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第二話 初めての魔法実技と、やる気のない先生

【視点:クリス・ポワル】


入学二日目の朝、A組の教室に向かったクリスは、廊下でいきなり篠宮蒼太に捕まった。

「ポワル! 聞いたか? 今日から実技だって!」

「おはよう、篠宮。誰から聞いた?」

「昨日の放課後、上級生の先輩に教えてもらった。一年の最初の実技はグラウンドで初級魔法の発動テストらしい。全員の前で一人ずつやるんだと!」

篠宮の目が爛々と輝いていた。こういう顔ができる人間は素直でいい、とクリスは思った。自分も似たようなものだったが。

「発動テストか」

「お前は首席だから余裕だろ。俺は……まあ、やってみなきゃわからん!」

「何属性だ?」

「火! めちゃくちゃ好きな属性だ。爆発させたい」

「爆発は初級じゃ難しいぞ」

「わかってる。でもいつかは絶対やる」

屈託のない笑顔だった。クリスは思わず笑い返した。

教室に入ると、すでに大半の生徒が集まっていた。昨日と打って変わって空気が張り詰めている。みんな今日の実技のことを聞いているらしく、あちこちで小声の話し合いが交わされていた。

ラポールは窓際の席で一人、腕を組んで目を閉じていた。眠っているのか集中しているのか分からない顔をしていた。

クリスが席に着いて間もなく、チャイムが鳴った。

扉が開いた。

レオンが入ってきた。今日は昨日より若干しゃきっとしている、ように見えた。コーヒーを持っていないぶん、両手が空いている。

「おはよう。今日から実技やる」

それだけ言って、レオンは踵を返した。

「グラウンドに来い。置いていくぞ」

教室がわっと動き出した。

◆ ◆ ◆


グラウンドは広かった。

魔法学校の訓練用グラウンドだから当然といえば当然で、地面には術式を封じる特殊な加工が施されていた。魔法の余波が外に漏れないようにするためだ、とクリスは事前に調べてあった。空は今日も晴れていて、少し風があった。

二十五人の生徒がグラウンドの中央に集まると、レオンは端の方に立った。何も持っていない。教本も指示書も、魔法道具の類も一切ない。

「まず確認する。ここにいる全員、魔力は感じられるか?」

全員がうなずいた。

「術式タトゥーの位置は把握してるか?」

こちらも全員がうなずいた。入学前の事前資料に、自分のタトゥーの位置を確認しておくよう書かれていたからだ。

「じゃあ順番にやってもらう。内容は簡単だ。自分の属性の初級魔法——第一魔法でいい。発動できたらそれで終わり。できなくても焦るな、今日は確認だから」

「先生」

ラポールが手を上げた。

「第一魔法だけでいいんですか? 得意な人間はもっと上を試してもいいのでは」

レオンはラポールを見た。

「やってもいい。ただし、第一魔法が完璧に出せてから」

「第一魔法は入学前に習得済みです」

「そうか。なら最初に見せてくれ」

ラポールが前に出た。

背筋が伸びて、目が細くなった。静かに詠唱を始める。言語は日本語だ。短く、無駄がない。

数秒後——ラポールの右前腕に光が走った。術式タトゥーが浮かび上がり、その先端から細い風の刃が生まれた。グラウンドの地面をかすめて、乾いた土が舞い上がった。

きれいな発動だった。

クリスは素直にそう思った。第一魔法にしては制御が細かい。ラポールが次席で入学してきた理由が、一瞬で分かった。

レオンが言った。

「もう一回」

ラポールが眉を動かした。

「……もう一回?」

「そう。詠唱を半分の速さにして」

「それでは発動が遅くなります。実戦では——」

「実戦の話はしてない。詠唱の精度の確認だ。急いで発動する練習はあとでいくらでもできる。ゆっくり丁寧にやって初めて、速度を上げた時に崩れない」

ラポールは少し黙った。それから、もう一度前を向いた。

今度はゆっくりと詠唱した。

さっきより時間がかかったが——発動した風の刃は、さっきより明らかに鋭かった。輪郭がはっきりして、直進する方向もぶれがなかった。

ラポール自身もそれに気づいたらしく、わずかに目を見開いた。

「以上。合格。次」

レオンはそれだけ言って、また端の方に戻った。

(……ちゃんと教えるんだ、この人。)

クリスはその短いやり取りを頭の中で反芻した。

◆ ◆ ◆


順番が来るまでの間、クリスは他の生徒たちを観察した。

篠宮蒼太は火属性で、第一魔法の小さな炎をグラウンドに放った。発動自体は問題なかったが、レオンに「炎の形が崩れてる。詠唱の最後の一節が雑だ」と指摘され、三回やり直しさせられた。三回目でようやく「いい」と言われ、篠宮は拳を握り締めていた。

千歳このはは草属性で、小さな芽を地面から生やした。おっとりした性格そのままのような、ふわっとした発動だった。レオンは「魔力の放出量が多い。もったいない」と言ったが、声のトーンはまったくの無感情で、責めているわけではないことが分かった。

東条さくらは水属性で、水の球を生み出した。精度は高かったが、本人は「もっとできます!」と第三魔法まで見せようとして、レオンに「今日は一つでいい」と止められた。さくらは不満そうだったが、引き下がった。

アレクセイ・ボリソフは氷属性で、無表情のまま小さな氷柱を作り出した。これはかなり精度が高く、レオンも「悪くない」と言った。アレクセイは表情を変えなかった。

李明霞は風属性で、詠唱が中国語だった。それがグラウンドで響くと不思議と耳に心地よく、周囲の生徒が思わず聞き入った。発動した風の渦は小さかったが形が整っていた。

陳志遠は土属性で、地面に小さな壁を作った。実用的な形だった。レオンは「構築系か。面白い」と珍しく少し興味あそうな声で言った。

そうやって次々と発動テストが続いていく中で、一人だけ——詰まった生徒がいた。

風間凪だった。

霧属性。タトゥーは右脇腹にある。詠唱を始めたものの、何度試しても魔力が霧に変換されずにそのまま拡散してしまう。三回、四回と繰り返すうちに、風間の顔が強張っていった。

周囲がざわついた。

レオンが静かに歩いてきた。

「止まれ」

風間が詠唱を止めた。唇を噛んでいた。

「タトゥーはどこだ」

「右脇腹、です」

「発動する時、そこを意識してるか?」

「……してなかったかもしれないです」

「霧属性は体の中心から広げるイメージでやると発動しやすい。脇腹のタトゥーを起点にして、体の内側から外側へ。詠唱はそれを補助するためのものだと思え」

風間は少し考えて、もう一度詠唱を始めた。

今度は——うっすらと、白い霧が風間の周囲に漂い始めた。

完璧ではない。でも、確かに霧だった。

風間が目を見開いた。

「……できた」

「うん。合格」

レオンはそれだけ言って、また端に戻った。

(教え方が、上手い。)

クリスは静かに確信した。

(この人は、本気を出したらどこまで教えられるんだろう。)

◆ ◆ ◆


クリスの番になった。

前に出ると、二十四人の視線が集まった。首席、という肩書きのプレッシャーが背中にのしかかる。でも、クリスはそれを楽しいと思った。注目されるのは嫌いじゃない。

雷属性。タトゥーは左前腕の内側。

英語で詠唱するか迷ったが、せっかく日本の学校にいるのだからと日本語にした。入学前に練習した。

詠唱を口にしながら、左前腕を意識した。タトゥーが光る感触がある——熱くはないが、何かが動く感じだ。魔力が形を持っていく感触。

そして、発動した。

小さな雷が、指先から数十センチ先の空中で弾けた。パチッ、という音と光が弾け、土の焦げた匂いがした。

完璧とはいえないが、悪くない発動だと自分でも思った。

レオンが見ていた。

「もう一回。今度は詠唱なしで」

クリスは少し驚いた。

「詠唱なしは、まだ習ってません」

「できるかどうか試してみろ、という意味だ。できなくても減点はしない」

クリスは少し考えた。詠唱なしの発動は、中門レベルの話だ。初級生には早すぎる。でも——「試してみろ」と言われた。

やってみた。

詠唱なしで、左前腕のタトゥーを意識して、魔力を雷に変換しようとした。

——何も起きなかった。

魔力は動いたが、形にならなかった。霧散した。

「できませんでした」

「そうか。今は当たり前だ。でも、感触はあったか?」

「……ありました。魔力が動く感触は」

「それで十分だ。合格」

レオンは短くうなずいた。それから、クリスが戻る前に小声で付け加えた。

「詠唱なしでも、あと半年もすれば出せるようになると思う」

クリスは思わず振り返った。

「本当ですか」

「俺の見立てだから保証はしないが」

レオンはそれだけ言って、視線を次の生徒に向けた。

(半年。)

クリスは自分の左前腕を見た。タトゥーはもう光っていない。でも、さっきの感触が手の中に残っていた。

(半年で詠唱なしの発動ができるようになったら——。)

胸の中で何かが燃え上がる感覚がした。

◆ ◆ ◆


【視点:スチュワード・レオン】


二十五人分の発動テストが終わったのは昼前だった。

レオンはグラウンドの隅に腰を下ろして、空を見ていた。雲がゆっくり流れていた。いい天気だった。こういう日は、グラウンドに出て空を見ているだけで十分だと思う。

「先生」

声に気づいて目を向けると、篠宮蒼太が立っていた。

「なんだ」

「一個だけ聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「先生のタトゥー、本当にないんですか」

「ない」

「なんでですか」

レオンは少し考えた。嘘をつくつもりはないが、全部話すつもりもない。

「術式タトゥーって、何のためにあるか知ってるか?」

「魔法を強くするため……ですよね?」

「補助するため、だ。体に刻まなくても術式を構築できるなら、必要ない」

「じゃあ先生は、頭の中だけで術式を——」

「まあ、そういうことだ」

篠宮は目をまん丸にした。

「すごい! 俺もそういう風になれますか?」

「なれる人間とそうでない人間がいる。どっちになるかは、今の段階では分からない」

「じゃあやってみます! 絶対なってみせます!」

「うん」

篠宮は満足そうに戻っていった。

レオンはまた空を見た。

(元気だな。)

思いながら、小さくあくびをした。午後の授業まであと一時間。できれば仮眠を取りたかった。

「先生」

今度はラポール・エルニクスだった。

篠宮と違って、ラポールの目は鋭かった。何かを探っているような目だ。

「さっきのポワルへの指摘——詠唱なしの発動を試させましたね」

「ああ」

「普通は初級生に言わないことです。なぜ彼だけに?」

「別に彼だけじゃない。できそうな生徒には試させた」

「私には言いませんでした」

レオンはラポールを見た。

「お前には言わなかった」

「……差別ですか?」

「逆だ」

「逆?」

「お前は詠唱なしでやろうとする。言わなくても。だから言う必要がなかった」

ラポールが黙った。

当たっていたのだろう、とレオンは思った。さっきのラポールの発動を見ていれば分かる。詠唱の速度を落とした時に魔力の密度が上がったのは、ラポールが無意識に詠唱への依存を減らそうとしていたからだ。

「言っておくが、詠唱なしが偉いわけじゃない。詠唱ありで完璧な発動ができる方が、今は百倍大事だ」

「分かってます」

「分かってるなら、焦るな」

ラポールは一瞬、口の端を動かした。笑ったのか、それとも別の何かだったのかは分からない。

「……了解しました」

それだけ言って、ラポールも戻っていった。

レオンはまた空を見た。

(面倒くさいことになりそうだな、今年も。)

と思いながら——去年も一昨年も、こうやって空を見ながらそう思っていたことを思い出した。

(毎年同じことを思ってる。)

それでも、六年続けているのはなぜだろう。

答えは分かっていた。でも、口に出すほどのことでもなかった。

レオンはゆっくりと立ち上がって、伸びをした。

「午後の授業は座学だ。戻るぞ」

グラウンドのあちこちから「えー」という声が上がった。

「文句は理事長に言え」

「先生が決めたんじゃないんですか?」と篠宮が叫んだ。

「理事長が決めた」

「先生は何も決めないんですか!」

「なるべくそうしてる」

笑い声が上がった。

レオンは表情を変えずに歩き出した。背後で生徒たちがわいわいと騒ぎながらついてくる音がした。

(……うるさい。)

でも、今日はそこまで悪くなかった。

◆ ◆ ◆


【視点:ラポール・エルニクス】


午後の座学が終わって、ラポールは一人で残った。

他の生徒が帰っていくのを横目に、窓の外を見ていた。

グラウンドでの出来事を、頭の中で何度も繰り返していた。

(詠唱への依存を減らそうとしていた、か。)

見抜かれていた。自分でも意識していなかったことを。

それが——悔しかった。

スチュワード・レオン。

名前は知っている。いや、知らない人間が魔法師の世界にいるはずがない。あの名前は、ラポールが物心ついた頃から「特別なもの」として耳に届いていた。父親も母親も、師匠も——みんなその名前を出す時だけ、少し違う顔をした。

だから、入学前に調べた。

魔導師、スチュワード・レオン。世界に一人だけ到達した境地。術式タトゥーなし。世界中の滅握者の全員投票で認定された、史上初の称号保持者。

そして今、自分の担任だ。

(なぜ初級生の担任をしている。)

それがどうしても分からなかった。世界最強が、なぜ魔力に目覚めたばかりの子供たちを相手にしているのか。

理由を考えるより先に——問いを持つこと自体が、ラポールには不思議だった。これまで誰かに対してここまで「なぜ」と思ったことがなかった。

「まだいたのか」

扉のところに、レオンが立っていた。帰り支度をした様子だったが、教室に忘れ物でもしに来たのか。

ラポールは立ち上がった。

「少し考え事をしていました」

「そうか」

レオンは教壇の引き出しから何かを取り出して、ポケットに入れた。飴か何かのようだった。

「一つ聞いていいですか」

ラポールは思い切って言った。

「あなたはなぜここで教師をしているんですか」

レオンは動きを止めた。

それから、ため息をついた。

「理事長に頼まれたから」

「それだけですか」

「それだけだ」

「本当に?」

レオンはラポールを見た。その目は、穏やかだったが——どこか、遠かった。

「本当だ。少なくとも最初はそうだった」

「最初は、ということは今は違う?」

「今も理事長に頼まれてるから続けてる。それは変わらない」

「……それだけじゃないでしょう」

レオンは少しの間、黙っていた。

それから、小さく言った。

「お前、鋭いな」

「答えになっていません」

「俺が答えたくないんだから、答えになってなくていい」

ラポールは口を閉じた。

レオンは教室を出る前に、ドアに手をかけたまま言った。

「お前がその答えを知りたいなら——まず自分が強くなることだ。その方が早い」

扉が閉まった。

ラポールはしばらく扉を見つめていた。

(強くなれば分かる。)

そういう意味だろうか。それとも全く別の意味か。

どちらにせよ——

(悔しい。)

ラポールは鞄を持って立ち上がった。今夜は練習しよう。詠唱の精度を上げる。タトゥーに頼らない術式構築を練習する。

理由はシンプルだった。

あの男に、追いつきたかった。

追いつける気は全くしなかったが、それでも、やめる理由にはならなかった。



── 第二話 了 ──

次話「理事長と、やっかいな来客」

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