タナー男爵家
翌日、私たちはメイの兄に案内されて隣村へ向かった。
カルカン村は私の村の真ん中あたりから山ひとつ越えた向こう側にある。距離的には以前海に行ったときに休憩した町よりずっと近いんだけど、時間は同じくらいかかる上に馬車が通れない。私は久しぶりに乗馬服を引っ張り出した。馬に乗らないと。
駄馬に跨り二時間、冬枯れの木立でスカスカの山道をぽっくりぽっくりと乗り越えて、ようやくカルカン村についた。
「こっちですだ」
メイの実家だという窯元の裏手の崖は全体が白っぽい石でできていて、下の方には崩れた石が積み重なっていた。
アレクは石を手のひらにすくって確かめて、ザラザラと元のところに戻しながら言った。
「確かに。量も多いし純度も高そうだ」
「窓ができそう?」
「大規模な工場だってできそうだよ」
それから鉛の採掘所も見に行ってみた。
その鉱山というところはメイの実家から一度山裾へと下って、別の山へと分け入った奥にあるらしい。元々は銀山だった、と私が見た資料には書いてあった。
引っ越すときに近隣の領地と領主については調べていた。変なご近所さんがいたら嫌だしね。
この村は今はタナー男爵家の領地だけど、その昔にはアガサ伯爵家の領するところだった。百年も昔には小さな銀の鉱脈があって、それなりに栄えていたようだ。でもほんの数十年で取り尽くしてしまって、辺鄙な土地だし他に産業もないしということで、男爵のおじいさんが分家したときに押し付けられたようだ。
実を言えば私のイナカン谷だって元は伯爵家の領地だった。遠い昔にそのアガサ伯爵家から我が家にお嫁入りされた方(えーっと、高祖母だから、私から見て四代前だ)が相続されて、そのまま侯爵領の飛び地になっていたものだ。なにしろカルカン村以上に何もないところだものね。いらなかったのだろう。おかげで私が温泉を独占できるのだけど。
またメイの兄の案内で、寂れた村の畑の中を横切る細道を下って鉛鉱山へと向かう。
鉱山の入り口というところから先は少し景色が違っていた。こちらには畑なんてなくて、ただ裸の木立が凍えるように立ち並んでいる。
さらに奥へと分け入るとそんな木々すらなくなって、荒涼とした岩場が広がっていた。小屋のような建物から黒い煙が細く立ち昇っている。あれが精錬所なのだろう。
寂れているなんてものじゃない。荒れ果てている。コケもむさない岩の隙間から変なシダが生えていたりして、あまり景観がいいとは言えない。
「なんだか景色の悪いところね」
寒々しさになんとなく自分の体を抱きしめながらつぶやくと、アレクは遠い目で辺り一面を眺め渡しながら、言った。
「鉛は人体にも植物にも有害だからね」
「そんなものを使って大丈夫なの?」
「そうだね、可能なら他の金属に切り替えた方がいいかもしれない。比較的入手しやすくて融点が低くて毒性が低いもの……スズかな……。まあ、君の家のガラスを作るだけだから、健康被害を心配するほどの害はないだろう」
「気をつけてね」
……あ、これ、もしかして私の谷もこんな姿になっちゃうの? 嫌だわ。
小屋を訪ねて見せてもらったら、鉛はものすごく大量に採れている──とは言いがたかったけれど、ガラスを作るには充分な量があった。どうやらなんとかなりそうだ。
私たちは珪石を採取する許可と鉛を売ってもらう許可を得るために男爵のところへ向かった。
ようやくふもとまで降りてきた。ここまで来ると見慣れた田舎の景観だ。
カルカン村は幾筋もの小川が山を削ってできた谷間にある。景色は私の村と大して変わらない。冬の木立はすっかり裸で、枯れ葉が足元でサクサク音を立てている。
小川とも言えないような小さな沢がいくつもあって、ほとんど板を渡しただけのような小さな橋を渡るとふよんふよんとたわんだ。
その沢の一つを渡る時、湯気が上がっているのに気づいた。
「あら、もしかして……」
下に降りて、手を入れてみると思った通り温かかった。
「あ、温泉! やっぱり温泉だわ!」
「へえ、こちらにも湧いているんだね」
男爵のところへ行くのを後回しにして流れをたどってみた。私には鉛なんかより重要なことだし。
やがて岩の割れ目からお湯が湧き出しているのを見つけた。こちらの村でも誰も利用していないようだ。
アレクは辺りを見回した。左右だけじゃなくて上を見たり下を向いたり、地形を確認しているようだった。
「昔はこちらに川が流れていたようだね。川の流れが岩を削って水脈が露出したんだろう。……なるほど、それで鉛が取れるのか」
一人で納得しているわ。……いえ、チラチラとこちらを見て、すっごく話したそうにしている。
「長くなりそう?」
「駄目かな?」
「どうぞ」
正直なところアレクの難しい話を聞いていると頭が痛くなってくるんだけど、しゃべらせてあげることにした。私は寛大だから。
「では。まず、地球表面はプレートと呼ばれる岩盤層によって構成されている。これは知っているよね?」
「いきなり話が飛んだわね……。よく知らないけど、確か地震の原因になるやつよね?」
「地震の原因もいろいろだけどね。例えば日本列島は北米プレートとユーラシアプレートの上に乗っている そこに向けて太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込んでいて、それに伴うひずみが地震の原因になるわけだ。それでだね、このプレートがプレートの下に潜り込むときに大量の海水を巻き込むんだ」
「へー。それで?」
「うん。そのためにプレートの下のマグマの中には大量の水が含まれている。高温高圧の状態でね。で、水と言うのは実は金属を溶かしこむ。海水1トンには金1ミリグラムが溶けているとされているね。ところが、マグマの中の高温高圧下ではもっと大量の金属を溶かす。さて、このマグマが上昇して地表近くになると温度も圧力も下がって、金属は水に溶けていられなくなって析出する。そしてマグマも冷えて固まり、水がすっかり抜けてしまった後には金属の鉱脈が残されることになる。これを熱水鉱床と呼ぶ。あの鉛の鉱脈はそうしてできたんだろう」
「どうしてわかるの?」
「温泉が湧いているからだよ。それと銀と鉛だね。鉛の主要な鉱石である方鉛鉱は熱水鉱床でできるんだが、しばしば銀を含んでいるからね。君の温泉も同じさ。今まさにマグマから水が抜け出している最中なんだ。一千万年くらい経てば銀が取れるようになるかもしれないよ」
「気の長い話ね。私は銀より温泉がいいわ」
寄り道してしまったわ。私たちはようやく男爵家までたどり着いた。私はサラサラと手紙を書いてアレクを使いに送った。
男爵はちょうど在宅で、明日のアポイントメントを取り付けることができた。
翌日、私たちは再びカルカン村へと足を運んだ。今度はまっすぐ男爵邸へと。
ジョー・タナー男爵はカルカン・サルカンの二郷を有する地方領主だ。一度だけお目にかかったことがあるけど、こんな田舎にお住いにしてはずいぶんと小洒落た紳士だった。
一方でアレクは実のところまだ男爵本人と顔を合わせてはいない。何度もお使いをしてもらっているんだけどね。だって、毎回騎士のフリをしていたんだけど、実際のアレクは騎士としては修業したこともないんだもの。門番ならともかく男爵本人に会ったら偽騎士だってすぐにバレてしまう。ひょっとしたら面識があるかもしれないし(他人に興味のないアレクは覚えていなかった)。
でも実際にガラスを製造するアレクを紹介しないわけにはいかないので、今日は貴族らしい服を着せてきた。騎士のコスプレじゃなくて上級貴族の子弟にふさわしいものを。私じゃガラスの説明なんて上手くできないし。
スマートな男爵は当主自ら玄関で待ち受けていて、にこやかにお出迎えくださった。
「お久しぶりです、レディ・セシリア。本日はよくお越し、くださいました……」
言いかけて途中で男爵の笑顔が訝しげに歪んだ。かと思ったらすぐに驚愕のものへと変わった。
その瞳はまじまじと、私ではなく隣の人物の顔を見つめていた。
「……あ、貴方はロード・アレク! トレント公爵家の! 行方不明のはずの貴方が、どうしてここに?」
あ、やっぱり知っていたのね。私は澄まし顔でごまかした。
「お久しぶりですわ、ミスター・ジョー。ええ、事情がございまして、我が家でお匿いいたしておりますの」
その事情とやらは全然知らないけど。
「このことはどうかご内密にお願いいたしますわ」
「は、はい。承知しました。それが、今日はどうしてここへ?」
「あら……性急に本題へと入る無礼をお許しくださいませ。実はアレク様には、今は我が家の技術顧問を務めていただいておりますの。それで、この度我が家にガラスが必要となりましたもので、ご同行いただきましたの」
「申し訳ございませんが、話が見えませんな。それで何故、ロードがご一緒に?」
「ええ、実は、この村にはガラスの製造に必要なものがそろっておりますのよ? そしてアレク様はガラスをお作りになれますの」
「なんと、公爵家のご子息が? それは、ご奇特な……」
あら、なんだか声に元気がないわ。男爵はしゃべりながらみるみると顔色が曇っていった。どうしたのかしら。
玄関で立ち話も何だから、と私たちは客間に移動した。
客間と言っても内装はとってもシンプルだ。掃除は行き届いているようだけど、調度品はないに等しい。勧められて古い椅子に腰かけると、年老いたメイドが震える手で白湯を運んできた。
「さて。それではレディ、本日のご用件と言いますのは、ガラスの製造に関すること……でよろしいでしょうか?」
「ええ。アレク様、男爵様にご説明差し上げてくださいませ」
「うん。それではミスター、まずガラスというのは──」
アレクは余計な技術的説明をした。やると思った。私は慣れているけど、他所の人は引いちゃうわよ。
でも男爵はチンプンカンプンの様子ながらも辛抱強く聞いてくれた。
「──なるほど、ガラス、とりわけ板のように薄くて平らなガラスを作るためには珪石というものと鉛が必要なのですな。そしてその両者とも私の領内にて産出すると」
「そうなんだよ、ミスター」
「それで男爵様、是非珪石と鉛とをお譲りいただきたいのです」
「お安いご用です。その珪石というものについてはどうぞご利用ください。鉛についてもいくらか回すように手配しておきましょう」
「ありがとうございます。求めさせていただきますわ」
「それはありがたい」
男爵は珪石の採取と鉛の購入についてはすぐに許可をくれた。その上で、何だか言いにくそうに話を切り出した。
「実は、こちらからも一つお願いしたいことがございまして。いえ、あったというべきでしょうか」
「あら、なんでしょうか? わたくしでお力になれることでしたらおっしゃってくださいませ」
「ええ……。ではお言葉に甘えて。お越しいただいたついでと言うのも何ですが、実は、私には息子が一人おりまして。本日は紹介したいと、そう思っていたのですが……」
「あら」
前に会った時にそんなことを言っていたわね、そういえば。
男爵について調べたときに子供が一人いることは知っていた。
ジャック・タナー、十五歳で私の弟と同い年だ。都にはほとんど出てきたことがなくて私も会ったことがないから、人物についてはわからない。
「それは是非ご紹介くださいませ」
私はアレクとは逆に知らない人と出会うのは好きだ。どんな子かわからないけど、楽しみだわ。
「それでは。──ジャックを呼んでくれ」
男爵は老メイドに言いつけた。彼女が退出してしばらくすると、客間のドアがキィと軋んで開いた。




