喉が鳴ります牡蠣殻と
私はアレクを連れて町の鍛冶屋に行った。
この世界にも金網のようなものがないでもない。貴族や、裕福な商家が防犯のために窓の外につけている。
でも、こんな田舎の小さな漁村にそんなものがあるはずもなく……。
「幅はこれくらい?」
「そうそう、そんな感じ」
仕方なくアレクの指示で細い鉄の棒を並べさせてかしめて固定して、簡易グリルを作らせた。お金ならあるのだ。
もちろん鉄の箱なんてものもない。これも薄い鉄板を組み合わせて無理矢理バーベキューの台を作らせた。おかげで鍛冶屋は鉄の在庫がなくなってしまった。
鍛冶屋に台を浜まで運ばせておいて、私たちは町を巡った。炭は大量に必要ね。使い捨ての素焼きのお皿も。それから呼び水としての魚介。
ちょうどアジの水揚げがあったので買ってきた。さっきも開きにしていたし、よく獲れるみたいだ。
私は旅行用の白いワンピースをいつもの普段着に着替えた。持ってきていて良かった。
それと麦わら帽子で料理なんて危なっかしくてやっていられないので、大きなスカーフを三角に折って被った。うっ、直射日光が熱い。
砂浜にはバーベキューの台がちゃんと置いてあった。さらにアレクとメグの兄に石を積んでもらって、台の隣にかまどを二つ作った。
かまどのそれぞれに鍋を据えて、メグが買ってきた油をなみなみと注ぐ。片方は安い菜種油でもう一方はオリーブオイルだ。
「何故鍋が二つ?」
アレクは不思議そうな顔をしていた。
「え? その方がおいしいから。あのね、食材の内側まで熱を伝えるのは油じゃなくて食材の中の水分の働きなの。最初に外側の水分を飛ばしてしまうと、その後どんなに加熱しても内側まで火が通らないのよ。だからこっちの菜種油で160℃でじっくり加熱して、中まで火が通ったら180℃のオリーブオイルで一気にカラッと仕上げるの」
「へぇー! 菜種油の方が温度が低いのも意味があるのかい?」
「オリーブオイルの方が熱に強いから。オリーブオイルは高温で加熱しても味が壊れない唯一の油なの。それに香りもいいから仕上げ側に使うのよ」
「なるほど。科学的な意味があるんだね」
「卵はなかったんだべ」
「じゃあ牛乳で……って、これもあるわけないか。仕方ない、マヨネーズで代用しましょう」
持ってきていて良かった。
浜辺の隅に流木が積んである。聞いてみたらそうやって乾かしてたきぎにしているそうだ。
私はそれをもらってきてかまどに火を焚いた。その火で炭をおこしてバーベキュー台を熱く燃やした。
漁家の女たちと子供たちが砂浜を掘ってアサリか何かを取っている。今からだと砂を吐かせるのが間に合わないし、明日の朝食の支度かな?
「おーい、そこの子供たち、おいでおいでー。おばさんたちもどうぞー」
手を振って声を掛けると子供たちがわーっと走り寄ってきた。
「何なにー?」
「何が始まるっぺや?」
「揚げ物パーティーよ。さあさあ、食べていって。おいしいんだから!」
最初に作ることにしたのはみんな大好きアジフライだ。
開いたアジに粉をはたいて、マヨネーズと小麦粉と水を混ぜたものにくぐらせて、家から持ってきたパン粉をまぶす。
そしてまずは菜種油の鍋に投入……無数の細かい泡に包み込まれたアジフライがふっと浮き上がってきた。
私はそれを手早くオリーブオイルの鍋に移して、衣をサクッと仕上げた。
「──はい、できあがり! まずは塩でどうぞ。お好みでレモンを搾ってもいいわ。タルタルソースはごめんなさい、マヨネーズが足りるか怪しかったから見送ったの」
「では、いただきます」
素焼きの皿に乗せてアジフライを配ると、口にしたアレクは目を見張って、夢中で食べた。
「うーん、これは美味だ! それに全然臭くない。これは塩が一番、タルタルソースもいらないね。僕の知ってるアジフライと全然違うよ!」
「そりゃお惣菜のアジフライは鮮魚コーナーで二度目の死を迎えたアジの最終変化形だもの。お刺身にするようなアジで作ったらこの通りよ」
メグの兄も無言ながらおいしそうに食べていたし、もちろんメグも舌鼓を打っていた。
「う、うんめえべ……。これは日常の中の祝祭だべ。舌の上を普段着のパレードが行進しとるんだべ……」
「あなたのその表現、体のどこから出て来ているの?」
村の子供たちは手づかみだ。アジのしっぽを指先でつまんで、顔の上に吊るして、下からかぶりついた。
「めっ!」
「どう、おいしい?」
「うめえっぺやあ!」
「たまんねえっぺ……」
子供たちにも好評だった。遅れてやってきた女たちもおいしさのあまり悶絶していた。
「そう。それは良かったわ。もっと食べたい?」
「もちろんだっぺ!」
「サム・モア!」
「そう。なら子供たち、牡蠣を取って来なさい! もっといいものをごちそうしてあげるわ」
「やったー!」
「はよ行くっぺー!」
子供たちはわーわーと歓声を上げながら海へと走って行った。
やがて子供たちは牡蠣を取って戻ってきた。みんな両手いっぱいに何個も牡蠣を持っている。それを母親たちがナイフでこじ開けると、プリップリの白い牡蠣の身がぬるりと日光を反射した。
まずはバーベキューだ。牡蠣を殻ごと台に並べて焼いて、塩とレモンで食べる。
私は焼けた牡蠣をトングの先でこそげて殻から身を剥がして、でも殻ごと素焼きの皿に乗せて配った。
「さあ、どんどん食べなさい!」
トングをカチカチさせながら宣言すると、子供たちは牡蠣の身をつまもうとして悲鳴を上げた。
「ぎゃー!」
「熱っちい!」
「指だと熱いから、こうやって食べるといいよ」
アレクが棒を削って作った箸を渡した。村人たちはアレクのやり方を見よう見まねで牡蠣を食べた。
「うめっ!」
「うめー!」
好評だわ。この世界の料理の傾向から考えて、多分今までこの人たちは煮てから冷ました牡蠣しか食べたことがなかったに違いない。このシンプルな食べ方はかえって強烈な印象を与えるだろう。
「こういうのもあるわよ」
私は鍋の中で煮えているオリーブオイルをお玉ですくって、焼けかけた牡蠣にちょっとかけた。ジュワァッ……と牡蠣が一気に煮え上がる音と、そして蒸気と香りが立ち昇る。そこに塩をパラリと、またレモンをキュッと絞って……。
「そ、それくれっぺや!」
「プリーズ!」
「とっても熱いから気を付けてね」
もちろんカキフライも作るわ! むき身の牡蠣を、アジフライと同じ要領で揚げて……。
こんがりと狐色のカキフライの表面で油がシュワシュワ弾けている。子供たちはゴクリとつばを飲んだ。
「さあ、召し上がれ!」
「く、食うっぺ……」
「……ッ!」
「…………ッ!」
「か、牡蠣ってこんなにうめぇもんだったんちゃなぁ……」
村人たちは自分の皿を隠すように抱え込んでカキフライをむさぼり食べた。
さぁて、他にどんな料理ができるかしら?
鍋ものに炒めもの、ワイン蒸しもいいわね。
え、生牡蠣?
今の私が?
冗談はやめてよ。
「殻はここに捨ててね」
トングの先でもらったトロ箱を指すと牡蠣の殻はどんどん積み重なって山になった。
「何やってんだっぺ?」
「いい匂いだっぺなぁ……」
漁師たちもどんどんやって来た。
「さあさあ、貴方たちも食べなさい!」
漁師たちは勧められるままに焼き牡蠣やカキフライを食べた。
「う、うんめぇ……」
「そう、それは良かったわ。でも牡蠣が全然足りないのよ。取ってきてくれるかしら?」
「任せるっぺ!」
そして彼らもまた岩場に走って牡蠣を取ってきた。
「これ、どうだぁ?」
「あら、いいものを持ってきてくれたわね」
漁師の一人が車エビみたいな大きなエビを小籠にいっぱい抱えてきた。よーし、半分はバーベキューの台で殻ごと塩焼きにしておいて、残りはエビフライよ!
卵があったら天ぷらにしたいところだけど。残念。
男たちがどんどん魚を持ってきて女たちがどんどん魚を捌くので、私はそれを片っ端から焼いて、あるいは揚げていった。
……ひぃー、手が追い付かない! いやギリギリ追い付いているかな? 先日家でバーベキューパーティーをしていてよかったわ。あれがなかったら絶対にパンクしていたもの。
とはいえ──
「メグ、手伝ってよ!」
「食べるのがせわしいべ」
メグはもりもりつまみ食いしながら切り身に粉をまぶした。
太陽が傾いて村は真っ赤に焼けている。
浜辺はお祭りのようだった。村中の人間が集まっているんじゃないかという人だかりで、私が作った以上に大量の料理が持ち寄られて、おまけにあちこちの家からお酒まで持ち出されてそのまま宴会に突入していた。
お酒のせいなのか夕日のせいなのか、みんな顔が真っ赤だ。飲んでいないのは私とアレクとメグの兄くらいなものだ。
流れで何杯も頂戴していたメグはふらつく足取りで「兄さはいける口なんだども、仕事中だから飲まねんだぁ」と言った。
「海の男のー、ちょっといいとこ見て見たいんだべー♪」
そのメグが扇動して、若者たちのボクシング大会が始まった。浜の真ん中の平らなところに左右から男たちが進み出て、審判役を買って出た男の合図に従って順番に殴り合っている。
「いいっぺ!」
「そこだっぺっ!」
「もっと気合い入れるっぺぇ!」
「倒れるまでやるっちゃー!」
観客と化した町の人たちが、飲んで囃して大騒ぎしていた。
「おら、強い男が好きだべー」
「でへへ……」
最終的に背の高い屈強な漁師がチャンピオンになって、メグに抱き着かれてだらしない顔を見せていた。
私、雇い主として何か言わないといけないのかしら?
……まあ、いいか。メグも漁師たちもみんな笑っている。
メグの兄だけは渋い顔をしていたけど。




