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「運指表を作ってみたよ」


 アレクは絵を描いてきた。そこにはどの指でどの弦のどの辺りを押さえたらどの音が鳴るか、が図式化されていた。


「あら、ありがとう」

「君は指が長いから問題なく弾けると思う。一音ずつ覚えて行こう。考えなくても指が動くようになるまで」

「頑張るわ。じゃあまた教えてくれる? 昨日みたいにして」

「いや、あれはあまり良くないと思うんだけど」

「いいから」

「いいのかな……」

「私がいいって言っているんだからいいの!」

「では、失礼」


 またアレクが後ろに回って、腕が覆いかぶさってきた。うふふ。


「まず、一番外側の弦がE線。何も押さえずに弾くとEの音、日本語で言うとミの音が鳴る。で、この辺りを人差し指で押さえると一音上がってファになる」


 アレクの人差し指が私の人差し指を押さえた。ひゃぁぁ……これよ、これ!

 次から次へと指が動いて押さえられていく。素敵……何だか、アレクのリードで踊っているみたい! 耳元で囁かれる弦の名前とか指の番号とかはさっぱりわからないけど。

 大丈夫よ、体で覚えるから。私は感覚派なの。


「レディ、楽器は僕が先ですよ」


 ところが……せっかくいいムードを作っているところにおじゃま虫が横入りしてきた。リュートを抱えたジャック君が不満そうな顔で立っていた。

 私は軽く無視した。


「後で教えてもらいなさい」

「順番は守りましょうよ」

「ここではすべてがレディファーストなの」

「それはないですよ!」

「うるさいわね……。私の方が後から始めたから、追い付かないといけないの! というか貴方は今までにもう充分教えてもらったでしょう、私に譲りなさい!」

「ええ、ええ、おかげさまでこんなに弾けるようになりましたよ」


 そう言いつつジャック君は9番の2番とか何とかいう変な名前の曲のイントロを弾いてみせた。一応ちゃんと弾けている。本当に最初のところだけだけど。


「これを完璧に弾きこなすのが目標なんです。邪魔しないでください」

「あ、見せつけてる! 感じ悪い!」

「レディもこのくらいは弾けるように頑張ってください。ご自分で」

「あー、ナマイキ! アレクー、ガツンと言ってあげて!」

「まあまあ、一緒に教えてあげるから」


 というわけで順番に指導してもらうことになった。

 まずは私が指の押さえ方を教えてもらって、ジャック君は自習。ジャック君は不満そうにこちらを眺めながら楽譜を開いた。不満があるのはこっちの方よ。

 ちらりと眺めてみたらアレク手書きの前世風の五線譜だった。


「なにこれ。読み方がわからないわ」


 私がそう言うとジャック君はフフンとほくそ笑んだ。


「僕は読めます」

「ムキー!」

「教えてあげるから」


 でもそれは後回しね。とりあえず今はスキンシップに励みましょう。もとい、運指を覚えましょう。

 それにしてもアレクっていろいろと器用よね。感心して聞いてみた。


「貴方っていろんな楽器が弾けるのね。それも前世の知識?」

「いや、前世の僕がかじっていたのはピアノだけだよ。弦楽器を学んだのはこっちに来てからだ」


 耳元の囁き声が心地よい。


「弦楽器は大きく(はつ)弦楽器と(さつ)弦楽器に分けられるんだ。僕がメインで使っているリュートは撥弦楽器、フィドルは擦弦楽器だね。リュートの方が弾き語りに向いているからあっちを持って出たけど、弾けるのはどちらも弾けるよ。──さあ、これで一通りだ。体に染み込むまで繰り返してね」

「あっ」


 アレクは指を離してジャック君のところへ行ってしまった。何でよ!

 私は不服の目で二人を見た。


「お待たせ」

「待ちかねましたよ! 今日の進捗なのですが──」

「うん、ちゃんと予習してきたね──」


 授業が進んで普通に弾けるようになっているものだから、ジャック君も教えるアレクも楽しそうだ。

 ジャック君は何だか不埒なことを言い出した。


「兄というものがもしいたら、貴方のような感じなのでしょうか」

「そうだね。僕は末っ子なんだけど、もし弟がいたらこんな感じだろうかと思っているよ」


 男同士で雰囲気を作らないでよ、不謹慎よ。私は横から口を挟んだ。


「それじゃ、私は?」


 あ、兄嫁とか……? 何だかドキドキしてしまう。

 ところがジャック君は本気で考え込んでしまった。


「姉でなく、母でなく……。何だろう、物語に出てくるガミガミばあやというものがもしいたらこんな感じでしょうか」

「なっ……」


 いつもいつも、なんて失礼な……。こ、このお子様──本当にどうしてくれよう!




 概ね暇な私はアレクが隣村に行っていてジャック君が訓練している間フィドルの練習に没頭していた。例の曲を弾きこなして、あの生意気なお子様にぐうとかぎゃふんとか言わせてやるんだから。


 まあそんな私だけど、実は最近では仕事のようなことがないでもない。

 せっけん工場の視察だ。


 この国でも北側の海岸付近は石灰質の台地が広がっていて、一面の草地では羊の遊牧がさかんだ。というか土地が痩せていて作物の栽培に向いていないので、羊を育てた方が効率がいい。

 食肉やチーズも作ってはいるんだけど、それよりも羊毛を取るのがメインだ。


 ところで、羊毛を糸にするときに洗うんだけど、その時に脱脂という作業が必要らしいの。私は知らなかったんだけど、その脱脂というのには木灰かおしっこを使うらしいの。

 ……え? 汚くない?


 私にその話を教えてくれたのは月に一度村にやってくる旅の行商人だった。

 そこで私はその行商人にせっけんを持たせてあげた。

「羊毛の加工所に行くことがあったら教えてあげて」

 と言って。


 それが結婚式のために出発する前のことだったんだけど……。


「へえ、それがおぜう様、くだんのせっけんでごぜえますが、なんっとも評判がよろしかったとのことでごぜえまして。是非追加で注文してえとのことでごぜえましたんだべ」


 行商人はぺこぺこ頭を下げながら調子よくしゃべった。

 こんなことを言ってはいるけれど、この行商人は近隣の村を回るだけだ。遠くてもここと都の真ん中あたりの町までしか行かない。

 それでその町の問屋で商品を仕入れたついでにせっけんを渡したら、問屋はそれを都に持ち込んで、その都のお店が今度は北の町に持って行って……と巡り巡って、先般ようやく羊毛の加工所にたどり着いたそうだ。

 まあ使ってみたら大変に具合が良かったということで、その加工所はせっけんを持ってきたお店に注文を出して、そのお店はまた自分のところにせっけんを持ち込んだお店に注文を出して……と巡り巡って、このたび私の工場に大口の注文が入ったというわけだ。


「みんな、調子はどう?」

「あ、おぜう様」

「へえ、言われた通りにぎょうさんこしらえておりますだ」


 工場に顔を出したら五人ばかりの村人たちが一斉に私を見た。

 これまでは月に一度、必要な分しか作っていなかったせっけんだけど、今回は大量に作ってもらっている。まあ冬の時期でどうせみんな手が空いていたしね。日当を出すと言ったら喜んで集まった。

 釜を焚き続けているので工場の中は汗ばむほどに暖かく、みんな袖をまくって作業している。外は冬なんだけどね。


「差し入れを持ってきたわ。みんなで食べて」

「あ、これはおありがとうごぜえますだ」


 サンドイッチを持って行ったら村人たちは作業の手を止めて寄ってきた。


 旅をしていた頃のアレクはその北の台地に立ち寄ったことがあるそうだ。

「灰色の空の下、ところどころ石灰岩の見える緑の草原の上に何百匹もの羊が草を食んでいたよ」

 と言っていた。


 さて、ガラスの重要な原料に炭酸カルシウムというものがある。コンクリートでも使った牡蠣殻がそれ。

 ところが今作っているガラスはあまりにも大量で、牡蠣殻では追いつかなくなってきた。

 そこでアレクはその石灰岩を使ったらどうか、と提案した。成分的には同じものなんだって。


 でもそこはここから見たら国の反対側で、以前行った漁村よりずっと遠い。

 それに間にお店を何軒も挟んでいたら、せっけんがあちらに到着するのはいつになることやら。


 というわけで私はまたメグの兄にお願いしてお使いしてきてもらうことにした。

 ただ行って帰るだけじゃもったいないし、せっけんを運んだついでにその石灰岩というのを持ち帰ってもらおうという計画だ。


「ちょっと遠いけどお願いね」

「謹んで拝命致しますだ」


 彼はうやうやしくこうべを垂れた。

 メグの兄はできたせっけんを馬車に積んで出発した。行商人をお供にして。


「え、何でおらが?」


 行商人は呆然としていたけど、メグの兄じゃその辺の交渉が難しいでしょ。注文を取ってきたのは貴方なんだから責任を取りなさい。




 ところで、持ち帰った石灰岩はガラスを作るだけじゃなくてコンクリートにも使われた。石灰岩の需要は増すばかりで、馬車の車列は回を追うごとに長くなっていった。

 でもせっけんなんてそんなに大量に運ぶものでもないし、こちらから行く馬車の大半は空になってしまう。それは私の用事だけで使っているからそうなるのだ。

 それにその北部との往復だけではない。魚醤や煮干しがなくなるたびに例の漁村に行ってもらったし、都や私の実家へと荷物を届けてもらうことも多かった。お使いに行く先はどんどん増えた。


 そこで私はいっそのこと、と思い切って運送会社を作って、メグの兄に社長を任せた。


 この世界にはこれまでまだ運送を専門に請け負う企業というものはなかった。貴族の領地から税としての収穫物を運ぶのは領民たちだし、商人だって自分のところの商品は自分で運ぶものだった。

 でもそれだと確実性が低い。農民は運送が専門ではないし、馬車の性能だって悪い。

 比べたら私の会社の新型馬車は振動も少ないし積載量も多い。それにメグの兄自ら鍛え上げた護衛集団もついている。その上私のコネを総動員して取引先(貴族)を開拓したものだから、事業は瞬く間に巨大化した。国中のあちらからそちらへ、こちらから彼方へと荷物を運んだ。

 そのうち商品だけじゃなくて、人や手紙やお金なども運ぶようになった。また運送の範囲はこの国の中に留まらず近隣諸国まで広がった。

 やがてメグの兄は世界の流通を支配する郵便・運輸王となる(そしてご主人様の私はとんでもなく潤う)のだけど、それはまた別の話。


 それと例の行商人はなし崩しでその会社に就職させられて商品管理部門のトップとして一生ひいひい言っていたんだけど、それもまた別の話。

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