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 件の王子のお披露目に僕は呼ばれなかった。多分招待はされていたのだろうけど、シャール侯爵が連れて行ったのは弟だけだ。そのことで後日ベアリー侯爵夫妻が押しかけてきたけど、僕は体調不良ということになっていたみたいだ。

 王子殿下のお披露目ともなれば、その婚約者の候補となり得るご令嬢も集う。そして側近に選ばれる令息もだけど、僕とある種敵対しているマティアがそこに選ばれるとは思えないのに、よくやることだ。派閥を飛び越えた友情なんかにでも期待しているのかな?

 そうやって上ばかり見ていないで、足元を固めたらいいのに。領地でどうしているかはわからないけれど、マティアの今の友人にろくなのはいなさそうだ。現シャール侯爵夫人の実家の子爵家の者に、シャール侯爵の不倫を認めるような者。集まればそれなりになるだろうけれど、僕を蹴落とせるほどではない。


 最近、ベアリー侯爵夫妻は僕を王子に紹介しようと躍起になっているのを感じる。セリリアからのお手本を写したような手紙を眺めながら、僕はため息をついた。

「ダルク、お願いがあるんだけど」

「なんでございましょう」

「領地に行きたいんだ。調整して」

 僕の言葉にダルクは瞬いた。

「領地に、でございますか」

「顔は出しておいたほうがいいでしょう?」

「そうですが……、領地のほうがシャール侯爵派閥が強いのですよ」

「今のうちに何とかしておいたほうが楽だよ。マティアの顔見せもしているんでしょう?それに、シャール侯爵夫人が屋敷でどうしているか、想像がつく」

 子爵令嬢だった夫人はいつも派手に着飾っているからね。夫人が領地の経済を潤すのはいいことだけれど、何事にも限度がある。前シャール侯爵夫妻は堅実だったので、今の夫人を見て前代から務めている者たちがどう思うかな。

「シャール侯爵は喜んで僕を領地に送ると思うよ。僕が王子殿下に拝謁する機会がなくなるということを匂わせておいて。どう?」

「そのまま領地から出られなくなる可能性は?」

「ベアリー侯爵夫妻が嫌でも引っ張り出すよ。セリリアとの交流もある。最悪でも学園に通うときには帰ってくるでしょう」

「それもそうですね。承知いたしました」

「ありがとう」

 王都から出たことはほとんどないので、領地に行くのは楽しみだ。将来治める土地のこと、きちんと把握しておかないとね。


 王都の近くには一つ大きな学園都市があり、そこには貴族が通う学園がいくつかある。一番格式高いのは、貴族の嫡子や将来有望な者が通う王立学園だ。

 だいたいは十二歳から十七歳まで。最初の三年は初等学部、次の三年は高等学部で、高等学部では選ぶカリキュラムによっては大学に勤める研究者に師事することもできる。

 僕が狙っているのはそこで、入学までに領地のことを学んでどういう勉強をすればいいのか考えておきたいのだ。

 シャール侯爵家は王都から西にあり、鉱山を持っていて林業が盛んだ。とはいえ資源は無限ではないし、食糧自給率が低い。平地もあるのに効率的な農業ができているとは言えない。

 問題点があってもすぐに解決できるはずもないから、取り組みは早ければ早いほどいい。幸い、シャール侯爵はすぐに僕が領地に向かう許可をくれた。ダルクはうまいこと言ってくれたみたいだね。

 全員連れて行っては別館の手入れもできないし、タウンハウスでの出来事もわからない。僕は最小限の人と荷物で領地に向かった。そのせいか、いつもぞろぞろ馬車を連ねてくるシャール侯爵夫妻と弟たちと比べて驚かれてしまったけど。


 領主館の筆頭執事は僕に戸惑っていたけれど、こっちは領主本人の許可を得て来ている。僕が冷遇されていることくらいは知っているだろうけれど、同時に僕の後ろに誰がついているかくらいもわかっているはずだ。

「領地を見て回りたいんだ。宿と人を手配してもらってもいいかな?」

「エルドル様、予算がございません」

「おかしいな。シャール侯爵家には僕に割り当てられている予算がないの?帳簿を見せてくれるかな?」

「旦那様の許可がございませんで……」

「見せてはいけないなんて言っていないでしょう?僕はシャール侯爵家の嫡子だ。見てはいけないという理由があるのかな」

 ダルクを後ろにつけて半ば脅すようにすると、筆頭執事はしぶしぶ僕に予算をつけてくれた。帳簿も見せてくれたよ。当たり前だね。

 執事たちが不当に私腹を肥やしている様子はない。僕も帳簿を読む勉強くらいはしたことがあるけれど、帳簿はしっかりとつけられていた。あのシャール侯爵にしては意外だな、と思っていると、事務室のドアが急に開け放たれた。

「ディーブ!表の馬車は……、って誰だこのガキ」

 ディーブ、と呼ばれた筆頭執事がはっと顔を上げ、ダルクが警戒するように僕の前に立つ。ドアを開けたのは中年の男性で、シャール侯爵にどことなく顔立ちが似ている。

「誰何する前に名乗るのが礼儀だよ」

「……エルドル・シャールか。私はイルリス。ここの事務官だ」

 僕のことがわかるのか。と、なると。

「イルリス、家名を」

 領主館で堂々と歩きまわって、筆頭執事を呼び捨てにする男が平民とは思えない。促すと彼は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。

「家名を名乗ることは許されていない」

「父親の名前を」

「それも許されていない」

「ディーブ、説明をしなさい」

 執事に視線を向けると、冷や汗をハンカチで拭っていた。なんかわざとらしくてムカつくね。聞かれて困るようなものを無防備に事務室に突撃させるのが悪いよ。

「エルドル様、その」

「はいかいいえで答えるように。庶子?」

「は、はい」

「前侯爵閣下の?」

「いいえ……」

 僕の叔父ではないのか。シャール侯爵よりも年上に見えるからな。となると。

「先々代侯爵閣下の?」

「……はい」

 曾祖父の子というわけだ。先代の兄弟、僕から見て大叔父か。ずいぶん遅くの子だね。事務官とはいえよく家に置いてもらえたものだ。

「そう。イルリス、帳簿を管理しているのはきみ?」

「エルドルはマティアとは似ていないな」

 マティアに会っているのか。シャール侯爵にも重用されているのかな。

「質問に答えるように」

「……そうだ」

 領地を実質的に切り盛りしているのはこの男な気がしてきた。僕はじっくりとイルリスを眺める。身なりは整っていて、目立つ装飾品をつけてはいない。服の質はいいほうで、靴は一級品だね。でもそれを見せびらかしているふうでもない。つまり、品がよかった。侯爵家の子息というには足りないけども、社交界に出たらそれなりに人気がありそう。

 ディーブとの関係も悪くはなさそうだ。庶子にしては世渡りがうまいのだろう。

「イルリス、一か月ほど時間を作ってくれるかな」

「……は?」

「領地を見て回りたいんだ。付き合ってね」

 都合がいい人材がいたものだとほほ笑むと、イルリスは目を丸くしていた。


 イルリスは庶子だけど、先代侯爵にはかわいがられていたみたいだ。年の離れた弟という感覚だったのかもね。王立学園には通わなかったものの、きちんと学校に通わせてもらい、先代侯爵の補佐をしていたらしい。

 代替わりをしてもシャール侯爵家に仕え続けているのは行き場がないからだろう。庶子なので、結婚は許されなかったみたいだ。子供を作っておいて勝手なものだけど、後妻や庶子がでしゃばるとうちみたいな泥沼になるからね。先代は弁えているイルリスに感謝していたんじゃないかな。

「物好きなお坊ちゃんだよ……」

「先代のときは領地の見回りもしていたんでしょう?普通のことだと思うけど」

「うちの(ぼん)はちっとも興味を示さなかったからな。そういう時代かと思ってたんだが」

 坊って、もしかしてシャール侯爵のこと?女の尻を追いかける男に育てるくらいなら領地に縛り付けてほしかったよ。ああでも、ベアリー侯爵家に縁談が持ち込まれたのはそのせいだったっけ。


 イルリスは面食らっていたものの、最終的には領地を案内することを承知してくれた。なんなら日程もルートも組んでくれて、ありがたいことだ。

 ダルクは気安い口調のイルリスに物申していたので、呼び方だけは「坊っちゃま」か「エルドル様」になったけど、他は直っていない。こんな気安い言葉遣いをしてくる人を見たことがない僕としては、面白いからいいんだけどね。

「ちなみに、そういう時代って、マティアのことも見て言ってるの?」

「あー、あれは完全に坊の息子だな。田舎に来るのも嫌がってたよ」

「そっか。夫人は?」

「商会で買い漁ってた。あっちは子爵家出身だから楽だな、物を見る目もないから値段も誤魔化せるし」

 ポンポン買う宝石類はイミテーションに、ドレスはヴィンテージという名の中古品に。体型に合うよう手直しだけして売り、値段は誤魔化すことで予算内に収めていたらしい。それ、バレたら怒られない?騙されていると知ったら首くらい飛ばせるけど。

 聞いてみたらその予算の抑え方はシャール侯爵と合意しているらしい。どうせ王都の社交界では王都で買い求めたジュエリーとドレスで着飾るのだからいいんだって。シャール侯爵も夫人にいい顔がしたいだけなんだね。

「抜かりないね」

「金銭感覚だけは叩き込んだからな。坊っちゃまにもしてやろうか」

「うん、そのために来たからね」

 冗談半分だっただろうけど、僕としては願ったり叶ったりだ。イルリスは眉を顰めていたけれど、前言撤回することはなかった。


 領地の視察は前途多難で、長らく領主が通っていなかった街道の補修の検討から始める羽目になった。あんな苦行の馬車旅、できることなら二度としたくないからね。

 それに街道が悪くなると流通が滞り、場合によっては生きていけない民が村を放棄せざるを得なくなる。村を放棄して生きる方法は限られ、野盗になる者も現れる。要は治安が悪くなるということだね。

 インフラの整備は大事だ。領地が傾いているというほどではないけど、ここ数十年は税収は右肩下がりで景気も悪い。旗振り役は節約の仕方は知っていても、経営の仕方は知らなかったと見えるね。

 その辺、イルリスもいち事務官でしかなく、領主教育は受けていないため改革の提案もしようがない。類は友を呼ぶというか、シャール侯爵の周りの人も領地に目を向ける人はいなかった。弟を連れて帰る割に、まともな人がいないじゃないか。まったく。


「鉱山で採れるのは宝石か。卸値が低すぎるね。隣の伯爵領に買い叩かれてる。ここはどうやってもいいから変えて」

「簡単に言うな、坊っちゃま」

「無駄に売るよりはきちんと売れるようになるまで貯蔵したほうがいいよ、腐るものでないしね。侯爵家のブランドを立ち上げたいところだけど、ツテがないな。ベアリー侯爵家からどうにかできる?ダルク」

「それより王都の若手を呼び込んだ方がよいかと。ただ、こちらに来る利点はあまりありませんから、考える必要はあります」

「そうだね。夫人も宣伝塔には使えないから……金銭くらいかな。隣の伯爵領でどうしているか調べておいて」

「承知いたしました」

 あまりベアリー侯爵家の威光を使いたくないので、ダルクの提案の方がいいね。あるいは伯爵領の人を引き抜くか。できるかはわからないけど。

「あと鉱石も採れるけど売れてないね。これは伝手がないから?」

「まあ、売り先の確保ができていないんだよな。何が売れるかってのもあまり精査してないし」

「どうして?」

「坊が興味ないし、宝石の売買で十分だからな」

 え~、使えるリソースは使いなよ。新規事業やる気がなさすぎるね。

 そこは改めて人を使って調べてもらおう。販路は追々考えるとしても、売れるものがあるかどうかはきっちり確認しておきたい。

「林業は人手が足りないんだっけ。それに街道が悪い……川を使えたらいいけど、水路を引くのも難しいかな」

 木材を効率よく運ぶ方法がないのだ。昔あった川が涸れてしまっているのも悪い。

「拠点を移した方が簡単だと存じます」

「そうなるか。人手が足りないのは新しい場所で補充した方がいいね。イルリス、候補地を探しておいて」

「坊の承認が降りるかね」

「降ろしてもらわないと。シャール侯爵も無能というわけでないから、ちゃんと説明すればいいよ。木材輸出の売り上げが落ちていることくらい把握しているでしょう。もし出なかったら、年毎に少しずつ必要な予算を積めば良いよ」

 経営の仕方は知らないシャール侯爵も、財政を把握している以上はまずいことはわかっているはず。お金のことだけ気にするタイプなら、ちゃんと投資と利益を説明してあげればいい。それだけの話だ。

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