奇貨居くべし
「君も日本から転生して来たのか……」
「そうよ! ──ねえ、いつ思い出したの? 自分が日本人だったって」
知りたい。身分はあちらの方が上だけど、勢いで庶民的に話し掛けてしまった。
まあ、同じ元日本人の気安さよね……? 向こうも気にしてないみたいだし、いいのかな?
「五歳の時……静電気がビリッときた拍子に。君は?」
「私も五歳の時。高熱で寝込んで、その時に前世のことを思い出したの。ねえ、どこに住んでいたの?」
「多分東京だと思う。……生活史がほとんど思い出せないんだ。ただ、記憶の中に残っている風景は東京のものばかりだから、やはり東京に住んでいたんだと思う」
「わぁ、同じね。私も多分東京。病院のことしか思い出せないけど。でも記憶にある言語は日本語だし、地名も東京のものばかりよ」
「凄い偶然だね。いや、それとも必然なのかな? ……そうだ、最後に覚えている時間軸はいつ? 僕は"Reiwa"という元号を覚えている。同じ時代かな?」
「れいわ……令和ね。平成の後。そう、私もそこから来たわ」
「死んだとき、僕は十代だった」
「私は十五歳よ。高校に入ってすぐ病気が見つかって……」
「まさか同時代の日本人に会えるなんて……信じられない」
「私もよ。──ねえ、ねえ、今日は何でここに来たの? 私が元日本人だって知ってたわけじゃないんでしょ?」
「ああ、それはね、この村に温泉が湧いていると聞いて立ち寄ったんだ。あちこちを放浪して、疲れ果てて……。元日本人としてはどうしても湯船につかりたいという欲求に勝てなくてね」
「わかるー」
「……ところが、せっかく来てみたものの風呂として整備されているのがここしかないと村人に聞いて、厚かましくも押しかけたんだ。申し訳なかった」
そう言って彼は頭を下げた。
「そういう事情なら……」
元日本人としてその気持ちは痛いほどわかる。だからこそ私もこんなところに住んでいるわけだし。
大切なお風呂だけど、許した。
「貴方の事情はわかったわ。それじゃ公爵家にお知らせするわね。お迎えが来るまで泊まっていってもいいわよ」
私みたいに行き先がわかっているわけじゃない。ご家族はきっと心配していることだろう。
でも彼は渋い顔をした。
「やめてくれないか、もう帰るつもりはないんだ」
「そういうわけにはいかないでしょ」
「いいんだ」
「そもそも何故家出なんてしたの? 貴方のように恵まれた立場の人が」
「そういう君だって、侯爵家の令嬢という恵まれた立場を捨ててこんなところにいるじゃないか」
「それはそうだけど」
「何があったのかな? ……そうだ、旅の途中で聖女が出現したと聞いた。聖女が王太子の婚約者になったとも。しかし我が従兄殿の婚約者は君だったはずだ」
「元はね」
「その君が何故婚約を解消して、どうしてこんなところにいるのかな?」
「私にも事情があったのよ。──私のことはいいわ。貴方は何で家出して、どこに行っていたの?」
変なところに飛び火した。強引に話を打ち切って改めて尋ねると、彼は何だか遠い目をした。
「どこから話したらいいのかな……。そうだね、僕は興味のないことはできない性格なんだ」
「それは誰でもそうよ」
私なんて王妃役が嫌すぎて、聖女に押し付けて逃げちゃったし。
「そうかな? 僕から見ると皆嫌なことでも我慢してやっているよ。……経営や軍事はまだいいとしよう。もっとも、四男だと経営にはかかわらせてもらえなかったけどね。でも社交とか結婚とか、できないことを言われても無理だ」
「何が無理なの?」
「分家する余裕はないから婿入り先を自分で探せと言われてね。そんなことを言われてもね……」
「何か問題でも?」
私は改めて彼を眺めた。
すらりと背が高く、小顔で、足が長い。貴族らしく姿勢もいい。まだ少年らしい線の細さを残しているものの、その服の下にはしっかりと筋肉のついた体が隠されているようだった。
輝くプラチナブロンドは、長い事お風呂に入ってなかったみたいなのに、何でこんなにサラサラなの? やや伏し目がちに私を見つめる切れ長の瞳はまつ毛が長くて、心の繊細さを感じさせる。鼻筋もすっと通って、全体にバランスがいい。
そしてとても健康そうだ。はち切れそうな若さが皮膚の下から透けて見えていた。
私の元婚約者様は「カッコいい!」ってタイプだったけどこの人は「ザ・美形」って感じだ。どちらがいいかはもう好みだけの問題で──いや、王子様に婚約者(私)がいた分、狙いはこちらに集中していたことだろう。聞いたことはないけれど、年頃の令嬢たちの間ではきっと争奪戦になっていたに違いない。
……この人の隣に並ぶ自信のある女はそういないかも知れないけど。
「貴方がその気ならいくらでも相手はいたでしょう?」
しかし彼は肩をすくめた。そんな動作でさえ役を演じる俳優のように決まっている。別にカッコつけているわけじゃなさそうなのに。
「僕には人の気持ちがわからないんだ。特に女の子の気持ちはね。何を話したらいいかわからないし、上手く対応できないんだ」
「そんなの、普通にすればいいじゃない」
「その『普通』が僕にはわからないんだよ。自分に何を求められているかわからないし、他人に興味もない。……僕の興味は自然とか、社会とか、数字とかの構造なんだ。でもその興味を共有してくれる人はいなかった。みんな誰が誰より身分が高いとか、金があるとか、強いとか……。人と比べることしか興味がないようだった」
そこで彼は少し沈黙した。そして気を取り直したように言葉を継いだ。
「……それでね、婿入り先なんて見つけるのは難しそうだったし、それ以前にとても貴族としてはやっていけそうになかったから、父上に身分を捨てたいとお願いしてみたんだよ。平民になって、どこかの商家で雇ってもらおうと思ったんだ。人づきあいは苦手だけど経理くらいはできそうだからね。数字には強いから。でも承知してもらえなかったから、仕方なく家出した」
呆れてしまった。そんな要望、通るわけがない。貴族社会から離脱したければ私のように上手くやらないと。
「それで落ち着くところを探して旅をしていたんだ。もうあそこに帰るつもりはないよ。どうせやっていけなくて、結局また家を出ることになるだけだろうし」
そして彼は目をそらした。じっと見つめる私の視線が後ろめたかったみたいだ。
彼は本当に公爵家には戻りたくない様子だった。
うわー、もったいない。顔の持ち腐れもいいところね。私がこの人だったら──
あ、いや……。やっぱりお風呂に入らない女の子と結婚は無理かな……。
うん、今と同じくなんだかんだ理由をつけて隠居していただろう。
同病相憐れむというか何というか。同じ境遇の異世界人同士、ちょっと同情してしまった。
私はまた腕を組み直して考えた。うーん……。
一応確認しておこう。
「……ねえ、貴方、他のものも作れる?」
「え?」
「せっけん以外にも、歯ブラシとか、タオルとか……」
「タオルは研究が必要かな。歯ブラシならもう作ったよ」
そういってまたズタ袋から取り出したそれは本当に歯ブラシの形をしていた。し、信じられない! 私なんて糸ようじが精一杯だったのに。
……うん、この人、使えるわ!
正直に言って自分一人の力での生活改善には限界を感じていたところだ。私じゃせっけんひとつ満足に作れなかったもの。
前世では十五歳で死んだ私にはそういう知識が圧倒的に足りていない。
彼の知識はきっと私の生活を向上させてくれるだろう。
「いいわ、だったらうちに置いてあげる」
「──え?」
そう、価値観の違う相手と共に過ごすことは難しい。食器用のスポンジでシンクまで洗う人っているじゃない? 私は無理。そういう人とは一緒に暮らせない。
メグみたいに庶民ならしぶしぶながらも雇い主の言う事を聞いて清潔にするけど、貴族たちの意識を改革するには数世代はかかるだろう。その日が来る前に寿命が来ちゃうわ、私。
それが端っこでも、同じ敷地内に住ませてあげることのできる貴族は多分世界で彼だけだ。
「公爵家には黙っておいてあげるから、私の快適な生活を実現するために協力しなさい」
彼は神様が私のために用意してくれた便利アイテムなのだ。多分。
ほら、私って神様に愛されてるみたいだし?
私は悪役令嬢なのだから、立っている者は公爵家のご子息でも使うのだ。
「ご飯も食べさせてあげるから。前世風のものをよ?」
「そ、それは是非お願いするよ!」
「この世界、何が困るってまずは食事よね」
「そう! 何を食べても甘いかしょっぱいか、それとも味がないかで間がないし……」
「出汁とか知らない感じよね」
「肉に塩を振って焼いただけのものが一番マシだよ! でも、公爵家では僕の好きな物なんて作ってもらえなかったし……。庶民の間では肉なんてそんなに食べられないし……」
「私は鶏を飼わせているわ」
「ほ、本当かい?」
「それにメグ──うちのメイドのお兄さんが猪を獲る名人なの」
「素晴らしいね!」
「衛生観念の違いも大変よね」
「そうだよ、どこに行ってもみんな不潔で……」
「その点私の家なら清潔よ。毎日掃除しているし、お風呂も入り放題なんだから!」
彼はいきなりガバッと地面に伏せた。全身での土下座だ。
「お願いする、ここに置いてくれないだろうか」
「土下座はやめてよ、土下座は。されてもいい気分はしないわよ? ほら、ご飯くらい食べさせてあげるから頭を上げて」
「……ありがとう!」
「その代わり協力してよね。私の生活を改善するために」
「もちろんだとも」
そして立ち上がったアレクと私は握手した。
秘かに前世を隠す者同士の、共犯関係の成立だ。




