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板ガラス

「急にどうしたの?」

 紙に向かって何だか難しい計算をしていたアレクは顔を上げてきょとんと聞き返してきた。

「お風呂が寒いの!」

「吹きさらしだからね」

「壁が欲しいんだけど、壁を作ったら外が見えなくなるじゃない? 暗くなるし。だからガラスよ、ガラス窓。何とかならない?」

「うん、何とかしないでもないけど……。いや、何とかなるのかな?」


 アレクは難しい顔をして腕を組んだ。珍しいわね、こういうことは得意でしょうに。


「何よ。貴方なら簡単にできるでしょう?」

「期待してくれるのは嬉しいけど……。ステンドグラスでいいかな?」

「え、悪くはないけど……どうして?」


 ガラス自体はこの世界にもある。私の家にもガラス瓶がいくつかあるし。焼き物の方が気軽に手に入るし形も融通が利くので、最近はそちらばかり使っているけど。

 裕福なところにはステンドグラスもある。都の大聖堂には過去の聖女のエピソードの一場面を描いたものが窓に嵌められていた。


「まずね、この世界の一般的なガラスの技法は吹きガラスだ」

「えーっと、吹きガラスっていうと、筒の先に溶けたガラスをつけてプーって膨らませてつくるやつ?」

「それ。吹きガラスは前世では紀元前から、この世界でも800年以上も昔から使われている古い技術だ。ところが板ガラスとなると話は別だ。この世界ではまだ小さなものしかできないし、前世でも近代になるまで大きなものはできなかった。大きな板ガラスというのは相当未来的な技術なんだ」

「えー? どうして?」

「板ガラスを作るのは案外に難しいんだ。昔は平らな岩の上に溶けたガラスを流して作ろうとしていたらしい。ところがこれだと期待に反してすぐに固まってしまって板状にならない。下手をすると貼りついてしまう」

「なら今はどうやって作っているの? ステンドグラスにはまっているガラスは平たいじゃない」

「吹きガラスをね、吹きながら平らに磨いた岩に押し付けて、さらにアイロンを押し当てて作っているんだ。それではせいぜい2、30センチくらいのものしか作れない。大きなガラスが作れないから小さなガラスを集めてステンドグラスにするんだ。それでもよければ作ってみるけど」

「はー、そうなのね。まあ、寒さが防げて光が入ってくれば何でもいいわ」

「それなら。それじゃまずは原料を集めるところからかな。一般的なソーダ石灰ガラスの場合、確か二酸化ケイ素と酸化ナトリウムと酸化カルシウムが質量パーセントでそれぞれ72%、13%、10%程度だったはずだ。原料の段階では二酸化ケイ素、炭酸ナトリウム、炭酸カルシウムか。炭酸ナトリウムを炭酸カリウムに置き換えて……」

 アレクは呟きながらサラサラと、紙の端に何やら文字と数字を書き込んだ。

「……珪砂と炭酸カリウムと貝殻が大雑把に60%、24%、16%くらいの割合か。まあ実際にやってみながら調整しよう。天然素材だと質がそこまで均一ではないだろうしね」


 はい、またいつもの謎の呪文がやって来た。どうやら科学と魔法は区別がつかないもののようだ。


「えーっと、何のこと?」

「ガラスの原料だよ。二酸化ケイ素はガラスの主成分だ。自然界では珪砂の形で産出する。石英を主成分とする砂だね。焼き物の釉薬に使う長石と同じようなところで取れるからベンなら知っているはずだ」

「はあ、それはなんとなくわかるわ」

「酸化ナトリウムはアルカリだ。ガラスにアルカリを添加すると融点が下がる。釉薬を作る時に学んだよね?」

「えー……あー、はい。オーケーよ」

「……いいけど。二酸化ケイ素の融点は1700℃くらいだが、アルカリを入れるとケイ酸塩を作って1000℃程度まで下がる。1000℃は燃料が木材でも出せる数字だ。1700℃は無理だけどね。これは通常炭酸ナトリウムの形で添加する。加熱されると二酸化炭素が抜けて酸化ナトリウムになるんだ。炭酸ナトリウムは君がラーメンに使った物質だよ」

「かん水ね。それはバッチリ」

「ところがこれは現状では海藻の灰から作るしかない。ここは海から遠いし、そんなに大量には手に入らない。アンモニアが効率的に回収できればソルベー法が使えるんだが、この世界ではちょっと無理だ」

「ソルベ……お菓子? まあそれはいいわ。じゃあどうするの?」

「そこで代わりに炭酸カリウムを使う。これでも作れないことはないはずだ。古代のガラスはそちらで作られていたはずだしね」


 炭酸カリウムはせっけんを作る時に使う粉だ。これは知っている。今では村人たちが大量に生産しているし。実はかん水にもちょっと入れている。


「炭酸カルシウムは石灰石、あるいは貝殻だ。コンクリートを作る時に使っただろう? これを入れないとガラスはうまく固まってくれない。これもまた加熱の過程で酸化カルシウムになる」

「ふんふん。それで?」

「つまり材料はなんとかなりそうだ。まずは珪砂だ。ベンのところに行ってみるよ」


 というわけで翌日、私たちは焼き物屋に行った。

「君は来なくても大丈夫だよ」

「いいじゃない。せっかくだから見学するわ」

 まだ終わっていない冬支度はたくさんあるけど、同じことばかりで気が滅入るんだもの。


「やあベン、忙しいところを失礼するよ。ちょっといいかな?」

「これは親方、おぜう様。今日はご一緒で……」

 ベンは釉薬の調合をしているところだった。私たちを見ると慌てて立ち上がって、お嫁さんのメイとそのお兄さんとそろって、頭の布を取ってペコペコした。


 アレクも暇を見つけては釉薬の研究をしているものだから、近頃では種類も増えて、青磁だけじゃなくて白や黄色の焼き物も作れるようになった。

 水が染み込まない焼き物の器は近隣の村でも評判になって、ベンの家は大忙しだ。作れば作っただけ売れるものね。

 人手が足りないものだから先日からメイの兄が隣村からやってきていて、勉強がてら手伝いをしている。


「何のご用なんだべ……でごぜえますんだべ?」

「うん、聞きたいことがあって。珪砂というものを知っているかな?」

「何だべな、そら」

「長石に似ているが釉薬には使わない、白っぽい石だ」

「はあはあ、それなら知っとりますべ」


 案内してくれるというので私たちは後ろについて行った。私は途中まで。だって山の中に入っていくんだもの……。スカートと革靴でついて行けるようなところではなかった。

 仕方ないから焼き物屋に戻ってエリザに贈る茶碗を見繕っていたら二人が帰ってきた。


「ただいま」

「おかえりなさい。どうだった?」


 アレクたちは背負った麻袋いっぱいに白い砂利を詰めてきた。袋の口を開けて見せてくれたそれは豆粒ほどの小石だった。


「これが珪砂なの?」

「そう。どちらかと言うと珪石だけど。まずはこれを細かく砕いて、それから炭酸カリウムと貝殻の量を変えて実験だね」


 珪石を粉砕するには以前コンクリートを作るときに使った貝殻を砕く装置を利用する、とアレクは言った。

 同時にガラスを溶かす炉 (これがるつぼというものなんだそうだ)と、板ガラスを作る台も作るのだとか。

「どういう形だったかな……」

 焼き物窯の屋根の下を拝借して、前世の記憶を確かめながらアレクはるつぼを作り始めた。


 それらの作業に数日かかるというので、一度帰ってお弁当を作った。猪肉の残りを叩いてハンバーグにして、パンに挟んでハンバーガーだ。

 それを人数分作って籠に詰めて届けて、みんなで一緒に食べた。




「試作品ができたよ」


 実際にガラスを作り始めてから次の日。そう言ってアレクはコトンとそれをテーブルに置いた。

 うっすら青い吹きガラスの瓶だ。ちょっと形がいびつで、中に気泡が含まれている。


「あら、綺麗な青ね。どうやって色を付けたの?」

「勝手についたんだ。珪石に含まれる鉄分のせいだね。青磁が青いのと同じ理屈だよ」

「へー」


 私は瓶を手に取った。厚みがあってちょっぴり重い。ジャムでも入れておくのに手ごろな大きさね。今の時期の果物……リンゴかな。

「ありがとう。使わせてもらうわ。それで、窓ガラスは?」

 アレクは決まり悪そうに頭をかいた。

「うん。板ガラスも試してはいるんだけど、なかなかうまくいかないね。思ったほどガラスが上手く広がってくれないんだ。やはり知っていることと実践することは違う」

「期待して待っているから」


 それから数日の間、アレクは板ガラスを作ろうと悪戦苦闘していた。

 私の家には青いガラス瓶が増え続けていた。アレクもだんだん技術が上がってきて、最初に作った瓶はいかにも手作りって感じのゆがみがあったのに、昨日持って帰ったのは工業製品のように端正な形をしている。本当に変なところで器用よね。


 昼下がり、時間が空いたので様子を見に行ってみた。

「調子はどう?」

「ご覧の通りさ」

 屋根の下にはるつぼがふたつに増えていた。


「えーっと、これはどういう意味があるの?」

「うん、こっちが高温のるつぼでこっちが中温なんだ。高温からいきなり外気温まで冷ますと割れたり歪んだりしてしまうことがわかったんでね。中温の炉に入れてゆっくりと冷ますんだよ」

「なるほど。それで形が良くなったのね」

「瓶はね。そこへ行くと板ガラスはこのゆっくりと冷ます、というのが難しい。伸びる前に固まってしまったり、割れてしまったり……。今は陶板を下から熱して何とかならないかやってみているところだ」


 翌朝のことだ。今日もメグの妹がラーメンを作りにやってきた。

「おはようごぜえますだっ」

「おはよう。今日は上手に取れるかしら?」

「がんばるべー!」


 メグの妹は鍋の蓋を開けた。中は昨日仕込んだとんこつベースのスープだ。

 寒いものだから、スープに浮いたラードが白く固まっている。メグの妹はその端っこの、鍋に貼りついた部分をちょん、ちょんとつついてはがしていった。少しずつ、慎重に……。


「……とれたんだべー!」

「わー、上手上手」


 パチパチパチ。拍手するとメグの妹はそれをトングでそっと拾い上げた。丸くて薄い板状のラードだ。私たちはこの前からこれを取ろうとチャレンジしていた。メグの妹は頬をうっすら紅潮させて、何だか誇らしげだった。


「おはよう。何の騒ぎ?」

 アレクが起きてきた。考えすぎて夜が眠れないみたいで、最近はお寝坊さんだ。

 私たちはアレクにラードを見せた。

「あらおはよう。ねえ、見て! 綺麗に取れたわ!」

「……それ、何?」

「ラードよ」

「……どうやって作ったの?」

「それはね──」


 かくかくしかじかと説明していたらアレクは何故か硬直していた。いえ、よく見たら細かく震えているわ。


「……そうか、熱い液体の上で冷ませばよかったのか。それなら急冷されないし、液体の表面は当然平面だ」

「突然何のこと?」

「ガラスだよ!」

「え、ガラスを水の上で冷ますの? ガラスって水に沈むんじゃないの?」

「ガラスより重い液体を使えばいいんだ。つまり金属を溶かせばいい。その上に溶けたガラスを流せば──そうだ、鉛だ! ガラスの比重は2.5、溶けた鉛の比重は10だから沈まない。融点は327℃、沸点は1749℃だから温度もちょうどよくできる!」


 突然アレクが歩み寄ってきた。

 かと思ったら大きな手が私の手を包み込んでいた。


「ひゃうっ」

「ありがとう、君はいつだって僕の行くべき道を照らし出してくれるインスピレーションの女神だ。──おお、見つけたぞ!」


 アレクは朝食も食べずに走って出て行ってしまった。


 うわ、どうしよう……。何だか、手が熱いんだけど……?

 許可もなく男性に手を握られたのは初めてで……。

 ど、ドキドキしてしまうじゃない……アレクなのに!


 朝食を食べて、いつものルーチンの掃除を終えて、お茶を淹れたんだけど……なんとなく落ち着かない。

 私は気分転換に焼き物屋さんに行った。実際にどうするつもりなのか見たくなった。


「やあ、来たのかい」


 アレクたちはるつぼに火を入れているところだった。

 アレクもベンもメイの兄も冬だというのに汗だくだ。窯の火だけじゃなくて、焼き物の変な箱からの熱もある。

 なんて言ったらいいんだろう。四角い……幅50センチ、長さ80センチ、高さ30センチくらいの箱だ。ヒューム管? みたいな感じ? よく知らないけど。

 箱の横に穴が開いていて、中に火が焚かれているのが見える。

 箱の上の面の奥側には浅いバットみたいな形の溝が切られている。溝の大きさはだいたい30センチ四方くらいだ。その中に溶けた鉛が流し込まれている。下に火が燃えているから固まらないのね。


 アレクはその鉛の上へと慎重に、溶けたガラスを流し込んだ。

 ……おー、ガラスが鉛の上でゆっくり広がっていくわ。じんわり広がったガラスはゆっくりと固まりつつ鉛の上で均等な厚みの板になった(鉛からはみ出したところはすぐに冷えて固まった)。

 ガラスの動きが止まり充分に固まったところで、アレクはそのガラスの端を鉄の鉤で引っ掛けて手前に引いた。箱の上のその部分は表面に細い線が幾筋も刻まれていて、ガラスはその上でゆっくり冷えた。


 やがてすっかり冷えたガラスをアレクが手に取った。ミトンは嵌めていたけど。

 四角くて青い、それは確かに板ガラスだった。

 アレクは得意げに言った。


「どうかな?」

「やったじゃない!」

「君のおかげだ。うん、これなら大きな板ガラスも作れそうだ」

「ステンドグラスじゃなくて?」

「そのためにはもっとたくさんの鉛が必要だけど」

「鉛だったら隣村で作っているわ」


 そうしたら一緒に見ていたメイの兄が──その隣村の住民だ──サラサラの粉になった珪石を手のひらにすくい上げてもてあそびながら言った。


「これならおらの村にはぎょうさんあったべ」

「あら、そうなの?」

「へ、へえ。おらの村の粘土はここのみてえに目が細かくはねえんだども、粘土が取れるところの周りにはこういうのがいくらでもあったんだべ……ですだ」

「鉛も珪石もあるのか。それは是非確かめてみたいね」

 メイの兄はしきりに恐縮しているけどアレクは興味津々だ。


 これはどうやら、隣村に行かなければならないようだ。

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