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雨過天青雲破処

 水道の改修工事が終わってまた半月。季節はすっかり春らしくなって私の庭にも花が来た。

 全然違う花なんだけど、白とピンクがほのかに入り交じって、ぱっと見桜に見えなくもない。


 工事は終わったのにアレクはベンのところに入り浸って焼き物の研究に余念がない。朝になると出かけて夕方にようやく帰ってくる。

 お弁当を渡しながら聞いてみた。

「はいこれ、今日の分。ねえ、毎日何をしているの?」

「釉薬を研究しているんだよ」


 彼は楽しそうに出かけていった。


 ……。


 何だか仲間外れにされたみたいで悔しいわ……!


「ねえ、私にもやらせてよ」


 というわけで私もベンの作業場に押しかけた。……何よ二人して、その迷惑そうな顔は。

「まるで私が男同士で楽しく遊んでるところに割り込んでくる空気の読めない女みたいじゃない」

「わかってるじゃないか……」

「うるさいわね」


 私はお構いなしであちこちを見て回った。作業場はやっぱり土間で、壁は木がむき出しだ。どこもかしこも乾いた粘土がこびりついている。粘土をこねるテーブルもうっすら粉を吹いているし。

 そして薄暗い。大きく切られた窓から差し込む光が、陰翳をかえって際立たせている。

 そして、その光の中に照らし出されている木の台は──


「これがろくろ? ろくろってものなの?」

 私は丸い椅子のような鼓のような、上下の台座をつなぐ軸にロープがグルグルと巻き付けられた道具を触った。動かしたら回るし、それっぽい。

 ベンはコクコク頷いた。

「へえ」

「やってみたいわ。ねえ、どうやるの? 教えなさい」

 私がろくろの前に座るとベンはとまどいながら粘土を乗せた。アレクは黙ってこちらを見ている。何よその呆れたような顔は。


 ろくろというのは左足で内側に、手前に引くように蹴って回すのだとベンは言った。反時計回りに回すのね。

「逆じゃダメなの?」

「それじゃ右手が上手く使えねえべ」

 私は言われたようにろくろを蹴ってみた。あー、ガタガタ! ガタガタする! 質が悪いわ、このろくろ!

「これじゃ上手く回せないわ! ちょっと、押さえておいてよ」

 二人は黙って左右からろくろの台に板を当てた。おかげでガタガタが少し収まった。


「ふんふんふーん♪」

 調子良くろくろを蹴って、湯呑みを何個か作ってみた。最初は全然うまくいかなかったけど、五個目から形になってきた。

 ふむふむ、何となくわかってきたわ。ろくろを回して、……えーっとなんて言ったかしら。そうそう、遠心力。遠心力で粘土が外側に広がろうとするのをうまく押さえてやると上に昇って器の形になるのね。


 なら、回る速度を上手にコントロールすれば、もっといろんな形ができるのでは……?


 私はろくろをグイグイグイッと加速しておいて投げっぱなしにした。で、粘土をくっと膨らませて、瞬間的にろくろを足の裏で押さえてブレーキをかけて同時に粘土を内側に閉じてからもう一回蹴って、えいっ! 一息に引き上げた。

 下の方がらっきょうみたいにぷっくり膨らんでいて、そこからすっと細長く首の立ち上った一輪挿しができていた。


「えっ」

 ベンが間の抜けた声を上げた。私の腕が良すぎてびっくりさせちゃったみたいね。


 粘土が乾くまで二日ほど時間がかかるというので一日休んで、その次の日また作業場に行った。

「それで、今日は何をするの?」

「釉薬を掛けるよ。君はどんな色がいい?」

 彼は板の上にずらっと並べられたタイルを持ちだした。茶色から灰色まで、釉薬の色がグラデーションになっている。サンプル品みたいだ。


「これは?」

「テストピースさ。目指す色を出すためにいろいろな灰の配合を試していたんだ。釉薬の研究をしていると言っただろう?」

「……地味なのばかりね」

「金属試料が少なくてね。今のところ木灰に含まれる鉄分の量と窯への供給酸素量で発色をコントロールしている」

「発色ねえ。焼き物の色の違いってどうなってるの?」

「それはまず、釉薬に含まれる金属の成分によるんだ。それと酸化焼成か還元焼成かで発色が違う」

「さんか……?」

「簡単に言うと、金属と酸素が結びつくことを酸化、金属から酸素を奪うことを還元というんだ。釉薬に含まれる金属が酸化されるか還元されるかで同じ金属でも焼き上がりの色が違う。例えば銅は酸化焼成なら緑に、還元焼成なら赤になる。鉄が2、3%含まれていれば、酸化焼成なら黄色に、還元焼成なら青になる」

「へー。それで、どうすればその酸化とか還元とかの違いが出るの?」

「酸化というのはね、これは簡単だ。酸素の供給が充分で常に完全燃焼していればそれが酸化焼成だ。還元焼成というのはね、意図的に不完全燃焼を起こすんだ。不完全燃焼とは燃焼するのに酸素が足りず、一酸化炭素が発生する現象を指す。薪の炭素が燃え続けても酸素が足りなければ、二酸化炭素にならずに一酸化炭素になる。この一酸化炭素というのは高温下では他の物質から酸素を奪う力がとても強くてね。金属と結びついた酸素を自分のものにしてしまう、つまり還元してしまうんだ。たたら製鉄で鉄を還元するのも同じ理屈だよ」

「長いわ」

「自分で聞いておいて酷くない?」

「……んー、つまり完全燃焼なら酸化焼成、不完全燃焼なら還元焼成になるってこと?」

「そうだね」

「どうすれば不完全燃焼になるの?」

「炉内の温度が充分に上がったところで酸素の供給を断つんだ。要するに窯に蓋をしてやればいい。僕たちはここのところ還元焼成に挑戦しているよ。君はどんな色が──」

「適当に混ぜちゃえばいいじゃない」

「ああっ」


 私は目分量で灰と粉にした石とを混ぜた。うりうり。

 そして釉薬を一輪挿しにペタペタ塗った。


「それじゃ灰が多すぎだよ。ガラスにならない」

「じゃあ石を足しましょう」

 アレクが口をとんがらせたので私は石の粉をどさっとお椀に取って、掛け回して釉薬に混ぜた。ぐりぐり。


「くすりの掛かりも薄いべ」

「なら何回も掛けましょう」

 今度はベンがハラハラしながら言うので、私は一輪挿しを釉薬の中にドブッと漬けた。

 それで乾いたらまた釉薬の中にどっぷり沈めて、たっぷりつけた。串カツだったら怒られているところね。


「あとはお願いね」

「へえ」


 私の一輪挿しは他の器と一緒にベンが焼いてくれた。

 そして今日はできあがりの日だ。ワクワクするわ。


「ほれおぜう様、これ、だ、べぇ……?」

「あら、綺麗じゃない」


 窯から出てきた私の一輪挿しは雨上がりの空みたいな綺麗な青に焼き上がっていた。

 ──期待以上じゃない! アレクたちが作った他のお皿とか何とかは灰色がかった薄らとぼけた色だったけど。


「青磁じゃないか……!」

「ああ、これが青磁なの?」

 名前は知っていたけれど実物は初めて見たわ。アレクとベンは愕然としていた。


「これ、おらも作れるだか……?」

「わからない……」

「どういう配合だったんだべ……?」

「わからない……。再現性のないことをしないでくれよ……」

 二人は頭を抱えた。そんな困るようなことじゃないでしょうに。


「一度できたんだからまたできるわよ」

「気軽に言ってくれるなあ……」


 ところで、アレクたちはそれから一年もかかってようやく釉薬の技術を完成させた。まあ私が最初に作った一輪挿しが一番綺麗だったんだけど。

 彼らが始めた新しい焼き物は評判になって、やがて国中の焼き物屋さんが勉強に来た。十年も経つ頃には釉薬を施した陶器はあちこちで作られるようになったけど、澄み渡る空の色は結局この村でしか出せなかった。

 この秘密の色の焼き物は上流階級の間で大変にもてはやされた。そしてベンはこの国随一の名人として名を馳せる(ついでに出資者の私も潤う)ことになるのだけど、それはまた別の話。




 せっかくなので一輪挿しに庭の桜っぽい花を生けてみた。器の青に薄桃色が調和して、窓辺に春が佇んでいるようだった。

 あら、いい感じじゃない。私ってやっぱり才能あるわ。

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