公爵令嬢の家庭の事情
「その方たちの身分は公爵家が保証いたしますわ。身柄のお引き渡しを要請します」
「は、はいっ!」
エレアノールさんは公爵家の名に懸けて請け負ってくれた。お付きの騎士が公爵家の紋章の印とサインの入った身分証明書を突き出すと、警ら隊の二人は最敬礼で硬直した。
私たちは招かれるままに彼女の馬車に乗った(メグとその兄は私の馬車を回収しに行った)。
「トレント公爵様のお屋敷に向かいなさい」
エレアノールさんが御者に命令すると馬車は動き出した。道が詰まっていてノロノロと亀のようにしか動かなかったけど。
「ちょっと、ちょっと待ってくれないか? あの家だけは許してくれ。君ならわかるだろう?」
アレクがエレアノールさんに懇願した。
アレクのお父様は現国王陛下の弟君で、エレアノールさんのおじい様もまた先代陛下の弟君だ。つまりこの二人ははとこに当たる。
親戚だけに昔から面識があるのだろう。アレクにしては普通にしゃべっている。
「ではわたくしの館へお願いいたしますわ。兄はアレク様のことをご承知です」
ここからだとエレアノールさんのおうちより私の家の方がずっと近い。だからそう提案したんだけど……エレアノールさんはそれには答えず、ジロリと私に一瞥をくれて、御者にだけ「マドリガル侯爵家へ」と告げた。
馬車は横道にそれて私の家へと向かった。
何だか歓迎されていないみたいだけど一応お礼を言っておこう。
「あの、エレアノール様、お救いいただきありがとうございました。お手数をおかけして申し訳ございません」
頭を下げたんだけど、エレアノールさんはそれにも無反応だった。ただひたすらに睨むような目つきで見られている。
い、居心地が悪いわ……。エレアノールさんって目力が強いから、こういう目で見られると圧力がすごい。
「いいご身分ですわね」
突然刺すような口調で責められた。
「──え?」
「ご自分は婚約者も立場も捨てて隠居なさってしまわれて。そうかと思えば行方不明のはずの公爵家のご子息と逢引きなさっているなんて。それもそのような庶民の姿で、お忍びで」
「あ、逢引き……? いえ、わたくしたちはそういう関係ではございませんわ」
「とぼけるのもほどほどになさってくださいまし!」
怒られた。本当に違うのに。
なんだかずいぶんととげとげしいんだけど。何でこんなに機嫌が悪いのかしら。例の辛いこととやらの影響?
「あの、貴女の身の上に何がございましたの?」
「存じませんわ。貴女のところのエリザさんにでもお伺いくださいまし」
「それが、教えていただけませんでしたのよ」
「……彼女はそうでしょうね。くだらない噂話など、なさるような方ではございませんわね」
エレアノールさんは視線をそらした。そうしたら隣からアレクが言った。
「聞いたよ。辛いことがあったんだってね」
「え、知ってるの? 誰から聞いたの?」
「!」
あ、思わず普通に話しかけちゃった。エレアノールさんが鋭く反応してるし……。
でもアレクはそんなことは意に介さず「町の噂で」と答えた。
エレアノールさんはとても、心の底から傷ついた顔をした。
「わたくし、庶民にすら嘲笑されておりますのね……」
「君のせいじゃない」
「笑われていることに変わりはございませんわ」
それきりエレアノールさんは一言もしゃべらず、何もかも拒絶するように目を閉じて頭を馬車の壁に預けた。
馬車はようやく侯爵家に到着した。
「アレク、それ貸して」
「どうぞ」
こんな庶民の服を着ているところを使用人に見られたら大変だ。私はアレクのフードを着せてもらって目深にかぶって前を閉じて、身をかがめて顔を伏せてこそこそとエレアノールさんの後ろについて歩いた。何だか本当に連行される犯罪者みたい……。
途中メイドたちが何事かと立ち止まってこっちを見たけど、アレクに見つめ返されたら慌てて目をそらして逃げて行った。よし、ナイス! 初めてこの顔が役に立ったわ。
私たち一行は応接室に通された。メイドたちも人払いして、しばらく待つと兄が慌ててやってきた。
「レディ・エレアノール、急なご来訪とのことですが、何事ですか」
エレアノールさんは何も言わず私とアレクを示した。私はフードを下ろして曖昧に笑みを作った。
「……えへ」
兄は私の姿を見て一瞬動きを止めた。そして服を見て怪訝な顔をしたけど、隣のアレクを見て勝手に納得した。
「……なるほど、そういうことか」
「いえ、そういうのではなくて」
「隠すことはない」
「本当にそういうのではなくて」
「それで、何故レディがご一緒に?」
「それは──」
私はエリザへの贈り物のヒントを探して歩いていたら町の不良に絡まれて、警ら隊は彼らと通じていたみたいで私たちを捕まえようとして、そこへ通りかかったエレアノールさんに助けられたのだと説明した。
「──レディ、それは大変なご迷惑をおかけしました。妹の危機をお救い頂きましたこと、心よりお礼申し上げます」
「わたくしからも改めてお礼申し上げます」
「いえ。当然のことをしたまでですわ」
私たちはそろって頭を下げた。エレアノールさんは私を無視して兄にだけ会釈して、今度はアレクに向き直った。
「アレク様、貴方、今までどちらにいらっしゃいましたの?」
「国中を放浪していてね。今は彼女の村で匿ってもらっているんだ」
「やはり、そういうことですのね……」
「ですからそういうのではなくて」
「こうしてはいられませんわ。一刻も早く公爵様にお知らせしませんと」
しかし兄が彼女を制止した。
「レディ。実はその件に関しては私が公爵家と協議しているのです」
え、そうなの?
「……何しろあの通りのお方です。なるべく波風の立たない方法を模索しているところなのです。ここは私に預けていただけませんでしょうか」
兄がそう言うとエレアノールさんはしばらく迷ってからようやくうなずいた。
「……ロードがそうおっしゃるのでしたら」
うーん……。エレアノールさんったら、アレクはともかくとして兄とは普通に応対するのね。
どうも私個人が気に入らないみたいだ。私、彼女に何かしたっけ?
気になったので聞いてみた。
「あの、エレアノール様」
「……」
「先ほどからわたくしに少し厳しくていらっしゃるようですけれども、わたくし何か失礼を致しましたでしょうか。お気に召さないところがございましたら改めますので、どうかおっしゃってくださいませ」
「……そういうことではございませんの」
「でも、気になりますわ」
「セシリア、やめなさい」
兄がそっと私の肩に手を置いて、首を横に振った。
「お兄様はご事情をご存じですの?」
兄は無言でうなずいた。そして手を肩から外して、エレアノールさんへと改めて一礼した。
「レディ、本日は大変お世話になりました。今日はこれでご退出ください。妹には後で私が伝えておきます」
でも、エレアノールさんはじっと身じろぎもしないでいて、やがてゆっくりと息をついた。
「……後ではなく今おっしゃってくださいませ。わたくしがいないところで噂されるのは、もううんざりですの」
「本当によろしいのですか?」
「……ご随意に」
エレアノールさんが目を伏せながらも許可を出したので、兄はようやく説明を始めた。
「セシリア、レディに兄上がいらっしゃることはお前も知っているな?」
「ええ」
コラール公爵家は女の子ばかり生まれることで有名な家だ。なんと三代続けて入り婿なのだ。
それが二十年ほど前、四代ぶりに男の子が誕生された。それがエレアノールさんのお兄様だ。
「久々に生まれた男子である兄上は、その、大変に甘やかされてだな……」
「ええ、すっかり安くお育ち遊ばされたのです。我が家は女子の教育法については確立されておりますけれど、男子に関しては、これはもう甘やかす以外のやり方を存じませんでした」
エレアノールさんは無気力に首を振った。
うん、それは知っている。私が見ていた範囲でも、精いっぱい良く言って「いいとこのボンボン」という感じだった。正直なところエレアノールさんが跡を取った方が良さそうだった。
「こう申し上げては失礼ながら、あまりご自分の立場をお考えになる方ではなかったのだ。──また、レディにも婚約者がいらっしゃった。それも知っているな」
「もちろんです」
エレアノールさんはうちとは別の侯爵家の嫡男が婚約者で、そちらにお嫁入りの予定だった。いいも悪いもなく、同世代で他に釣りあう相手がいなくて選択肢がなかった。
彼女が婚約者を愛していたかというと、これは微妙だ。私が見ていた限りではたいそう義務的な態度だった。私と元婚約者様のようにね。その婚約者さんも誰かさんと一緒に聖女の取り巻きをやっていたくらいだし、お互いにそうだったのだろう。
「レディの婚約者殿は兄上と大変に気がお合いだった。それでだな、兄上とお付き合いされるうちに感化されてだな……」
そこで兄はエレアノールさんを気にして視線を送った。エレアノールさんはじっと目をつぶって、また静かに首を振った。
「……婚約者殿と兄上は、その、いろいろとお遊びになったのだ。それが遠乗りや剣術ならまだ良かったのだがな、酒や……主に女性関係でな。そしてその結果として、とある男爵家の令嬢を妊娠させてしまったのだ。兄上が姉の方を、婚約者殿が妹の方を」
「……ええっ?」
ど、動物! 動物の所業だわ!
「お二方はあくまでも遊びのつもりだったようだが……男爵の抗議で明るみに出てな。公爵夫人は烈火のごとくお怒りになった。男爵ではなくご子息の方に。……昔のことを思い出されてな」
「ああ……」
今の公爵様はさっきも言ったようにお婿さんだ。そしてこれもまた有名な話なんだけど、彼には新婚ほやほやの頃に浮気疑惑があった(ちなみに本人は誤解だと主張しているそうだ)。
「『このような者は我が家にふさわしくないから勘当する』と大層なご剣幕でな。ご当主もかばいたてると藪の中の古い蛇をつつくことになりかねず口をつぐんでしまわれたということで、兄上はあえなく廃嫡。その男爵家に婿入りとなった」
「母は『どうせ我が家は女系なのですから、娘に婿を取れば良いのです!』と仰せでしたわ……」
「併せてレディの婚約も解消された。先方では公爵家とのご縁をあたら無にした息子に激怒されてな、男らしく責任を取れと国の片隅に男爵家を新しく創って、そこの当主にされた。そしてその男爵家の妹の方が嫁入りする形となった」
わ……わァ……。
思わず呆然としてしまった。婚約破棄からの男性側没落をリアルにやっちゃったの? 異世界恋愛短編じゃないんだから……。
何てお気の毒な……。エマが「辛い事があった」と言っていたのはこのことか。
うん、それは確かにショックだろう。もし私の兄と元婚約者様がそんなことをしていたら私だって落ち込んだと思う。
あー、聞かなきゃよかった。そりゃエマも言いにくかっただろうし、エリザの性格では口を閉ざすのも当然だわ。
兄はエレアノールさんからつっと目をそらしつつ言った。
「公爵家の跡取り息子とその妹君の婚約者がだ。そのような口を憚る失態を犯したということで、それはもう大変な騒ぎになったのだ。レディご自身も大いに傷つけられたことだろう」
「それは、何と申し上げたら良いか……。お慰め申し上げますわ……」
本当にお気の毒だったのでそう言ったんだけど、エレアノールさんは何故か恨めしそうな目で私を見た。
「……他人事のようにおっしゃいますけれど、こうなったのには貴女にも幾ばくかの責任がございますのよ」
「あら、わたくしが何かいたしましたでしょうか? お二方とはあまりお会いしたこともございませんけれども」
「いいえ、そうではございません! 殿下が軽々と婚約者を乗り換えられたものですから、殿方の間でご自分も、と、嘆かわしい風潮になっているのです!」
ええ……それって私のせいなの?
それにそんな風潮って言ったって、うちの兄は別に……はっ、まさか兄も?
私は兄の顔を見た。兄は心外そうに言った。
「いや、私はそんなことはしないぞ。そんな風潮はごく一部の例外だ」
金髪の下で肩が落ちた。
「わかってはいるのです……。兄と、ヴィクター様のお心が弱かったのだと……」
エレアノールさんは本当に打ちひしがれていた。




