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 貴族ってのは、傅かれてちやほやされてなんぼっていういきものだ。だから、使用人も何もいないところでなんか生きてはいけない。着替えも入浴もひとりでできないんじゃあね。

 例外は戦場、と言いたいところだけど。ほんとうの貴族――爵位を持つ者や継ぐ者はなおさらそんなところで一人きりになんてさせられないよ。どんなところでもお腹いっぱいに食べて、暖かい場所で安全に眠る特権を持っているのが貴族だ。


 さて。翻って僕といえば、側仕えは一人だけ。こまごま世話を焼いてなんてくれないから着替えも風呂も一人だよ。まあ、何事も優先順位があるからね。

 おかげさまでシャツは高級品でなくとも今日も綺麗だし、湯を浴びられるから文句はないよ。ご飯も冷めてはいるが、足りないことはない。

 侍従は一人で全部してくれている。無駄に遠い本邸に食材を取りに行ってくれる。無駄に広いこの別館の掃除も、僕が多少手伝っているとはいえ、全部一人。そのうえ、最低限の勉強も教えてくれるのだから、あまりに献身的だ。いつ寝てるのかわからないくらい。

「坊っちゃま、今日は旦那様と奥様がいらっしゃいますよ」

「はあい。こっちに?」

「本邸の方でございます」

「そっかあ。じゃあ、僕はここで待っていようかな」

 にこりと笑うと、侍従は困ったように眉を下げた。でもねえ、ほら。いちいち本邸に行ってもしかたないよ。

 侍従――ダルクが言う旦那様と奥様というのは、この屋敷の主人、つまり僕の親のことではない。昔仕えていた人たちをまだそう呼んでいる。


 ここで、僕の境遇を紹介しよう。

 父はシャール侯爵。母はベアリー侯爵家から嫁いできた人で、僕の出産時に亡くなった。この時点で僕のほかに子供はいない。つまり、僕が嫡男ということだね。

 その嫡男を後継ぎとして大事に育てるべきなんだけど。シャール侯爵がどうしたかというと、母が亡くなった直後に再婚。一年も経たないうちに子供が生まれた。

 再婚相手は子爵家の人って言ってたかな。まあ、ベアリー侯爵令嬢である母とは完全に政略結婚だったからね。そういうことだよ。

 血筋的には僕のほうが圧倒的に正統だ。それに、爵位の継承は年長の男子がするものだ。とはいえ政略結婚で押し付けられた妻の子よりも、愛し合った女性との子を後継ぎにしたいと考えるのは、分からなくもない。

 そのわからなくもないが、あまりに私欲にまみれた欲望のせいで、僕は別館に閉じ込められているというわけ。そのうえ完全に育児放棄されていて、乳母すらつけられなかった。

 ダルクは母の嫁入りについてきた騎士なんだけども、気づいたら侍従の役割をしてくれていた。母の侍女も何人かいたけど、辞めたか本邸にいるかで僕のそばにはいない。別館には下働きもいないから、貴族である侍女が暮らすには大変なんだよ。ダルクがなんでもできすぎるだけ。


 父は出産にかこつけて母だけではなく僕も殺すつもりだった。でも残念ながら息を吹き返してぴちぴち元気な健康体の僕は、元騎士のダルクの背中にくくりつけられしぶとく生き残ってしまった。

 そして六歳を目前にして、僕をどうするかというやり取りが祖父母と父の間で交わされるのだ。六歳は、貴族のお披露目の年だ。お披露目をされたら、僕はシャール侯爵家の後継と目されるだろう。

 父はそれが嫌らしく僕に手を出そうとしていたけど、ダルクが全部追っ払ってくれたので僕はとっても元気だ。


 さて。別館で過ごす「感染症に罹ったため隔離して療養させられている孫」のところにやってきた祖父母は、大袈裟に声を上げた。

「おお!エルドル、息災かな」

「はい、お祖父様」

 僕を見て大袈裟に喜ぶ祖父も、寂れて庭も荒れ放題の別館を見て顔を顰める祖母も、母が亡くなって六年間一度たりとも顔を見せなかった。これには理由があって、ベアリー侯爵家は人の家に口を出せるほど暇じゃなかったのだ。

 ベアリー侯爵家の次女、母の妹は王太子である第一王子の婚約者だった。それなのに王子はなんだか知らないけど浮気した挙句、叔母が浮気相手を虐めたとかで婚約を破棄する!と宣言したらしい。

 破棄する!って言ってもね、その前に浮気した方が悪いよ。そう言えればよかったけども、残念ながら話はそう簡単には転ばない。王子と叔母との婚約に政治的な利点がなかったが、浮気相手とはあったからだ。

 喧嘩両成敗だよの雰囲気になったが、叔母と祖父母は頑張った。様々なツテを使い、叔母の虐めの事実がなかったことが確認された。ということになった。

 この裏にあったのは、叔母と王弟との熱愛だ。王弟派がベアリー侯爵家について戦況はひっくり返った。結果として今の王太子は王弟だからね。


 とまあ、シャール侯爵はそんなどさくさに紛れて後妻を迎え入れていたから、大々的な非難の的にはならなかった。そしてベアリー侯爵夫妻は嫁に出した長女が死んでも、その子供が冷遇されても、気にかける余裕がなかった。

 僕が六歳になるからようやく思い出したのかな。王弟派を固める駒としては使えるからね。

「随分と元気なようだ。これなら本邸で暮らせるのではないかね?」

「しかし、マティアはまだ幼く、感染症の疑いがある以上は一緒にはさせられないのです」

「感染症なんてしばらく前の話でしょう?こんなところにエルドルちゃんを一人にはさせておけませんわ。なんなら、うちで引き取ってもよろしくてよ」

 マティアというのは弟の名前だ。父は僕を本邸に入れたくないらしいけども、僕も本邸に入りたいわけではないよ。継子いじめなんてよくある話だからね。継子じゃなくてもいじめられる時はいじめられるけど。

「それは……できません。エルドルは我がシャール侯爵家の者ですから」

 本邸に入れるのもダメ、ベアリー侯爵家で引き取るのもダメ。確かにベアリー侯爵家で引き取られちゃったら、僕の絶対の後ろ盾ができてしまうからね。そうなったらマティアが後継になることなんてあり得ない。最悪の場合は僕を亡き者にするために手元には置いておきたいのだろう。

 ただ、この状況を見た祖父母も黙ってはいない。ベアリー侯爵夫人は憤慨したように眉を吊り上げた。

「だったらこんな格好、一体どんな了見でさせていますの?」

「これは、エルドルはやんちゃですから、その、汚れてもいい服をと」

「我々が会いにくることがわかっていたのにか?誰がこんなものを用意しているのだ」

「それは……」

「だいたい、最初から本邸に呼んでいないのがおかしいのです」

 祖父母が父を淡々とやり込め始めたので、僕は暇になってしまった。

 ベアリー侯爵夫妻は僕のことを心配しているわけではない。自分の孫が悪い扱いを受けていて、もしかすると侯爵位を継げないことに憤っているだけ。貴族の親なんてそんなものかもしれないけど、僕から状況を聞こうとなんかしないからね。



 大人のつまらないやり取りを経て、別館の使用人が増えた。母の嫁入りについてきた侍女が戻ってきて、その世話をする下働きがやってきたのだ。ついでに、祖父母は別館専用に料理人を送ってくれた。これはありがたい、毒殺のリスクが減るからね。

「エルドル様、ああ、おいたわしい」

「髪も肌も荒れてしまわれて」

「わたくしたちがお世話をしますからね」

 侍女たちは僕を綺麗に磨き上げてくれた。新しく、格式のある服も揃えられた。でも、六年間ですっかり慣れたので着替えと風呂の介助はなしにさせてもらっている。

 家庭教師は父がつけたらしい。この家庭教師、僕とマティアを比べて僕を貶す役割を担っていたみたいだけど、僕の出来がいいから困っているみたいだ。マナーも勉強もダルクに教えてもらっていたし、みっともないところは見せられないからね。子供の一歳の差は大きい。僕と比べられてかわいそうなのは会ったこともない弟のほうだ。


 僕は、六歳の侯爵家の嫡男として文句のつけようがなかった。お披露目で大人しく、でもきちんと挨拶をして。後見は王太子妃の生家のベアリー侯爵で。そして、ベアリー侯爵はそんな僕の立場を固めるために一つの策を実行した。

「はじめてお目にかかります。わたくし、セリリア・ヴィルテともうします」

 僕より一歳年下という女の子が祖父母に連れられてやってきた。ヴィルテ伯爵家はベアリー侯爵夫人の実家だね。となるとセリリアは僕にとっての従妹、いや、又従妹かな。

「初めまして。エルドル・シャールだよ」

 セリリアの後ろの大人たちの視線に僕は微笑んだ。セリリアを僕の婚約者にすることで、ベアリー侯爵家と僕の繋がりを強くする意図だろうね。今のベアリー侯爵家にはちょうどいい年周りの女性がいないから、セリリアにお鉢が回ってきたのだろう。


 この婚約にシャール侯爵は反対できなかった。お披露目も済ませた僕の――次期侯爵に相応しい婚約者なのだから。

 セリリアは貴族令嬢らしい貴族令嬢だった。社交シーズンには定期的に会うことになり、オフシーズンには手紙のやり取りをしたけど、淑女としての嗜みの進捗や当たり障りのない話がほとんどだった。贈り物をしてみてもあまり手応えがなく、彼女の好みでなかったかと首を傾げてしまう。

 食べ物の好みくらいはわかったけど、好きなものを聞いても「エルドル様からいただいたものならなんでも嬉しいです」と優等生の返事しかないから虚しいね。

 ちなみに僕はいつでも王都のタウンハウスの別館住まいだよ。父は再婚相手と弟を連れて領地に帰ることもあるみたいだけど、別館と本邸は遠いから顔を合わせる機会はほぼない。領地で弟の顔見せでもしてるのかもね。

「シャール侯爵はご子息の婚約者を探しているみたいですよ」

 弟の話題を出すと、ダルクはそう答えてくれた。

 僕の一年後、マティアのお披露目も済んだ。可愛がられて育ったマティアは、しっかり者とは言えないみたいだ。わがまま、横暴、そして自分が将来の侯爵と言って憚らない。全部両親の教育の賜物だね。

 そして親はマティアに僕以上の婚約者をあてがいたいらしい。それこそ、王女でも狙ってるのかもね。でも、王太子妃は母の妹なのだから政治的には土台無理な話だ。現王の娘も年齢が離れすぎている。

 と、なると。

「公爵家あたりかなあ」

「シャール侯爵にそこまでの婚約を取りまとめる能力があれば、ですが」

「それもそうか」

 母を処分したのはタイミングが良かっただけ、と言えばそうだからね。どうなるかはまだ未知数だ。

「それと、婚約者の方についてですが」

「うん?セリリアがどうしたの?」

「どうやら王子殿下に熱を上げられているようです」

「あらまあ」

 素で驚いてしまった。

 王子殿下というのは、母の妹と現王太子の王弟の間の息子のことだ。年は弟とセリリアと同じだったかな。僕にとっては従弟なので、セリリアにとっても親戚だ。だから顔合わせがあったのかもしれない。

「王子殿下は見目麗しく賢く立派な方だって話だから、憧れちゃうのかな」

「坊っちゃま、呑気している場合ではございませんよ」

「と言っても、僕にできることはしているよ?セリリアがこちらを振り向かないなら、どうしようもないんじゃないかな」

 両親のような破綻した関係は望んでいないからね、婚約者と仲良くしようと思って頑張ってはいるんだけど。僕にはこういうことは向いていないみたいだ。

「僕にできるのは王子殿下にさっさと婚約者がつくのを祈ることくらいだよ」

 それで、セリリアが現実を知ればいいんだけれど。それにしたって僕にはやっぱり、婚約者と仲良くするという能力が致命的に欠けているみたいだ。申し訳ないね。

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