たまの喧嘩はスパイスだよね?
朝食の時に今日の予定を尋ねられたので、新婚さんの二人を冷やかしついでに久しぶりに焼き物を作るつもりだと答えたら、アレクは口を尖らせた。
「今日は用事があるから時間を空けておいて欲しいって言ったよね?」
「そうだっけ?」
「昨日約束したじゃないか」
「ヤク……ソク……?」
「何故そんな初めて感情を知ったロボットみたいな顔をしているのかな? そんなに難解な言葉だった?」
うん、何だかそんな話をしたような気がするけど、うっかりしていた。でも認めたら私が悪いみたいじゃない。
アレクは酷く落胆して嘆息した。
「はあ……。君も僕の言葉をないがしろにするんだね」
「そういうつもりじゃ……」
「そういうつもりじゃなくても聞いてなかったよね?」
「だからごめんなさいって」
「だからも何も今初めて謝ったんじゃないか」
「はあ? そもそも謝るようなことじゃないでしょ!」
「別にいいよ、もう」
「すねないでよ、子供じゃないんだから。謝ってるんだから一回くらいのミスは許しなさいよ」
「……」
アレクはそっぽを向いた。あ、何だかムカつくわ。
「だいたい『君も』って何よ、『も』って。誰が貴方の話を聞かないのよ」
「……一番は父かな。それから母。兄たち。同世代の貴族たち。もちろん令嬢たちも」
「……ほぼ全員なの?」
「僕と会話してくれたのは君と、君の兄上くらいだよ」
「……ごめんなさい」
「もういいよ」
それからアレクは一言も口を聞かなかった。もー、何だか私が悪いみたいじゃない! 罪悪感で人をコントロールしようとするのはやめてよ!
「……ねえ」
「……」
「もう、機嫌直して? 何かしゃべりなさいよ」
「……」
「あー、そんなに私としゃべりたくない? そう。私と一緒にいるのが嫌なら、公爵家に通報してあげるわ!」
「……。もしそんなことをされたらまた旅に出るしかないね。ここの温泉から離れるのは残念だけど」
「メグのお兄さんに言って捕まえておいてもらうから」
「ふぅー……。もし帰ることになったら……」
一瞬顔を曇らせたアレクは急に不敵な笑みを作った。何よ。
「そうだね、観光業を始めよう。目玉はこの村を目的とした温泉旅行ツアーだ」
「なっ……」
「税収もろくにないこの村に財源ができるなら侯爵様もさぞやお喜びで協力してくださることだろう。きっとオーバーツーリズムでこの村をパンクさせてみせるよ」
「な、なんてことを……」
私は思わずよろめいた。くっ、なんて嫌がらせを思いつくの、この人……。私が嫌がることをピンポイントで狙ってるじゃない!
「こ、この、女心のわからないサイコパス理系!」
「酷くない? 人と若干ずれてるのは否定しないけど」
「若干?」
「……そういう君だって、男心なんて少しも理解してないじゃないか」
「は? 私は理解していますぅー」
「どうだか」
「はあ? そうまで言うなら確かめてみましょうか?」
「望むところだね」
──というわけでにわかに『どちらがより異性の気持ちを理解しているかバトル』が勃発した。
ルールは言葉ではなく態度で相手への理解を示す。先にしゃべった方が負け。時間制限なしの一本勝負。
それではいざ尋常に──ファイッ!
待つのは性に合わない。私は先制攻撃を仕掛けることにした。部屋に戻った私は髪型をアップスタイルに直してきた。
「……っ!」
ファーストセクシー! 私にアドバンテージ! アレクは目をそらした。案の定効いているわ。
アレクは首筋の見える髪型が好きだ。浴衣のときにチラチラ見ているの、知っているんだから。
掃除の後に椅子に掛けたら目の前にコトンと湯呑が置かれた。アレクがお茶を淹れてくれた。
お茶を飲んだ私はお返しにお茶を点てた。アレクは煎茶より抹茶 (もどき)が好きで、以前作った井戸茶碗 (もどき)を愛用している。
お茶を飲んだアレクが今度は高いところの掃除を始めたので、私はアレクの靴を磨いた。
「……二人して何しとるんだべ?」
私たちを交互に眺めるメグの問いかけに私たちは黙って首を振った。今真剣勝負の最中なの。邪魔しないで。
メグもまた黙って首を振って、庭の掃除に出かけてしまった。
ちょっと遠出してきた私は昼食の準備に取り掛かった。メグの兄にお願いして骨を抜いてもらった丸鶏を捌いたら、包丁は予測した以上の切れ味でスッと入り込んだ。
「……?」
よく見たら研いであった。確かに私よりアレクの方が上手いからたまにお願いしてはいるけど、わかりにくいサービスを……。
私は一羽分の鶏を全部唐揚げにした。男の子はカレーより肉じゃがより鶏の唐揚げの方が好きだって、どこかで誰かが言っていた。メグには唐揚げを半分持たせて追い出した。
「……」
唐揚げを見たアレクの表情筋がピクリと動いた。あ、効いてる。
メグがいなくなったのを見計らって、さらに追加でマスの塩焼きをアレクの前に置いた。
「……!」
効いてる効いてる。アレクは鶏よりも魚の方が好きだって知っていたから、さっき釣ってきた。
食後にアレクはふらっとどこかに行ってしまった。
私の波状攻撃の前にアレクはたじたじだ。これはもう勝負あったかな……?
厨房の片づけを終えて一服していたら玄関の扉が開く音がした。
戻ってきたアレクは布で巻かれた花束を持っていた。まあこの世界だから野の花だし、細い束だけど、それでも花束だ。
アレクは私の前に跪いてその花束を無言で差し出した。
「……?」
よくわからないまま受け取るとメッセージカードが目についた。
そこには『お誕生日おめでとう』と書かれていた。
……少しクラッと来てしまった。
私はアレクの手を取って長椅子に座らせて、横に腰かけた。そしてその手のひらに指先で文字を書いた。
『あ、り、が、と、う』
アレクは私の手に触れようとして、躊躇して、結局肩をすくめて口に出した。
「どういたしまして。十七歳の誕生日、おめでとう」
これにてゲームセットだ。ふふん、勝ち誇ってしまうわ。
「私の勝ちね」
「何をしても君にはかなわないよ」
「もしかして、用事ってこのこと?」
「そうだよ。それじゃ、用は済んだから。時間をもらって悪かったね」
そう言いながら立とうとしたので袖をつかんで引き留めた。
「いいわ、今日は私の隣に座っていても。許可をあげます」
「光栄だね。ではお言葉に甘えて」
アレクが上げかけた腰をまた下ろしたので聞いてみた。少し気になる。
「──ねえ、何で知っていたの?」
「何が?」
「私の誕生日」
自分の誕生日を自分で祝ってもむなしいだけだから、誰にも言わずにスルーしていたのに。アレクが知っていたなんて腑に落ちない。
「ああ、それは以前──そう、おととしのちょうどこの日に君の家を訪れたときに、君の兄上に聞いたんだ」
「そんな前のことを覚えていたの?」
「僕は記憶力が良くてね」
「知っているつもりだったけど、知らなかったわ」
当時は私のことなんて興味がなかったでしょうに。アレクの記憶力は思っていたよりずっと確かなようだ。
「私たちってお互いのことを知っているようで知らなかったのね」
「本当にね。──君、都にいた頃と違うよね。再会した時驚いたよ」
「あそこでは猫をかぶっていたの」
「演技でそこまでできるものなのかな? あちらにいた頃の君は数多くの女性を従えて、まるで令嬢たちの上に君臨する女王のようだった」
私は悪役令嬢だったからね。取り巻きがたくさんいて、私はせいぜい偉そうにふんぞり返っていた。
「でもここでの君は……すごく、女の子だ」
「それって品がなくなったってこと?」
「今の方がずっといい。僕は君のことを何も知らなかった」
「誕生日は知っていたけど」
「優しくて料理の上手な女の子だってこともね」
そこから話が転がって、私は家族のことや友人のことで今まで話していなかったことをたくさんしゃべった。
アレクは聞き手に回っていることの方が多かったけど、同じ知人とか行ったことのある場所とか、共通の話題を見つけると積極的に教えてくれた。
アレクの服は洗濯されていて、同じせっけんの匂いがした。
体温が伝わるほど近くにいても不快じゃない男の子は、生まれ変わってから初めてだった。




