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思ったよりも穏やかに二年を過ごし、高等学部に上がるタイミングでベアリー侯爵家が所持している男爵位を一つもらうことになった。これはベアリー侯爵夫妻が嫡男に、つまり僕の母の弟に爵位を譲るためだった。当主が変わっても僕を支持しているという立場表明だろう。
母の弟は、母と同じ髪の色をしている。爵位をもらう手続きで一度ベアリー侯爵家に赴くと、驚いた顔で出迎えられた。
「エルドルは姉上によく似ている」
懐かしむ声だ。母の墓前に花を手向けるように、叔父は微笑んだ。
「ベアリー侯爵家はこれからも変わらなく君の後見を務める。安心してくれ」
「この爵位は、どうなさるんですか?」
一応は小さい領地付きの爵位だ。僕が当主になった後、どうにかしていいならどうにでもさせてもらうけれども。
「元々は姉上が手を入れていた場所だから、君が持っておくといい。娘が生まれたら継がせてやるといい」
「そうですか。わかりました。一度、見に行っても?」
「王都からも近いから行きやすいだろう。好きにしなさい。代官も姉上を知っている。エルドルの助けになってくれるはずだ」
「ありがとうございます」
贖罪だろうか、と思う。母が手を入れていたのは、もともと侯爵家の後継だったからだ。次期侯爵として知るべきことを知るために、領主代行をしていた。
けれど、目の前の叔父が生まれて、その話は無くなった。それでもシャール侯爵夫人として生家を離れるまでは母が管理していたのだけど。その土地を、僕に託すのは、一人で死んだ母のためのように思える。
今更でしょう。あなたたちが見捨てた女は、二度と救われない。死人は喋らず、感謝なんてしない。
「ベアリー侯爵」
「そう堅苦しくならないでくれ」
「はい、叔父上。僕、もうすぐ誕生日なんです」
「そうだったね」
誕生日に何かねだると思われたのかな?僕は昔のように微笑んだ。
「母の墓前に、一度はいらしてくださいね」
僕が生まれた日は、母が死んだ日だ。
高等学部生になってからの最初の誕生日、つまり十五歳の誕生日は、成人の祝いをするものだ。学園に通っている者は卒業してからが成人の扱いになるけれど、昔の名残りかな。結婚できるのも、法的には十五から。とはいえこれも今は貴族なら学園を卒業した十八以降がほとんどなんだけど。
僕は春先に生まれたから、誕生日は早い方だ。この時ばかりは本邸に呼ばれ、新旧ベアリー侯爵やセリリアを招待して祝われることになったんだけど。
「成人おめでとう、エルドル」
元凶はこの王子様です。
僕の成人の祝いに顔出したいと言い始めて、本邸で開催するそれなりの規模のものになってしまった。エディール王子が来ると知って、シャール侯爵は彼に紹介したい人たちを呼んだらしい。人の名前を勝手に使って、何のつもりなんだか。
それでもエディール王子は僕にべったりで、シャール侯爵が話しかけても適当にいなすばかりだった。その時の侯爵の顔は笑えたね。彼のしたことは自分の支持層に、王子と親しい僕がいかに次期侯爵にふさわしいか見せつけただけだ。
そんなシャール侯爵を後目に、マティアのほうはずっと暗い雰囲気だった。彼の婚約者であるサザルク公爵令嬢とも喋らず、しかもサザルク嬢のほうもどんよりとした雰囲気を纏っているので、葬式のようですらある。
とはいえ、サザルク嬢は僕のクラスメイトでもある。彼女は無口で、孤立していて、高位貴族の令嬢としては出来がいいほうではないだろう。だが成績は優秀で、高等学部に入ってからは伝導器の研究室にいる姿も見かけるようになった。正直、僕としては気になる人材だよ。
「ごきげんよう、サザルク嬢。楽しんでおられますか?」
「……シャ、シャール=エナン卿」
「サザルク嬢は弟の婚約者なのですから。名前か、エナンだけで構いませんよ」
エナンはベアリー侯爵家からもらった男爵位だ。サザルク嬢は丁寧に礼をして「エナン卿……」と繰り返した。距離感はちゃんとしてそうだね。
「ほ、本日は、お招きいただきありがとうございます」
「いいえ、サザルク嬢とは以前からお話したいと思っておりました」
「わたしと、ですか……?」
「伝導器の研究をされておられますよね。ユーストス先生のところでお見掛けして、僕もそちらの分野に興味がありますので」
「は、はい。ゆー、ユーストス教授には、レポートを読んでいただき……研究室に、参加してはどうかと、おっしゃってくださいました」
ユーストス先生はかなり偏屈な研究者で、生徒への態度も評価も常に厳しい。その先生に認められたとなると、サザルク嬢はかなり優秀なんじゃないかな?
これはますます気になる。話を続けようと思ったが、後ろから声をかけられて中断せざるを得なくなった。
「エルドル様!こんなところにいらしたの?」
セリリアだ。無遠慮に腕を掴まれて、思わず顔を顰めそうになる。セリリアはサザルク嬢を一瞥し、蔑むように鼻を鳴らした。ホストの婚約者の自覚がないのかな?
「セリリア」
低く名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩を揺らした。マナーがなっていない自覚があるならやらなければいいのに。
「僕はサザルク嬢と話をしていたんだよ。見えなかった?」
「え?ぁ……みえ、なくて、」
「そう。サザルク嬢、僕の婚約者の目が悪くて申し訳ありません。また今度、学園で話させてくださいますか?」
「は、はい……」
これ以上セリリアの無礼を見せるわけにはいかない。僕はセリリアの肩を掴んで、サザルク嬢から離れた。
「エルドル様!」
強引だったからか、セリリアは小さく悲鳴を上げた。その幼い横顔を見下ろす。
「君は公爵家に無礼を働くつもりか」
「えっ?……ちっ、ちがいますわ。でもあの方は妾の子で……!」
「だから?彼女はサザルクの名を名乗ることを許されているんだ。僕の婚約者として、みっともない真似をしないでくれるかな」
敵対する派閥だからこそ、隙を見せるわけにはいかないのに。なぜわからないのか。
ある程度離れてセリリアから体を離す。目に余るようなら叔父上に言うか。いや――。
まだ、やりようはあるかもしれない。先程のやりとりをずっと見つめていた視線の主は、マティアだった。
成人のパーティーはそれなりの時間まで続いて、終わる頃には陽も落ちていた。主催は僕なので片付けが終わるまで本邸に残っていた。本邸にこんな時間までいるのは初めてかもしれない。
使用人たちを労い終わり、空のホールには僕とダルクだけだ。そろそろ別館に向かうかと廊下に出ようとしたところで、扉がゆっくり開いた。
「……、え、あ、兄上」
供を誰もつけていないマティアに、僕は微笑んだ。この子に兄上と呼ばれる日が来るとはね。
「やあ、マティア。今日はお疲れさま」
「っ、はい、兄上も……成人おめでとうございます」
「もうパーティーは終わったよ。どうかした、忘れ物?」
「……」
きょろきょろと視線をさまよわせるマティアからは、学園に入学した頃の尊大さは失われている。そして今日のエディール王子の訪れに、もう、現実を見つめるしかできなくなってしまったみたいだね。
「ご、ご相談を、したくて」
「何か困っているの?」
優しく囁くと、マティアは泣きそうな顔で眉を下げた。これだけで安心してしまうなんて、かわいそうな子だね。
「……僕は、どうしたらいいんでしょうか」
マティアは両親に支配されていた。でも、学園に通い、現実を知った。正しいのは誰か、見極める力を養ってしまった。
そして、兄であり正当な跡継ぎである僕のものを奪おうとしたことに、罪悪感を抱いている。そんなもの、持たなければ楽だったのにね。
本当に、かわいそうな子だ。
そこまでわかっていて自立せず、対立していた僕に縋るなんて。糸の先に立つ人間が変わるだけだとわからなかった?あるいは、操られないと生きていけなかった?やはり、とてもじゃないけど、当主には向いていない。
「マティア。大丈夫だよ。君は遅すぎなかった」
安心してもいいよ、楽に生きていけるようにしてあげる。僕は優しいからね。