13
前シャール侯爵夫人はサザルク家粛清時に騎士団に引き渡して無事処刑完了している。
エディールが立太子して元王太子妃となったエディーラは、傷も治らないままで前ベアリー侯爵夫妻と暮らしている。
何もかも失った女と、その女を生み出した元凶を仲良くさせてあげなよと僕がアドバイスしてあげたからね。ベアリー侯爵は無情にも敬愛する両親を切り捨てて用済みの姉と一緒にすることを了承した。その事実があの夫妻の心を抉ったんじゃないかな?親子三人水入らず、毎日騒がしく過ごしているみたいだよ。
セリリア?彼女はマティアによってエナン男爵領の屋敷に軟禁されているよ。頑張って子供を産まなきゃいけないから、大変なのはこれからだ。母体は大切だから健康面はちゃんと管理してもらっているよ。
一方、前シャール侯爵はぬくぬくと田舎で暮らしている。
まあ、彼の基準としてはぬくぬくしていないかな?何せ使用人も誰もいないのだから。傅かれちやほやされてなんぼの侯爵家当主からは大いなる転落だ。
でも、それだけで終わると思わないでほしいな。味方になる人なんてもう誰もいないし、隠した罪も全て暴かれる時だ。
前シャール侯爵が一人で過ごしている掘建て小屋はすごい有様だった。掃除も何も知らないし、料理だってできない。口に出すのも憚れる惨状である。
「え、エルドル?エルドルなのか……?!」
げっそりと痩せて見窄らしい、というか普通に汚い前シャール侯爵が、僕を見て縋り付いてこようとする。うわあ、近づかないでほしい、鼻が曲がる。
「な、こ、これは……どういうことなの!エルドル!」
そして僕の後ろで叫んでいるのは祖母だ。この半年、祖母は一度たりともシャール侯爵領に帰っていないし、連絡も取らせていない。息子がどんな環境にいるのか知らなかったのだろう。僕は隠居してもらうとしか言ってないからね。
「は、母上!お助けください!」
「おっと、前侯爵。迂闊に近づかないでくれるかな」
連れてきた護衛が前侯爵を押し留める。臭いついちゃったらごめんね。手当出すから。
「エルドル!わたくしはこの子がこんな目に遭うだなんて聞いていないわ!」
そして半狂乱の祖母も、護衛が拘束した。やれやれ、似たもの親子だね。
「何をおっしゃっているんです。きちんと、侯爵家の嫡子に相応しい待遇でしょう?」
「な……っ!」
「だってねえ、忘れたのですか?僕は生まれてから六年間、使用人も何もいない別館に閉じ込められていたんですよ」
ダルクはいたけど、あれは僕が赤ん坊だったからね。それに僕だって侯爵についていく侍従がいればお供させたとも。誰も名乗りを上げなかったのだから仕方がないよね。
「まだ半年しか経っていませんでしょう?あと五年半、頑張ってくださいね。そしたらお祖母様のポケットマネーで使用人をつけてくれますよ、きっと。ほら、僕のときも手配してくださったのは前侯爵ではなくベアリー家の祖父母でしたからね」
僕が懐を痛める理由はないとも。一応、この前侯爵が逃げ出さないために監視をつけていて、そのお金はかかっているんだけども。
「ご、五年半……」
半年でスラムのゴミ溜めよりひどい環境にした張本人は絶望したと言わんばかりの顔だ。でも、自分でやったことでしょう?しょうがないよね。
「え、エルドル……私が悪かった!許してくれ!」
「何が悪かったんです?」
「お、お前をずっと別館に放置していたことだ……」
「それだけですか?」
違うよねえ。僕はにこやかに前侯爵を見下ろした。
「お……お前を、冷遇したこと……」
「それだけですか?」
「……ど、毒を、盛ったこと……」
祖母が小さく悲鳴を上げた。知らなかったんだ?この男がどれだけ僕を疎ましく思っていて、どれだけ排除したがっていたか。その点、毒を盛らなかった僕は優しいよね。
「それだけですか?」
でも、それで終わりじゃないよ。
前侯爵はぐっと押し黙ったが、残り五年半のゴミ溜め生活は耐え難かったらしい。再び口を開いた。
「妻が……お前を殺そうとするのを黙認したこと……」
「うーん、それはもう聞きましたよ。とっくに処刑されてますし」
今度は前侯爵が悲鳴を上げる番だった。自分の妻が処刑されたと知らなかったらしい。自分が見捨てたくせに寝ぼけてるのか?って感じだけど。
前侯爵はついにガタガタと震えだした。妻が死んだと聞いて、僕が本気だとようやく悟ったのかもしれない。遅いよ。
「……、う、うまれたばかりのお前の……首を絞めた、こと……」
祖母が信じられないといった顔を前侯爵に向けた。実はそうなんですよ。生まれてすぐ息の根をとめられちゃったんだね、エルドル・シャールは。実の父親にだよ?さすがにかわいい息子でもこの鬼の所業は許しがたいだろう。
「じ……事実なのですか?!」
「事実ですよ。なんともまあ、惨い男だと思いません?まるで僕が生まれてきてはいけなかったみたいだ」
「ああ……エルドル、エルドル……お前がこんなになってしまったのは、そういうことなのね……」
さめざめと泣きだしてしまった祖母に白けた視線を向けそうになる。そりゃそうですとも、あなたみたいな人が一切なんの責任も果たしてくれないんだからね。僕がこうやって自ら手をかけなきゃいけないってわけだ。
製造元としての責任をこっちもようやく認めてくれたらしい。前侯爵本人の口から語らせるのは有効だったみたいだ。
前侯爵は言うべきことをすべて言ったみたいな雰囲気をかもしていたが、僕は改めて向き直った。いやいや、まったくこれっぽっちも進展していない。
「残念ですが前侯爵、僕の言ったことを覚えていないようですね?」
「……え?」
「僕を殺そうとした罪には問わない、って言ったじゃないですか」
だから、今まで言った罪は許すとかそういうものではない。ただ暴露して実の母に見捨てられただけだよ、今のところ。
「さっきのはちょっと惜しかったですよ。何が悪かった?何を許してほしい?最後に一度だけ、思い出すチャンスをあげます」
落ち窪んだ目が僕を見た。何か信じられないものを見たかのように、見開かれる。
「え……、エルドラ……」
かさついた唇が震えて、目に見えて顔色が悪くなった。
ああ、ようやく思い出してくれたんだ。
ここまでしないと思い出せないような、些末なことだったということか。
「エルドラ……!わ、わたしは……!」
「なんでしょう、シャール侯爵?」
「私が悪かった!お前を、殺したのは、私だ……!エディーラが言ったから!お前さえいなくなれば……!傷物のお前が……!」
「あはは!その傷をつけた張本人ですよ、エディーラは。それも知らないで?私が傷物だと?笑える話ですね。人の掌の上で踊るのがそんなにお得意なんて」
唇だけで笑ってみせて、人殺しの男を見下した。
「反省も何もしていないお前を、許す理由があるか?」
惨めったらしく慈悲を乞うでもなく、いまだに傷を、あるいはエディーラを言い訳にするなんて。命乞いの才能がない男だ。
「ち、ちがう!私が悪い!私のせいだ!反省している!許してくれ……!」
「では何度でもそう言ってくれますか?」
「言う!言うから!」
「ならば清潔な部屋を与えましょう。調理された食事も与えましょう」
「ああ、エルドラ……お前は慈悲深い女だ……」
「そして最後は絞首台に送ってあげましょう」
「ぁ……?」
まさか。
エルドラという女は、お前が殺したのに。死人に慈悲深いもクソもあるか。
「お前はエルドラ・シャールを殺した罪で裁かれる。連れて行け」
護衛たちが前侯爵を手早く拘束した。縄で引っ立てられる罪人が喚く。
「騙したな!エルドル!エルドルゥウウ!」
「許すなんて言っていませんよ。人の話をちゃんと聞くことだ。約束通り、尋問にもちゃんと答えてくださいね。拷問されたいなら別ですけど」
「ぁ、あああ゛ああ!!」
やれやれ、まともに人の言葉も喋れなくなったか。まあ、別にいいや。アレの証言がなくても当時の医師と産婆は牢屋にぶち込んであるからね。頭を並べて晒してもいいかな。犯罪者をシャール侯爵家の籍に入れておくなんて恥晒しだし。
祖母はその場でうずくまってしまっていて、何十歳も老け込んだように見えた。かわいい息子の罪の告白がこたえたのかな?うわごとのように息子の名前を呟くので、使い物にならないかもしれない。
半年経ってタウンハウスの使用人もまともになってきたしね。いつまでも女主人として居座られると迷惑だから、この掘建て小屋にでも放り込もうかな。前侯爵よりも人望ありそうだし、使用人の一人くらいつくんじゃない?知らないけど。
「そこのお前」
「はっ、はい」
祖母付きの侍女に声をかけると、顔色の悪いまま返事をされる。
「お祖母様の世話を任せてもいい?」
「も、もちろんでございます。エルドル様」
「ああよかった。じゃああそこの小屋を片付けてね。よろしく」
「……は?」
「愛息子が暮らした家だから喜んでもらえると思うんだ。ああ、他にお祖母様につきたい使用人がいたらちゃんと送るから」
「ま……っ、お待ちください!エルドル様!エルドル様……!」
よしよし、これで身辺は片付いた。はあ、すっきりした。あとは前侯爵の籍を抜いて、刑の執行を待つだけだね。これは少しくらい長引いてもいいかな。平民の牢屋は貴族牢より待遇が悪くて、元貴族と知られたらどうなるかわからないみたいだけど、清潔で食事を与えられるのは確かだ。ああ言った手前、十分に堪能してもらわないと。
僕がシャール侯爵邸に戻ると、イルリスがなんとも言えない顔で待ち構えていた。前侯爵の護送の手続きは済んだみたいだ。
「……エルドル様」
「何?」
「本当に……坊があんたの母親を殺したのか?」
「そうだよ。ついでに僕のことを殺そうとした。罪状は十分だよね」
イルリスにとっては幼い頃から見ていた坊ちゃんかもしれないけど、残念ながら結果はあれだ。それは受け止めてもらわないと。
「君たちがそう育てたんだよ。そういえばイルリス、君だよね?前侯爵に食事を差し入れていたのは」
食料だけ届いても、料理のできない前侯爵はそのまま食べるしかない。なんなら腐るという概念もなかったからかなりの量を無駄にしただろう。
それでも生きていたのは、イルリスが定期的に食事を差し入れていたからだ。貴族の食卓には上がらない庶民的なものだったろうけど、それでも前侯爵の命を繋いだ。
「も、申し訳ありません」
「ああ、罰するつもりはないよ。感謝してるくらいだ」
「……は?」
「だってあそこで食あたりでもして死んでたら罪の告白もできなかったでしょう?それってつまらないよ。アレには悔いて死んでもらわないといけないんだから」
イルリスが絶句する。自分が加担したような気がしたのかな?前侯爵を助けたいなら、思い切って逃すくらいすればよかったのに。中途半端な行いは苦しみを深くするだけだ。
「……エルドル様。あんたは……、なんで、そこまで」
信じられない、という目を向けられる。
シャール侯爵は、あんなに使えなくても愛されていた。不出来な息子であっても、見捨てはしない両親に優秀な婚約者をあてがわれた。愛し寄り添ってくれる恋人がいた。領地のことを全て取りまとめてくれる親族がいた。
イルリスもそうだ。妾の子として生まれても、日陰者として生きていても、愛情は注がれていたのだから。
僕はどうだ?ダルクがいたから生き延びたけど、それだけだ。親兄弟の愛など注がれたことがあるか?死んで顧みられることがあるか?大人の都合だけ押し付けられ、息の根を止められたのに?
なんで、なんて滑稽な問いだ。注がれた愛の深さに溺れた君たちには、答えが見えるはずもないか。
「いやだな。君たちが、そう育てたんだよ」
何も与えられない、なりそこない。
何かになるためにはただ一つしかない称号を手に入れないといけない。
だったら、当然邪魔なものは全部排除するよね。それだけの、単純な話だ。




