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ガラス屋さん、始めました!

 あの嵐は雪おこしだったようだ。嵐の翌朝は晴れていたけど冷え込んで、夜から雪になった。

 今朝起きたら山も村もうっすら雪化粧していた。


 アレクも雪を警戒して今日はお休みだ。というか山を越えるのはやめてもらった。滑って落ちたりしたら大変だもの。

 ……と思っていたんだけど、昼からは晴れた。気温が急に上がってくるようなことはないけど雪はどんどん溶けていく。


 せっかくの休日なので私たちは一緒に散歩に出かけた。私はアレクにぬかるみの田舎道をエスコートさせた。はた目には手をつないでいるように見えちゃうかな? ま、いいか。

 アレクとこうして出歩くのは久しぶりだ。風は冷たいけれど雪のおかげか空気が澄んで、遠くまでよく見える。なんだか呼吸も清冽だ。


「もう少しで工場が完成するよ」

 と、歩きながらアレクは言った。

「この雪で遅れないかしら」

「後は内装工事だけだから大丈夫だよ。事業開始は遅れそうだけど」


 工場が完成したら、施主の私が一度見てから操業する予定だった。でもこの雪の中、山道を越えるほど馬術に自信はないからね。


「あ」

 アレクが川向こうを指さした。畑の上にメグの父にどやされながら鍬を振るうジャック君の姿が見えた。

「今日も頑張ってるね。でも何故この時期に畑を?」

「あー、あれねー……」


 二日前からジャック君に訓練のメニューが増えた。走り込みと素振りに加えて鍬打ちの修業が始まった。

 と言っても農民になるための修業ではない。そもそもまだ全然季節が早いし。


「こんな時期に畑さ起ごしでも意味はねえべ。おめさのためだあ」

「サー、と、言いますと?」

「あんな、剣を振る時はだな、素肌の時は背筋を伸ばずんだべが、鎧さ着どる時は腰ざ落どすんだ」

「はあ」

「鍬打ちは鎧剣術の稽古にちょうどええんだ。お貴族様は鎧さ着るからな、どっちもでぎねえといげねえ。ゆっぐりやるがら見どぐんだべ」


 メグの父は鍬を構えた。極端なガニ股なんだけど、歩くとヒタッヒタッと足の裏が地面に貼りつくみたい。お相撲さんの土俵入りみたいな安定感だ。

 その状態から鍬を落とすと鍬の先はサクッと小気味よい音を立てて地面に食い込んだ。ゆっくり……? ゆっくりって何だろう。


「ほれ、やってみるべ。ゆっぐりとな」

「サー、イエッサー」


 ジャック君はゆっくりと鍬を振り上げた。そしてへろへろっと振り下ろされた鍬の先は土に弾かれて、跳ねた。

 メグの父の怒声が飛んだ。


「ダラズ! そらへっぴり腰だあ!」

「サー! わかりません、サー!」

「ごうじで、ごうだべ!」

 メグの父はジャック君の肩とか腰とか足の位置をグッグッと力強く直した。


「剣術だけでねえべ! 鍬打づ動作にはバンツの動作が全部含まれでんだぁ! 頭さ使えながら体ぁ使えぇ!」

「サー、イエッサー!」

 そしてジャック君は冬の畑に鍬を打ち込み続けた。


「……という感じだったの」

「なるほど」


 新しい訓練で疲れ果てたジャック君は嵐も気にしないで眠りこけていたというわけだ。


「地道な基礎訓練も腐らずに続けられるのがジャックのいいところだね。彼は伸びるよ」


 楽器の弾き方の練習も地道に進めて、コードを覚えるところまで行っている。まあ私はコードが何なのかよく理解していないんだけど。少なくとも曲には聞こえない。実際に演奏できるようになるのはいつの日のことなんだろう。




 幸い雪はそれ以上降り積もることはなく、次の日にはきれいさっぱり溶けてなくなっていた。初雪じゃこんなものね。

 様子を見に行ったアレクは思ったより早く帰ってきた。


「工場が完成したよ」

「あら、思ったより早かったわね」

「あちらはそれほど降らなかったらしい。それで、早速ガラスを作り始めたいということなんだけど、君の予定はどうかな? 従業員はもう揃っていて君が来るのを待っているんだ」

「いつでもいいわ。というか早い方がいいわね。明日行きましょう、明日」

「ではそのように」


 翌朝早くから私たちは出発した。空はカラリと晴れている。絶好の移動&開店日和ね。風は冷たく乾いていて、喉が渇く。水分を控えているから余計に。

 私の家から隣の村まで約2時間。その間トイレなんてないの。催してしまったら野外で致すことになる。特に私はスカンツ姿だから、おしりから太ももまで丸出しになる。恥ずかしいわ寒いわ散々な目に合うことがわかっているので、隣村に行く日には朝から水分を取らないようにしている。


 足元が危ういということもなく、私たちは無事新工場に着いた。わ、思ったより大きい!


「おー。立派じゃない。従業員は何人いるの?」

「デレクが工場長で」

 メイの兄だ。

「製造や管理の職人が十人。事務員が一人と厨房が三人。計十五人だね。事業が軌道に乗るようなら増えるだろうけど」

「増えて欲しいものね」


「これはご主人様、さっそく足をお招き、お招き……」

「お運び?」

「お運びくだせえまして、きょうえつしごくに存じますだ」

 工場を眺めていたら、中からメイの兄が転げるように出て来てペコペコ頭を下げた。


「こちらが工場でごぜえます。案内いたしますだ、へえ」


 アレクでいいんだけど。まあ、せっかくだからお言葉に甘えることにした。

 入ってすぐがガラスの製造工房だった。巨大なるつぼや原始的なクレーン、アレク考案になる平板ガラスの製造炉などが据え付けられている。隣接して原材料の倉庫と完成したガラスのための製品倉庫がある。


 それから廊下を挟んで奥には厨房と一体化した食堂がある。休憩室を兼ねているそうだ。

 そのまた奥には仮眠室まであった。


「ずいぶん大きいと思ったら、ガラス製造設備だけじゃなくてこういう施設もついていたのね」

「うん。るつぼは一度火を落としてしまうとまた温めるのに余分な時間とエネルギーがかかる。僕の実験用の炉は毎日温め直していたけど、ここでは一度火を入れたらるつぼが使えなくなるまで火を消さない。夜間は操業しないけど、火を絶やさないように三交代制で監視する。そのための仮眠室だ。そういう勤務体制だから昼食だけでなく夜食と朝食も出す。だから厨房も大きい」

「はー、結構大掛かりなのね」


 あとは事務室があった。

「当面は原材料の把握と完成したガラスの管理だけだけど、実際にガラスが売れ出したら忙しくなるだろうね」

「事務員が一人で大丈夫なの?」

「もう一人二人欲しいのはやまやまなんだけど、読み書きのできる人が少なくてね」

「田舎だものね……」


 メイの兄が全従業員を工房に集めた。私は彼らを前にえっへんと咳ばらいをした。


「えー、皆さんこんにちは。私はこの工場の出資者です」

「?」


 従業員たちはきょとんとしていた。何よ。女だからと侮っている顔でもないし。

 ……あ、もしかして、出資者の意味がわかっていないの?


「えー、私はこの工場の所有者です。持ち主です。私がこの工場を建てさせました」

「へ、へへぇーっ!」


 従業員たちは一斉に平伏した。やっぱりわかってなかったんだ……。


「ここは小さな村の小さな工場にすぎませんが、皆さんには大きな仕事をしてもらいます。ここから世界が変わるのです。ここから世界中へと新しいガラスが広まっていくのです。自分は素晴らしい仕事をしているのだと、一人一人がその自覚を胸に抱いて働いてください。大きな仕事をしている分はお給料もあげますからね。頑張ってください」

「かしこまりましただ!」


 そして私の目の前でるつぼに火が入れられた。事業開始だ。


 それはいいんだけど、この世界では料理は女の仕事で、料理人は全員が女だ。この工場の料理人というのも当然女で、一人は若い村娘だった。熱い瞳でアレクを見つめているわ……。


 もう少し村に近いところでサスペンションとベアリングの製造工場の建築も始まっている。様子を見に行ったらやっぱり見に来たロンが心配そうにうろうろしていた。

 アレクは今度はこちらに注文を出していくと言った。一人で帰るのはさすがに心細かったので、私はアレクが指示を出している間に男爵にあいさつに行った。


 さて、さっそく操業が始まったんだけど、軌道に乗るまでは、と言ってアレクは毎日出勤するつもりだ。

 でもあちらには工場には従業員用の厨房があるし、もうお弁当はいらないだろう。


「だからこれが最後ね。お昼に一品添えるといいわ」

 翌朝、私は鴨肉のハンバーグでハンバーガーを作った。籠を渡すとアレクは重さを確かめて、中を覗き込んだ。

「ずいぶん多いね」

「従業員の分もついでに作ったわ。よかったら食べさせてあげて」

「みんな喜ぶよ」




 そして三日後。

「できたよ」

 最初に製品として完成したガラスは私の家に運ばれた。元々私のお風呂のために始まった話だったものね。長かったわ……。


 ガラスは割れないように厚い布で幾重にも包まれて、工場の職人たちが割れないように担いで運んできた。ご苦労様。

 厳重な包装を外してみると、中から現れたのはまったく透明なガラスだった。

 あら? 瓶とずいぶん違うわ?


「青くないじゃない」

「あちらの珪砂は鉄分が少ないんだと思う」

「へー。産地で違うのね」

「加えて鉛を混ぜてみた」

「鉛? どうして?」

「酸化鉛を添加すると透明度と屈折率が上がるんだ。いわゆるクリスタルガラスというやつさ」

「へー! 貴方っていろいろなことを知っているのね」

「知っているだけでは駄目なんだ。実践して試行錯誤して、初めて自分のものになる。公爵家にいた頃も、旅をしていた頃も、こんなことができるようになるとは夢にも思わなかった。君が僕を信じて託してくれたおかげだ。ありがとう」

「そんなこと……。貴方は本来の力を発揮しただけよ」


 いやだわ、まっすぐ見つめられちゃってるわ……。何だかまっすぐ見つめられなくて、私はそっと視線を外した。

 やだやだ、何だか暑いんだけど。温泉の湯気のせいかしら。


 この村と隣村の大工たちがやってきて、お風呂に窓を作った。

 木で窓枠を作って、ガラスを嵌めて、私のお風呂は生まれ変わった。


「──すごい、寒くない! それに外が良く見える!」

「春になったら外してまた露天にしよう」

「本当にすごいわ……。貴方にできないことってあるのかしら?」

「主に対人関係かな」

「悲しくなることを言うのはやめましょう」

「それとこれはおまけ」


 と言ってアレクが別の箱から出したのは……

「ランプだわ」

「ランプだよ」

 どこからどう見てもランプだった。前世なら山小屋みたいなところに吊るしてあるタイプのあれ。本当に何でも作れるのね、この人。


「あ、明るい! 明るいわ!」

 つけてみたら、新しいランプはこれまでのティーポットみたいなランプと比べたら断然明るかった。文明の光だ!

 まあ、その分燃料も余計に必要だけどね。


 最初のロットでできたガラスは私の家に運ばれて、お風呂だけじゃなくて家中の窓に設置されていった。と言ってもたいした数じゃない。ガラスはどんどんできあがって倉庫に積み上がっている。今のところまだ信頼できる取引先がないからね。

 この世でここだけの平板ガラスだ。せっかくなんだから変な相手じゃなくて信頼できる相手と取り引きしたい。要するに高く売りたい。


 ちょっと考えて、十枚ほど王宮へ献上することにした。一番目立つ窓に入れてもらおう。透明でまっ平らな板ガラスなんてものはこの世界には他にない。きっと話題になるはずだ。裕福な貴族ならいくら出しても欲しがることだろう。で、貴族同士なら直接話を持ちかけるに違いない。私は中間業者なしでの一儲けを企んだ。

 ガラスは都の侯爵邸へと運ばせた。もちろん侯爵家にも贈呈して、ね。父にお願いして、王宮へは侯爵家から運んでもらおう。


 実際の運搬は一番信頼できる人に任せた。つまりメグの兄だ。

「いってらっしゃーい。気を付けてねー」

 まあこちらのルートはのどかなものだし、メグの兄なら何があっても大丈夫だろうけど。


 メグの兄とカルカン村民の輸送隊は、ガラスを乗せた馬車と一緒に都を目指して旅立った。


 売れるかしら? 売れるといいな。

 もしうまく行くようなら、貴族なんてやめてしまって商人になるのもいいかもしれない。なんだか夢が広がってきたわ!




 ところで、王宮に寄贈したガラスは謁見の間の玉座の後ろの窓に飾られて、拝謁する者を驚愕させた。厚みがあって真っ平で表面が滑らかで透明に輝く板ガラスなんてものは、この世界では他にはない。アレクによれば前世でも二十世紀も半ばにならないと作れなかったらしいし。

 この超未来的なガラスはいったいどこから手に入れたものなのか、と貴族の間で噂になったんだけど、すぐに侯爵家から献上されたものとわかった。それでご機嫌伺いに侯爵邸に行った貴族はそこでもまた同じガラスを目にして二度ビックリ。父や兄からタナー男爵領で製造されたものだと聞いた貴族たちは、自分の邸宅のためのガラスを先を争って発注した。

 板ガラスは大いに売れた。私の感覚だと正直法外な値段をつけたんだけど、それでも売れた。原材料費はタダみたいなものだしね。燃料費、工賃、輸送代その他手数料が二割で残りが技術料ってところだ。


 貴族たちのガラスフィーバーは冷めるどころか熱狂の度合いを強めるばかりで、王宮の庭に迎賓館が建てられるに到って頂点に達した。これは大きな建物ではなかったけれど、ホールの天井から壁まで枠組みとガラスだけでできているという贅を極めたものだった。

 この『水晶宮』に案内された使節たちの驚きといったらなかった。彼らの宣伝のおかげでガラスは外国でも売れに売れた。私たちのための宣伝塔を建ててくれたようなものね。ありがとう、陛下。


 窓ガラスだけじゃなくて工芸ガラスも作った。花瓶からシャンデリアまで、クリスタルガラス製品はよく売れた。

 新型のランプの方はもう少しお手頃な価格で売り出した。これが馬鹿みたいに売れた。貴族だけじゃなくてそこそこ余裕のある庶民もみんな欲しがって、注文は年単位で順番待ちになった。私の村では全戸にプレゼントしたけど。

 あ、もちろん馬車もね。本体も部品も笑いが止まらないくらいに売れまくった。


 ガラスと馬車の製造は男爵領の主要産業になった。


 借地料に加えて工場からの税収で男爵は一気に裕福になった。数年で借金を完済したどころか、俗に「タナー男爵は金貨を収めるための倉庫を建てた」と言われるほどのお金持ちに。

 貧乏のどん底から成り上がった男爵は浪費に走った……かというと、お気の毒なことにそんな精神状態にはなれなかった。これまで疎遠だった人たち、特に冷淡とさえ言えた本家のアガサ家が急に親し気な様子を見せてきて、男爵はすっかり人間不信になっていた。

 せっかくお金持ちになったのに自分の世界に閉じこもってしまった男爵は、社交からは距離を置いて領地経営に精を出した。村を大きく発展させた男爵はカルカン中興の祖と称えられた。

 男爵が年老いて亡くなった時、領民たちはその死を悼んで記念碑を立てた。そこには彼の事績が事細かに刻み込まれていた。おかげで後世にも彼の業績が伝わって、カルカン村の歴史を紐解いてもガラス製造史の年表をたどっても、ジョー・タナーの名前は一番最初のページに出てくる。


 でもそれはまた別の話。今はまだガラスが商品になるかどうかわからなくて、私も男爵も将来への期待と不安の中でドキドキしている。

本年はこのお話にお付き合いいただきありがとうございました。

来年も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

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今年一年、お世話になりました。 素敵なお話をたくさん読ませていただきありがとうございます。 来年もよろしくお願いいたします。
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