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そうして学園に戻った僕だったけど、学園でも仮面をつけていることにざわつかれ、真っ先に騒いだのはフィディスだった。
「エルドル?お前エルドルだよな?!どうしたんだそれ!」
「事故で怪我をしたんだ。目立つから、治るまではつけておくつもり」
「仮面の方が目立つだろ」
それはそうなんだけどさ。
「怪我は見苦しいから、見せたくないんだよ」
「ああ、そういうこと。でも男なんだし、気にするほどか?」
「僕は気にするのさ」
フィディスだって見たら顔を顰めるくらいすると思うよ。普通に。
とまあ、当初は周りも驚いていたけれど、なんだかんだ順応性はみんな高い。若いからかな。高等学部では専攻も分かれてクラスの人と四六時中一緒にいるわけでもないし、仮面生活はそこまで苦にならなかった。
それよりも、問題は別にあった。
いつもの婚約者としてのお茶会に、セリリアが来たときのことだ。彼女は当然のように僕の仮面の下を見たがった。
「みんな噂していますの。エルドル様の仮面の下がどうなっているのかって!」
エディール以上にデリカシーのない発言だ。怪我と言って隠しているのだから、わざわざ暴くことでもないだろうにね。セリリアの言うみんなというのがいったい誰なのか気になるところだ。
「仕方ない、そこまで言うのなら」
その時のお茶会は、第一棟サロンを使わせてもらっていた。セリリアが以前から使いたいと言っていたので、エディールに頼んだのだ。なので、周りには誰もいなかった。
――だから仮面を取った。醜く焼け爛れた顔を、わざわざ晒してやった。
「ひっ……!」
セリリアが息を呑み、悲鳴をギリギリで押し殺した。流石に叫ぶような醜態は見せなかったけど、どう思っているか手に取るようにわかる。
「見て気持ちがいいものじゃないでしょう。セリリア、他言はしないようにね」
「え、ええ……」
「治癒をかけ続ければ治るけどね。まあ、いつになるやら……」
顔を青くしたセリリアは、せっかく準備したお茶やお菓子にそれ以降手をつけなかった。食欲が減退するほどの衝撃だったらしい。やっぱり、普段は隠しておく方がいいね。
それ以降、セリリアはあからさまに僕を避けるようになった。お茶会も、理由をつけてキャンセルされる。高等学部に上がる前で忙しいからね、と僕は容認してあげた。婚約者の顔が焼け爛れているのを見ては、仕方ないだろうから。
かわりに、同じ学年のマティアと行動を共にするようになった。婚約者の弟、だからね。僕だってサザルク嬢と行動を共にすることがある以上、文句はつけられないとも。
マティアからちゃんと報告も入れてもらっているからね。マティアは今は僕に見捨てられるのが一番恐ろしいようで、もはや兄弟というよりも上司と部下のような関係だ。とはいえ、同じ派閥の者たちの手綱は握れているように見える。そこまで不出来なわけではないんだよね、別に。
そうそう、マティアといえば。例の爆発伝導器について、やはり夫人が手配したものであることが確定した。
もともと領地に届いた僕への荷物は、王都のタウンハウスからの荷物であることは聞いていた。セリリアからの贈り物としていたのは、僕が確実に開けるようにだろう。それに、仮に僕が死ななかったとしても、セリリアからの荷物で傷つけられたとしたら関係が悪化すると思ったのだろうね。
ちなみに夫人はマティアも領地にいることを知っていたから、彼に疑いの目が向かないようにあのタイミングを選んだらしい。いや、現場にいたら逆に怪しくない?と思うけどね。だいたいマティアも巻き込まれる可能性があったわけで、結構な博打だと思う。あるいは、夫人が爆発伝導器の危険性を知らなかったのか。
そしてどこから入手したかというと、サザルク公爵家の寄子の家の夫人を通していたようだ。サザルク公爵家は寄子もたくさん抱えているけど、その中でもサザルク家直系が嫁入り、あるいは婿入りしたような家が流通に関わっているね。
誰でもいいからばらまいているというわけではなく、当然利害が一致する相手にしか渡していないように見えた。その上でかなり高額を支払ったらしく、夫人は失敗したことにフラストレーションが溜まっているみたいだ。
シャール侯爵側は、夫人のたくらみを知らなかったようだ。領地からの情報は統制していたけど、ある程度情報が集まってきたところでイルリスから僕の怪我について連絡を入れると、夫人からも話を聞き、かなり驚いていたらしい。
ただ、失敗したことについては落胆していたらしいから、そういうことだ。彼らの逆転の機会なんてもう僕を殺すしかないわけだからね。
爆発伝導器の入手ルートについてはエディールにも伝えておいた。サザルク公爵家の寄子より先を辿るのは困難だけど、今ならまだチャンスがある。爵位を持っていない僕個人より、王子であるエディールの方が手があるだろうから任せておく。
シャール侯爵領の者を使うにも、他領まで行かせるのは骨も折れるからね。それに、今後狙われる可能性が高いのはエディールだ。彼も身の安全のために必死に調査するだろう。
そんな出来事がありつつ、高等学部の一年目は終わった。僕が選択したのは領地経営の専攻だから、領地に戻る融通も効き、シャール侯爵領だけではなくエナン男爵領へも赴いた。
こちらは母を知っている代官がいて、母の行った施策の効果が出ていて助かった。卒業に関してはこの結果を以て論文を書けばいいから、かなり余裕がある。
そう、高等学部の卒業には論文の発表が必要だ。それに定期的に成果報告会もあるから、手を抜くわけにはいかない。結果がある僕は小出しにすればいいだけなんだけどね。ずるいと言えばそうかもしれないけれど、特に領地経営を専攻する次期当主は現場作業を代官や領地の者に丸投げすることはよくある。シャール侯爵もその口だしね。話を聞けばほぼイルリスが論文を書いていたようなものだ。
伝気学を専攻するサザルク嬢は蓄伝気装置を卒業論文のネタにすると思ったけど、なんと新たに治癒装置の研究を始めていた。色々と手を出したがる性分のようだ。
実は彼女の手の痕の件で、僕から治癒師を派遣していて、その時に興味が湧いたらしい。自己治癒の訓練を積まなくとも簡単に治癒ができる装置を目指しているそうで、確かにそれができたら助かるだろう。
自己治癒はある程度集中できる時間が必要だからね。勝手に治癒してくれるのなら、寝ている間でもいいし、他人をわざわざ招く必要もない。
それと、治癒師を雇うのはかなり高額だからね。時間単価で考えれば、自己治癒補助装置が高価でも役にたつだろう。
蓄伝気装置については、シャール侯爵領での研究が自走し始めていて、サザルク嬢が積極的に手を動かす時期は過ぎているといえる。新しいことを始めても僕としては目くじらを立てるものではなかったけど、これまた既得権益に影響がありそうな研究なので、ユーストス先生には僕が再度後ろ盾になるようそれとなく伝えられた。
そんなわけでサザルク嬢との関係を予定外に深めつつ、高等学部の二年生に進級。僕の顔の怪我は自己治癒に加えて、サザルク嬢の自己治癒補助装置の治験によって想定よりもかなり早く完治した。
とはいえ、僕の傷痕への効きがよかったのは僕が自己治癒訓練を積んでいたからであり、サザルク嬢の手の痕はまだ残っている。でも、自己治癒訓練を積んでいればより有効であるというのは一つの利点であるとは思うよ。サザルク嬢はまだまだ納得していないみたいで、頑張ってるけど。
さて、僕が進級したということは、エディールやマティアも進級したということだ。そして、特にエディールは、国を挙げての成人の祝賀が執り行われる。
もちろん、王宮で行われるパーティーも盛大だ。誕生日の当日はシーズン外だから、親類が集まるようなものだけど、社交シーズンに入ればより盛大なパーティーが催される。
僕はといえば、誕生日当日パーティーにも招待されていたので、セリリアをエスコートして参加した。セリリアをエスコートするなんて、かなり久々だ。つい先日の彼女の誕生日も、体調が優れないと言ってお祝いは遠慮されてしまったからね。彼女は僕の前ではかなり無口で、パーティーが始まってそうそうすぐに隣を離れてしまった。
まあ、派閥のパーティーのようなものだ。彼女にも知り合いがいるだろうと思って放置する。僕だって社交があるからね。
エディールを見つめると、彼の側近は、この三年でそれなりに入れ替わっていた。例のレスニをはじめとした使えない者たちを入れ替えた、というのが正しいか。派閥関係なく誘っているように見えて、実際のところはそうでない。たとえばレスニの代わりには、彼の姉、そしてその夫が加わっている。派閥のバランスは一応保たれているのだ。ただ、当初より年齢にばらつきは生じているね。
視線を向けていたのに気づいたのか、エディールはにこやかな笑顔を向けてきた。先ほど挨拶をしたけど、再度近くによる。
「楽しんでいるかな?エルドル」
「おかげさまで。殿下も今日はご機嫌そうですね」
「そう見えるか?君が来てくれたおかげだ」
「それはなんとも、光栄でございます」
僕はエディールの側近ではないが、側近たちにも近しい友人だと認識されているだろう。二人で話し始めると、側近たちは少し距離を置く。信頼されている証だ。
「そういえば、婚約者はどうした?」
訊かれて僕はぐるりとホールを見回した。僕の色を纏うと、少し地味だから分かりづらいが――。
「ああ、王太子妃と話していますね」
言いながら、あの二人に接点があったのかと驚く。でも、セリリアは幼い頃に王宮でエディールと出会っていたようだし、それを考えると当たり前か。王太子妃が親戚であるセリリアを認知していないわけがない。
「それにしても今日は妃殿下もご参加されているのですね」
「まあ、内輪の催しだからな。父上も許可されたのだろう」
「内輪の催しなら良いのですね」
「たまにお茶会なんかはやっているからな、母上も」
完全に外の世界と隔絶されているわけではないのか。それもそうか、あくまで公務から離されているわけで。
それに、今の社交界のトップはいまだ王妃陛下だ。立場上対立する王太子妃――しかも一度は息子を裏切ったような女を、王妃陛下が許すとは思えない。肩身が狭いのは確かそうだ。
僕の周りには社交をする女性がいなかったので、その辺りの事情には疎い。セリリアを通じて知るべきだったんだろうね、本来は。
しばらくエディールと話した後も、セリリアはまだ王太子妃のそばにいた。なんとなく、嫌な予感がしてくる。
他に王太子妃のそばにいる夫人や令嬢と仲がいいというわけでもなかったはずだ。それに、王太子妃の性格からして、わざわざ僕――姉の息子の婚約者を気に掛けるだろうか?
気になって、一度お手洗いで仮面を外して眼鏡を装着した。ジャケットの飾りを外せば侍従に紛せるだろう。今、世間のイメージは僕イコール仮面になっているはずだからね。
会場に戻ろうとすると、ちょうど王太子妃たちが休憩室に向かうのが見えた。セリリアは一緒ではないが……、入った部屋の隣が運よく空室だったので、そこのバルコニーから王太子妃たちが入った部屋のバルコニーに飛び移る。
「エルドル様!」
「しっ、静かに」
護衛が焦った声を上げるので慌てて黙らせる。これくらい、ダルクの手ほどきを受けている僕には楽勝なんだけど。動きにくいドレスでもないしね。
ともかく、集中して部屋の中の会話に耳を傾ける。王太子妃の声はキンキンとよく聞こえた。
「エディールの成人祝賀パーティーにはわたくしも参加させてもらわなければね」
「もちろん、エディーラ様のご参加を皆様心待ちにしておりますわ」
「そうよねえ。本当に、あんな男と思わなかったわ。何にでも口を出してくるし、小うるさいし、顔だけはいいのだけどね」
こき下ろしているのは王弟のことだろうか。以前予想した通り、王弟と王太子妃は夫婦仲が冷え込んでいるらしい。
まあ、あのまま前王太子の妻になっていれば、後ろ盾もしっかりしていて多少の振る舞いは見咎められなかっただろう。でも王太子の座を簒奪した王弟の妻であれば少しの失敗も許されない。そしてこの王太子妃はそれをこなすことはできないだろうね。王弟が口うるさくして公務も許さない理由はわかる。
「せっかく余興も用意したのだもの!最前列で楽しみたいわ」
「ヴィルテ伯爵令嬢は本当にやりますでしょうか?」
「やるわ、あの子。ふふふ!」
ふむ、エディールの成人祝賀パーティーで何か企んでいるようだけど……一体何をセリリアに吹き込んだんだ?
「前は上手くいかなかったのよねえ。あの侯爵も子爵家の娘も案外度胸がなくって。ああでも、お姉様を殺したのだから度胸は十分かしら?」
その言葉に、一瞬息が止まった。
母を殺した、侯爵と子爵家の娘――間違いない。現シャール侯爵夫妻のことだ。
前は、上手くいかなかった?いや、あの子爵令嬢がシャール侯爵令息に近づいたのは、エディーラのせいだったと、いうの?
「あの頃はわたくしも忙しくって、ちゃんと見られなかったでしょう?だから今回は、しっかり楽しませてもらわなくっちゃ」
「それで、婚約破棄をされたエルドル・シャールはどうされるのです?」
「そうねえ、使い終わったら捨ててもいいんじゃない?エディールがなんだか仲がいいみたいだけど、あんな傷物をそばにおいても仕方ないでしょう」
「それもそうでございますね」
「あの小娘も乗り気だったものね。それもそうよ、顔に傷がついた醜い人間なんて誰だって嫌だわ。かわいそうな子」
クスクスと笑う声すらも耳に届いて、こびりついた。
嫌な笑い声。いつもあの声で笑っていた。人を馬鹿にして、楽しんで。
婚約破棄?あの女は、エディールの祝賀パーティーの場で、セリリアから婚約破棄をさせるつもりなのか?前王太子のように。
そうして舞台から消えたのは、前王太子の方なのに。セリリアにそれをさせて、上手くいくと思っている?なんて愚かな。
王妃と対立し、公務を禁じられて、私的なお茶会しかできない王太子妃の威光などもはやないのに。美しさは損なわれ、権力もその手にないと気づかない牢獄の住人に何ができるというのか。破滅願望でもあるのかと、笑えてくる。
音を立てずに息を吸って、吐いて、立ち上がった。護衛を振り返ると彼の顔は赤黒い。とりあえず隣の休憩室に戻る。
「あの女……!」
護衛らしく物静かな男だと思っていたが、唸るように吐き捨てられた言葉には怒りが滲んでいた。人が怒っていると少し冷静になれるね。僕は苦笑した。
「パーティー会場に戻ろうか。セリリアを送らなくては」
そろそろいい時間でもあるし。エディールと話をしたいけど、それは次の機会に。
「どうなさるのです」
護衛が耐え切れないというように尋ねてきて、まるでこのままセリリアを問い詰めようと言っているようだ。それも一つの手だけど。
「セリリアとの婚約は白紙にするつもりだったんだ。でも、婚約破棄というなら――それなりの罪に問わなくてはね?」
そのつもりでマティアをセリリアに近づけていた。傷が治った今も仮面をつけている理由の一つは、セリリアが嫌がるからだ。
今、婚約を白紙に戻してしまえば王太子妃の企んだ婚約破棄劇場も見られなくなる。それは僕の名に傷をつけないだろうが、あの王太子妃からちょっかいを出されるリスクは残っている。
――だから、ちゃんと潰す。
自分こそが、滑稽な喜劇の登場人物だと知るがいい。
僕は、こう見えて容赦がないタイプだからね。母に似なくて残念がることを許してあげよう。