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冬の嵐

 家にいづらくなった私はぷらっと散歩に出た。

 空はどんより曇っていた。風が強いみたいで、鉛色の雲が私が歩くのと同じ速度で流れていく。まるで私の心みたい。


 うー……。

 あー……。


 メグー……何で急にあんなことを……。

 いやまあ、理由はわかっているけど。昨日隣村からお姉さんが遊びに来ていたから、その時にあちらでのアレクの話を聞いたのだろ。それで余計な気を回した、と。


 って言うか余計なお世話よ、本当に。私たちはそんな関係じゃないんだから。


 ……私たちってどういう関係なのかしら。

 同じ家に住んでいて、食事は一緒。入るのは当然別々だけどお風呂も同じ。寝室だってもちろん別。

 一番近いのは……家庭内別居?


 ──いやいやいや、別居以前に結婚してないし!


 そもそも未婚の貴族の男女が同居しているのがおかしいの。アレクって何で私の家に住み着いたんだっけ?

 ……うん、そう、私たちの関係は契約だった。私はお風呂と衣食住を提供して、アレクは代わりに私の生活を改善するという。私たちは持ちつ持たれつ、お互いを利用し合う関係だ。

 利害だ。愛でなく。私たちはプラトニックだ。言い寄る村娘がいて血迷うなら、どうぞご勝手に。アレクの好きにしたらいいわ。


 頭の中でメグを論破した私はくるりときびすを返した。帰ろう。


 あー、もう。何だかわからないけど心が煮えるわ。何かあってアレクが誰かと上手くいっちゃったら、どうしよう。夕食の席で他の女性の話を始めたら、あまりいい気分はしないと思うの。

 例えばこう。

『〇〇(女性の名前ね)が昼の用意をしてくれるって言うんだ。だから明日から弁当はいいよ』

 ──あ、ムカつくわ。想像以上にムカついたわ。

 って何で勝手に想像してムカついてるのよ、私! さっきから情緒不安定だわ。もう。でも今さら他の人に取られるのも──いやそうじゃなくて!


 だいたいアレクってみんなが言うほどいい男かしら。確かに顔はいいけどデリカシー皆無だし、空気は読めないし、女心ときたらさっぱりわからない。おしゃべりだって下手だ。

 いいところは顔だけ……いや、スタイルもいいか……。

 いやいや見た目は置いておいて。……でも、頭も悪くない。便利なものをあれこれ作ってくれたし。性格も悪くはないかな……? 少なくとも怒ったり怒鳴ったり当たり散らしたりはしない。浮気性でもない。ときどき褒め称えてくれる。お風呂が好きなのも好感よね。何よりいつも私のことを一番に考えてくれるし。私のお願いを何でも聞いてくれるし……。


 ……待って待って、ないから!

 いいとこ探しはやめやめ!


 ただ近所を歩いて帰っただけなのに私は疲れ果てていた。

 こういうときはお風呂よ、お風呂。お風呂に入ってリセットしましょう。




 風が強くなってきた。空の上で雲を流しているだけだった風は地上まで降りて来て、冬枯れの枝をもぎ取ろうと吹き荒れている。屋根の端に引っかかった風がピーッと鋭く鳴いた。


「親父が今夜は荒れるっつっとったべ」

 メグはそう言いながら家中の雨戸のフックを掛けていった。

「おらんちも戸張りせんといかんでな、今日はこれで失礼するべ。ご主人も気ぃつけてな」


 メグが帰宅すると同時に、ジャック君も訓練を切り上げて避難してきた。

 でもアレクはまだ帰らない。心配になってきたわ。あの山道で足を滑らせて落ちたりしていないといいんだけど。

 風を押してドアを開けて外の様子をうかがってみた。空は厚い雲に覆われて、日が暮れるにはまだ早いのに薄暗い。おまけに雨まで降り出してきた。でもやっぱりアレクの姿は見えない。

 心配だわ……。


「ただいま」

 それから一時間もしてようやくアレクが帰ってきた。


「レインコートでよかったよ」

 そう言いながらアレクは濡れたコートをハンガーにかけた。トラウザーズの太ももじゃなくて、裾の辺りが濡れている。どうやら歩いて帰ってきたようだ。

「おかえりなさい。心配したんだから。馬はどうしたの」

「ダッドに返してきたよ」

 アレクが普段乗っている駄馬はメグの家からの借りものだ。

「大工たちが今夜は荒れると言っていたから少し早めに戻ったんだけど、やはり雨に降られてね。馬を洗っていたら遅くなった」

「事故じゃなくて良かったわ」


 雨戸を締めきっていて家の中は真っ暗だ。心細かったのでランプをいつもよりひとつ余分につけて夕食を食べた。

 風がだんだん強くなってきた。雨戸がガタガタと音を立てて揺れた。ギィギィと柱の軋む音まで聞こえてきた。訓練で疲れ果てているジャック君は眠気で音も気にならない様子だけど。


「帰る時に西の彼方が光っていたよ」

 アレクは壁の向こうの西の方に視線をやりながらそう言った。

「今夜は雷だ」

「こっちに来ないといいけど」


 それからアレクは今度はジャック君に目を向けた。食べ終えたらすっかり眠くなってしまったようで、こっくり船を漕いでいる。

「この荒れ方じゃ楽器の音も聞き取りづらいね」

「早く寝ちゃいましょう」


 私たちは早々に寝室に引っ込んだ。アレクはゲストルームに、ジャック君は警備室に。距離は短いけど、この雨じゃきっとずぶ濡れだわ。傘と布を渡したら、ジャック君は「ひえー」と変な声を出しながら駆けて行った。


 ランプを消してベッドに横たわったのはいいんだけど……全然眠れない。

 雨も風も夜が更けるに従ってますます強くなってきた。雨戸どころか家そのものが揺れている。ガタガタ、ガタガタッと壁も床も揺れる。屋根が飛んで行ってしまったらどうしよう。おまけに遠くからの雷がどんどん近づいてくる。


 突然爆音が響いた。


「きゃああああっ!」


 建物全体がビリビリ震えた。鼓膜が破れそうだった。雷が近くに落ちた!

 さらに叩きつけるような轟音がもう一度響いた。今度はもっと近い!


「嫌ああっ!」


 一人でいられなくなって私は寝室から逃げ出した。こんな小さな家なんて一撃で打ち砕かれてしまうんじゃないか、という恐怖で居ても立っても居られなかった。私の大切な家がなくなってしまったらどうしよう?

 他に身を守るものがない、毛布を頭から被って、真っ暗な廊下を手探りでさ迷う。


「お父様!」


 助けを求めて叫んだけど、父はここにはいない。また雷が落ちた。


「お母様! お兄様!」


 母も兄もだ。だって私は家を出てしまった。


 その時、廊下の端に小さなランプの光が揺れた。

「どうしたの?」

 アレクが応接室の扉を開けて出てきた。


「アレクー!」


 私はアレクの懐に飛び込んだ。一瞬ためらう気配があったけど、優しい腕が毛布の上から抱きしめてくれた。


「どうしたの?」

「だって、雷が……」

「心配ないよ」


 落ち着いた声が耳元で聞こえた。

 かと思ったら、アレクは私を連れて玄関へと移動して、ドアを薄く開いた。な、なんてことするの! 同時に外の光が飛び込んできた。どこかに雷が落ちた!


「ほら、光った。1、2、3──」


 雷鳴が私の家を揺るがした。


「きゃああっ!」

「音は1秒間に340メートル進む。落ちたのは1キロ以上先だよ。心配ない」

「……慰めるにしてももう少し言い方があるでしょ!」

「この家には落ちない。安心して」

「……あ、貴方、怖くないの?」

「知識があれば恐れることはないんだ」

「だって貴方、前世は雷で死んだんじゃなかったの?」

「だから今度は間違えない。大丈夫だよ、心配ない」

「もう……」


 すっごくアレクらしい。あまりにも普段と変わらないものだから、何だか私まで落ち着いてしまった。


 厨房のストーブの炎がダイニングを照らす。外は相変わらずの大嵐でストーブの音はかき消されてしまっているけど、ときどき薪の爆ぜるパチンという音が聞こえてくる。

 私たちはダイニングに移動していた。長椅子に隣り合って腰かけて、アレクはときどきストーブに薪を足しに行く以外はずっと傍にいて、抱きしめてくれていた。私も誰かに抱きつきたかったんだけど、毛布の下で私の腕は外に出ることができなくて、仕方なく自分の体を抱きしめていた。




「ん……」

 目を開けるといつものベッドの上じゃなかった。暗くない、ストーブが燃えている。……そうだった、ダイニングにいたんだった。

 いつの間にか眠っていた。きっと朝だ。もう風の音は聞こえない。嵐は過ぎ去っていったようだ。


 私が目を覚ましたのに気づいたのだろう。アレクは腕の力を緩めた。

 もしかして、一晩中こうしていたのかしら。


「おはよう」

「うん。おはよう。もう大丈夫よ」


 朝のあいさつをするとアレクは手を離した。

 ああ、体温が遠ざかるのがなんだかもったいない。それに腕が昨夜から手持ち無沙汰だ。なんとなくひっついてみようかなという気分になった私は、被っていた毛布を肩まで下げてアレクに体を寄せた。


「何?」

「うん……あのね」

 私はアレクに手を伸ばして──


「おはようございます」


 ひゃふっ!

 突然声を掛けられて、私は長椅子の上で跳ねた。

 あくびをしながらダイニングに入ってきたのはジャック君だった。


「あ、お、おはよう」

「やあ、おはよう」

「どうしたんですか、こんなところで毛布なんか被って」

「嵐のせいでちっとも眠れなかったから、ここで一晩明かしたの。貴方は元気そうね」

「耳栓のおかげで静かに眠れましたよ。訓練で疲れていますし。朝までぐっすりでした」


 言い終えてからジャック君は長椅子に寄り添って座る私とアレクとを見て、居心地の悪そうな顔をした。


「お邪魔でしたか」

「──メグ」

「へえ」


 長椅子の後ろからメグがにゅっと頭を出した。


「待って、今どこから出た?」

「お父さんを呼んできて。ミスター・ジャックの修業の時間よ」

「へえ」


 メグはジャック君の襟首をつかんで、猫の子みたいに引きずって行った。

「だからそれはないですよー!」

 と、悲鳴にも似た絶叫が遠ざかっていった。


 まったく……。本当に失礼なお子様だ。

 気を取り直して、私は長椅子の上に足を引き込んで、アレクとまっすぐ向かい合った。


「あのね、ありがとう。貴方がいてくれて本当に良かった」

「その言葉だけで全て報われた気分だよ」


 アレクの笑顔は嵐の後の太陽よりも眩しかった。

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