悪役令嬢、お花畑を逍遥す
朝の入浴は私のモーニングルーティンだ。
そのルーティンに今日はちょっとした変化があった。
腕を動かしたらちゃぽんとお湯が跳ねて、二人分の波紋が広がった。
「温かいね」
「ひゃい……」
私たちは、い、一緒にお風呂に、入っていた。
そもそも入浴の習慣すらないのがこの世界だ。まして貴族の男女が、しかも未婚の男女が、二人きりで、お風呂に入るなんて、ことは……絶対にあり得ない。
あ、あり得ないのに……そんなあり得ないことを私たちはしていた。
し、しかも、二人で湯船に浸かって……私は後ろから抱きすくめられる形で……!
熱い。
お湯のせいだけじゃなくて、体の芯から熱が湧き上がってくる。
大きな手が私のお腹を撫でている。
「すべすべだ」
あ……手が、だんだん上がって……。
「君は柔らかいね」
わ、私今、世界中の貴族で一番えっちなことしてる……!
私はアレクに抱き着いて、アレクの腕は私の肩を抱きしめて、二人でダイニングに行ったら出勤してきたメグがかまどの火を熾しているところだった。
「おはようだべ。ご主人、今日は珍しく遅せえべ……」
火をあおぎながらあいさつしたメグは私たちの様子を見て、そこで言葉を切った。
メグはほっと息をついた。
「どうやら上手く行ったようだべな」
「おはようメグ。ええ。なにもかもね。この世のすべては滑らかに回っているの」
「よ、よかった、べ……?」
ああ、雨戸を開け放たれた窓から朝の光が差し込んで、黒い鍋釜すら輝いている。
心が通じ合った喜びですべてが輝いて見える。
この喜びをメグにもおすそ分けしてあげたい。
「メグもさあ、不特定多数と交際していないで、誰か一人に決めたら?」
「うわ……おぼこがちぃと男さ知ったくれえでちょづいて……」
メグは何だかブツクサと口の中で悪口を呟いている。せっかく人が親切に忠告してあげているというのに。
ふん、でも、何とでも言うがいいわ。今の私は無敵だから! 男子三日会わざれば刮目して見よなんて言うけど、遅い遅い。女子には一夜で充分よ。
「本当よ? メグも彼氏がいたらもっと仕事を頑張れるわ」
「男と仕事の因果関係がわかんねえべ」
「恋って素晴らしいの。朝起きて、あの人がこの世にいるという幸せ……。その気持ちを抱きしめたら、ほら、やるぞーって気持ちが湧いてくるでしょ?」
「いや仕事は仕事のためにするもんであって他のことをモチベーションにするもんでねえべ。そっちがつまずいたら後が続かねえべ」
「大丈夫よ。二人の想いは永遠だから」
「完全に頭おかしくなっとるでねえか」
「ふふ、なんと言われても平気よ。彼氏がいると優しくなれるから」
「どうするべえや、これ」
「見ていて。私たちがお手本だから」
「話が通じねえべ」
「そう? 私は話すことがいーっぱいあるけど!」
「成就した恋ほど語るべきでねえもんはねえべ……」
朝食を片付けて、今日は掃除はメグに任せて、私は長椅子の上でアレクと見つめ合っていた。
何だろう……何もしていないのに、何もしゃべっていないのに、こうしているだけですごく楽しい。心が浮き立つ。
アレクも同じ気持ちみたいで、ふっと微笑んだ。その笑顔があんまりまぶしくてつい目を閉じたら、唇に柔らかいものが触れた。驚いて目を開いたらアレクはいたずらっぽく笑っていた。
「もう」
お返し! 目を閉じたアレクに今度は私からキスをする。そうしたらアレクは目を開いて、また笑った。
そうやってついばむようにキスを応酬していたらメグは掃除の手を止めて、苛立たしそうにこちらを見た。
「せめて人の目のねえところでやってくれねえべか?」
「メグも恋人ができたらわかるわ」
「もう聞いてらんねえべ」
捨て台詞を吐いてメグは逃げた。
ふふ。メグにはこういう話、まだ早かったかな……?
何やら新しいことを思いついたアレクは毎日のように隣村に通っている。寂しい……。
まあその分休日はずっと一緒にいるんだけどね。ダイニングでは同じ椅子に隣り合って座るし、お散歩するときは恋人つなぎだし、お風呂も一緒だし。もちろん夜も……。
寂しさを埋めるように料理をがんばっちゃった。テーブルの上いっぱいに料理を並べて私はアレクの帰宅を待っていた。
「はっやく帰ってこっないっかなー♪」
アレクが帰ってくるまで料理に手を付けられないメグとジャック君も待ちきれない様子だ。
しょうがないわね……。私はアレクを待つ間、二人にアレクの素晴らしさを語ってあげることにした。
「ねえねえ、聞いて、聞いて」
「な、なんだべな?」
「あのね、アレクがねー」
「何でもアレクさの話につなげるのやめねえべか?」
「この世のすべてはアレクにつながっているの」
「もはや宗教だべ」
「それでねー」
滔々と布教してあげたら二人は何だかヒソヒソと語り合っていた。感動しているみたい。
「何とかしてよ。君が余計なお世話を焼いたせいでこんなことになったんだろ……」
「そら……あんまりじれってえもんだから少しは後押ししたどもな? まさかこんなになるとは思わねえでねえか……」
「それは、まあ……」
「そう、メグはずっと応援してくれていたのよね! ありがとう!」
「ヒエッ……いやおらは大したことしてねえんで気にしねえでほしいべ、というかおらのせいにしねえでほしいべ本当に」
「謙遜しないで」
「ただいま」
メグに感謝していたら玄関の方から声がした。
アレクが帰ってきた!
「そんじゃおらはこの辺で……」
「あ、僕も失礼します……」
二人はそそくさといった様子で退出した。自分たちがおじゃま虫だってわかっているみたい。
私はそんな二人を追い抜く勢いで玄関に走った。二人は追い立てられるように家を出た。
アレクは脱いだ靴を揃えているところだった。
「おかえりなさい! ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
「じゃあその順番で、すべて君と一緒に」
「嬉しい!」
私は気合いを入れてその日を迎えた。
今日はアレクの誕生日だ。
クラッカーはないけど私は花束で祝福した。
「お誕生日おめでとう、アレク!」
「ありがとう。えーと、ところでその服は?」
今日の私はメイド姿だ。頭はキャップみたいなのを被らないでアレクの好きなアップにセットしたけど。二人きりだし、気兼ねなく首筋を見せられるわ。
「こういうの、好きかなーと思って。嫌いだった?」
「いや、好き寄りではあるかな?」
「今日の私は貴方専属のメイドだから。なんでもしてあげるから遠慮なく言ってね、ご主人様!」
「期待が高まるね」
「それじゃあ、はい、あーん」
私は腕によりをかけたごちそうを一つずつ食べさせてあげた。
「美味しいね」
「よかった」
私たちはにっこり微笑みあった。ふふ。
「プレゼントを用意したわ。一つ目はこれね」
私は布包みをアレクに渡した。中身は新調したジャケットとパンツだ。
「サイズはピッタリのはずよ」
「ありがとう。早速着させてもらうよ」
「二つ目はこれ」
今度は物ではない。私はアレクのためにフィドルを演奏した。最初の日にアレクが教えてくれた、確かエドガーとかいう人の曲だ。
「えっ……」
アレクは何故か絶句していた。
自分ではそこそこ上手に弾けたと思うんだけど。
「どうしたの?」
「始めたばかりなのにもう弾けるようになったの? 信じられない」
「頑張ったの。これしか弾けないけど」
「優秀な生徒を持って鼻が高いよ」
「お褒めにあずかり光栄だわ。それから、もう一つプレゼントがあるの」
「何かな?」
「それは……わ、た、し」
私は自分の首にキュッとリボンを巻いて腕を大きく開いた。ハグ待ちだ。
「素敵だ」
……窓の外には冬の月が白く輝いている。凍えるような光の差し込む部屋の中で、私たちのベッドだけが温かい。
「私たちって二つに割れた月みたい」
私はアレクに体を預けて月を見上げた。
「月の欠片を繋ぐみたいにお互いの足りないところを補い合ったら、きっと完璧な円になるの」
「まるでアンドロギュノスだね」
「前世で出会っていてもそうだったかしら?」
「来世でもきっとそうだよ」
翌日の夜、アレクは妙にかしこまった姿で夕食の席に現れた。おろしたてのジャケパンをキチッと着こなして、私の前で紳士ではなく使用人の礼を取った。
「今日の私は貴女専属の執事です。何なりとお申し付けくださいませ、お嬢様」
「あら……」
そして私はチヤホヤお世話してもらった。食事のサーブはもちろんのこと、お姫様だっこでお風呂に連れていかれて体中綺麗にしてもらった。もちろんその後も、たっぷりご奉仕してもらった。
あ、いいわこれ……。何だかイイ。素敵。癖になりそう。
キラキラしてる……世界って、キラキラしてる!
「ぎゅーってして」
おねだりしたらアレクは強く抱きしめてくれた。
うふふ。
「ちゅーして、ちゅー」
唇が触れて、何度も触れた。
えへへ♪
「ねえ、私のこと好き?」
「愛してるよ」
あはは!
幸せってこういうことなんだ。
お金がいくらあっても物質的な欲望が満たされるだけだもの。
食欲や所有欲が満たされたって一瞬でおしまい、すぐに虚しくなるだけよ。心が愛で満たされなければ生きている意味がないわ。
やはり愛こそ真実、愛こそ正義、愛こそすべて。人生は愛して愛されてこそよ。
人間ってきっと、それが生きる目的なの!
好き♡
好き♡
好きっ♡
一か月後。
私は唐突に我に返った。
「私は一体何を……」
「ようやく正気に戻っただか」
「あ、メグ」
そう、この一か月ろくに意識に入っていなかったけど、メグは確かにずっとそこにいた。
メグの顔にはもはや何の表情も浮かんでいなかった。
虚無を見つめる目をしていた。
おそるおそる聞いてみた……。
「私……そんなにそんなだった?」
「ご主人が思ってるのの十倍そんなだったべ」
う、うわーっ!
「忘れてちょうだい」
「あのインパクトは忘れがたいべ」
「忘れて」
わ、わァ……。私、人から見たらどんなだったんだろう……。自分が全然見えなくなっていた。
愛されるのってヤバいわ。麻薬よりも麻薬だわ。
「ジャックさももう戻ってもええだか?」
「あ、最近姿を見なかったわね、そういえば」
「おらんちでメシ食っとったんだべ。見てらんなくて……」
「うふ」
「自習じゃリュートが上達しねえって嘆いとったべ」
「えへ」
私は笑ってごまかした。他にどうすることもできなかった。
「ただいま」
その時、アレクの声が聞こえた。帰ってきた!
私は玄関に走った。
「おかえりなさーい! もう、寂しかったんだからっ」
「はは、ごめんごめん。僕も君に早く会いたくて急いで帰ってきたよ」
「んー、許しちゃう」
アレクとイチャイチャしながらダイニングに戻ったら、メグが白い目でこちらを見ていた。
呆れた愚か者を見る目だった。
しょうがないじゃない、だって好きなんだもん!




