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公爵家の劣等生

「この木の樋をもう少し衛生的にしたい。具体的には施釉陶器だ」

「陶器?」

 そんなもの、この世界にはない。


 この世界には磁器はもちろんのこと、うわぐすりの技術もまだない。焼き物は全部素焼きだ。

 庶民の食器は木のお皿。実家では金属、特に銀の皿だった。焼き物もまったくのゼロではないけれど、素焼きの食器というのは汚れが染み込むので基本的に使い捨てだ。木の皿だってそんなには長持ちしないけど。


「素焼きの陶器だと水が染み込むからね。釉薬のかかった陶器が欲しい」

「あれ? 都だとどうしてたっけ。陶器の配管なんて見たことないんだけど」

「板状に切り出した石を組み合わせて導水管にしていたよ。目地材は漆喰だった。でも、漆喰は実は水を通してしまうから適切な材料ではないね」

「そうなんだ。コンクリートとかってないの?」

「この世界にはまだないね。そういった無害で水を通さない素材というのは古来世界中で模索されたんだ。前世の近代以降で言えばポルトランドセメント、古代で有名なのがローマンコンクリートだね。特にローマンコンクリートは身近に存在する物質で実現できる、しかも水中で固まるという点で特筆に値するね。この世界でも再現可能だとは思うけど、材料の中の火山灰と石灰岩、海水が今ここですぐには手に入らない。ちなみに日本でも江戸時代、熊本宇土の轟泉水道ではガンゼキと呼ばれる接着剤を使って水道管をつなぎ合わせた。このガンゼキは松脂を使うなどの特色を持っているがその他の材料や水中で固まると言う性質から見てやはりローマンコンクリートに準じるものとみていいだろう。あるいは三和土や、明治時代の長七人造石などもまったく独立して発生したものながら基本的な原理はローマンコンクリートと同じだろう。ただし、いずれにしてもその材料は今日ここで手に入るものではない」

「言葉の圧力が凄いわ!」


 翌日、私たちは連れ立って焼き物屋さんに行った。

「これは旦那様、昨日はお買い求めありがとうごぜえまずだ。おや、今日はおぜう様もご一緒で」

 焼き物屋のベンは二十歳くらいの若者だ。私の顔を見ると急に頭に巻き付けていた布を取ってペコペコおじぎした。


「実はね、新しい焼き物を始めたいと考えているんだ。手を貸してくれるかな?」

「ベン、手伝ってあげて」

「へ、へえ」

 私たちがお願いするとベンは布を握りしめたまま、またペコペコと頭を下げた。


「僕は陶芸はやったことがないけど理屈はわかるよ。要はガラスだ。ガラスの主成分は二酸化ケイ素、ここに石灰や金属元素を入れて作られるのがケイ酸塩ガラスだ。石灰を入れるのは、アルカリはガラスの融点を下げるからだ。金属のうちアルミナは接着剤の役割を果たす。鉄分その他は発色剤だね。……うん、そうだ、思い出して来たぞ。陶器の釉薬では長石や火山灰、藁灰を使っていたはずだ。長石には二酸化ケイ素だけでなくアルミナも含まれている。それにプラントオパールといって、イネ科の植物の灰にはケイ酸が豊富に含まれているからね。アルカリは草木灰を使う。そう、不純物の多い粗製ガラスが釉薬の正体だ。火山灰はなさそうだけど、この辺りの山体はどうも風化した花崗岩が多いようだから、探せばいい石が見つかるだろう」

「あっそう。よろしく」

 ははあ、さてはこの人、『おもしれー男』枠ね。でも私、そんなのは求めてないの。

 彼は粘土の焼ける温度とガラスの溶ける温度の調節がどうとか早口で言い出したので、後はお任せして私は家に帰った。




 それから半月が経った。

「できたよ」

 彼はベンはもちろんメグの兄とか大工のところの兄弟とかもゾロゾロと引き連れて帰ってきた。

 茶色い、つやつやした光沢のある焼き物の筒が荷車に満載されていた。太さは20センチくらいで長さは70センチくらいかな? これが水道管のようだ。


 そして彼らはワイワイと敷設工事を始めた。

「ベン、まずはろ過器からだ」

「へえ、親方」

 ベンの顔は師に付き従う弟子のように神妙だった。何だか呼び方も変わっちゃってるし。


 夕方には工事が終わった。私は手伝ってくれた村人たちに日当を出して帰らせた。この理屈っぽい男子に半月もつきあってくれたベンには特にたっぷり布を持たせたらしきりに恐縮していた。


「どうかな? 見てくれたまえ」

 彼の顔は得意げだった。


 新しい水道は山の中腹から真っ直ぐ私の家へと引き込まれていた。脚立みたいな台を作ってその上のスロープに乗せている。

「水道管の導入口は布で塞いでカエルやイモリが入れなくした。ろ過装置も作り直したよ」

 と言うので見に行くと壷じゃなくて四角いタンクになっていた。

「ろ過の仕組みは同じだけど、中で分水してみた。トイレの方にも分水して手洗い場を作ったよ」

 うわ、本当だ。中に入ったらやっぱり焼き物の洗面台がある!

「割合は厨房が8、こっちが2だ。接手はとりあえず村人が使っている松やにみたいな樹液で目止めしてみたけど……これは今後の課題だね。次は排水管を直そう。そうだ、せっけんも置いておこう」

「すごいわ……!」


 そりゃもちろん前世のものには及ばないけど、この世界で望めるものとしては最上級の上水道ができあがっていた。こんなの都でもみたことがない。

 思わず感心してしまった。

「貴方ってとっても優秀ね。きっと公爵様も期待していらっしゃったでしょうに」


 でも、せっかく褒めたのに、彼は得意満面の笑顔を急に曇らせた。

「どうかな? 公爵家では評価されない項目だったから」

「なんてもったいない……」

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