昔は真面目にやっていた
「いずれ改めてお礼を申し上げに参りますわ」
「お気持ちだけで結構ですわ。それでは、わたくしはこれで……」
そうしてエレアノールさんは帰って行った。
お見送りを兄に任せて、主だった使用人たちが兄に従い玄関に集まっているうちに私はコソコソと部屋に戻って、貴族の服に着替えた。なお部屋は一応掃除はされていた。床は丸く掃かれていたしシーツには皺が寄っていたけどね。
ふう、これで邸内を堂々と歩けるわ。
私は応接室の扉をノックした。
「私よ」
小さなかんぬき錠が開いて、隙間からアレクがこちらを見た。そのまま応接室に隠されていたの。私は隙間を体の幅だけ開けてするりと中に入って、再び鍵を掛けた。
アレクは居心地の悪そうな顔をしていた。
「宿に戻りたいんだけど、いつになったら出られるかな?」
「メグのお兄さんがチェックアウトしに行ったわ。荷物なら持ってきてくれるから、今夜は諦めてここに泊まりなさい」
「……仕方ないね。明日は早朝に出させてもらうよ」
「そうして頂戴。あー、それにしても嫌な話を聞いちゃったわ」
貴族って、特に上級貴族って、自分のことを特別視しすぎなのよ。子供の頃からチヤホヤ育てられているから、そう思い込むのも仕方のないところはあるんだけど。令息令嬢なんて親の権威に寄りかかっているだけなのに。
だからたまに羽目を外しすぎる者も出て来て、もっと偉い人の不興を買って制裁されてしまう。いつもと違う自分になりたかったら私のように上手くやらなきゃ。
「エレアノールさんもお気の毒ね。彼女はまったく無関係、というかむしろ被害者なのに辛い思いをされて」
「……実際にはもっとひどい」
「え?」
「彼女にはああ言ったけどね。上流階級のスキャンダルだからね、それはもう面白おかしく噂されているんだよ。市井での噂は恐らく彼女が思っているよりずっと悪い」
「そうなの?」
「僕が聞いただけでもね。ちょうど聖女の結婚式だから、一方で婚約を解消された女性がいるというのが面白いみたいでね」
「ええ……」
「それにね、彼女の家は結婚当初にご主人に浮気疑惑があったからね」
「ああ、元々お好きな方がいらっしゃったという話ね。身分が違ったから結婚できなかったとかいう」
「そのこともあってあの父の息子ならそうだろうと、散々な言われようなんだよ。それに君がね」
「──え、私?」
「うん。君は上手に婚約者の座を譲ったものだから、それとも比較されてね」
急に私の話が出て来てうろたえてしまった。
「わ、私、別に彼女に恥をかかせようとか、そんなつもりじゃ……」
「それはそうだろう。こんなことになるなんてあの頃予想できたならそれこそ神の御業だ。……まあ、庶民の間ではそんな感じだ。貴族社会での噂話も似たようなものだろう」
あの警ら隊といい下世話なゴシップ好きたちといい、被害者に石を投げるのがこの国の流行のようだ。
それで私にきつく当たっていたのか。やりきれなかったのね……。
八つ当たりみたいなものだけど、彼女としては他に当たれる相手もいなかったのだろう。彼女には私にとってのエリザみたいな子もいないし。
「本当にお気の毒だわ。何とかできないかしら。助けてもらったわけだし」
「何とかって?」
「その、お相手を探すとか?」
エレアノールさんは自分が婿取りして公爵家に残らなければならなくなってしまったようだ。と言ってもこれまでの婚約は破棄されてしまったし、同世代のめぼしい相手にはもうみんな婚約者がいる。
「どこかにちょうどいい感じの男性がいないかしら。以前はよくやってたんだけど、今はもうコネがないし……」
「というと?」
「話すと長くなるんだけど……。まずね、同世代の未婚の令嬢たちの中ではね、私とエレアノールさんとがツートップだったのよ。家格はあちらの方が上だけど、私は第一王子の婚約者だったからね。軍事力はあちらが上で、経済力はうちの方がちょっと上かな? まあ個人としては同格と見なされていたの。それでそれぞれの家の昔からのつながり──大昔の戦争をしていた頃からの親分子分の関係とか、姻戚関係とか、今現在のつながりとか、そういうのを考慮して各ご家庭で娘たちを私かエレアノールさんかに近づけて──とにかく、私は未婚の令嬢たちを真っ二つに割った派閥の一方のトップだったの」
「君、結構すごかったんだね」
「私はいつでもすごいの。……まあ、私本人の資質とは無関係に実家の関係でそうなっただけなんだけどね。それでね、人の上に立つってことはさ、単にチヤホヤされていればいいってわけじゃないでしょ? そういう子たちをまとめたり悪いことをしないように目を光らせたりしていたの。たまにはいい目を見させてあげたりとか」
「いい目?」
「褒めてあげたり、ご褒美をあげたり。一番はお見合いのあっせんね。これなら結婚させても大丈夫かな、って子がいたら婚約者様に相談して、ちょうどいいくらいの相手を紹介してもらうの。それで結婚が上手くいけば一生忠誠を確保できるってわけ」
「なるほど……。女性も大変だね。いや、男の方がまだ楽かもしれない」
「大変だったのよ」
「でも、君は王子の婚約者を降りてしまったわけだ。君を信じてついて来た令嬢たちははしごを外された形になるわけだけど……」
「大丈夫よ、みんなちゃんと聖女に引き継いだから」
聖女だって令嬢たちのバックアップが絶対に必要だしね。
派閥の子たちとはお互い利害関係でつながっていただけだから、私が婚約を聖女に譲り渡したらみんなホイホイそちらに乗り換えた。
「今でも個人的に交流があるのはエリザとエマの二人だけね」
「あれ、そういえばそのミス・エマのお相手は?」
「あの子だけ釣り合う相手がいなくて……。一人だけね、伯爵家のご子息でいい感じの人がいたんだけど。将来の伯爵様だから地位も財産もバッチリだったし、人格も高潔で見た目も悪くなかったし。でも『身分が違うから』ってエマの方に遠慮されちゃって。……それはいいわ。まあそういう感じで婚約者様に良さそうな男性を見繕ってもらっていたんだけどね? もうそっちの伝手は使えないし……。アレク、心当たりない?」
アレクは肩をすくめた。
「僕は貴族同士の付き合いがあまりなかったからね。友人と言えば君の兄上くらいだけど、もう結婚目前だし。かと言って僕の兄は無理だよ。公爵家同士の婚姻なんて宮廷が許可するはずがない」
アレクのすぐ上のお兄様はまだ独身のはずだけど、いくら王家と親戚とはいっても公爵家同士が直接結びつくのは警戒するわよねえ。
それにエレアノールさんとアレクの兄弟ははとこだし。この国でははとこなら結婚できなくはないけど、感覚的にはかなり微妙だ。まずいい顔はされない。
「他には、マルクス様とか? ……あ、ごめん。忘れて」
私は第二王子の名前を口にしたけど、自分で取り消した。こちらも同じくはとこだし、その上素行の悪さで有名だ。あの方では前の婚約者の二の舞になりかねない。
「あとは、君の弟君とか?」
「うーん、どうかなぁ……。うちは兄がしっかりしていたものだから、弟の方は最初から跡を継ぐつもりがなくて、すっかり自由に育ってしまっていてね? 姉の私が言うのもなんだけど、彼女のお婿さんとしてはちょっとふさわしくないんじゃないかな」
頼りない年下男か……。うん? 彼女にはもしかして合っていたりして。
まあそれはジョークとして。仕方ない、私はジョーカーを切ることにした。
「……一人、いることはいるのよね。フリーで、つまらないスキャンダルに惑わされないくらいの胆力があって、人品卑しからぬ圧倒的身分の男性が。ちょっとというかかなり問題がある相手ではあるけど」
「誰だろう。年頃のふさわしい相手が他にいたかな?」
「プリンス・エドワード」
アレクはパチパチまばたきして、口をぽかんと開けて、大きく息を吸って、吐いた。
「……君、すごいことを考えるね」
「でも、他に候補がいなくない?」
「とはいえ身柄を渡す渡さないで戦争になってもおかしくない方だ。ちょっとの問題というか国際問題だよ」
「公爵令嬢の結婚は戦争と同じくらいの重大事よ」
「君には本当にかなわないよ。それで、どうやって?」
「こういうのはどう?」
私たちは作戦を練った。




