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その後のジャック(と、もう一人)

 翌朝はまた剣の、というかその前段階の体力づくりが始まった。ジャック君は始まる前から動きがぎこちなかったけど。

「体中が痛い……」

「体が痛ぐでも動けるようにすぅ稽古だべ」

「うう……」

「ほれ、昨日教えた動きを覚えとるだか?」

「サー、多分、サー」


 昨日のジャック君は、初めはただがむしゃらに走っていた。でもすぐに駄目出しされてフォームを改善された。姿勢とか足の運び方とか呼吸の仕方とか。


「まずはな、ゆっぐりと体を動がしで、動き方を体に染み込まぜるんだあ。ほれ、行くべ!」

「サー! イエッサー!」

 ジャック君は苦しそうな顔で走り出した。


 昼食後、またダウンしたジャック君はお昼寝タイムに突入。2時間ほどして家に戻ってきた。まだ少し眠そうな顔をしている。

「おはよう。顔を洗ってらっしゃい」

「はい……」


 顔を洗ってしゃっきりしたジャック君に私は椅子を勧めた。

「それじゃ、座って。今日はアレクがいないから、私が教えてあげるわ」

「レディも何か弾けるのですか?」

「私は聞く方専門よ。音楽じゃなくて、貴族各家の歴史と現在の人間関係を教えてあげる。貴族なら必須の学問よ」


 特に若い令嬢たちの関係について私より詳しいのはうちのエリザくらいなものよ。さすがに一年間もブランクがあるとね……。エレアノールさんがあんなことになっているなんてことも知らなかったし。

 とはいえ歴史が変わるわけじゃない。私はジャック君に紙と羽ペンをあげた。

「それじゃ、まずはこの国の成り立ちから──」




 そんなこんなで十日が過ぎた。


「どう、少しは慣れた?」

 お茶を勧めながら聞いてみた。ジャック君はお礼を言って受け取りながら、答えた。

「正直に言って戸惑うことばかりです。でも毎日が新鮮で、楽しいところがあるのも事実です」

「そう。楽しみながら学べるなら幸いだわ」

「本当に、感謝します」

「礼を言うのはまだ早いわ。修業が終わったらいいところのお嬢さんを紹介してあげるから。ねえ、どんなタイプがお好み?」

 私は笑顔で聞いたんだけど、ジャック君はにわかに表情を引き締めた。

「女性の好みはありませんね。大して興味もありません」

「そんなこと言わないで。お父様も期待されていたわよ? あ、そういえばお母様は?」

「僕の母ですか?」


 男爵の奥方については私の見た資料には載っていなかった。だからついでに聞いてみたんだけど、私が母親に言及した瞬間にジャック君はふっ、と顔を翳らせた。


「あら、ごめんなさい」

「いえ、そういうのではありません。貧乏暮らしが嫌になってとっくの昔に実家に帰りましたよ」

「あら……」

「他家に再嫁してそちらで子供がいます。もう会うこともないでしょう」


 てっきり亡くなっているのかと思ったら、そういうことね。

 ジャック君は冷めた目をしていた。


「女性というのは家族の情よりも生活の利便性の方が優先するようです」

「そんなことは……」


 言いながら私は目をそらした。ごめんなさい、これに関しては私は何も言えない。


「ですから僕は結婚するつもりがないのですが、もしそのようなことがあるとしたら、田舎暮らしでも平気な女性がいいですね。……ああ、あと二面性のある女性も嫌ですね。裏表のない人こそ素敵です」


 何それ、嫌味?


「そんな女はこの世にいないわ」




 ところでこのジャック君だけど、一年ほど後男爵に連れられて都へと出た。火の車だった男爵家の財政も改善していたからね。そろそろ貴族社会に紹介しておこうというつもりになったようだ。

 私も素敵なお嬢さんを紹介すると言っていた手前があるものだから、兄に紹介状を書いて侯爵邸を拠点にしてもらうことにした。そういうことは本当は本家のアガサ家がやるべきなんだけど、あまり関係がよくないみたいだし。まあ、エリザにも手紙を書いておいたから、よろしくしてくれることだろう。


 ──と思っていたら、何だかすぐに一人で帰ってきた。


 都会の厳しさに打ちのめされたのかと思ったらその逆で、何でも剣術と音楽の腕と(つまり文武両道だ!)で名を上げて、大変にモテたそうなのだ。それで気を良くしたジャック君は中途半端な修業をやり直すために戻ってきたのだとか。女の子に興味はない、なんて言っていたくせに……。


 ともかく、私たちが英才教育を施したこの少年は、都の令嬢たちの間で大人気になった。

 いや私は九割方疑っていたんだけどね? エリザが実際にそうなんだって教えてくれた。うーん……、他の人が言うなら絶対信じなかったけど、エリザが言うなら本当に本当なんだろう。信じられないけど。


 彼は私の村と都とを何度も往復して、さらにその一年後にとうとう一人の令嬢を射止めて帰ってきた。

 来た、の、だけど……。


 なんとその令嬢と言うのが、エマだったの……。


 ……え? エマ、本当にその子でいいの?

 いえ、私は近所にエマがやってきてくれて嬉しいけど……。でも、ジャック君は年下じゃない! そりゃエマとじゃ一つ違いだけど……でも、頼りなくない?


 聞いてみたんだけど、何かね、エマは本当は宮廷生活が好きじゃなくて、私がいなくなってからはほとんど実家に引っ込んでいたんだって。聖女のお友達役を期待してたんだけど、無理だったみたい。


「あら、それは悪いことをしたわね」

「いいえ。当時の状況でしたらセシリア様がそうお考えになるのも仕方ありません。あの人たちじゃ当てになりませんし」


 貴族らしい話し方が面倒くさくなった私が普通に話しかけたらエマも普通に返してきた。ああいうしゃべり方もストレスだったんだって、本当は。


「本当は私、あの上級貴族の令嬢たちが嫌いだったんです。口から出るのは人の悪口と自分の自慢話ばかりだし、やることなすこと目先の欲望を満たすことばかりで」

 とエマは言った。私の昔の取り巻きたちのことね。親の言いつけで仕方なくお付き合いしていたけれど、本音では嫌で嫌でたまらなかったのだとか。


「ちゃんとした人たちから先に結婚していなくなっちゃうし、本当に辛くて……」

「わかるわー……」

 私でもとうとう音を上げてこんな田舎に逃げ出したくらいだしね……。


「アラン様のことも、ごめんなさい」

 それから、何だか唐突に謝られた。アランはエマがお見合いした伯爵家のご子息だ。

「何のこと?」

「せっかくご紹介いただいたのに、お断りしたじゃないですか」

「ああ、いいのよ、そんなこと。別に気にしなくても。まあちょっともったいないかなーとは思ったけど」

「もったいなくなんてないです! だって伯爵家なんかにお嫁入りしたら、あの大嫌いな人たちと一生ずっと付き合わないといけなくなるじゃないですか!」

「ああ、うん。それは多分、そうなるわね」

「それも子爵家の出身ということで下に見られながらですよ? そんなの耐えられそうになかったからお断りしちゃいました」

「ああ、そういうことだったのね」


 でもエマも18歳の誕生日を控えて、貴族の女性がその年で婚約者もいないというのは外聞が悪いと、毎日ご両親からせっつかれていたんだって。

 と言っても実家に引きこもっていたエマに出会いがあるはずもなく……。仕方なく都に上ったついでにエリザにあいさつに行ったら、ちょうど公爵邸に逗留していたジャック君を紹介されたそうなの。

 エリザ……。いえ、よろしくお願いとは書いたけどね?


 エマははしゃぐように言った。

「ジャック様って素敵じゃないですか」

 す、素敵? ツッコミそうになって私は口をぎゅっと閉ざした。


「強くて、リュートもお上手で、年下だけど頼りになって……。それにご領地が都から遠いのもいいですよね! ライバルがたくさんいたんですけど、みんなそこがネックで。でも私には最高でした」

「そうなの?」

「それにセシリア様のおうちもすぐそこですし」

「あら、それはありがとう」

「そういうわけで、プロポーズされたら二つ返事で受けちゃいました」

「うん、おめでとうございます。良かったわ、貴女にもお相手が見つかって」


 それはいいんだけど……。

 こ、こんなお子様に私のエマを取られるなんて……。悔しいわ……。


 でもそれはまた別の話。今はまだエマは実家にいるし、ジャック君はひいひい言いながら走らされている。

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