実家でくつろぐ悪役令嬢
翌日、アレクを中心とした五騎は早朝から都を出発した。
「アレク様がご存知よりですので、ご一緒にお伺いいただけば殿下もご警戒をやわらげられると存じます」
──という私の忠告に従って。つまりアレクは説得役で、主役だ。他四騎は我が家の騎士で、護衛役だ。
エド王子は侯爵領で匿うことになったので、港町から直接私の実家に向かう予定だ。
替馬法を使っているから全速力だ。都の外れで見送ると、アレクたちの背中はあっという間に遠ざかって行った。
あの港町までは馬車なら四日、でも替え馬を使えば一日で到着するはずだ。港町から侯爵領までは替え馬なら一日かからない。
アレクがエド王子の説得に成功すれば、明日のうちには私の実家に到着するだろう。
朝食後、私もまた都を立った。実家で落ち合う相談をしていたからだ。どうせあちらに移動するつもりだったし、ちょうどいい。
それにしても、自分の馬車があるっていいわね! ホテルさえ快適ならあちこち旅行して暮らすところだわ。
お昼過ぎにはもう侯爵領に入った。何しろ車列は都へ向かうものばかりで、出ていく方はガラガラだったもの。
「お母様の顔を見るのも久しぶりね」
母は侯爵領の本宅にいる。この国では家の中を裁量するのは当主の妻の仕事だからだ。そういうわけで私はメグの教育がなっていないと兄に咎められた。
でも田舎の隠居暮らしにはあれくらいの緩さがちょうどいいのよ。いつも神経を尖らせて家臣のすることを監視しているなんて、心がすさむわ。
私の実家は経済的に大変に繁栄していて、本宅がある町はこの国第二の大都市だ。と言っても結婚式を控えて大変な賑わいを見せている都と違って馬車も普通に通れたけど。
町の真ん中の水堀に囲まれたお城が本宅だ。橋の向こうの城門は開いていたけど門番に馬車を止められた。
「お役目ご苦労様」
馬車から降りると門番の一人は慌てて最敬礼して、もう一人は中に走った。馬車を止める場所を案内するよう門番に言いつけて、メグに荷物を持たせて、私は歩いてお城に向かった。門番が本宅の入り口で執事に何やら報告しているのが見えた。
執事もまたすぐに奥に伝えたようでお城の玄関の扉が開くとちょうど母も出てきたところだった。
私は母に駆け寄って抱き着いた。母の腕が私の背中を抱きしめた。
「お久しぶりです、お母様」
「久しぶりね、セシリア。親子でこんな会話をしなければならないのは悲しいわ。そろそろ戻ってこないこと?」
「あらやだお母様ったら。私も小なりとはいえ一家の主なのよ?」
「主と言うのは結婚してからにして頂戴。貴女、せっかくいいお話があったのにみんなお断りしてしまったのですって? もったいないわ。あんなところではお相手も見つからないでしょうに」
「あらやだお母様ったら。いい相手なんてそもそもいないのよ。私と結婚したかったらまず入浴が前提条件ね。もちろん家柄目当てなんて嫌よ、私という個人を愛してくれなきゃ。清潔で、財産や家柄目当てじゃなくてありのままの私を見てくれて、私のわがままを何でも叶えてくれて、私だけを愛してくれる──なんて、そんな男性がもしもこの世にいるのなら、少しは考えてみてもいいけど?」
私が条件をつらつら述べると、母はこれ見よがしにため息をついた。何それ、嫌味?
「なんて残念な子に育っちゃったのかしら……」
母はもう一回ため息をついた。
「本当に、貴女たちは姉弟そろって……」
「セディがどうかしたの?」
セディは弟、セドリックの愛称だ。もうすぐ十五歳の誕生日を迎えるお子様だ。
「社交界が嫌だと不満ばかり漏らしてね? いつまでたっても子供の気分が抜けないの。お付き合いする女性の一人もいないのよ?」
今時の貴族の次男三男なんて兄のスペアになれればまだいい方だ。
どこの家も土地はもう分けられるだけ分けられてしまっている。今から領地をもらって分家なんて、そんなことのできる家はどこにもない。エレアノールさんの元婚約者さんのところなんて相当に無理をされたと思う。
嫡男以外の男子は騎士になるとか、王宮で官吏になるとか、自活の道を見つけなければならない。
でも我が家はとっても裕福だから、弟は生涯年金暮らしが保証されている。収入は増えることもないけど減ることもない。貴族としては一代限りだけど、下手に分家なんかして領地経営に頭を悩ませるよりもよほど楽だ。
弟と結婚したら、子供は貴族にはなれないけど奥さんの生活は一生保証される。
母によればそういうわけでお見合いの話だけはたくさんあるらしい……のだけど、何故か嫌がって逃げ回っているのだそうだ。そういえばエマもそんなことをチラッと言っていたような気がする。
「それはまた、どうして?」
「それがねえ……。あの子ったら貴女の影響ですっかりお風呂が好きになっちゃってね」
「へえ。それは見どころがあるわね」
「何を言っているのよ。それでお風呂に入らない令嬢は嫌だとゴネているの。誰かさんのせいで」
おっと、にわかに風向きが怪しくなってきた。私は話題を変えた。
「それはともかく、お母様」
「何?」
「お客様がいらっしゃるの。お二方」
「あら、含みのある言い方ね」
「ええ、お兄様の──じゃなくてお父様? それとも陛下の? とにかく、ちょっとやんごとなきお相手なの。明日には到着するはずよ。お迎えの準備をしなきゃ。これはお父様からのお手紙ね」
私は事情が書かれた手紙を渡した。中身を読んだ母は読み進めるにつれて複雑な表情になっていった。
「……これは難しいお客様ね」
母は来客の部屋と世話人の手配をするために行ってしまった。ふう、事なきを得た。
さて、夕食の前に……。
私は使用人に言いつけて、さっそくお湯を用意させて入浴した。
「あー、やっぱり実家はいいわねー」
都の侯爵邸と違って気楽だわ。母もいるし、お風呂にも気兼ねなく入れるし。弟はどうでもいいけど。式が終わってもしばらく逗留しようかしら。
「ではこうしましょう」
二番風呂から上がってきた弟が何か思いついたようで突然謎の提案をしてきた。あら、本当にお風呂が好きなのね。
「何?」
「俺があちらに住みます。姉上はこちらで母上と暮らされたらよろしい」
「……は? 何を言っているの?」
「もう充分堪能されたでしょう。次は俺の番だ」
「貴方、私の家を取るつもり? そんなこと、絶対に許さないから!」
「姉上ばかり卑怯です! 俺だって煩わしい人間関係から逃れて気楽に暮らしたい!」
「楽に暮らしてるでしょ。貴方、婚約者はともかくとして恋人の一人もいないのですって? 楽じゃないというならもう少し社交に身を入れてみたら?」
「俺に寄ってくる女性は『地位はなくても年金暮らしで一生安泰』などと考えている人ばかりですよ! 俺はただ、男の俺より肌が汚い女性は嫌だと言っているだけなのに」
「お金目当ての女性も嫌だと言っているように聞こえるけど」
「嫌ですよ。当たり前でしょう」
弟は真顔だった。
「愛が欲しい……入浴は前提条件として、ちゃんと俺という人間を愛してくれる女性がいい。そう、どこかに可愛くていい匂いがして財産目当てじゃなくて俺だけを愛してくれる女性がいるはずだ!」
弟は虚空目がけて絶叫していた。なんて残念な子に育っちゃったのかしら……。
「……それはともかく、その沸かさなくても入れる温泉というのを一度体験してみたいんだ。家に行ってもいいですか?」
「駄目ー。貴方そのまま住み着くつもりでしょう」
「……べ、ベツニソンナコトチガイマスヨ?」
「やっぱりそのつもりじゃない。私の天然温泉は私だけのものだから! 貴方はここの沸かしただけのお湯で満足していなさい!」
「……姉上はいつもそうだ! 要領よくおいしいところばかり持って行って! たまには俺に譲ってくれてもいいじゃないか!」
「嫌ですぅー」
「あー、もう、この、この……この姿を殿下にお見せして差し上げたい!」
「もう婚約者じゃありませーん。見せても何も起こりませーん」
「クッ……! 他にいい方とかいないんですか!」
「そんなもの、いま……」
「?」
「せーん!」
タン、タンッ。私は弟を煽るダンスを踊った。弟は悔し気に足踏みした。
「クソッ、クソッ……!」
「貴族が四文字ワードを口にしないの。貴方、私には逆らわない方がいいわよ。私には令嬢ネットワークがあるんだからね」
「?」
「私があっせんしたお見合いの成約数は十を超えるわ! おとなしく私に従うなら貴方にもいい子を紹介してあげなくもないわよ」
私の手持ちでまだ婚約が成立してないまともな子はエマとエレアノールさんくらいなんだけどね。まああの二人にこの弟ではちょっと釣り合いが取れないけど、既に結婚した子たちの妹とか、まだ社交の場に出て来ていない子たちがいると思う。
弟は中身はともかくとして家柄や財産に関しては好物件ではあるので、彼女たちに頼めばきっと何人かは紹介してもらえるはずだ。
「さあ、結婚したかったらこうべを垂れてつくばいなさい!」
「ぐぬぬ……」
弟は私の前で二回膝をつこうとして、結局辞めた。
「あ、悪魔のささやきには屈しないぞ! 人は婚約のために生きるにあらず!」
「今は悪魔がほほえむ時代なのよ。私に頭を下げるのが嫌なら一生一人で生きることね」
「貴方たち、いくらなんでももう少し貴族らしく振舞いなさいな」
ちょうどやってきた母が呆れたようにため息をついた。
「あらお母様。でも自分を偽って生きるのって疲れるもの」
「本当に、どうしてこの子が『淑女の中の淑女』なんて呼ばれているのかしら……」
「それは私が聞きたいわ」




