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宇宙人とグッド・コミュニケーション

「今日はパンを焼いてみたわ」

 朝が早くなってきた。私は庭のパン焼き窯で朝食にパンを作った。


 引っ越してきてからというもの地道にパンの研究を続けている。

 この世界って小麦粉は全粒粉だし、酵母も悪いしでパンが硬い。でも私、硬いパンって好きじゃないのよね。

 というわけで柔らかいパンを作るべく酵母の選別に励んでいた。


 えーっと、確か果物の表面には酵母菌がいるからお酒ができるのよね。その酵母菌がパンを膨らませるはず。前世で天然酵母のパンの教室なんてのに参加した時に、干しぶどうでやったことがある。

 私は季節ごとに果物を取ってきては酵母菌の培養を試みた。


 煮沸消毒した瓶の中に果物を入れて潰す。この世界にも吹きガラスの技法は一応あるので、私の家にはガラス瓶がいくつかある。

 布で蓋をして、時々かき混ぜながら三日ほど放置すると……あ、発酵してる。細かい泡が果物の表面から沸き上がっていた。

 この汁を漉して、小麦粉を入れて培養するんだけど、メグが「小麦粉がもったいねえ」とブツブツ言うので半分ジャガイモでんぷんに置き換えた。


 聖女の実父がそうであったように、この世界でも町ならパン屋がある。パンは一度に焼かないと効率が悪いから、各ご家庭で焼かずにプロがまとめて焼く。

 農村だと共用のパン焼き窯があって『パンの日』にみんなで一斉に焼く。この村にもそういうかまどがひとつあるんだけど、めったに使われない。麦は全然作ってなくて、全部輸入品の贅沢品だからだ。

 まあ私は仕送りで小麦粉を送ってもらっているから、遠慮なしに使うけどね。近頃は手間賃代わりにバラ撒いているので、この村にも月に一度はパンの日が来るようになった。


 とにかく、今日も新しい酵母菌を試してみた。パン生地のふくらみが弱かったようで、ちょっと気になる。

 山羊の乳のチーズをスライスして添えて出した。

「パンに乗せて食べてね」


 この谷間の村では畑は斜面に沿って作られていて、高低差が結構ある。農耕用の使役獣は牛より馬の方が具合がいいそうで、馬はかなりいるけど牛はちっとも見ない。だから牛乳のチーズもない。

 馬の他には肉やミルクの目的で山羊が飼われている。で、この山羊のミルクでチーズを作っている。前世で食べたことがあるわ。黒っぽかったの。表面に炭をまぶして作るんじゃなかったっけ?


「へえ、おいしそうだね」

「チーズはね」

「パンは?」

「うん……」

「その不安になる回答は何かな?」

 あまり自信はないけど、それじゃ食べてみましょうか。


「どうぞ、召し上がれ」

「では、いただきます」

「……うーん」

「……」


 今日のパンも今一つだわ……。

 変な酸味は消えたけど、何だかモソモソしていた。私たちは黙って食べた。


 なかなか望む結果は得られないけれど、一歩ずつでも前に進まないと。

 それでも、町のパンよりはおいしいんじゃないかと思う。思いたい。




 昼食後の片づけはメグに任せて私たちは村に出た。


 この村は谷間の村で、東西に流れる川を挟んで北側の山は畑に、南側の岸は居住区になっている。居住区と言っても家と家との間が結構あるけど。その間にあるのはやっぱり畑だ。

 北岸が畑になっているのは日当たりがいいからだ。人間たちはお野菜様に土地を明け渡して日当たりの悪い南側に引っ込んでいる。


 村人たちは北岸の山の上まで切り拓いて段々畑を作っている。この村は谷間の、本当に山と山との間の村で、平地がほとんどない。麦を作るのが難しくて、主な作物はジャガイモだ。

 一緒に散歩していたら、変なところに目がつくアレクは(うね)ごとに違うものが植えられている作物を指さして確認した。

「ジャガイモ、豆、玉ねぎ、蕎麦……。色々あるね。連作障害を防ぐためかな? あれは何だろう……ああ、亜麻か」


 この世界の農民の税は麦で物納するのが普通だけど、この村では麦を作っていないので代わりに亜麻を育ててその糸を納めている。

 えーっと、なんて言ったかしら……租庸調? 確か布や労働力で払う税金があったわよね? あんな感じなのかしら。

 絹がない(少なくとも私は知らない)この世界では最高級の布は亜麻布だ。


 それにしても、この人には呆れてしまうわ。

「景色を見なさいよ」

「見ているよ。ほら、石を積み上げて(あぜ)を造っているね。何故だろう? ──そうか、耕地面積を確保するためか」


 アレクは物思いに耽りながら髪をかき上げた。何度見ても凄い美形だわ……物思いの内容さえ普通なら。

 悪い人じゃないけど、見た目はいい人なんだけど、空気の読めなさが異常よね。


 仕方ないから乗ってあげることにした。誰かさんと違って私は会話のキャッチボールが上手いのだ。


「何でジャガイモがあるのかしら」

 前から疑問に思っていたことを口にしたら、アレクはきょとんとした顔で聞き返してきた。

「何の話?」

「だって異世界なのにジャガイモって、おかしくない? こういう場合普通麦でしょ?」

「それはまあ、人間そっくりの生き物がいる世界なんだから。ジャガイモそっくりの芋があってもおかしくはないんじゃないかな?」

「そうかしら」

「僕としては小麦の方が不思議だね」

「どうして?」

「小麦は栽培の過程でいくつもの麦の系統が自然に入り混じったものでね。相当偶然できたもので再現性がないんだ。地球人にもう一度同じものを作出しろと言っても、多分できない」

「そうなの?」

「それに単位面積当たりの収穫量の面でも見劣りがするし。カロリーベースで考えたら小麦とジャガイモでは倍も違う。二十一世紀でもね。中世の時点なら十倍も違ったかもしれない。もしもメソポタミアにジャガイモがあったら小麦は栽培されてなかったんじゃないかな。この村がジャガイモを作っているのは理にかなっているよ」

「そうなの……。ジャガイモ好きだからいいんだけど」

 ジャガイモ料理はレパートリーも多いし。毎日というかほとんど毎食食べているけど、飽きない。


「じゃあ何でこの世界の人間たちは麦なんかを育ててるのかしら」

「うーん……」

 アレクは考えながら頭を掻いた。こんな仕草も絵になるわね、この人。見た目だけなら。

「小麦がジャガイモより優れている点としては貯蔵のしやすさがあるかな。精麦していない麦はジャガイモより遥かに保存性が高いからね。そういう性質のためにかつては通貨のように使っていたんじゃないかな? つまり物々交換の仲介物として。今でも税として取り立てているのはその名残じゃないだろうか」

「へぇー。……あ、そういえばお米ってあるのかしら」

「南の方にはあったよ。インディカ米だったけど」

「いん……?」

「細長い米」

「あー、ジャスミンライスのこと?」

「ジャスミン? それは知らないけど」

「あることはあるんだ。食べてみたいな」

 またひとつ目標ができた。




「それじゃお疲れだべー」

「また明日ねー」

 明かりだってただじゃない。庶民はランプ代を節約して夜は真っ暗だ。日が暮れる前でないと食事の用意もできないので、メグは明るいうちに帰ってしまう。

 私も明るいうちに料理をするので、朝夕の食事の時間は季節によってずれる。


 三日に一度ベスが卵を三個届けてくれる。私が飼わせている鶏はいわゆる地鶏で(だってこの世界には白色レグホンなんてまだいない)、卵を毎日は産まない。いまのところそのペースが限界だ。

 おかげで我が家のたんぱく源は豆が一番、卵が二番だ。せっかくうわぐすりの掛かった器が手に入ったので、今日はその卵で茶碗蒸しを作ってみた。出汁は鶏がらスープだけど。

 あとはソラマメその他季節の豆のスープと、ナスの炒め物。それとベイクドポテトのバター乗せ。アレクにはおまけでオムレツもつけた。背が高い分私よりよく食べるからね。

 火を(おこ)すのが大変なので朝昼は作り置きのものを温めるだけのことが多いけど、夕食は品数が増える。


 夕食はアレクと二人きりだ。

 私はランプを使うけど、このランプというのも前世の登山の山小屋にあったような未来のランプではない。小さな油壷から灯心が伸びているだけのものだ。光もそんなに強くなくて、部屋中を照らすには心もとない。それと揚げ油を使い回したりしているので、揚げ物のにおいがする。

 ちなみに手持ち式のランプもある。小さなティーポットみたいな形で、注ぎ口のところから灯心が出ている。


「それでね、メイのところが何だか上手くいきそうでね、今日はこっちに来てたのよ。ベンったらデレデレしちゃって見てられなかったわ。もし結婚ってことになったら何か贈らなきゃなんだけど、何がいいかな? 布でいいのかしら。紅花染めの上等なのが一人分あるのよね。あれを贈ろうかな? でもあの子小さいから布も少なくて済みそう。あ、この世界の庶民の結婚式ってどうなってるんだろう。やっぱり白いドレスを着るのかしら。だったら白い布がいいわよね。刺繍しなきゃだし、早めにあげた方がいいわよね」

「そうだね」

 食べながらしゃべっているのは大抵私だ。アレクが話すときは旅の話をする。

 アレクはそんなに会話が上手い方ではない、というかはっきり言って下手なんだけど、一年間放浪していただけあって国中のあちこちに出向いている。私の知らない地方の私の知らない生活の話が聞けて、案外面白い。


 うん、そう、会話を続けるのが苦手なのであって、別にまったくしゃべれないわけじゃない。聞いたら聞いただけは返してくる。理科的なことをしゃべり出すと止まらなくなるし。

 アレクは前に他人に興味がないって言っていたけど、どちらかというと自分の欲求を伝えるのが苦手というのが本当なんじゃないかと思う。コミュニケーションが下手なのはそのせいじゃないだろうか。

 親しき中にも礼儀ありとは言うけれど、逆に親しい間柄なのにわがまま一つ言わないというのもやはり健全とは思えない。


「──ねえ、何か食べたいものある?」

「え、急に何の話?」

「貴方の食べたいものの話」

 わがままを言う練習よ。そういうところから始めましょう。


「君の料理は何でもおいしいよ」

「パンは今イチだけど」

「……作ってもらえるだけでもありがたいよ」

「そう? じゃあ食べたいものがあるなら教えてよ。何でも作ってあげるから」

「そうだね、この前のローストチキンは美味しかった」

「いいわね。また作りましょうか」

「うん、そうだね」

 アレクは気持ちの入っていない返事をした。


「……もう、食べたいものがあるならちゃんと言ってよ。私は聖女でも魔法使いでもないんだから。気持ちは言わなきゃ伝わらないわよ?」

 重ねて聞いたらアレクは少し迷ってから、ようやく言った。


「……魚が食べたい。もうずいぶん食べてないんだ」




 私のお風呂から見える湖には周辺の川がみんな流れ込んでいる。当然村中の汚水も流れ込んでいて、あまり綺麗とは言い難い。遠くから見る分にはいいけどね。

 村人がたまに魚を釣りに行くので小路がついている。村共同の小舟が一艘あって、夏になると網でマスを獲る。

 そのまま食べるのは少しでほとんどは燻製にするそうだ。私もスモークサーモン(トラウト?)に挑戦してみようかな。


 メグの家から釣り具を借りて、畑からミミズを掘って持って行った。

 竿の先に糸を結び付けて、先におもりと釣り針がついているだけのシンプルなセットだ。糸は前世みたいな透明のものじゃなくて麻糸か何かだし、リールなんてものもない。

「貴方なら作れそうだけど」

「そうだね。今度挑戦してみようか」


 河口の小さな砂浜で、アレクは手で(ひさし)を作って湖の中を覗き込んだ。私は麦わら帽子のつばで影を作って、真似をして覗き込んだ。うーん、何もわからない。

「朝マズメ(ゆう)マズメと言って、魚が良く釣れるのは日の出前後と日没前後なんだ。その時間帯が餌を食べる時間だからだ」

「あれ、もっと早い時間じゃないと駄目だった?」

「まあまだ朝も早いし、まったく釣れないってこともないんじゃないかな」


 私はアレクの手元を見ながら真似をして、針にミミズをつけた。そしてアレクの真似をしてミミズをちゃぽんと放り込んで、竿をクイックイッと操って少しずつ引っ張り寄せた。湖の底を餌が移動してるイメージなのかな?

 そうしたら引っ張っている途中でガツンとショックがきた。糸が湖面をぐるっと回って大きく右に引っ張られていく。


 え、もしかして釣れてるの? これ!


「キャーッ! もう釣れたんだけど! えーっと何て言ったっけ、ほら、大漁!」

「入れ食いのことかな? ──え、もうかかったの?」


 えいえいっと引っ張り上げたら30センチくらいの小さなマスだった。家庭料理にはちょうどいいかな? あまり大きいと糸が切れそうだし。

 砂に穴を掘って水を入れて泳がせておいた。帰る時に活締めにしましょう。


 大騒ぎしながら結局小さなマスを十二匹釣った。私が九匹でアレクが三匹ね。

 うち八匹は釣竿を返すのと一緒にメグに渡した。居候のおかげで一家八人の大所帯だもんね。

「さっそく焼くべー」

 メグは大喜びで家に持って帰った。


 さあ、どう料理するかだけど。

 まずひとつは定番の塩焼きにした。ワタを抜いて、塩を強めにまぶして、炭火で炙る。皮目をパリッと仕上げましょう。


 それから、定番と言えばホイル焼き──だけど、アルミホイルなんてあるわけがない。うーん、庭の窯で焼くか……それとも琺瑯(ほうろう)焼き……。あ、そうだ。ダッチオーブンでバター焼きにしましょう。

 川魚は身に水気が多いので、あらかじめ塩を振って水分を抜いておく。切り身の表裏に軽く塩をして、ざるに並べて水を切る。さらに布巾で軽く押さえて水気を取る。

 ニンジンを細切りにして、緑が欲しいからソラマメをむいて入れて、それとちょうどマッシュルームの季節なので獲ってきた(どこに生えているかは聞かないで……)。よく洗ったから大丈夫でしょう!

 あとは山羊の乳のバターを乗せて蒸し焼きね。スペース的に二匹分焼くことにした。

 仕上げに柑橘を絞ることにする。レモンのような柑橘の青い実があったのでもらってきた。


 最後のひとつは切り身にして、粉をはたいて、唐揚げだ。スパイスがないからハーブでごまかした。

 私のかまどは二口あるので、ひとつでバター焼きを、もうひとつで唐揚げを作った。塩焼きは七輪っぽい小さなコンロで焼いた。


 夕食のテーブルに、いつものジャガイモに加えてマス料理が並ぶ。バター焼きにしたのをひとつだけ自分の皿に取って、残りは全部アレクの前に押しやった。

「私はこれだけでいいわ。あとはどうぞ」

「本当にいいのかい?」

「もちろんよ。たくさん食べてね」

「うん。では、いただきます」

 アレクは塩焼きを食べて、バター焼きを食べて、唐揚げを食べて、少しずつ順番に食べた。


「どう、おいしい?」

「うん……。君の料理は本当に最高だ」

「料理以外は?」

「えーっと、君にはいいところがたくさんあるよ。本当に」

「具体的には?」

「そうだね、その……優しいところ、とか……」

「何も言ってないのと同じじゃない」

 褒めどころのない人への常套句だ。そりゃ悪役令嬢だけど、私って、そんなに駄目? 憤慨しちゃう。


「私のいいところをいつでもすっと言えるように練習しておいてよね? 宿題だから!」

「努力するよ……」

【実録】家政婦は見た!


壁に向かって練習する令息「君の方が綺麗だよ、君の方が綺麗だよ、君の方が綺麗だよ……」


それを見てしまったメイド(あ、あわわ……アレクさがおかしくなっちまったべ……)

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