任をしている意味が、少しだけ分かった気がします」
扉が閉まった。
レオンはしばらく扉を見つめていた。
(なかなかやるな、十二歳。)
メモ帳を取り出して、一行だけ書いた。
『ソフィア・クレイン——光属性、精度高い、頭が良すぎる。要注意』
それからペンを置いて、天井を見た。
(一ヶ月か。長いな。)
◆ ◆ ◆
【視点:クリス・ポワル】
放課後、グラウンドでクリスはマット・ウォーカーと話した。
きっかけはマットの方からだった。練習を終えて水を飲んでいたクリスに、マットが近づいてきた。
「お前、首席で入学した奴か」
英語だった。クリスも英語で返した。
「そう。クリス・ポワル」
「マット。ちょっと聞いていいか」
「どうぞ」
「あの先生——スチュワード・レオン。本物の魔導師か?」
「本物だと思う」
「なんで分かる」
クリスは少し考えた。
「タトゥーがないから。術式を完全に内化してる人間だけが、あんな風にいられる」
「あんな風に、って?」
「落ち着いてる。全員を見てる。でも何も急いでいない。自分が一番強いって知ってる人間の落ち着き方だと思う」
マットは少し黙った。
「俺、アメリカでは上から数えた方が早い実力者だ」
「見れば分かる。タトゥーの数と重なりが違う」
「だから来た。日本で一番強い奴と同じ空気を吸いたかった」
クリスは少し笑った。正直な奴だと思った。
「それで、どうだった?」
「……想像と違った」
「どう違った?」
「もっと近寄りがたい奴だと思ってた。でも——普通だ。普通すぎて逆に怖い」
クリスには分かった。
「俺も最初そう思った」
「入学初日に何をしてた先生が?」
「窓の外を見てた。好きにしてていいって言って」
マットが少し笑った。
「それは確かに普通じゃないな」
「でも——強いのは本物だと思う。まだ本気を見たことないけど」
「見たいか?」
「見たい」
クリスは迷わずそう言った。マットも同じように言った。
「俺も見たい」
二人でグラウンドに並んで立った。夕暮れの空が広がっていた。
「なあ」とマットが言った。
「何だ」
「あの先生、本気になることって——あるのかな」
クリスは少し考えた。
(あるのだろうか。)
(あったとしたら——どんな光景になるんだろう。)
「分からない。でも——」
クリスは空を見た。
「その時のために、俺は強くなっておきたい」
隣でマットが小さく笑う気配がした。
「それは俺も同じだ」
グラウンドに夜の風が吹いた。
どこかで、まだ自主練を続けている生徒の魔法の光が弾けた。誰かは分からなかったが、クリスには篠宮の炎だろうと思えた。
一ヶ月間。
交流生たちが加わって、A組はもう少し賑やかになる。
(それは——悪くない。)
クリスは静かにそう思った。
◆ ◆ ◆
【視点:スチュワード・レオン】
夜、帰り道。
レオンは一人で歩きながら、今日一日を振り返った。
交流生四人。エリックは素直で伸びしろがある。マットは実力があるが焦っている。ナターシャは静かだが観察眼が鋭い。そしてソフィアは——
(十二歳にしては複雑すぎる。)
モリスから何かを頼まれているのは分かった。でも職員室での会話で、ソフィア自身の本音も少し見えた。強くなりたい。でも強くなるほど何かが欠けていく。
レオンには覚えのある感覚だった。
(十五か十六の頃、と言ったが——もっと早かったかもしれない。)
十二歳で魔力が覚醒した日、レオンは自分の右手首に術式タトゥーが現れたのを見た。細い線が、花びらのような形をしていた。
あの時のことは今でも鮮明に覚えている。嬉しかったわけではない。ただ——「ああ、これが俺のものか」と思った。それだけだった。
七年間で、そのタトゥーはどんどん増えて複雑になった。腕が、首が、背中が、光る模様で埋め尽くされた。滅握者になった十八歳の頃が、タトゥーの数が最も多かった。
そして十九歳のある朝、目が覚めたら——何もなかった。
すべてのタトゥーが、体の内側に溶け込んでいた。外側からは見えなくなっていた。自分でも説明できない。ある日突然そうなっていた。
それが魔導師認定のきっかけになった出来事だ。
(今思えば、あの時が一番びっくりした。)
夜道を歩きながら、レオンは自分の右手首を見た。何も見えない。でも魔力を流せば、かすかに光の気配がある。
ソフィアに「強くなろうとするから魔法が遠くなる」と言った。それは本当のことだ。でも、本当のことをすべて言ったわけではない。
(強くなることをやめた時に、本当の強さが来た——なんて、教えられることじゃないな。)
それはソフィアが自分で気づくことだ。クリスも、ラポールも、篠宮も——みんなそれぞれ、自分で気づくことだ。
レオンが教えられることは、精度の話と、魔力の扱い方と、術式の構造くらいだ。大事なことは、いつも生徒が自分で見つける。
(だから教師は端に立っていればいい。)
空を見上げると、星が出ていた。
春の夜は、思ったより寒かった。
レオンは少し歩く速度を上げた。早く家に帰って、お茶を飲んで、寝たかった。
(一ヶ月、静かに終わればいいが。)
終わらない気がした。
でも今日は、思ったより悪くなかった。
── 第四話 了 ──
次話「マットの挑戦と、先生の本気」




