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前世と現世の冷めない距離

 彼がさっそく「お腹が空いた」というので昼食を作ることにした。

「簡単なものしかできないけど」

 料理するのも結構大変なのよ、この世界。主に火の扱いが。

 だってここにはコンロもレンジもない。かまどよ、かまど。急に作れるのは簡単なものだけだ。


 髪を結んで、三角巾をおしゃれにかぶって、エプロンをつけて、それじゃ始めましょうか。

「何故侯爵家の令嬢が料理を……?」

「趣味と実益」

 私が厨房に立つと彼は困惑していた。メイドが作るのだと思っていたようだ。でもメグの田舎料理ってちょっと苦手なの。自分で作った方が口に合うわ。


 厨房は土間なのでサンダルをつっかけて降りる。

 さて、かまどの隣には灰をたっぷり入れた壷が置いてある。燃えさしの薪を突っ込むための壺だ。

 電気やガスと違ってかまどの火力の調節は結構難しい。火が弱ければ薪を足すし、強すぎたら抜き取って灰の中に突っ込んでおく。これはそのための壷。

 かまどを使わないときはこの灰の中に燃えた炭を埋めておく。(うず)()というやつだ。こうしておくと半日くらいは火が残っているので、それを火種にする。


 私は壷の中から埋み火を探して火ばさみで拾い上げて、かまどに入れた。次に乾かした草とか、あれば麻がらを火口(ほくち)にして火をおこす。そういう枯れ葉から細い枝、薪と、火のつきやすいものから火力の大きなものへと順番にくべて、火を育てる。

 ちゃんと火がおきるまで20~30分はかかる。ふう、やれやれ。これでようやく料理ができるの。スローライフも楽じゃないわ。


 薪に火が回るのを待つ間に下ごしらえをしましょう。ジャガイモをくし形に切って、ベーコンはやや厚めに切って、菜の花を5センチくらいの長さに切りそろえる。

 この世界ではどこの村でも油を取るために菜種を蒔いている。ついでに菜の花を食べることもある。ちょうど出始めた菜の花を、今朝メグが届けてくれたところだ。


 中華鍋によく似た丸い鍋にたっぷりの油を敷いて、ジャガイモとベーコンと菜の花の炒め物を作った。ジャガイモはあまり動かさないでね。菜の花はあとで投入。

 ところで私はかまどの横に回って料理している。最初は前に立って料理してたんだけど、思ったより足が熱かった。そりゃ燃えてる火を正面から受けたら熱いわよね。みんな前から料理しているからすごいわ。


 自分の分と彼の分をそれぞれの皿に盛ってテーブルに運んだ。皿は木皿だ。

 ご飯時になると同時に要領よく戻ってきたメグも、自分の分を山盛りによそって同じテーブルに着いた。普通メイドがご主人様と同じ席で食べることはないけど、うちには従業員用の食堂なんてないし、一緒に食事している。一人で食べていると寂しいしね。


「ところで貴方、カトラリーはどうしているの?」

「ナイフとフォーク、時々箸で」


 そう言いながら彼は既にフォークを手にしていた。うん、良かった。

 この世界のカトラリーはまだナイフしかない。それも前世の食器としてのナイフじゃなくて、本当にナイフ。

 切った料理を口に運ぶのは手づかみが普通だ。わざわざフォークを作らせて使っていた私は家庭の中ですら浮いていた。それを陋巷にあっても貫いていた彼には合格点をあげたい。


「どうぞ、召し上がれ。菜の花のほろ苦さって豚肉ととっても合うのよ?」

 手づかみだとこういう熱々の料理って食べられないのよね。持てないから。


「それでは遠慮なく。いただきます」

 そして彼はジャガイモを一口食べて、止まった。そして目頭を押さえて黙り込んだ。


「どうしたの?」

「生まれ変わってから、初めてまともな料理を食べた……」

「そんな大げさな」


 ……と思ったけど、貴族の食事って確かにおいしくなかった。というか美食に関する感覚が違った。


 この世界の常識ではおいしいものとは高価なもののことだった。希少部位=美味という公式が成立していた。鳥なら舌、魚ならほっぺたとかね。いわゆる珍味ってやつよ。そういうのが大皿いっぱいに載っているとみんな大喜びだった。

 でもね、前世でもみんな喜んで牛タンを食べていたけれど、本当のところはロースの方がおいしいじゃない? 鳥だってそうよ。それに牛タンなら柔らかいところだけより分けて出していたわけだけど、鳥の舌なんて小さいからそんなことはできないし。はっきり言えばおいしくなかった。

 要するにみんな味覚に自信がないから「高いものならおいしいに違いない」って意識なの。


 彼は実際に涙を流していた。そして猛然と料理を片付けに取り掛かった。


「いや、本当に。君の料理は最高だ」

「こんなもので良かったらいくらでも作れるわよ」

「もし叶うならば、君の料理を毎日食べたい」


 ……何を言ってるの、この人。

 でも彼は自分の言ったことの意味を全然理解していないようだ。子犬みたいなキラキラした瞳で私を見ている。

 どうやら彼の口から出てくる言葉は本当に言葉通りの意味だけで、裏なんてない。これでよく貴族をやっていたわね。


「はいはい、食べさせてあげるからその分頑張ってね」

「任せたまえ」




 メグが洗い物をしているうちに、私たちはひとしきり前世の記憶のすり合わせを行った。

 お互い肝心なところになると記憶があいまいで、生きていた場所や時代を特定することはできなかったけど。どうやら大体令和、大体東京ね。最初に確認した時以上のことは出てこなかった。


「──ところで、君はどうしてこの世界に? ……いや、死に方を聞いているようなものだったかな? 言いたくなかったら言わなくてもいいよ」

「気にするようなことじゃないわ。乳がんが全身に転移して死んだだけよ」

「……え?」

「直接的な死因は脳腫瘍ね。わけがわからないほど痛くて苦しかったことだけは覚えているわ」

「申し訳なかった」

「だから気にしなくてもいいって」

「そう……。ところで、君が死んだのって十五歳の時だって言ってたよね。乳がんってもっと大人の病気じゃなかった?」

「十代でもたまにいるらしいの。私がそのたまの一人だったってわけ。若い分進行が早くてね。気づいた時には手の施しようがなかったわ」

「本当に聞いてよかったのかな?」

「別にいいってば。だから私のモットーは健康なの。そして健康は清潔と、運動と、食生活から!」

「同感だね」

「そういう貴方は?」

「ベンジャミン・フランクリンの雷実験を再現しようとして死んだ……ようだ」


 謎の単語が出てきた。


「ベン……何ですって? 人の名前?」

「十八世紀のアメリカの人だよ」


 彼の説明するところによれば、ベンジャミン・フランクリンという人は雷雨の日に凧を揚げて電気を通し、雷が電気であることを証明した──らしい。


「それって危険じゃないの? 雷が落ちたら死ぬと思うんだけど」

 疑問だったので聞いてみたら彼はやはり頷いた。

「もちろん危険だよ。だからしっかり絶縁していたつもりだったんだけどね。長靴に穴が開いていたみたいで……。『あれ? なんだか靴下がビシャビシャするな?』と思ったときには手遅れだったんだ。気がついたらこの世界にいた」

「……」


 うん、死んだのはお気の毒だけど、私この人と一緒にされたくない。

この世界にはジャガイモがあるおかげでリアル中世と比べて食糧事情はかなりマシです。ただし貴族はあまり食べません。理由は安いからです。

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