お引越し
ジャック君のお引越しは六日後と決まった。
その間に私たちは彼を待ち受ける準備をした。
庭の元警備室が彼の新居ということになった。にがりも牡蠣殻も使い果たしてしまって、今は空いているし。
まず大工兄弟を呼んで内壁を板張りにした。今までは材木がむき出しだったからね。アレクが住んでいた頃は良かったけど、今の時期はいかにも寒い。ついでに椅子とテーブルとクローゼットも増設してもらった。
アレクはベンと一緒にロケットストーブを作った。
私はメグと二人でジャック君の冬布団を縫った。
「何だか久しぶりの出番だべ」
縫いながらメグが変なことを言い出した。何よ。
「毎日会っているじゃない」
「おらの主観では久しぶりなんだべ」
「メタ発言はやめなさいって」
「それはそうと、ええんだべか? 一人暮らしなんかさせて」
メグは今度は変な顔をした。何よ。
「何か問題でも?」
「ええとこの若け衆が村の女たちの遊び場になっちまうべ」
「あそびば?」
「アッチのな」
と言いつつメグはとんでもなく下品なハンドサインをしてみせた。れ、レディに向かってなんて真似を……。
「え、待って、ということは、もしかしてアレクも?」
アレクは半年近く警備室で一人暮らししていた。まさか、その間に……。
でもメグは首を横に振った。
「みんなアレクさはご主人のだと思っとるから手ぇ出さなかったんだべ」
「なっ……」
メグはボリボリ頭を掻いた。
「まあ、ええか。親の目さ離れたお貴族様の若けえのが羽目を外すなんざあ、よくあることだべな」
つい最近それで失敗した例があったでしょ……と、口に出しては言えなかったけど、思った。
「……うん、そうね。ドアにカギをつけましょう。ロック、リー! ちょっと来て!」
私は大工兄弟を呼んだ。
「──というわけで男爵家のご子息を預かることになったの。それで、剣術を教える約束をしたんだけど、貴方教えてあげてくれるかしら?」
次に私はメグの兄を呼んでジャック君の剣術の師匠になってくれるようお願いした。私の知る限り、この人って相当強いみたいだし。多分その辺の騎士が束になっても敵わないくらいに。
ちなみにアレクの方は音楽を教えることを快く(とっても微妙な顔はしていたけど、快く、ね)引き受けてくれた。
ところがメグの兄は何だか神妙な顔で答えた。
「おらはまだ人に教えられるほどの腕ではねえべ」
「貴方がそうじゃなかったらこの国の誰がそうなの……」
「親父でどうだか?」
「それは、まあ」
父親の方も強いんだとは聞いているし、それにこの兄を鍛え上げた人だし。育成能力は保証書付きだ。
「それじゃ、お願いしてくれるかしら?」
「伝えとくべ」
さて、ガラスを作るのには珪石とアルカリ、鉛だけじゃなくて、もう一つ重要なものが必要だ。貝殻だ。
ところが、それがもう残っていない。元々コンクリートを作るためにほとんど使ってしまっていたんだけど、先日のガラスの実験でとうとう底を尽きた。
仕方がないのでメグの兄に取りに行ってもらうことになった。
「あ、ついでに乾物と魚醤とお米も買ってきて。それとにがりも」
これも全部食べてしまった。結構あったんだけどね、ラーメンの研究で使い果たしちゃった。
「承知いたしましただ」
メグの兄には私の馬車で行ってもらうことにした。椅子を取り外して、荷物をたくさん積めるようにして。ベアリングが入っているから、大荷物を積んでいても大丈夫だろう。内装ができていなくてかえって良かったわ。
ただ、見た目は貴族用の馬車なので、貴族の馭者の服装で運転しないといけない。メグの兄はかしこまった姿で出かけていった。
うーん、今回はメグの兄にお願いしたけど……本当に事業としてガラス作りを続けるつもりなら、定期的に貝殻を運ぶための仕組みを作らないと。
その間にアレクには都へお使いに行ってもらうことになった。エリザに贈る青磁の器を届けるために。
本当はこっちもメグの兄に行ってもらうつもりだったんだけど、話を聞いたアレクが「それならそちらは僕が届けよう」と言い出した。
まあ海に行ってまた都に行くなんて、距離も時間もすごいものね。
青磁に黄瀬戸に志野とかいう器に、おまけでティーポットをつけてアレクに持たせた。
「それじゃ、これ。お願いね。気をつけてね」
「ついでに錫があるかどうか見てくるよ」
アレクは今日は騎士の装いで、また男爵のところに馬を借りに行った。今度は替え馬ではないけどね。
二人が帰るのを待つ間に、私はジャック君を迎える準備を進めた。
「えーと、食器は良し。布団も良し。着替えも多分良し。歯ブラシその他の衛生用品に生活用品に、部屋も用意したし……あと何が必要かしら?」
男の子のものってよくわからない。
「さあ……。お貴族様の持ちもんはわかんねえべ」
メグも見当がつかないようだ。
「まあいいわ。来てから足りないものがあったら用意しましょう」
四日後の夜、先にメグの兄が戻った。馬車に満載された食材を、私たちはきゃあきゃあ騒ぎながら食糧庫へと運び込んだ(貝殻は軒下に積んでおいた)。
五日後にアレクも帰ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい。途中で危険なこととかなかった?」
「こちらは平穏なものさ」
「そう、それは良かった。それから、貴方もいらっしゃい。今日からよろしくね」
アレクの後ろにもう一頭馬がついていた。その馬から降りた少年に私は声を掛けた。
ジャック君だ。アレクは都からの帰りに馬を返すために男爵邸に立ち寄って、一緒にジャック君を連れて帰った。
ジャック君は私の前で大仰に頭を下げた。
「このような仕儀になってしまいました。不本意ではありますがお世話になります。ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「はい、よろしく。それじゃ、まずはこっちにいらっしゃい。貴方の部屋を用意したわ」
馬をメグの兄に任せて、私はジャック君を元警備室へと連れ込んだ。
壁も貼ったし家具も新品だし布団も真新しい。すっかりリフォーム済みで、なんだか新築みたいだ。ジャック君は興味深そうに中を眺めていた。
私はクローゼットを開けた。
「はいこれ、冬用のコート。持っていないと思ったから勝手に作らせてもらったわ。目分量で縫ったからサイズは合わないかも。直すから言ってね」
「はい」
それから下の引き出しを開けた。
「こっちは靴下にハンカチにマフラーに……えーっと、足りないものがあったら教えてね」
「そこまでしていただけるなんて……感激です」
「どういたしまして! お預かりしたからには面倒を見てあげるから。このストーブは……うん、あとで教えてあげるわ。アレク、先にお風呂とトイレの使い方を教えてあげて」
「オーケー。それじゃあジャック、こちらの家に来てくれないか」
「はい」
家の中をひとしきり案内して、夜には歓迎会だ。私はメグの妹をお供に腕によりをかけた。
まずは前菜に貝柱の出汁で茶碗蒸しね。具は鶏肉の切り身、銀杏がないから気分で豆、干したキノコ。彩りにパセリ。
蓋物として鶏肉と根菜のポトフ。カブにニンジン、ジャガイモをバランスよく。
揚物はたっぷりの鶏の唐揚げ。今日のために若鳥を一羽、丸々使っちゃた。
煮物は猪のバラ肉のワイン煮込み、焼物は肩ロースのロースト。
汁物のラーメンとおまけの餃子はメグの妹の作品だ。
あげたばかりのフォークで料理を一品ずつつついていたジャック君は、ラーメンを食べてとうとう大きくため息をついた。
「あら、どうしたの?」
「いえ……。我が家は貧しいもので、こんなものを食べたのは生まれて初めてで……舌が驚いています。やはり侯爵家というのは裕福なのですね」
「うーん、お金とはあまり関係がないかな……。私の実家で食べているものって貴方のご実家でお召し上がりのものと大差ないからね」
「そうでしょうか?」
「お金があったって調理法はみんな同じなんだもの。私のこれは食材に対する理解と料理の腕によるものよ」
「はあ、そうですか。素晴らしい料理人をお抱えでいらっしゃるんですね」
「お褒めに預かり光栄だわ」
食後に楽器を持ち出したアレクが弾き語りした。例の無限列……悪魔将軍が出てくるお話を。
「うっ、うっ……」
ジャック君は滂沱の涙を流していた。彼はあげたばかりのハンカチで涙を押さえながら、言った。
「……何て哀しい物語なんだ! ロード、貴方は不世出の天才だ」
「お褒めに預かり光栄だね。……うん、言いたいことはわかるからそんな目で見ないでくれないか?」
我ながらものすごく冷めた目で見てしまった。私の視線を受けてアレクは目をそらした。
ジャック君はなおもアレクを褒めた。
「卓越した演奏技術……澄んだ歌声を下支えする、新しくそして美しい曲……心を揺さぶる物語……。何故こんな国の片隅に隠れていらっしゃるのですか? 貴方なら王宮でもどこでもすぐに話題の中心となれるでしょうに」
「僕が人から肯定的にとらえられることはないよ。特に女性からはね」
「その顔でそんなことを言われても嫌味にしか聞こえませんよ。やはり愛のためですか?」
「うん、そうだね。いや、僕は人と会話するのが苦手でね。苦手と言うか話が通じないんだ。僕とまともに話をしてくれるのは彼女だけだ」
「やはり愛ですか……」
「それはともかく、明日からはこれを教えてあげるからね。僕程度の技術で申し訳ないけれども」
「楽しみです!」
翌朝はおかゆを炊いた。お米が手に入ったから鶏の出汁に玉ねぎを入れて、若干洋風かな? お米もジャスミンライスだし。
不思議そうな顔で見ているジャック君に、私はおかゆを勧めた。
「これから運動の時間だから、消化のいいものにしておいたわ」
「はあ。それは、どうも」
ジャック君はよくわかってなさそうな顔で答えた。
「それはともかく、何故侯爵家の令嬢が料理を……?」
「趣味と実益」
食後、とうとう剣の修業が始まった。
「さあ、お楽しみの時間よ」
「僕は別に……。ロードの音楽の方が楽しみですが」
「夜に教えてもらいなさい」
アレクは工場建設の相談のために男爵のところに出かけちゃったからね。まあ、ジャック君にその元気があれば、だけど。
この時期はもう畑仕事はほとんどなくて(少しばかりの冬野菜を作っているくらいだ)、村人たちは薪を割ったり雪に備えて屋根を直したり、冬の仕事に精を出している。
そういうわけで、ちょうど手の空いていたメグの父は快く教師役を引き受けてくれた。
「一人前の貴族にすると約束したからね。よろしくお願いするわ」
「へえ」
メグの父は大きな体をかがめて返事をした。
メグの父はいかつい大男だ。長年の日光と風雪に晒された肌は赤く日焼けして、皺だらけ。目つきの厳しさと言ったらもう、いつかのチンピラなんて睨まれただけで逃げ出してしまいそう。
「一所懸命に務めさせでいただきまずだ」
メグの父親というのがまたメグに輪をかけて訛っていて、多分他所の人には聞き取れない。私はわかるけど。
まあジャック君もここと大して変わらない田舎村の出身だし、通訳はいらないだろう。
「ミスター・ジャック」
「はい」
「身分の違いはあるといえど師弟の関係だから。彼の命令であれば何であれ従いなさい」
「何故僕が」
「口ごたえしない! 彼は農民だけど、騎士だと思って接しなさい!」
「ご主人、そろそろ始めでもええだか?」
「ええ、お願いするわ。ビシバシ鍛えてあげて頂戴」
「了解だべ」
「いやだから何故僕が」
「口ごたえしない! 彼に話しかけられたら返事する前と後に“サー”と言いなさい!」
「というごどだべ。お貴族様だらがなんだらが手加減せんからな! わがっだけ!」
「いやだから」
ジャック君はなおも不足そうだった。ところが、次の瞬間私はメグの父の姿を見失った。
「……っ!」
気がついたらメグの父はジャック君のバックを取って首を締めていた。あれ、今どうやったの? 一瞬で後ろに回っていて、どうやったのか全然見えなかった。
ジャック君は締め上げる腕を叩いて降参しているけど、メグの父は全然力を緩めない。ジャック君の顔が真っ赤になって、いよいよ意識が途絶える、という瞬間にようやく力を緩めて突き放した。ジャック君は地面に両手をついて荒い息を吐いた。
「ヒュー……ヒュー……」
「おらはいづでもおめさを殺ぜんだ。わがるけ?」
「……」
返事をしなかったらもう一回締めた。
「わがるべな?」
「……サー! イエッサー!」
という感じで完全に上下関係を叩き込まれたジャック君は木刀を渡されて素振りを始めた。それで姿勢がどうの足の運びがどうの目つきがどうのと指導されていたんだけど、物になる前に体力が尽きた。
「ぜひ……死ぬ……」
ジャック君は息も絶え絶え地べたに倒れ込んでいる。
そんなジャック君をメグの父は冷徹に見下ろした。
「おめさは剣をやる以前の問題だべ。まずは体づくりがらだぁ!」
「ふー……ふー……」
「返事ィ!」
「サ、サー! イエッサー!」
ジャック君は棒を振り回すメグの父に追いかけ回されて、慌てて走り出した。
ホーッホッホ、私に屈辱を与えたお子様が苦しんでいるのを見るのは楽しいわ!
向こうの畑からこちらの山際まで、あちこち走り回って帰ってきたジャック君は私の前でバタリと地に伏せた。
「どうして、僕が、こんな目に……」
「今まで修業をサボっていたツケが今回ってきているのよ。これまでの自分を恨みなさい」
「……貴女がやらせているんじゃないですか!」
「生殺与奪の権を他人に握らせた貴方が悪いのよ」
「何ですか貴女、僕の家での様子とこちらでの態度とで全然違うじゃないですか!」
「女には家の中と外とで二つの顔があるの。覚えておきなさい」
「それはただの嘘つきだ!」
「女の嘘は嘘じゃないの。可愛げと言うのよ」
「自己正当化にも程がある!」
「女の可愛げを許容できないようではモテないわよ」
「ならモテなくてもいい!」
「落ち着いただか。だっだら続きだべ!」
「ひぃー!」
ジャック君はメグの父に追い立てられてよろけながら再び走り出した。
あー、スカッと爽快だわ。久しぶりに悪役令嬢の気分だわ。そしてジャック君はペットの小動物ね。あれよ、ときどきキュッと握りしめて自分の優位性を確認するやつよ。
ジャック君の修業という名のしごきを眺めて一人で悦に入っていたら、後ろからメグが声を掛けてきた。
「それは悪役令嬢でなくて悪役のやることだべ」
「モノローグにツッコまないでよ」




