エリザと兄
エリザと兄の結婚式は聖女の結婚式の翌日に設定されている。
臣下の身で先に結婚するのをはばかった、というのは建前で、聖女と王太子というこの国最高のカップルの結婚式のために普段都に来ないような貴族も上京している。その流れで同じお客を招きやすい。顔を売ると同時に王太子の第一の側近であることをアピールしようという目論見だ。
兄らしいそつのなさね。巻き込まれるエリザはたまらないだろうけど、本人も未来の王妃の側近になるのだから条件は同じだ。大変だろうけど頑張ってほしい。
エリザは私と同い年の、伯爵家の三女だ。同世代の令嬢たちの中では頭一つ抜けていて、並んで立っていても一人だけピカピカ光っていた。
性格は几帳面で、でも四角四面というわけではなく細やかな気遣いができる。それに記憶力が良くて頭の回転が速く、しかし余計な嘘はつかない。要するに性格的にも能力的にも信頼できた。助言は適切だしプレゼントなんか選ばせたら抜群だった。まあさすがにエリザへの結婚祝いを選んでもらうわけにはいかないけど。
内面だけではない。見た目もかなりの美少女だ。顔だけじゃなくて頭身も高ければ腰の位置も高い。髪をきっちりまとめていたらモデルみたいだ。おまけに家柄までいいし。
正直王妃になってもおかしくない逸材なのよね。何度替わってもらえたらと思ったことか。
こんな子をどこの馬の骨ともわからない貴族に取られるのは惜しかったので、私は十四歳の時に兄に紹介した。そこから交際がスタートして二年ほど前に婚約が成立したのだった。
本当はもっと早く結婚していても良かったんだけど、こんなに待たせてしまったのは私が王子様の婚約者の座を聖女に譲ったせいね。申し訳ない。
夜遅くに帰宅した父と翌朝顔を合わせた。玄関のホールを通りかかったら、もう出かけようとしていた父は喜びもあらわに近寄ってきた。
「セシリア、もう着いていたのか」
「ご機嫌ようお父様。お久しぶりにお会いいたしますわね」
「親子でこんな会話をしなければならないのは悲しいね。どうだね、そろそろ戻ってこないかね? もう気も済んだろう」
「嫌ですわお父様、ここは兄とエリザさんのお屋敷になりますのよ? 小姑が邪魔をしてはいけませんわ」
「ならば本宅の方でも」
「そのお話はまたにいたしましょう」
「うむ……。そうだな、済まないがまた出かけなければならない。今夜は食事を共にしよう」
「あら、それは嬉しいですわ。楽しみにしておきますわね」
父を乗せた馬車を見送っていたら、入れ替わりのように馬車が一台入ってきた。玄関の前で停まったその馬車から降りてきたのはエリザだった。
私は急いで淑女の礼を取り繕ってエリザを出迎えた。
「エリザさん、お久しぶりですわ!」
「セシリア様……。まさかもうお会いできるなんて」
私はエリザの手を引いて中に戻った。
「お懐かしいわ、以前は毎日のように顔を合わせておりましたのに」
「ええ、本当に。セシリア様がいらっしゃらなくなってから火が消えたようで……。皆様寂しくしておられますの。レディ・エレアノールもすっかり気を落としてしまわれて」
「あら……。エマさんも同じことをおっしゃっておいでよ。レディの身の上に何がございましたの?」
気になったので聞いてみたんだけど、エリザは少しためらって、声を落とした。
「それは……私の口からは申し上げられません」
本当に何があったんだろう。
エリザは自分のメイドに話があって戻ってきたそうだ。
貴族女性の慣例だ。結婚したら嫁入り先に身の回りの世話をするメイドたちを連れて行くことになっている。私にもそういうのがいたし。
エリザは聖女の結婚式の準備を手伝っていて、お城とこの邸宅を行ったり来たりしていると言った。自分の結婚式も目前なのに。
本当はもう少し改まった場所で、と思っていたけど、式の話が出てしまったのでこの場で伝えておこう。私は足を止めてエリザに向き合って、頭を下げた。
「ご結婚おめでとうございます。これで貴女はわたくしの義姉におなりですわね。よろしくお願いいたしますわ、お義姉様」
エリザはやや戸惑って、珍しく不安そうな顔を見せた。
「私にできますでしょうか」
「貴女なら異国の王妃だって務められますわ。侯爵家の奥方なんて、むしろ不足なくらいでしょう」
エリザの式の準備は両家の使用人たちが忙しく働いている。兄も目の前の自分の仕事がいっぱいでそちらにまで手が回らないようだ。
「あら、結婚式のプランをご相談ならさないの? やりたい演出もおありではなくて?」
「ええ、ここ半月ほど顔を合わせておりません」
……え?
「あの、わたくしの手紙はどうなさいましたの? わたくしは兄に言づけたのですけれど」
「召使いづてにいただきました。お忙しい方ですし、私も王宮に詰めていてなかなか時間が取れなくて」
「貴女、人のこともよろしいですけれど、ご自分の結婚式ですわよ?」
「でも、普段お会いできない方と顔を合わせられる機会ですし」
要するに聖女の結婚式の準備を口実にした人脈作りで忙しいということのようだ。エリザはエリザで何をやっているの……。
仕方ない。私は二人のために一肌脱いであげることにした。
「──それでは提案いたしますわ。式が終わったらお二人の時間をお作りなさいな」
「はあ……」
「そうですわね、旅行なんてどうかしら。お二人で、一か月くらい地方を巡って。昔のことですけれど、国王陛下も新婚旅行にお出かけになられたと伺っておりますわ。名目上は結婚式に来られなかった各方面の貴族への表敬訪問として。お二人もそうされてみてはいかが?」
でもそう言うとエリザは顔を曇らせた。何か問題が? まさか、兄と上手くいっていないとか……。
「そんなに不在にしたら、業務が滞りそうで不安です……。戻った頃には居場所がなくなりそうで……」
……。貴女、私と同い年よね? なんでその年でワーカホリックみたいになっているの? 私なんてニート生活を謳歌しているというのに。
それからエリザはまた慌ただしく出かけてしまった。朝食も取らずに。
どうやら自分のメイドたちに指示を出しに来ただけだったみたいだ。
どうなってるの? エリザったら張り切り過ぎというか、新しい自分の立場に過剰に適応しようとしてない?
これは兄がしっかりしていないせいだ。私は兄のところに行った。一言文句を言ってやらないと気が済まない。
ところが、家族と言っても兄にはなかなか会えなかった。何故かと言うと、この世界には紙がないからだ。それっぽいのがあるのは私の村だけだ。
だから書類というのも一般的でなくて、遠くの人にものを伝えるには使者を送るしかない。貴族の仕事は人と会うことが第一、フェイス・トゥ・フェイスのお仕事だ。まして結婚式を控えて祝賀の客が引きも切らない。
兄は朝から自分が行ったり他人が来たり、人と会う約束でいっぱいで、私の順番が来るまでずいぶん待たされた。
「ご機嫌よう、お兄様」
「うむ」
兄は執務室のデスクの向こうで椅子に腰かけたまま生返事をした。チッ。舌打ちが出そう。
「……わたくしのことをとやかくおっしゃる前に、ご自分のことをきちんとなされてはいかがですか?」
兄は難しそうな顔で考え込みながら空返事をした。
「何のことだ?」
「もちろんエリザのことですわ。聞けばお兄様、もう半月もお顔を合わせていらっしゃらないとか! ご結婚を控えてそれは、あまりにも心無い仕打ちではございませんこと?」
「私たちのことだ、お前が口を挟む筋合いの話ではない」
「そうは参りません。エリザは友人なのですから」
「しかし、そうは言っても私はもちろん、彼女も忙しい身だ」
兄はどこか遠くの誰かに目をやったまま私を見ようとしない。うん、そろそろキレそう。
私は小さく二人の将来像を呟いた。
「冷たい夫婦生活……」
「?」
「無言の食卓……夫婦の仲も親子の仲も冷え切り……家に近寄らない子供たち……やがて熟年離婚……寂しい老後……」
「……何のことだ」
兄はようやく私の顔を見た。
「他家をあげつらうようなことは申したくございませんけれど、コラール閣下のところは夫婦生活の始まりを誤ったために家庭が崩壊したと、もっぱらの噂ですわよ」
「うっ……」
「お父様とお母様なんてご結婚後はひと月も館にお籠りだったとお伺いしておりますわ。お兄様とエリザもそうされてみてはいかがですか?」
「いや、父はそのころ無役だったから」
「は?」
「いや、その、うん……」
半ギレで聞き返したら兄は口ごもった。
「で?」
「スケジュールを調整してみる……」
兄はようやく二人で相談してみようという気分になったようで、秘書を呼んで王宮のエリザに向けてメッセージを送った。
……それにしてもこの二人、本当に上手くやっていけるのかしら? 兄はご覧のあり様だし、エリザはエリザで淑女としては完璧でも女性としてはちょっとズレているようだし。心配だわ。
仕方ない、もう一肌脱いであげることにしましょうか。
「──お兄様、差し出がましいとは存じますが、一つご忠告を差し上げますわ」
「何だ?」
「夫婦の関係を円滑にする簡単なコツです」
「何だ? 魔法のようなことを口にするではないか」
「愛の魔法ですわ。よろしいですかお兄様、エリザと二人きりになられたなら、キスなさいませ」
「……何だって?」
「抱きしめてキスするのです。それも毎日。そして『愛している』とささやくのです。それで夫婦の仲は深まり家庭は円満、末永くお幸せに暮らせますわ」
「いやお前、突然何を言い出すのだ。熱でもあるのか?」
「正気ですわお兄様。愛情は口先でも物でもなく態度で示すものです」
「いやお前、そうは言ってもな?」
「何ですの?」
「いや、その……恥ずかしくないか?」
「これから結婚しようかという男性が小娘のようなことをおっしゃらないでくださいませ……」
「いや、お前……。そうは言ってもな……」
「愛情があればできるはずです。エリザも必ず喜びますわ」
「……。努力はしてみる……」
やれやれだわ、本当に……。何で私がこんなことをしているのかしら? 自分の相手もいないのに。
「ところで話は変わるがお前、どうやって都まで来たんだ?」
兄は唐突にそんなことを聞いてきた。ああ、そう言えばそんな手紙をもらっていたわね。
「馬車ですけれども」
「いや、それは執事に聞いている。護衛の話だ。侍女は──うん──まあ、いるようだが、護衛もなしで来たのか?」
メグの兄が護衛だけど、馬車だけ置いてアレクと一緒に町にいるので、ここには顔を出していない。
「お前、自分のことをもう少し大切にした方がいいぞ」
私は一応左右を見た。秘書が行ってしまった以上部屋に入ってくる人はいないだろうけど、メイドが聞き耳を立てていないとも限らない。
私はデスクを回って兄の耳元に口を寄せて、こそっと囁いた。
「今は町におりますの。アレク様の護衛で」
「何だ、一緒に来ていたのか。だったら我が家に呼べばよかったのに」
「それが、どうしてもご実家には知られたくないと、そうおっしゃられて……。貴族の邸宅にはお近寄りになりたくないそうなのです」
「むむ……。まあ、あの家はなあ……」
難しい顔だけど兄は納得してしまった。
え、何なの? アレクの実家ってそんなに難ありなの?
ところでエリザと兄は結局新婚旅行には行かなかった。代わりに侯爵邸で二人そろって祝賀の客を受け付けることにしたらしい。お互いをお互いのお客に合わせられて顔を覚えられるから、ちょうどいいのですって。
ああ、もう好きにしたらいいわ。この二人、ある意味お似合いだわ。
オリンピックの種目にスプーン投擲があったら、今の私なら金メダルを取れるわね。




