何でもない日々
あれはまだ結婚式から帰ってきたばかりの頃だった。冬支度の針仕事をしながらメグが言った。
「これから雪が降るやになるとみんな暇なんだべ」
「雪かき以外にすることないものね」
「なんか家ん中でもできる遊びがあるとええんだどもな」
そうしたら横で聞いていたアレクが「麻雀牌でも作ろうか」と言い出した。
「なんで麻雀なの?」
「北海道では冬は何もできないから家族で麻雀するのが流行ったというよ。想像してごらん、家々から響き渡る『ポン』『チー』という発声を」
想像してみた。顔を真っ赤にした農夫が、唾を飛ばしながら叫ぶのだ。
『ロォン! チュゥレンポゥトオ!』
……。
私は縫い物を下げてアレクを止めた。
「やめてよ、閑静な田舎村が高田馬場みたいになるじゃない」
「いきなりそこまで行くかな? 早稲田くらいで留まると思うけど」
「ダメじゃない。もっと健全なゲームはないの? ……あ、版権に関わるようなゲームはダメよ」
「うっ」
アレクは痛いところを突かれた顔をしていた。どうせカードゲームでも考えていたのだろう。嫌よ、カードゲームショップって洗っていないオタクの臭いがするもの。
「リバーシもやめてね、あちこちで使われすぎてオリジナリティの欠片もないし」
「何の話かな?」
結局麻雀牌を作ったのが冬の初めだった。アレクは焼き物で、型押しして大量生産できるように作った。本当に変なところで器用よね。
アレクは浴場の隣の集会所に村人たちを集めてルールを教えた。でも、村人たちは難しそうな顔をしていた。
「何だか難しいんだべ……」
「この点数計算ってのは複雑すぎるべ。おら、足し算もろくにできねえのに」
「……あー、そうか。点数は翻数ごとに固定にしよう。早見表を作ったよ」
「字が読めねえんだべ」
「覚えよう」
村人たちはワイワイと物珍しそうに麻雀牌を触っていた。やれやれ。
そこで私はひとつ大切なことに気がついた。
「あ、賭け事は全面的に禁止よ。破ったら本当に増税するからね」
「横暴だべー!」
「駄目って言ったら駄目! 賭けるのはプライドだけにしなさい!」
その後、麻雀は村人たちの間で大いに流行った。集会所はいつも満員だ。
みんな複雑なルールは覚えられないって言ってたくせに……。私なんて牌の名前も覚えていないのに。
昼下がり、今日の仕事を終えたメグは落ち着かない様子でインバネスコートを羽織った(メイド服に合わせて作ってあげたものだ)。
「あ、それじゃおらはこの辺で失礼するべ」
「また麻雀?」
「んだべ」
メグはいそいそと家を出た。
メグもまたすっかり麻雀にハマっていて、仕事が終わると家にも寄らずに集会所へと直行する。以前はそのまま居座ってお茶とお菓子が出てくるのを待っていたのに。
「麻雀なんてそんなに面白いのかしら」
呆れて呟いたら隣のアレクが提案した。
「気になるなら見に行ってみる?」
「アレクが行くなら私も行くわ」
雪の小路を二人で歩いた。腕にぎゅっとしがみついちゃおう。
温かいわ……。雪景色でも気分は春ね。
ランプの小さな灯の下で、集会所は何だか殺伐としていた。
天井には謎の煙がたゆたっていた。この世界にタバコなんてないのに。
男も女も目が据わっている。自分の手元に並べた牌を難しそうな顔で見つめているか三白眼で対戦相手をねめつけているかで、私たちには目もくれない。
手を伸ばして麻雀牌を引き寄せた男が、その牌を神経質そうにテーブルの端でトントン叩く。そして自分の手元にある牌の中から選んで一枚を放り出すと、隣の女が素早く「ロン。タンヤオ」と発声して自分の牌の列をパタンと倒した。
「チッ」
男が舌打ちした。
私たちは異様な緊張感の漂うテーブルの間をさまよってメグを探した。
「河がメチャクチャだべ……」
「誰か拾いをやったんだべ……」
「御無礼だべ」
「リアルでそれを言ったら殺されても文句は言えねぇンだべ」
「爆牌!」
「なんの爆守備!」
「な、ベタオリだべ? じゃあこのカンチャンは使えねえべ!」
「そしてこのアンコ落としで爆守備は完成するべ」
「しまった流局だべ! 仕方ねえべここで純チャン三色やめたんだべ」
「な、国士狙いだべ? コイツ正気だべか! ちいいっ!」
「おめの運をおらにくれだべーっ!」
「同順当たれずだべ」
みんな何を言っているんだろう、本当に。
「さっぱり意味がわからないわ……」
「何でこの短期間で順応してるんだろうね?」
「私、もっとアットホームな光景を想像していたんだけど」
「僕だってこんなことになるとは思わなかったよ……」
お金を賭けてはいけません、なんて言ったのが悪かったのだろうか。この人たち、魂を賭けているわ。
「あ、いた」
メグは三人の男と隅っこのテーブルを囲んでいた。自分の順番が来て麻雀牌をつまんだメグは、それを捨てないでまた別の牌を引く動作を繰り返した。ルールがよくわからないわ、このゲーム。
「カンカンもいっこカン、ツモ。チンイツトイトイサンアンサンカンツリンシャンアカイチ16000オールだべ」
「あー!」
メグが謎の呪文を唱えながら麻雀牌を見せると、村人たちは一斉に天を仰いで頭を抱えた。
「なんだかよくわからないけど、楽しそうね」
声を掛けたらメグは振り返って私を見上げた。頬が赤く上気していた。
「あ、ご主人。麻雀って楽しいべ。ご主人も一緒に楽しむんだべ」
とはいえ村人たちも麻雀ばかりやっているわけではない。農閑期だけど、忙しい人は忙しい。
せっけん工場は順調に稼働中だ。鍛冶屋のロンは向こうの工場に詰めっぱなしであまり帰ってこない。青磁を始めとした色とりどりの器もまた、貴族や、それから都の富裕層の間で評判となって注文が相次いでいる。
おかげでベンは毎日窯を焚きっぱなしだ。お嫁さんのメイは妊娠中で心配したベンが力仕事をさせないので、梱包作業にかかりきりになっている。今年のうちには家族が増えて騒がしくなるだろう。
私は私で新しい試みに着手していた。温泉の熱を利用したもやしの栽培だ。
冬野菜の貧弱なこの世界では冬場はビタミンが不足しがちだし。もしできたら積極的に食べていこう。
私は浴室の隅っこに栽培ポットを置いた(ベンに陶器で作ってもらった)。以前はできなかったけど、窓ガラスが嵌って浴室が温かくなったからね。
毎日水やりをして、十日目……。
「うーん、普通にできたわ」
園芸が下手な私でもさすがにもやしは失敗しなかった。さっそく収穫して、それじゃあ食べてみましょうか。
私は猪の脂身を鍋に入れて、じっくりと加熱した。出てきた脂でもやし炒めだ。そしてメグの妹が作った鶏ガラ塩ラーメンに乗せた。
「今日のお昼はもやしラーメンですわ。どうぞお召し上がりくださいませ」
え? 何で変な──もとい、余所行きのしゃべり方をしているのか、ですって?
それは隣村から男爵が来ているからだ。
借地料を納めたからそのお礼で、という名目だったけど、実際には息子の様子を見に来たのだろう。
峠道が通れるようになるやいなやの来訪だった。やっぱりジャック君のことが気になっていたのかな?
早朝にあちらを発ったようだ。早いうちに到着した男爵は、午前中はジャック君の訓練の様子を見ていた。
訓練の終わりにジャック君はメグの弟と試合をして見せた。まあ全然かなわなくてポンポン投げ飛ばされてたんだけど、ジャック君はめげずに挑戦し続けた。
男爵は息子に声を掛けた。
「どうだ?」
「毎日が新鮮です。自分が強くなったという実感はまだありませんが、変われるという確信があります」
「そうか」
ジャック君がイキイキとそう答えると、男爵は私の方に向きを変えて「レディ、よろしくお願い致します」と、貴族らしく礼を取った。
「ええ、お任せくださいませ」
貴族のように話す私をジャック君は変な目で見ていた。人前ではこうなの。慣れて。
そしてお帰りの前に昼食を振舞うことになったので、私はもやしラーメンを作ったのだった。
え? いかに貧乏とはいえ仮にも男爵にもやしラーメンなんか食べさせていいのか、ですって?
この世界ではもやしもラーメンも珍しいものだからいいの! 餃子と唐揚げもついているんだから。ロケットストーブに五徳を乗せてそちらでも料理できるようにしたので、いろいろと捗る。
「ささ、どうぞ男爵様。是非お召しあそばせ」
箸をつけようとしない男爵に再度お勧めしたんだけど、彼は不可解なものを見る目で私と料理とを交互に見た。
「何故侯爵家の令嬢が料理を?」
「趣味と実益ですわ」
なおラーメン自体は好評だった。男爵は初めての味覚に悶絶していた。まあ紳士らしく抑えてはいたけれど、表情は隠しきれていなかった。箸が上手く使えなくて握り箸なのは紳士らしくないけどね。今度教えて差し上げよう。
ジャック君とメグの弟はおかわりして妹の手を煩わせていた。メグはらしくもなくじっくりと味わっていた。
「あれだべな、どっちかっちゅうと味わいの足りねえ塩ラーメンが一気に化けたべ。なんてことのねえ、気取りのねえ味なんだどもしみじみとうめえ。普段使いに最適のラーメンだべ」
食後、男爵はジャック君の演奏を聞いて感心して帰って行った。まだ途中までしか弾けないんだけど。
遠ざかる父親を見送るジャック君はここに来た時よりも少し背が高い。毎日運動してたくさん食べたら一気に身長が伸び始めた。パンツの裾ががつんつるてんだわ。男の子ってまだ成長期なのね。
メグの兄が一週間ほど寝かせた鴨を持ってきてくれたので、今日のお昼は鴨南蛮を作ってみようと思い立った。
私の村は山をV字に切り込んだ谷間の土地で麦作が難しく、主食はジャガイモ、副食は蕎麦だ。蕎麦は肥料が要らないし蒔きっぱなしで手間もいらないので、輪作で芋を植えていないところに適当に蒔かれている。
だから蕎麦は割と豊富にある。
「──というわけで、今日は蕎麦打ちにチャレンジします!」
「がんばるべー!」
私はアシスタントのメグの妹と一緒に蕎麦粉の山と向かい合っていた。
そう、私は蕎麦が打てる。すごくない?
とはいえ前世の私が住んでいた東京の江戸前蕎麦とは粉が違う。挽きぐるみの田舎蕎麦の粉だ。
村人たちは薄く伸ばしてガレットか、湯ごねで蕎麦がきのようにして食べている。こういう粉は水だとまとまりにくいからね。
今回は麺にするので、つなぎに卵と小麦粉を入れてパスタ式で作った。
「はい、こちらに寝かせておいた生地があります」
私は蕎麦の塊を台の上に置いた。
板の上に粉を打ってこの生地を伸ばし、畳んで切る。あまり細く切るとブツブツ切れてしまうので、細めのきしめん風に切ることにする。
蕎麦を茹でている間に、あらかじめ作っておいたそばつゆを器に入れた。
当然なんだけど、この世界にはかつお節がない。日本でも田舎の方だと煮干しの出汁でそばつゆを作ると聞いたことがあるけど……今度は醤油がない。煮干しに魚醤じゃいくらなんでも魚臭すぎるわ。
なのでいっそのこと洋風というかこの世界風に寄せることにした。
私は鴨の骨と余った部位でコンソメスープを作った。味を塩で整えて、でもこれで終わりではない。そばつゆを入れるのは八割だけにしておく。
別にトッピング用に鴨のもも肉をローストして、薄切りにしておいた。
蕎麦が茹で上がった。湯切りして、器に入れて、さて、鍋の中に煎りつけた鴨の脂が残っている。ここにお玉でスープを入れて脂を溶かして、丼に加える。残りの二割だ。コンソメスープそのままだと挽きぐるみの蕎麦の強さに負けるからね。鴨の脂をたっぷり浮かべて力を加えてみた。
上に鴨肉とネギの代わりのエシャロットを乗せて、この世界風鴨南蛮のできあがり!
私はメグとその妹と手分けして、ダイニングに鴨南蛮を運んだ。今日はお客様がいっぱいだ。アレクとジャック君はもちろんだけど、メグの一家を呼んでいる。
父親にはジャック君のことでお世話になっているし、弟の方も一緒に訓練している。彼はジャック君とは同い年なんだけど、とはいえこの道に掛けてはずいぶん先輩だ。アレクによればこの年で既に下手な騎士よりよほど強いらしい。同い年の気安さもあるのか、メグの弟は親身になって教えてあげている。
母親はおまけね。
「まあ今さら年越しもないけど、これからもよろしくね。それではどうぞ、召し上がれ」
「いただきまーす」
私もテーブルについて一緒に蕎麦を食べた。……うん、鴨の脂と蕎麦の風味は相性が抜群ね。私とアレクみたいに。
そのアレクも美味しそうに食べている。
「僕の知ってる鴨南蛮とは違うけど、これはこれで美味しいね」
「ふふ、そうでしょう」
「ラーメンとはまた違うけれど、これもまた悪魔的なおいしさですね」
「そうでしょう、そうでしょう」
隣でジャック君も感嘆の声を漏らした。
メグ一家の男たちは全員無口だ。無言で、でも夢中で食べ続けている。母親の方は「うめえ、うめえ」としきりに言っているけど。
食後、メグの兄と妹は何だか頭を悩ませている様子だった。
「おらは今までラーメンがこの世で一番だと思っとったんだが……」
と兄は言った。
「この蕎麦にはすっかり打ちのめされちまったべ。おらは今、信仰が揺らいどるんだべ……」
「お、おらはそれでもやっぱりラーメンが……ラーメンが……。これ、今からでもラーメンってことになんねえだか?」
妹は諦めが悪かった。
「この丼の中に完成された素朴さが漂っとるべ。洗練されとって、それでいてエネルギッシュで……」
メグはいつも通りよくわからない感想を述べながら食べていた。そしてそばつゆまで飲み干して息をついた。
「はー、ここにおると退屈しねえべ。メシはうめえし、あちこち行けるしなあ。都なんざ一生行くこたあねえと思っとったべ。海にも行ったしな。あ、ご主人、また牡蠣が食いてえべ。食いに行くべや」
「食べた直後によくまた食べることを考えられるわね。……そうね、まだしばらくは牡蠣のシーズンだし。もう少し暖かくなったら行ってみましょうか。今度はこのメンバーで」
「やったべー」
メグは万歳して喜びを表した。
「毎日楽しいべなあ。メシもうめえし……こんなええ勤め先他にねえべ。おら死ぬまでここで働くべ」
「メグだっていつかは結婚するんじゃない? お姉さんみたいに隣村に行っちゃったら続けられないでしょ」
「いーやおらは絶対辞めねえべ。ご主人がダメっつってもしがみつくんだべ」
メグは本当に一生うちでメイドをやっていた。
私たちは形の上では労使関係だったけど、普通の令嬢とメイドの関係ではなかった。
毎日同じ食事を同じテーブルで食べた。お茶を飲んでおしゃべりをした。時には喧嘩もした。アレクと別に行動したときでもメグはついてきていた。アレクには言えないような悩みを相談する相手もいつもメグだった。
この食べることが大好きで、おいしいものが大好きで、色々なところの大きなメイドは、この世界で誰よりも濃密な付き合いをした……
友達だった。




