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途中退場したエディールの成人祝賀パーティーは、あのあと一応表面は取り繕ったものの、浮ついた雰囲気のまま終わったらしい。そりゃあ祝われるべき王子の母親があそこまでの醜態を晒しては仕方がないよね。
僕はシャール侯爵の追い出しや祖母の呼び寄せがあったためしばらくタウンハウスから学園に通っていたが、一緒の馬車から降りる僕とマティアには好奇心と非難に満ちた視線が向けられていた。
「お前、弟に案外甘いわけ?」
教室に入って席に着いた瞬間、フィディスなんかはすっぱり切り込んでくる。周りが耳を傾けているのを感じながら、僕は肩をすくめた。
「あの子は僕の元婚約者が何を言い出すか知らなかったみたいだからね。それに彼女が僕のエスコートを断ったから代わってもらっていたし」
「え?あの女が弟にエスコートされるって知ってたのか」
「一応は婚約者でしょう?恥をかかせないためだったんだよ。なのにそれをいいことにセリリアはあんなことを言い出した。巻き込まれただけさ」
と、いうのが表面上の僕のスタンス。
これだとサザルク嬢を放置していたのが僕のせいみたいになるけど、マティアはサザルク嬢とほとんど仲良くしていなかったからね。パーティーにエスコートしたのなんて、僕の成人パーティーくらいじゃないかな?
なので実は彼らが婚約者と知らない人たちも多い。今回はそちらを利用させてもらいました。
「でもほら、お前の弟って家督争いしてたんじゃないの?」
「あんなのとっくに決着ついてるよ。ははは」
仮に知っていたとして、こう言っておけばサザルク嬢との婚約はもう白紙になっていたのかと思ってもらえるしね。
フィディスには何故か少し怖がられたけど、まさか少しでも僕が負けると思っていたのだろうか?
「お前がいいならいい……いやよくないだろ、少なくとも王太子妃殿下は何なんだ?あれ」
「僕の方が聞きたいよ。何だろうね?ほとんど会ったことないんだけど。叔父にどうにかするようには言っておいたよ」
「あー、妃殿下の実家なんだっけ?ますます謎だよなー。顔の傷があったところでなんだって話だよ」
それを、君は、君たちは、相手が誰であろうと言えるだろうか?
いや、言えない。だから僕は唇を吊り上げて笑った。
――王太子妃が出所不明の爆発物で負傷したという話が出回ったのは、そのすぐ後だった。
静かに廊下を歩く。ヒールを鳴らすでもなく、靴底を擦り減らすでもなく。
仮面はもう外した僕を王宮の警備はすんなりと通した。なにせ、隣にいるのが王子殿下本人だからね。
「母上が療養されているのはここだ」
そう指し示されたのは、小さくて堅牢な、どこか冷たい作りの屋敷だった。
何せ、暗殺騒ぎは王子――エディールの宮であったのだ。今の警備体制に問題があるとして、王太子妃は狭くて暗い、警護のしやすい檻に閉じ込められた。
もともと、僕は王太子妃と話す機会を作るよう求めていた。あの僕を槍玉に挙げる所業は誰が見てもおかしかったから、尋問の機会は与えられるはずだった。それが今はお見舞いに変わっているんだけど。
「失礼します」
静かな部屋は殺風景で、ベッド以外の家具はほとんどない。これは王太子妃が手当たり次第に物を投げ散らかしたせいもあると聞いている。
「ごきげんよう、王太子妃殿下」
王太子妃は粗末なベッドで上体を起こしていた。視線が僕に向いた瞬間、ぼんやりと虚ろだった目が見開かれる。
「――!」
「ああ、声は出さなくて結構ですよ。喉も痛めたとお聞きしました」
怪我の具合は、僕よりかなり悪い。
なぜなら、ダルクのように庇ってくれる人がいなかったから。目は無事だけど、喉に大きな破片が突き刺さっただとかで、ほとんど瀕死だったらしい。喋れずとも生きているのは王宮の治癒師が優秀だったからだ。本当に、何度感謝してもし足りないよ。
それでもあらわになった顔は焼け爛れ、髪は短く切り落とされ、もはや面影も残っていない。本当に王太子妃なのか、目を逸らしながら誰しも疑うことだろう。
「王太子妃殿下がこんな傷ましいお姿になるなんて、想像だにしておりませんでした。まったく、王宮の警備はどうなっていることやら」
「それは私も同感だな」
隣でエディールが頷く。
今この部屋には王太子妃と僕、エディール、そして二人の侍従しかいない。なので言いたい放題である。
「王太子殿下もたいそうショックを受けられ、今は伏せっていると聞いております。それはもう、最愛の妻がこのような姿になっては心中お察しするところですとも」
実際、王太子である王弟はこの爆発事件――王太子妃暗殺未遂事件の捜査の指揮はとっていない。今は全てエディールに一任されているらしい。
「まあ、仕方がありませんよね。王太子妃殿下ご自身がおっしゃったわけですから。顔に傷がついている者に価値はないと。ああ、鏡は見られましたか?視力は無事でよかったですね。きちんと現実を見つめられるのですから」
王太子妃は僕の言葉に反射的に手をあげようとしたが、彼女の体はまだ動かすだけで痛むような有様だ。すぐにベッドにくずおれた。わかるよ、僕も体験したからね。
「国王陛下はエディール殿下の祝賀パーティーでの王太子妃殿下の行いにたいそう失望なされて、治癒師をつけることを許さなかったそうですね。つまり、妃殿下は一生そのままと。あの件とこの爆殺未遂は全く関係ありませんのに、国王陛下も酷なことをなさる」
多分、王妃陛下が嬉々として決定したのだろう。息子に煮湯を飲ませた憎い女だからね。傷を残すことで憂さを晴らしたかったんだろう。
「ところで妃殿下、僕の傷が早く治ったのが不思議ではありませんか?あの時は機密のため詳らかにしませんでしたが、実は学園である研究に携わっているのです」
王太子妃はもはや僕の方を向こうともしないが、構わず続ける。
「というのがこちらでして、治癒師要らずで治癒できる伝導器になります」
ダルクに持たせていた機器は結構コンパクトだ。片腕で抱えられるサイズの箱と言えばいいだろうか。
「っ!ア゛……!」
僕の見せたものがなんだったのか理解した王太子妃が必死に何かを言い募ろうとする。治癒師を派遣してもらえない今、縋れるのはこれだけだからね。
「しかし王太子妃殿下。先ほども申し上げましたが、顔に傷のある人間に価値などないんですよね?」
「……!っ!」
「ああ、ご心配なさらないで。僕にとっては叔母上ですからね。そんな意地悪は申しません」
いつものように微笑み、僕は優しく囁いた。
「一言、謝ってくださればいいんですよ。そうしたらこちらを使わせてさしあげます」
つまり、お前に使わせてやるわけがない。
王太子妃はなんとか言葉を絞り出そうとしていたけど、咳き込み、その衝撃で痛みが走ったのか体を丸め、息も絶え絶えでベッドの上に倒れ伏した。というか気づいたけど、別にグロテスクなの得意ではないんだよね。なんか見てるの嫌になってきたな。
懇願するような視線を受け止め、それから目を逸らす。
「残念です、謝罪の一言もいただけないなんて」
「……!」
「許してあげようと思ったのに」
エディーラが身を震わすのは絶望か、屈辱か。別にどちらでも構わない。
「私の顔に傷をつけたことも、私の婚約者に浮気相手を近づけさせたことも、私を殺するよう仕向けたことも、許してあげようと思ったのにね、エディーラ?」
低い声でゆっくりゆっくり突きつける。この声、一番母に似ていないと思うんだけどね。彼女はどう思うのだろう?
「婚約者に浮気され、夫に捨てられ、顔に傷をつけられて。わかる?それは全部お前の犯した罪。お前への罰なのよ。お前の望んだ幸せな未来は、お前自身が掴み損ねた。後は地獄でゆっくり楽しみなさい」
今回のお見舞いは、エディールからも依頼されたものだった。
彼は、自分の母親が邪魔だった。この後返り咲く可能性の一片も残さないために、サザルク嬢が再現して領地で改良した爆発伝導器を使いすらした。まあ、これはサザルク公爵家を降ろすためだからね。あの女が死ぬかどうかは別にどうでもよかった。
爆発伝導器はどこを改良したかというと、開かずとも特定のタイミングで爆発するようにしたのだ。要は時限式ということで。最新の小さな時計の機構と、形になってきた蓄伝気装置を組み合わせて作ったからそうそう真似できないだろうけど、流石にこの機構は機密として資料も完全に破棄した。二度と作ることはないだろう。もう一度作れるのはきっとサザルク嬢だけだ。
「エディール殿下は、なぜそこまで王太子妃を排除したいのですか?」
彼は母をいいように操って、ベアリー侯爵家をしっかり後ろ盾にすることもできたはずだ。いや、そもそも父である王弟に逆らう理由もわからない。エディールなら派閥を強固にもできたろうに。
爆発騒ぎのあった宮からエディールが引っ越した先は、王宮本殿のすぐ近く。王太子の宮――本来は王弟が住んでいる場所だ。しかし王弟はすでに王都から遠く離れた王家の保養地に移っている。事実上の立場放棄だ。
その宮の一室、プライベートな話をするための談話室に僕たちは移動していた。以前と同じように防音の伝導器を使っていて、だから僕はこの質問をした。
「まあ、邪魔だったからだが……。なぜ邪魔か、ということだな」
エディールは少し考えるそぶりを見せてから続けた。
「何の疑問も持たず絶対に手に入れられると思っていたものが、もしかすると手に入らないとわかると、なんか悔しくないか?」
「……例えば、僕が当主になれないかもしれない、というような?」
「いきなり核心をつくな。まあ、そうだ」
小さくため息をついたエディールは、足を組み替えて僕を見据えた。
「エルドルの場合は、外的要因だな。だが私の場合は問題は自身にあった」
エディールは玉座の話をしているのだろうか。しかし、国王の子どもはもう王女しかいない。その孫が玉座に就くより王太子の息子のエディールが跡を継ぐというのが当たり前の流れだし、それを覆せる才覚の持ち主はいなかったはずだ。
だから、内的要因なのか?例えば――。
「率直に言えば、私は王家の子供でない可能性がある」
その血統に、問題があるとき。
そんなことあり得るのか?でもエディールは根拠のないことは言わないだろうから、僕は黙って続きを促した。
「私の母は出産間際になって同じ時期に子を産むだろうという親戚の女を離宮に招いたらしい。母自身が初産で不安であったから。そしてその親戚の女の夫がどうしてもそばにいられないから、一緒にいれば二人で安心だとか言ったらしい。父が異様に母に甘くなければ許されない事由だな」
「……前例はないでしょうね」
あまりに怪しい。エディールが本当に王家の子でも、この行為だけで疑いをかけることができる。
「そう。私が思うに、母は最初からそのつもりだった。母とその女のどちらかが、男を産めばいいからな」
「なるほど。王太子妃の親戚筋の女――つまり、ヴィルテ伯爵夫人。その娘のセリリアが王女であるか、あなたが真の王子であるか。そのどちらかだ」
セリリアの誕生日はエディールの二日前。ヴィルテ伯爵夫人も今でこそエディーラと距離を取っているけど、結婚前は取り巻きの一人だった。うちの親戚筋であり得るのは彼女だけだ。
せめてセリリアも男であったなら、疑いも意味がなかったろうに。この話、誰よりも深く疑っているのがエディール自身なのだろう。
なにせ、アイデンティティの崩壊だ。そして王族となれば、血筋を偽るのは大罪である。
「さらに言えば私の婚約者は公女だ。わざわざ公女を選んだのは、もし私が王族の血を継がなくても次代には継がせるためだと思わないか?」
「理屈はわかりますが……」
「でもこれで私は思った。じゃあ別に私が王になってもいいなと。急に取り上げられると、余計なりたくなるじゃないか」
……エディール、異様に負けず嫌いなところがあるからね。
実は初等学部の三年間、エディールはこの負けず嫌いの性格のまま学年首席を取り続けた。高等学部になると専攻が分かれて学年首席という概念はなくなるから、最後まで貫き通したわけだ。
「とはいえ、仮に私が王弟の実子でない場合、面倒なことになる。それを知っている両親を排除するのは既定路線だった。サザルク公爵家とまとめて片付けられそうなのは僥倖だな」
実は爆発物の注意喚起はまだされていない。この事件を以て世間を騒がせ、サザルク公爵家の力を削ぐためだ。ああ、ちゃんとエディールの部屋には爆発物があったよ?それを、王太子妃を引っ掛けるために時限式にすり替えただけで。
本当は王子殿下の部屋まで届くはずのない稚拙な企みがたまたまうまくいってしまった。警備の責は問われるだろうけど、今だけだ。
サザルク公爵家の所業は事実だし、それが暴かれれば世間の注目はそちらに向く。
「王弟殿下のことはどうされるつもりだったのですか?」
「父が黙っている理由はわからないが、私が王家の子である方が都合がいいのだろう。それに父は不倫しているからな、それで脅せばどうとでもなる」
なんか驚きの情報が出てきたんだけど。
しかし、王弟が王太子になったのは前王太子の元婚約者を庇ったという背景があることを考えると、彼に限って不倫は大スキャンダルだ。王弟を飛ばしてエディールを王太子にする勢力は出てくるだろう。それだけの繋がりを、エディールはここまでで作り上げてきた。
「まあ、父は自ら田舎に引っ込んだからな。もはや王太子を続ける気はないだろう。陛下にも内諾は取ってある」
「準備のいいことで」
「そうでなければ王太子の宮に引っ越しなんてできないとも」
それもそうだね。
エディールは無事両親を排除して王太子に内定。王太子妃のやらかしということでベアリー侯爵家との関係も悪くならず、王弟が退いても派閥をそのままそっくり受け継ぐことができる。
「さて、エルドル。私がここまで話したのだ、無事に帰れると思うなよ」
で、エディールが僕の問いに律儀に答えてくれたのには理由があるらしい。
「ずっと疑問だった。ベアリー侯爵家の後ろ盾を持ってなお、君は私の側近に選ばれるどころかなぜか排除されてきた。おそらく、母の意向だろう」
まあ、それもあるね。
「そして今回の母の気の違いようだ。明らかに、君の母に何かあると思うのだが」
「僕に言わせれば、何かあるのは王太子妃の方ですよ」
「そうだとして、それを私は知らない。君の母は、そして君は――一体なんなのだ?」
まっすぐ見つめられるのはなぜだろう。なぜ、エディールは僕のことを知りたがるのだろう。
でも、エディールが言ったとおりだね。僕がわざわざ王太子妃排除の理由を聞いたのと同じだ。
知らないままでは、信用できないと思ったから。それだけだろう。
「つまらない話ですよ。母は、僕とは外見以外は似通っていませんから」
僕はそう前置いた。ジョージがお茶を淹れ始めた。いやだから、お茶請けにするほどの話ではないって。
本当につまらない、何も成さずに死んだ女の話だ。




