わが家へようこそ、お客様
翌朝はゆっくり朝寝を楽しんで、朝湯をつかって、遅めの朝食を食べた。
実家は楽でいいわー。食事は今一つだけど。
アレクたちを待つ間に私は聖女への贈り物を用意することにした。結婚祝いは結局思いつかなかったので実家からお酒でも分けてもらおうと思っていたんだけど、聖女が妊娠中と聞いて閃いた。
私は母におねだりして亜麻布をもらってきた。
「これ、どうするんだべ?」
「産着を縫うの。聖女がおめでたなんだって」
「へえ! そらまた贅沢な産着だべな」
「王族なんだから、このくらいいいでしょ?」
上質の、柔らかな亜麻布だ。成長に合わせてサイズ別のものを二枚一組三セットの計六枚。これを二人に贈る結婚祝いにしましょう。
私はメグと二人でチクチク縫った。何だか裁縫ばかりしているような気がするわ。
ところで、この亜麻布の産着は贈ったときには微妙な笑みで受け取られたんだけど、子供が産まれて実際に使ってみたら具合が良かったみたいで、大変に喜ばれた。
それで以後は侯爵家から王家へと贈る出産祝いの約束事として定着していくことになるんだけど、それはまた別の話。
「……できたーっ」
「くたびれたべ……」
私たちはバンザイした。
ああ、縫い物って肩が凝るわ……。ずっと同じ姿勢で一点を凝視しているものね。絶対に体に悪い。
ちょうどその時、門の方から馬蹄の音が響いて来た。
私は二階の自分の部屋にいたので、窓から覗いてみた。庭先に七騎の騎士たちが入ってきたところだった。
中にアレクとエド王子の姿が見える。ご到着だ。
私は二人を出迎えに向かった。途中で弟がぶらぶらしているのを見つけたので、一緒に来るように言いつけた。
「お客様がお見えになったから、貴方もお出迎えなさい」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい、っと」
外に出ると馬を降りたアレクは手綱を馬丁に渡しているところだった。
「いらっしゃい。我が家へようこそ」
声を掛けたらアレクは振り向きついでに辺りをぐるりと見回して、言った。
「兄上とはいつも都ばかりで、ここを伺うのは初めてだよ」
弟はアレクを見て、眉をひそめて考え込んでから、突然表情を驚きに変えた。
「──もしかして、ロード・アレク? トレント公爵家の? 何故貴方がここに? 行方不明だったはずだ!」
「それは彼女のおかげかな」
アレクは私を手のひらで示した。
「お召しに従い参上したぞ!」
「いらっしゃいませ、ようこそ侯爵家へ!」
エド王子もやってきた。後ろの従者の少年がペコペコ頭を下げるのに手を振ってこたえた。
「いろいろと取り計らってくれたそうだな。感謝する」
「どういたしまして。大したことはしてないわ」
「そちらの少年は君の弟君か? 俺のことも紹介してくれないか」
弟は彼の顔を見て腕を組んで首をひねって、そのままひねりっぱなしにしていた。
「こちらは?」
「メルカドのプリンス・エドワードよ。ご挨拶を申し上げなさい」
「──! お、お初に御目文字仕ります、殿下。マドリガル侯爵の次男、セドリックでございます。……しかし何故貴方がここに? 行方不明だったはずだ!」
「レディの導きによるものだ」
「……」
弟は突然くるりと踵を返し、無言で立ち去った。なんて失礼な子なのかしら。
……かと思ったら庭の建物の角の向こうに隠れて、身を乗り出して手招きした。
「姉上、ちょっとちょっと」
本当になんて失礼な子なのかしら。私は二人に断って弟の招きに従った。
「貴族が姉を手招きで呼ぶんじゃありません。それも人前で。で、何よ」
「どちらと?」
「何の話?」
「とぼけないでください」
「とぼけるようなことなんて何もないでしょう」
「……姉上はいつもそうだぁぁ!」
弟は叫びながら走って行ってしまった。本当に残念な子ね……。
旅の汚れを落とすために浴室に押し込んでいる間に食事の準備ができた。主賓のエド王子を始めとして、アレクや護衛のために働いた騎士たちをもてなしての夕食会だ。
メインとしてテーブルの真ん中に陣取っていたのはスペアリブの煮込みだった。彼らのために豚を一頭潰したのだ。ホストの母が切り分けて配って、メイドたちがお酒を注いで歩いて、食事は和やかに行われた。
夕食後、騎士たちは用意された部屋に案内されて行ったんだけど、エド王子とアレクが人目をはばかるようにコソコソと戻って来て、目の前でパンと手を叩き合わせた。
「あら、何かお願いごと?」
「ああ。レディにこんなことを願うのは我ながらどうかしていると思うのだが、君の料理が食べたいんだ」
え、あれだけ食べてまだ食べられるの? 男の子の胃袋ってすごいのね。
「別に構わないけど……ちょっと待ってね。厨房から人がいなくならないと作れないから」
というのも上流階級の女性は料理なんてしない、というか料理は庶民の仕事だからだ。
私が料理したら彼女たちの領分に侵入することになるし、それ以前にレディが料理するなんてはしたない。みんなびっくりしてしまう。
横からアレクが言った。
「伊勢物語の筒井筒の話の続きで、主人公の男は違う女の家に通うようになるんだけどその女が自分でご飯をよそうのを見て幻滅するんだ。中世貴族の感覚はどこも似通ったものらしい」
「え、突然なんなの?」
「何のことかわからないが、あの時のあの料理、あの衝撃が忘れられないのだ。いや今日の料理に文句をつけるわけではないのだが」
「ああ、牡蠣の炒飯ね。同じものは無理だけど」
「むしろ違うものを食べてみたい」
この内陸部の侯爵領には当然牡蠣なんてないし、お米も持ってきていない。あの時は肉体労働者向けにパンチの利いた味にしたんだけど、今度はどんなものがいいだろうか。
と言ってもあるもので作るしかないんだけど。
城の中が寝静まった頃、私たちは厨房に移動した。何故か弟も後ろにくっついてきた。
「殿下たちばかり姉の料理を食べるなんて許しませんよ!」
とか言って。
「メグ、見張りをしていて」
「へえ」
料理係の女たちに見つかると面倒だ。私はメグを入り口に立たせておいて厨房を探ってみた。
何があるかな……。
ランプを掲げて棚の中を漁ると豚モモ肉の塊を見つけた。
うーん……これ、どうしよう?
夕食に出てきた煮込みは調理法以前に肉の質が悪くておいしくなかった。筋張って硬くて、それに何より、臭い!
餌も悪いんだろうけど、それより血抜きが悪いのよ。うちの猪獲りの名人は内臓を抜いた猪を川に沈めて、ギュッギュッと何度も踏んで血を抜いていた。ぶら下げて放血するだけじゃなくて、そのくらいしないと駄目なんだそうだ。
臭み消しに生姜焼き、って言っても生姜がないし(ジョークじゃないからね?)、ハーブと一緒に炒め物にしてもどうなるか大体予想がつく。安い豚肉で作った薄切りでも固いやつ、あれができるに違いない。
……そうね、とんかつにしてみましょうか。五ミリ未満の厚さにして揚げれば食べられなくもないはずだ。私はフライパンを手にした。
ベタッとした感触が手のひらに貼りついた。
……ひっ! 慌てて手を離す。ランプの暗い光の中、おそるおそる指先で台の上をなぞってみた……。
ぎゃーっ!
壁から床に至るまで、あらゆるものが積年の油でべっとりしていた。……これだから他人の厨房は嫌なのよ!
手袋、手袋が欲しい。でもこの世界に使い捨ての衛生手袋なんて存在するわけがなかった。いらない布を探してみたけどもっと汚い雑巾しか見当たらない。
「手は洗えばいいから。洗えば落ちるから……」
私は心を無にして料理に取り掛かった。
お客様に出す前にちょっと試食してみましょう。私は一口かつを作って食べてみた。
お、おいしくない……。噛みしめるほどに不快な臭気が鼻腔を突き抜けていく。やだ、涙が出そう。念入りに筋切りしたけどやっぱり固いし。駄目そうね、これは。
諦めた私は肉を一センチくらいの厚さに切って、しつこく筋切りした上に麺棒でバンバン叩いて半分の厚さにまで延ばした。
それから肉の表面ににんにくの断面をなすりつけて、粉をはたいて卵をまぶして衣をつけた。衣にはハードチーズをすり下ろしたものをたっぷり混ぜてある。
それでさっきのにんにくと、くし切りにしたジャガイモと一緒に揚げ焼きにした。ミラノ風コトレッタだ。
お皿に乗せて軽く塩を振ってレモンとクレソンを添えてできあがり。
アレクとエド王子とついでに弟とおまけで従者の子、さらにおまけのおまけでメグが従業員用のテーブルで待っていた。
私は彼らの前にお皿を置いて、ナイフとフォーク代わりのピックを並べた。
「私は手を洗ってくるから。どうぞお好きに召し上がれ」
せっけん、せっけんを取って来なきゃ。私は厨房を後にした。
……あー、鍋はきれいに洗って欲しいわ。
浴室に行って持参の入浴用せっけんで念入りに洗ったんだけど、まだベタベタしている気がする。
「セシリア、ちょっといいかしら?」
突然声を掛けられた。見たら廊下の角の向こうから身を乗り出して母が手招きしていた。
仮にも侯爵夫人が何をしているんだろう。
「娘を手招きで呼ぶのはやめて、お母様。何か用?」
近寄ったら母はじーっと私を見つめて、口を開いた。
「それで、どちらなの?」
「何のこと?」
「とぼけないで」
「とぼけるようなことなんて何もないでしょ」
「……貴女はいつもそう! そもそも殿下との破談だって一言も相談しないで決めてしまったけど、あれは貴女、実は殿下のことが好きじゃなかったから聖女様を利用したんでしょう? 何が気にいらなかったのか知らないけど身勝手もほどほどにしなさい! 貴女、これが最後のチャンスだってわかってるの? あのお二方より条件のいい相手なんて今後絶対に現れないわよ! 今度こそちゃんと決めなさい! だいたい貴女は──」
質問は何故かお説教にシフトした。
ええ……? 何なのよ、もう。




